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概要編集

山形県を放送エリアとするテレビ局。テレビ朝日をキー局とするAll-Nippon News Network(ANN)に加盟。

マスコットキャラクターは宇宙人のみるるん@あっと。


代表的な自主制作番組として、1971年10月に放送を開始した「提言の広場」がある。

山形経済同友会が企画する番組で、山形県の様々な問題や課題などを語る経済報道番組。「朝まで生テレビ!」や「ビートたけしのTVタックル」の山形版とも言える番組、と言いたいところだが、こちらの方が遙かに歴史が長い(ちなみに「朝まで生テレビ!」は1987年スタート、「TVタックル」は1989年スタート)。

年末年始であっても放送日時を差し替えてでも放送する番組であり、完全に休んだのは昭和天皇崩御や東日本大震災の時だけであった。しかもその時放送するはずであった回は翌週に延期した上でお蔵入りさせなかった。

元々は日曜朝の番組であったのだが、2009年4月以降は土曜朝(7時30分-8時)に放送されている。


株主編集

主要株主はテレビ朝日ホールディングスと朝日新聞。ほかに毎日新聞読売新聞の資本も入っており、かつてフジテレビ系列だったため、産経新聞フジテレビ→フジ・メディア・ホールディングスの資本も入っている。かつて山形新聞が大株主に名を連ねた時期があったが、マスメディア集中排除原則による行政指導により、山形新聞が上限を超えて保有していた株式が朝日新聞やテレビ朝日に売却され、10%に減った。また、山新グループの放送局である山形放送とは株式の持ち合いを行なっている。


歴史編集

開局から昭和末期まで編集

1970年4月1日にフジテレビ系列(FNN/FNS)フルネット局として開局した。当初はNETテレビ(→テレビ朝日)系列(ANN)のシングルネット局として開局する予定で、毎日新聞系列・朝日新聞系列の株主が多くいたほか、開局前の研修もNETテレビ(テレビ朝日)や毎日放送(当時は関西地方におけるNETの系列局)で行っていた。しかし開局前に出資者や発起人の間で出資比率などを巡るトラブルが起こり、初代社長だった前島憲平社長(当時)が山形新聞の当時の社長であった山形のドンこと服部敬雄に依頼し、山形テレビは山新グループの一員となった。また服部はフジテレビの当時の社長だった鹿内信隆と親交が深く、山形放送でフジテレビのネット番組が少なかったこと、1969年当時のNETテレビ(現・テレビ朝日)が教育専門局だったことから、フジテレビ系列(FNN/FNS)がメインとなった。


しかしながら開局時からNET(→テレビ朝日)との関係を模索し、1975年にNET(→テレビ朝日)系列(ANN)にも参加したものの、山形テレビが朝日新聞社系列に収まりANNフルネット局にネットチェンジされることを恐れた山形新聞の意向により、1980年3月をもってANNを脱退した(代わりに山形新聞の直系である山形放送が日本テレビ系列(NNN/NNS)とANNのクロスネット局化)。FNN/FNS単独になる一方で、日テレ系列の番組も日曜のプライムタイム(読売ジャイアンツプロ野球中継など)や「水曜ロードショー」を中心に山形放送から移行したため、ゴールデン・プライムタイムは事実上フジテレビ系列(メイン)と日本テレビ系列(サブ)のクロスネットに近い編成と化した。なお、山形放送の編成に入り切らなかったテレビ朝日系列の番組については、引き続き山形テレビでネットされていた。また、1989年にテレビユー山形が開局するまではTBS系列の一部番組も放送していた。


平成初期からネットチェンジまで編集

フジテレビ系列からテレ朝系列へのネットチェンジの引き金になったのは、1989年に開局したエフエム山形とテレビユー山形(TBS系列局)に対抗してバブル期に行った新規事業が軒並み失敗したことが挙げられる。

