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プリキュアシリーズ

ぷりきゅあしりーず

東映アニメーション制作の女児向けアニメ作品シリーズのこと。
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概要

プリキュアシリーズとは、東映アニメーション製作、朝日放送テレビ(ABC)・テレビ朝日系列、毎週日曜8時30分枠に放送されている少女向けアニメシリーズのこと。
いわゆるニチアサキッズタイムと呼ばれる児童番組枠の一つを担当している。

美少女戦士セーラームーン』の大ヒットをきっかけにして1990年代に一世を風靡した「変身ヒロインバトルヒロイン)もの」の路線を継承した作品だが、「女の子だって暴れたい」をコンセプトに企画され、主に体術(武器・パワーアップアイテムも含む)を使って戦うのが特徴。
なお、公式が定義するプリキュアシリーズのジャンルは「アクションファンタジー」としている。

明日のナージャ』の終了を受けて2004年2月から同時間枠を引き継いだ『ふたりはプリキュア』を第1作とする。毎年主人公や世界観は変化させつつも、「普通の女の子が妖精たちの力を借りて伝説の戦士・プリキュアに変身し、さまざまな困難に立ち向かう」という基本的なスタイルは踏襲され続けている。

少女向け玩具の商業展開と同調しているため、内容は少女をターゲットにしているが、視聴層はシリーズを重ねるごとに拡大しており、『フレッシュプリキュア』から『スマイルプリキュア』までのプロデューサーを務めた梅澤淳稔は大人もターゲットにしている事を明らかにしている。しかし、大人向けのプリキュアを作ることに関しては否定的な面も持ち合わせており、やはり少女向けアニメとしてあくまで楽しむことが大事である。

シリーズ一覧

2000年代

2004年:ふたりはプリキュア
2005年:ふたりはプリキュアMaxHeart
2006年:ふたりはプリキュアSplash☆Star
2007年:Yes!プリキュア5
2008年:Yes!プリキュア5GoGo!
2009年:フレッシュプリキュア!

2010年代

2010年:ハートキャッチプリキュア!
2011年:スイートプリキュア♪
2012年:スマイルプリキュア!
2013年:ドキドキ!プリキュア
2014年:ハピネスチャージプリキュア!
2015年:Go!プリンセスプリキュア
2016年:魔法つかいプリキュア!
2017年:キラキラ☆プリキュアアラモード
2018年:HUGっと!プリキュア

 ※ プリキュアシリーズ一覧に、より詳細なシリーズ一覧リストがあります。

プリキュアシリーズの特徴

従来の少女向けアニメの変身ヒロインといえば、アクセサリーのような武器を使って戦ったり、魔法を駆使したりと、バトルシーンは可愛らしい、比較的マイルドな描写のバンク戦闘が普通だった。
しかし、2004年に登場した『ふたりはプリキュア』という作品は、それらとは全然違った切り口のバトルを展開した。それはなんと、『ドラゴンボール』のように肉弾戦でガチに戦うというものだった。コンセプトもずばり、「女の子だって暴れたい」である。

企画が通るまで紆余曲折こそあったものの、女の子が徒手空拳で敵と戦うという斬新なコンセプトはそのまま採用され、全国のお茶の間に届けられた。これが当時マンネリ化していた少女向けアニメに新たな風を送り込み、関連商品は大ヒット。さらにバトルアクション好きな大きなお友達のハートをもつかんだ。

