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概要

山形県を放送エリアとするテレビ局。テレビ朝日をキー局とするAll-Nippon News Network(ANN)に加盟。
マスコットキャラクターは宇宙人のみるるん@あっと。

株主

主要株主はテレビ朝日ホールディングスと朝日新聞。ほかに毎日新聞と読売新聞の資本も入っており、かつてフジテレビ系列だったため、産経新聞→フジテレビ→フジ・メディア・ホールディングスの資本も入っている。かつて山形新聞が大株主に名を連ねた時期があったが、マスメディア集中排除原則による行政指導により、山形新聞が上限を超えて保有していた株式が朝日新聞やテレビ朝日に売却され、10%に減った。また、山新グループの放送局である山形放送とは株式の持ち合いを行なっている。

歴史

1970年4月1日にフジテレビ系列(FNN/FNS)フルネット局として開局した。当初はNET(→テレビ朝日)系列(ANN)をメインにTBS系列とのクロスネット局として開局する予定で、毎日新聞系列・朝日新聞系列の株主が多くいた。しかし開局前に出資者や発起人の間でトラブルが起こり、初代社長が山形新聞の当時の社長であった山形のドンこと服部敬雄に依頼し、山形テレビは山新グループの一員となった。また服部氏はフジテレビの当時の社長だった鹿内信隆と親交が深く、山形放送でフジテレビのネット番組が少なかったことから、フジテレビ系列(FNN/FNS)がメインとなった。

1975年にNET(→テレビ朝日)系列(ANN)にも参加したものの、1980年3月をもってANNを脱退した(代わりに山形放送が日本テレビ系列(NNN/NNS)とANNのクロスネット局化)。FNN/FNS単独になる一方で、日テレ系列の番組も日曜のプライムタイム(読売ジャイアンツ戦プロ野球中継)を中心に山形放送から移行した。

フジテレビ系列からテレ朝系列へのネットチェンジの引き金になったのは、1989年に開局したエフエム山形とテレビユー山形に対抗して行った新規事業が軒並み失敗したことが挙げられる。
エフエム山形とテレビユー山形(TBS系列局)の開局(1989年)に反対したものの止められなかった服部氏は、対抗策としてハリウッド映画の出資、製薬会社「バイオ科学研究所」の新設(1985年)、クルーガーランド金貨の発行、ビデオソフト製作など事業の多角化に取り組んだが、軒並み損失を出し、山形テレビの収益が悪化した。そこで1991年当時フジサンケイコーポレーションの会長兼社長、産経新聞社、フジテレビ、ニッポン放送、サンケイビルの会長を務めた鹿内宏明(鹿内信隆の次女・厚子の夫)に経済支援を求めるも、宏明が日本興業銀行(現・みずほ銀行)出身でありワンマン経営者で知られたため、自己責任であるとして拒まれた。1992年4月にバイオ科学研究所は約15億円の負債を抱えて解散。山形テレビへの経営支援を拒否した鹿内宏明は、1992年7月21日の産経新聞社取締役会で、日枝久氏等のグループの手で産経新聞社会長職を解任させられ、翌日河田町のフジテレビ本社第5スタジオで記者会見を開き、フジテレビ、ニッポン放送、サンケイビルの会長職とフジサンケイグループ会議議長の辞任を発表した。その後フジサンケイコーポレーションも解散した。

1992年9月24日の臨時取締役会で一時加盟していたANNへのネットチェンジが決まり、翌日には当時の社長と東京支社長が河田町のフジテレビの本社を訪れ、フジテレビの日枝久社長に明確な理由を説明せずにFNN/FNSを脱退してANNにネットチェンジする旨を伝え、テレ朝本社を訪れネットワーク加盟の申し入れを行う。日枝氏率いるフジテレビはこれに異議を唱え、1992年12月から4か月間FNN/FNSネット番組のスポンサーとの交渉を山形テレビだけ単独で行わせるペナルティを課したが、1993年3月31日、山形テレビは強引にFNN/FNSを脱退、フジテレビの番組をすべて打ち切った(ただし、フジテレビ制作の『若い土』と秋田テレビ制作の『民謡お国めぐり』は、スポンサーの兼ね合いでネットチェンジ後も打ち切られず、山形テレビで放送継続)。翌4月1日にANNに再加盟、秋田朝日放送に次ぐ19番目のANNフルネット局として再スタートした。
視聴者やスポンサー、フジテレビに対し、ANNにネットチェンジする理由は説明されなかった。1991年3月14日に山新グループを率いていた服部敬雄氏が死去したことで、経営に苦しんだ山形テレビは身動きが取れるようになり、フジテレビ系列を脱退するという禁じ手を実行できた。そしてANNに再加盟する道を選んだのは一度加盟していたため当然といえる。ただし当時の役員は、ネットチェンジを決めたのは株主である朝日新聞の意向だと理由を説明している。

ネットチェンジの際に山形県でテレ朝の報道番組「ニュースステーション」がスタートした。また山形放送で同時ネットだったテレ朝制作の月曜19時台アニメ「クレヨンしんちゃん」やABC制作の金曜21時台番組、時差ネット放送されていた「ミュージックステーション」「土曜ワイド劇場」「美少女戦士セーラームーン」(いずれもテレ朝制作)「パネルクイズ アタック25」(ABC制作)なども山形テレビで同時ネットとなり、フジテレビ系列時代に午前遅れネットだった「徹子の部屋」も同時ネットとなった。また山形放送の協力により、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など日テレ系列の番組が山形放送に移行し、1980年から2局の間で続いたクロスネット状態は解消された。
しかし当時のテレ朝はフジテレビに視聴率で水をあけられており、人気番組もそれほど多くなかったため、経営再建のためのネットチェンジは、イメージの悪化や経営の悪化を招いた。しかも、ネットチェンジ当日の山形新聞において、「山形テレビの新しい門出をお祝いいたします。テレビ朝日系列番組一同」という全面広告が掲載され、「不謹慎すぎる」と批判された。
ネットチェンジを機にフジテレビは1993年4月1日、山形県内のFNNの取材拠点として山形支局を開設した。

ネットチェンジにより山形県はフジテレビ系列の空白地域となり、フジテレビは、FNN/FNSを脱退した山形テレビだけでなく、ネットチェンジに協力したとみなした山形放送に対しても、フジテレビ制作の番組、関西テレビなどフジテレビ系列局制作の番組を含め、一部を除くFNS全体の番組販売を拒否した。そのためテレビユー山形が「サザエさん」「夢がMORI MORI」など一部のフジテレビ系列のスポンサードネット番組の遅れネットでの放送を引き受けた。「笑っていいとも!」が山形県内で放送されなかったことから山形テレビ、テレビユー山形、フジテレビに苦情が殺到した。
ただし「裸の大将放浪記」など過去のドラマやアニメの一部については山形テレビと山形放送で放送された。これはフジテレビ系列だった時代にこのテレビ局での放送実績があり、かつフジテレビ・FNSの優先放送権がなくなったためである。

その後山形財界、フジテレビ、岩手めんこいテレビ、仙台放送、秋田テレビ、福島テレビの後押しや山形県内の署名運動もあり、1997年4月1日にさくらんぼテレビが開局。山形県では4年ぶりにフジテレビ系列の番組がリアルタイムで視聴できるようになった。

ネットチェンジ後の苦境を乗り越えた山形テレビは、テレ朝系列において制作力底上げに貢献し、2007年に山新グループから脱退した。

関連項目

山形県
テレビ局
All-Nippon_News_Network

外部リンク

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