エフエム山形とテレビユー山形の開局(1989年)には郵政省(現・総務省)の調停案に猛反発するなど当初は反対したものの周囲の説得により止められなかった服部は、対抗策も兼ねてバブル期にハリウッド映画の出資、製薬会社「バイオ科学研究所」の新設(1985年)、クルーガーランド金貨の発行、ビデオソフト製作など事業の多角化に取り組んだが、バブル崩壊とのWパンチで軒並み損失を出し、山形テレビの収益が悪化した。そこで今野秀孝社長(当時)など当時の山形テレビ経営陣は1991年当時フジサンケイコーポレーションの会長兼社長、産経新聞社、フジテレビ、ニッポン放送、サンケイビルの会長を務めた鹿内宏明(鹿内信隆の次女・厚子の夫)など当時のフジテレビ経営陣に経営支援を求めるも、宏明が日本興業銀行(現・みずほ銀行)出身でありワンマン経営者で知られたこと、さらに1992年当時のフジテレビは東京・お台場の新局舎建設で資金面に余裕がなかったことから、経営支援の条件としてフジテレビ関西テレビの持ち株比率を上げた上で恒久的にFNSへの従属」を要求。しかし、山形新聞社がその要求を拒否した為、「経営が傾いたのは自己責任である」として拒まれた。1992年4月にバイオ科学研究所は約15億円の負債を抱えて解散。山形テレビへの経営支援を拒否した鹿内宏明は1992年7月21日の産経新聞社取締役会で日枝久フジテレビ社長(当時)等のグループの手で産経新聞社会長職を解任させられ、翌日河田町のフジテレビ本社第5スタジオで記者会見を開き、フジテレビ、ニッポン放送、サンケイビルの会長職とフジサンケイグループ会議議長の辞任を発表した。その後フジサンケイコーポレーションも解散した。一方の山形テレビも1992年6月24日の臨時社員総会で当時の今野秀孝社長と水井寅三郎会長がバブル期の事業多角化の失敗の責任を取る形で辞任し、後任の社長には後藤久弥(1988年に山形放送から移籍)が就任した。


そして、1992年9月24日の臨時取締役会で一時加盟していたANNへのネットチェンジが決まり、翌9月25日には後藤久弥社長と佐藤邦男東京支社長(当時)が東京・河田町のフジテレビ本社を訪れ、フジテレビの日枝久社長に明確な理由を説明せずにFNN/FNSを脱退してANNにネットチェンジする旨を伝え、テレ朝本社を訪れネットワーク加盟の申し入れを行う。


日枝久社長(当時)率いるフジテレビはこれに異議を唱えた上でネットチェンジの撤回を要請したが、山形テレビの意思は変えられなかった。日枝社長は山形テレビのネットチェンジの通告を受けて、「なぜ一言言ってくれなかったんだ!YTSは私に一言くらい相談すれば良かったのに!」と社長室で激怒したとも言われている。日枝久などフジテレビの新経営陣は山形テレビ側から相談や申し入れがあれば、山形テレビ以外のフジテレビ系列26局(当時)で支援や負債の肩代わりに応じる意向だった。一方、1992年当時のテレビ朝日は山形放送との関係を重視しており、山形県にテレビ朝日系列のフルネット局を置く予定は無かったため(当然ながら、ANNネットワーク拡大運動におけるネット局10局増設の対象の県では無かった)、山形テレビのネットワーク加盟申し入れには当初は戸惑っていた。しかし最終的にはテレビ朝日系列への加盟を承認した上で山形テレビを歓迎した。


結局フジテレビは山形テレビのネットチェンジを阻止することが出来ず、1992年10月16日に送付した「最終通告書」に基いてネットチェンジを認める代わりに、1992年12月から4か月間FNN/FNSネット番組のスポンサーとの交渉を山形テレビだけ単独で行わせるペナルティを課した。結局山形テレビはそれでも意思を変えなかったため、フジテレビは1992年12月31日付で山形テレビをFNN/FNSから除名する可能性も示唆した。そして1993年3月31日、同日深夜に放送されたテープネット番組「夜鳴き弁天」を最後に山形テレビはFNN/FNSを脱退、フジテレビの番組をすべて打ち切った(ただし、フジテレビ制作の「若い土」と秋田テレビ制作の「民謡お国めぐり」は、スポンサーの兼ね合いでネットチェンジ後も打ち切られず、山形テレビで放送継続)。翌4月1日にANNに再加盟、秋田朝日放送に次ぐ19番目のANNフルネット局として再スタートした。