翌年には続編も作られ、さらにその翌年には登場人物から世界観まであらゆる設定を一新させた新しい「プリキュア」が作られた(ふたりはプリキュアSplash☆Star)。その後も「プリキュア」という名前以外には繋がりがない新作が毎年作られるようになり、プリキュアシリーズと呼ばれるようになる。
キャラクターも世界観も全く繋がりがないシリーズものというのは少女向けアニメ作品としては非常に稀。プリキュアがキャラクター人気以上に「コンセプトそのもの」で支持されていることが窺える。
第一作目は少女アニメらしくないバトル描写が話題になったが、シリーズ化にあたってより幅広い層に受け入れられるような配慮が意識されるようになった(なるべく怖さを抑えるために光を使った攻撃演出が多くなったり、従来の少女アニメと同様華やかさも意識するなど)。このため、バトルアニメとして見てみると一作目と翌年の続篇だけが際立って過激となっている。しかし、後のシリーズでも肉弾戦アクション主体と言うコンセプトは意識されている。
これらの配慮が功を為して、少女向けのアニメシリーズとしては最長寿の作品となっている。
(ただし、主人公交代も世界観の変更もなく連続性を持ち続けた少女向けアニメシリーズとしてみれば『美少女戦士セーラームーン』の全五期作が日本国内では最長となる)。

対象年齢は主に未就学児層と設定されており、人格形成にテレビアニメの影響を受けやすい年齢層であると言える。そのため、息子ならともかく娘を持つ親が「格闘バトルもの」という暴力的なジャンルを我が子に見せるのに許容可能な作品になるように様々な制約を自主的に設けている。内容的には激しいアクションはあっても、性的な描写やハードな流血描写は皆無に近く、お色気シーンも御法度で水着ですら数える程しか出た事がない。話にも道徳的な要素が盛り込まれる事が多く、変身後のデザインは小さな女の子が喜ぶような華やかな色彩にフリルリボンなどがあしらわれている。ニチアサの中でもこのように対象上かなり制約が強い枠ではある。
また、これは仕方がないのだが、プリキュアシリーズはバンダイがメインスポンサーを務めるアニメであるため、玩具販促の色が大変濃い。作中に登場する変身グッズやアイテムは関連玩具として売られるため、それらを魅力的に描くことが脚本上・演出上の制約として存在する。
これらのことから日常シーンには言葉にしにくいわざとらしさも確かに存在し、リアリズムを求めるとツッコミどころも多々存在する。

上記のように表現上の自主制約が厳しい一方で、ストーリー面においては幼児には理解が難解であろう複雑なドラマ性も多々盛り込まれる。これは、子どもだけでなく親も一緒に楽しめる作品を目指して作られているためである。子供にとって難しいであろう部分は「“一緒に見ているお父さんやお母さんが子供たちに説明してあげる”というコミュニケーションを意識しているものだ」と製作側は語っている。また、プリキュアシリーズの生みの親である鷲尾天プロデューサーは「子どものときには、意味がわからなくてもいいんです。テレビで見ていた女の子が成長して、思い返したときに『こういう意味だったのか』と気づいてもらえれば。」と語っている。
この「大人になって思い出したときに意味があるもの」という考え方はプリキュアシリーズの根底思想であり、「今見ている子供達が大人になって人生の岐路に立ったり壁にぶつかったりした時、何らかの支えとなれるメッセージがプリキュアの目指すドラマ性」ということはシリーズに関わった多くのスタッフが証言している。
ここらのバランス感覚によって子供たちだけでなく親も一緒に見れる作品として、そしてある一定の大きいお友達のファン層を作り出している。
このあたりの雰囲気は、東映の児童向けコンテンツの二大シリーズであるスーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズとほとんど同じである。言ってしまえばこの二大シリーズのコンセプトをそのまま引き継ぎ玩具化するアイテムだけ少女向けにしたものといって差し支えない。放映時間帯もこの三シリーズは連続している。
大きいお友だちの中にはこの三シリーズをセットで視聴する層は少なくなく、pixiv上でもこの三シリーズをセットで扱うようなネタが多々ある。

プリキュアシリーズの決まりごと

プリキュアシリーズは二期モノを除いては、一作ごとにテーマも世界観もストーリーも異なる。
制作スタッフも入れ替えが激しい。
だが、やはり「プリキュアらしさ」としての共通点を持たせることは意識されてはいる。