視聴者、スポンサー、フジテレビ、テレビ朝日、郵政省(現・総務省)に対し、ANNにネットチェンジする本当の理由は説明されなかった。当時の役員は、ネットチェンジを決めたのは株主である朝日新聞や相馬大作元酒田市長の意向だと理由を説明しているが、実際は1991年3月14日に山新グループを率いていた服部敬雄が死去したことで、経営に苦しんだ山形テレビは身動きが取れるようになり、本来開局時に希望していたANN単独ネットに鞍替え(厳密には一度クロスネットとして加盟していたため、再加盟とも言える)することにしたためである。結果的に開局時に加盟を希望していなかったフジテレビ系列を脱退するという禁じ手を実行する形となった。


ネットチェンジの際に山形県でテレ朝の報道番組「ニュースステーション」がスタートした。また山形放送で同時ネットだった「日曜洋画劇場」「クレヨンしんちゃん」(いずれもテレ朝制作)やABC制作の金曜21時台番組、時差ネット放送されていた「ドラえもん」「ミュージックステーション」「土曜ワイド劇場」「美少女戦士セーラームーン」(いずれもテレ朝制作)「新婚さんいらっしゃい!」「パネルクイズアタック25」(朝日放送制作)なども山形テレビで同時ネットとなり、フジテレビ系列時代は平日午前の遅れネットだった「徹子の部屋」も同時ネットとなった。また山形放送の協力により、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「金曜ロードショー」(山形テレビでは「火曜ロードショー」として遅れネット※)など日テレ系列の番組が山形放送に移行し、1980年から2局の間で続いたクロスネット状態は解消された。

※日本テレビの「水曜ロードショー」→「金曜ロードショー」は山形県では1980年4月から1993年3月まで山形テレビで放送されていた。山形テレビでは水曜時代の1980年4月から1985年3月までは系列外でありながら同時ネットで放送していたが、1985年4月から1993年3月までは「火曜ロードショー」として火曜21時から6日遅れ→4日遅れで放送されていた。


ネットチェンジからさくらんぼテレビ開局まで編集

山形テレビのネットチェンジは、山形県の民放事情や山形県民の生活はもとより、フジテレビやテレビ朝日にも深刻な影響を与えることになった。


ネットチェンジにより山形県はフジテレビ系列の空白地域となり、フジテレビは、FNN/FNSを脱退した山形テレビだけでなく、ネットチェンジに協力したとみなした山形放送※に対しても、フジテレビ制作の番組、関西テレビなどフジテレビ系列局制作の番組を含め、一部を除くFNS全体の番組販売を拒否した。そのためテレビユー山形が「サザエさん」「夢がMORI MORI」など一部のフジテレビ系列のスポンサードネット番組の遅れネットでの放送を引き受けた。ただしテレビユー山形が平成新局である関係上スポンサードネット番組など必要最低限の番組しかネット出来ず、「笑っていいとも!」などが山形県内で放送されなかったことから山形テレビ、山形放送、テレビユー山形をはじめ、フジテレビにも山形県民からの苦情が殺到した。

※例外として、東北電力一社提供番組の仙台放送制作分とテレビ朝日が主管する「民間放送教育協会」名義のドキュメンタリー番組(現在は日本のチカラ)の福島テレビおよび沖縄テレビ制作のものは山形放送で引き続き放送された。

ただし「裸の大将放浪記」など過去のドラマやアニメの一部については山形テレビと山形放送で放送された。これはフジテレビ系列だった時代にこのテレビ局での放送実績があり、かつフジテレビ・FNSの優先放送権がなくなったためである。


ネットチェンジによって山形県内のFNNの取材拠点を失ったフジテレビは、1993年4月1日に山形支局を開設し、さくらんぼテレビの開局まで山形県内のFNNの報道取材を引き継いだ。


山形テレビのネットチェンジを巡り、山新グループ(山形テレビ、山形新聞、山形放送)とフジサンケイグループ(産経新聞フジテレビ)が対立を起こし、山新グループとフジサンケイグループは事実上絶縁した(但し先述の通り、山形テレビにはフジテレビの資本も入っているため、完全に絶縁したとは言い切れない)。そのため1990年代半ば頃から山形新聞の論調が左傾化している。


フジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジ直後、首都圏関西などから山形県にやって来た観光客、ビジネスマン、転勤族、移住者が旅館、ホテル、移住先で月9ゴールデン洋画劇場を見ようと山形テレビにチャンネルを合わせたら、ビートたけしのTVタックルやニュースステーション土曜ワイド劇場が放送されていることに驚かされたことがあった。


当然ながら当時はTver配信サービスをはじめとしたインターネット環境は整備されておらず、山形県では山形テレビのネットチェンジからさくらんぼテレビ開局まで、フジテレビ系列番組の大半が放送されなかったことから、隣県のフジテレビ系列局(仙台放送福島テレビ秋田テレビ新潟総合テレビ)をアンテナで区域外受信したりケーブルテレビで区域外再送信したりして視聴する世帯が頻発した。さらに山形県民から県外の親戚や知り合いへのフジテレビ系列番組の録画依頼が相次いだ。北海道南西沖地震や阪神淡路大震災が発生した際には、被災地に親戚や知り合いがいた山形県民からの支援物資のお返しとして被災地の親戚や知り合いから北海道文化放送関西テレビで録画したフジテレビ系列番組のビデオが送られたことがあった。


一方のネットチェンジを強行した当事者の山形テレビも、相応のしっぺ返しを喰らうこととなった。当時のテレ朝はフジテレビに視聴率で水をあけられており、人気番組もそれほど多くなかったため、経営再建のためのネットチェンジは、ステーションイメージの悪化や経営の悪化を招いた。しかも、ネットチェンジ当日の山形新聞において、「山形テレビの新しい門出をお祝いいたします。テレビ朝日系列番組一同」という全面広告が掲載され、「不謹慎すぎる」と批判された。ちなみに山形新聞のネットチェンジ広告に名を連ねたのは1993年4月当時のフルネット18局と1993年10月1日に開局した山口朝日放送大分朝日放送であり、岩手朝日テレビ愛媛朝日テレビ琉球朝日放送1993年当時は未開局だったほか、クロスネット局の福井放送山口放送テレビ大分テレビ宮崎は名を連ねていない。また、静岡朝日テレビは静岡けんみんテレビ、名古屋テレビは愛称のメ~テレではなく正式社名名義であり、朝日放送もテレビ・ラジオ分離前、テレビ朝日においては正式社名が「全国朝日放送」であり、テレビ朝日が正式社名になるのはその10年後である。


その後山形財界、フジテレビ、岩手めんこいテレビ仙台放送秋田テレビ福島テレビNST新潟総合テレビの後押しや山形県内の署名運動もあり、1997年4月1日にさくらんぼテレビが開局。山形県では4年ぶりにフジテレビ系列の番組がリアルタイムで視聴できるようになった。


さくらんぼテレビ開局以降編集

1999年9月1日に開局30周年を記念して、イメージキャラクターの「みるるん星人」が誕生。ネットチェンジで悪化していたステーションイメージの回復に貢献した。また、21世紀に入って暫く経過した頃には、テレ朝系列にも人気番組が増えるようになり、視聴率の面でも安定するようになった。


ネットチェンジ後の苦境を乗り越えた山形テレビは、平成新局が多いテレ朝系列において老舗局としてノウハウを提供するなど制作力底上げに貢献している。また、2007年に山新グループから脱退し、さらに2017年には、テレビ朝日ホールディングスの持分法適用関連会社の1社にもなり現在に至っている。