特にプリキュアシリーズでは、スタッフが変わっても受け継がれている決まり事のようなものが存在することが知られている。
もともとは第1作『ふたりはプリキュア』から第5作『Yes!プリキュア5GoGo!』までプロデューサーを務めた鷲尾天が、プリキュアシリーズでは「やってはいけないこと」の制約を現場に通達していたことが始まりとされるが、鷲尾がプロデューサーを引退した後のプリキュアシリーズでも幾つかが「お約束」として伝統化していったようだ。
鷲尾Pは自分が作ると男が見たがるようなアニメになってしまうという自覚があった。そこで逆に、少女向けとしてはふさわしくないだろう要素を明文化して、あとは好き勝手やらせてもらおうという点があったようだ。

だが、こういう決まり事に強制力があるわけではなく、時代の流れによって沿わないとされた部分は変わっていっている。逆に、鷲尾Pの最初のルールにはなかった新しい決まり事も生まれて行っている。
10年を超えて続いたシリーズであるので「プリキュアらしさ」も少しずつ変化している。

プリキュアの立ち位置

さまざまなメディアでプリキュアシリーズが紹介されるとき、プリキュアは人々を守る正義のスーパーヒロインと扱われていることが多い。しかし、初期のプリキュアシリーズの基本は「異世界の妖精のボディーガード」というものであり、自分たちの住むこの世界のために戦っているわけではなかった。敵は妖精が持つ秘密を狙って妖精たちを襲おうとするので、妖精を匿うプリキュアたちが敵を返り討ちにしていく、というのが毎回の話の基本構造だったのである。敵側陣営はプリキュアと妖精以外の一般人には殆ど興味を持っておらず、悪意を持って一般人を傷つけようとすることはごく稀にしか起こらなかった。
これはプリキュアに「みんな」を守らなくてはいけないような大きな使命感を持たせないようにするためであり、戦いを離れた軽い日常を過ごすシーンを違和感なく描きやすくするためでもある。初代ED曲の名フレーズ、「地球のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃないの」がそれを象徴している。

この流れが大きく変わったのは6作目『フレッシュプリキュア!』である。そこで描かれた敵である管理国家ラビリンスは「プリキュアなどは無視して、人間の不幸の感情を集めるために一般人を狙って悪事を働く悪党」であった。そしてこの作品のプリキュアは敵が襲ってくるまで待ち構えるのではなく、悪事を行う敵をこらしめるためこちらから戦いを挑む存在となった。
『フレッシュ』以降のシリーズでも多くの敵は大なり小なり「一般人に迷惑をかける存在」として描かれるようになる。そしてプリキュアも「街の一般人たちを敵から守る」ことを目的に戦うわかりやすい正義のヒーロー像が強化されることになる。

第11作目の『ハピネスチャージプリキュア!』以降は方針に更に変化が生じ、プリキュアは「一般人のために戦う」要素よりも「自分のために戦う」要素が強調されるようになった。正義のヒーロー像は踏襲されつつ、「一般人に迷惑をかける存在」が自分にとって大切なものも奪おうとするため、自分達も戦いに挑むという流れになっている。

単独プリキュアの可能性

プリキュア達は基本的にプリキュア2名以上と妖精1名以上の「チーム」で戦う。
相棒及びチームとの絆はプリキュアシリーズのどの作品でも重視される。仲間の欠陥を仲間全員の長所で補いながら支え合うことで、プリキュア全員で成長していこうとするのがプリキュアとしてのライフスタイル、及びそれと並行している日常生活の要としてどの作品でも描かれている。

チームワークを重視することの反動として、「ひとり」で戦うことは多かれ少なかれ否定的に描かれる作風が現在まで続いている。
プリキュアがひとりで戦うシーンが全くないわけではない。しかしそれは基本的に負けフラグであり、ピンチに追い詰められた後に仲間たちが駆けつけて逆転するというのがお約束である。
ただし、等身大で人型の敵構成員と戦う場合は、プリキュアとその敵構成員はタイマンという構図をとることがある。これは人間と同じ見た目とサイズの敵を、プリキュア側が複数人で殴る蹴るするというのはリンチに見られかねないからである。
タイマン構図になる場合は、「仲間達への思い」をモノローグとして独白するなどの形で、一人で戦っているように見えても心は常に繋がっているという演出が大抵挿入されている。