2024年10月1日に開局55周年を記念して、CI導入により新ロゴマークを制定した。


上述のように、1993年当時は視聴率トップで人気番組を多く抱えていたフジテレビ系列から、当時視聴率万年4位、振り向けばテレビ東京で人気番組も少なかったテレビ朝日系列へのネットチェンジは山形県民の反感を買った。フジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジの引き金がバブル期の事業多角化の破綻だったため、ネットチェンジ直後の山形テレビは山形県民から「バブルの負の遺産」扱いにされたこともあった。


だが、仮にネットチェンジがなかった場合、他の人口100万県(青森県秋田県富山県山口県大分県沖縄県)の例に漏れず山形県は民放3局止まりで、山形放送と山形テレビの変則的なクロスネットは2024年現在も続いていた可能性がある。フジテレビは2010年代以降人気番組が減少して視聴率が4位に転落しており、ネットチェンジするならこの時期にした方が無難だったかもしれないが、その頃には地上波民放の新設も完全にストップしているため、山形の民放4局化も実施されずに終わったことだろう。その場合、山形放送ではザ!世界仰天ニューススーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズ(平成令和)、プリキュアシリーズなど日本テレビ系列やテレビ朝日系列の一部番組、山形テレビではノイタミナONE PIECEなどフジテレビ系列の一部番組はそれぞれ非レギュラーネットまたは未ネット(山形放送の場合は山形テレビへ放映権を委託も含む)だった可能性があるほか、山形県内のケーブルテレビでの近隣県のテレビ局の区域外再送信は山形放送と山形テレビが反対していたことと思われる。


補足編集

  • フジテレビ系列局時代に「陽あたり良好!」の実写版とアニメ版の両方を放送した事があった。本来実写版は日本テレビ系列で放送されたが、本来の日本テレビ系列局である山形放送が当時はテレビ朝日系とのクロスネット局で「西部警察」を同時ネットしていた為、玉突きで山形テレビが代替で同時ネットを組む羽目となり、また後にフジテレビ系で放送されたアニメ版も山形放送の都合に巻き込まれ、時差ネットを組む羽目になった。他に当時フジテレビ系と日本テレビ系のクロスネット局であったテレビ長崎テレビ大分鹿児島テレビでも両方放送された。そして、実写版の青森放送テレビ信州山口放送は当時は日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネット局であった。
  • 先述の「提言の広場」に関してだが、日曜朝に放送されているメタルヒーローシリーズ→東映ロボットコメディ→仮面ライダーシリーズについてはネットチェンジ直後の1993年4月から2009年3月まで金曜夕方に遅れネットでの放送を余儀なくされた。21世紀に入り平成ライダーの好調と地元視聴者の不満が高まり、2009年4月に「提言の広場」は土曜朝に放送時間を移動し、仮面ライダーディケイドの途中から同時ネットに移行した。ちなみに似たような例としては開局直後の山口朝日放送がローカルバラエティ番組「5時からワイドYAB」を平日夕方5時台に組んだばっかりに、1993年秋の改編時点では金曜夕方5時台後半に組んでいたスーパー戦隊シリーズを、金曜16時台後半にまわしていた、という事があった。
  • 「タミヤRCカーグランプリ」、「ザ・スターボウリング」などテレビ東京系列の番組は山形テレビではフジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジの前後を通じて放送されたため、テレ東伝説は山形テレビのネットチェンジでも発動された。自社制作番組も、夕方のニュースを除きネットチェンジの前後を通して放送されたものが多い(先述の「提言の広場」が一例)。
  • 『朝日ジャーナル』(1992年廃刊)で1985年「山形の首領(ドン)」という服部敬雄の特集がシリーズで掲載されたが、一説には当時フジテレビ系列だった山形テレビをテレビ朝日系列にネットチェンジさせるための引き抜き工作として企画されたとも言われている。また、『朝日ジャーナル』で服部の特集が掲載される度に山形県内の書店では山新グループによる買い占めが行われた。
  • 深夜アニメに関しては、テレビ朝日系列フルネット全24局で放送されている「IMAnimation」、「NUMAnimation」、「ANiMAZiNG!!!」(朝日放送制作)以外では、「SonnyBoy」、「黒の召喚士」、「農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。」、「ワールドダイスター」、「ライアー・ライアー」、「ダークギャザリング」、「結婚指輪物語」、「ワンルーム、日当たり普通、天使つき。」、「BanG_Dream!_It's_MyGO!!!!!」、「BanG_Dream!_Ave_Mujica」を放送した実績がある。なお、フジテレビ系列時代の1990年に「トップをねらえ!」を平日17時台前半に放送したことがあった。
  • バブル期の事業多角化の一環として製作に関与したOVA「のぞみウィッチィズ」は、当時としては珍しい地方局(それも5大都市圏以外)が制作に関与したアニメ作品であったが、結果的に本作への出資がフジテレビ系からテレビ朝日系へのネットチェンジの引き金のひとつになってしまった。
  • ネットチェンジ直後の山形テレビは山形県民から「バブルの負の遺産」扱いされたが、バブル期の拡大路線で経営破綻したダイエー、マイカル、長崎屋は山形県にも店舗を構えていた。山形テレビでもダイエー山形店(山交ビル、山形市2005年閉店)、ダイエー鶴岡店(現・エスモール、鶴岡市2002年閉店)、ダイエー酒田店(旧・大沼デパート酒田店、酒田市2005年閉店)、山形ビブレ(旧・ニチイ山形店、山形市、2000年閉店)、サンホーユー米沢店(旧・米沢ファミリーデパート、米沢市1994年閉店)、サンホーユー新庄店(旧・新庄ファミリーデパート、新庄市2000年閉店)、サンホーユー村山店(旧・ファミリーデパートマルシメ、村山市、1995年閉店)、米沢サティ(現・イオン米沢店、米沢市)、長崎屋天童店(天童市2002年閉店)のCMが頻繁に放送されていた。


関連項目編集

山形県

テレビ局

All-Nippon_News_Network


テレビ山口:元フジテレビ系列局つながり。ただしこちらがフジテレビ系列を脱退したのは、フジテレビからの「一本だけでいいからニュース放送して下さい(要約)」という要請に応えられなかったため。そんなこともあり、脱退後もフジテレビとの関係は山形テレビとは全く対照的に結構良好。因みにアナログ波時代の親局チャンネルは同じ38チャンネルだったりする。

朝日放送:朝日新聞の意向で他系列からテレビ朝日(テレ朝)系列にネットチェンジしたテレビ局つながり。ただしこちらはTBS系列への残留を希望していたが、新聞社やキー局の意向で毎日放送との系列トレードを余儀なくされた。また、ネットチェンジ直後は山形テレビと同様に視聴率低迷や営業面での不利に苦しんだ。

九州朝日放送:フジテレビ系列メインからテレ朝系列フルネットにネットチェンジしたテレビ局つながり。

福井放送:朝日新聞が大株主であるが故にテレ朝系列に参加したテレビ局つながり。ただしこちらは日本テレビ(日テレ)系列にも残っており、番組編成などからしてテレ朝との関係はやや希薄。なおそのせいか、山形新聞に掲載された山形テレビのネットチェンジ広告には名を連ねていない蛇足ながら結局は挫折した福井第三民放局はテレ朝の系列局として開局する構想があったため、その際には(山形放送の様に)日テレ系列単独に戻れたはずだった(ただしTBS系列局として開局する構想もあったためその場合は引き続き日テレ・テレ朝クロスネットを維持するハメにはなったが)。

北海道テレビ放送:経営危機をテレ朝に救われたテレビ局つながり。ただしこちらは1968年の開局当初から一貫してNET→テレ朝系列であり、1981年に当時の親会社だった札幌トヨペットが経営破綻したことで連鎖倒産の危機に陥ったのを朝日新聞やテレ朝の救済出資により連鎖倒産を免れた。

サンテレビ:特定の系列の番販を拒否されたテレビ局つながり。こちらはテレビ大阪の開局でテレビ東京の番組ネットを番販扱いも含めて拒否された。


外部リンク編集

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