ただし過去にはマンネリ打破のために一人で戦うプリキュアが企画されたこともある。
単独バトルヒロインものはキューティーハニーシリーズやカードキャプターさくらなど珍しいものでないが、プリキュアとしては大きなチャレンジとなるはずであった。
しかし、企画が動き出すのとほぼ同時に東日本大震災が発生。今このタイミングで単独ヒロインものを作ることは「一人で頑張らないといけない」というイメージがついて回るとして急遽中止となる。そして練り直された企画が「一人ではなく、みんなで頑張るというメッセージ」を込めた『スマイルプリキュア!』であった。

単独プリキュア企画が今後も復活するのかどうかは不明瞭ではあるが、テーマ以上に玩具的な都合から難しいところもありそうだ。
2013年の『ドキドキ!プリキュア』は初期3人+追加戦士1人という構成の予定が、上司からの要請で急遽初期4人+追加戦士1人にされたという裏話もある。2016年の『魔法つかいプリキュア!』はプリキュアの人数こそ初期2人+追加戦士1人という構成だが、初期2人が4種類の異なる変身をするため「プリキュアの姿」としては実質的に3倍となり、バリエーションを増やしたいという玩具側の要請に応えている。

プリキュアの条件

初期の頃はタイトルに『ふたりは』や『5』などのプリキュア人数を表す数字が必ずついていた。
それに矛盾しないようにするためか、初期シリーズの追加キュアであるシャイニールミナス(『ふたりはプリキュアMaxHeart』)やミルキィローズ(『Yes!プリキュア5GoGo!』)などは、プリキュアではない別の戦士とされて「キュア」の名を冠する事ができなかった。
そしてこの二人はどちらも純粋な人間ではなく、ローズに至っては元が異世界出身の妖精だったため、「プリキュアになれるのは普通の人間の少女でないといけない」という定説がファンの間では昔一般的だった。
上述したように、初期作ではプリキュアとなる少女たちに「大きな使命感」を持たせないようにすることに気が払われていたこともこの定説を作り出した一因である。異世界人というような設定があれば、そのキャラクターはストーリー上でシリアスな設定がどうしても課せられてしまうためだ。
しかし、この定説もシリーズがすすむにつれて崩れていっている。
たとえば現在の『プリキュアオールスターズ』ではルミナスとローズもプリキュアとしてカウントされ「復権」している。
また、異世界の住人にして当初敵であったイースセイレーントワイライトがそれぞれ東せつな/キュアパッション(『フレッシュプリキュア!』)、黒川エレン/キュアビート(『スイートプリキュア♪』)、紅城トワ/キュアスカーレット(『Go!プリンセスプリキュア』)になっており、同じ異世界の住人ポジションでも敵キャラではない一般人として登場したリコキュアマジカル(『魔法つかいプリキュア!』)になっている。
さらにキュアエース(『ドキドキ!プリキュア』)のように異世界の住人の心から生まれた存在という特殊な出生経緯を持つプリキュアも現れている。
そしてこれら異世界出身のプリキュアたちは殆どが、ストーリー上でシリアスな設定が課せられて「大きな使命感」をもってプリキュアとして戦っていく。
キュアパルフェ(『キラキラ☆プリキュアアラモード』)に至っては地球出身の妖精が変身した初の『キュア〜』を冠するプリキュアであり、また劇中でもプリキュア自体が妖精の修行による最終目標として捉えている。
そしてキュアアムール(『HUGっと!プリキュア』)が、史上初のアンドロイドのプリキュアとして誕生した。
これも初期のシリーズでは考えにくかったことである。

日常シーンの扱い

初代から現在まで共通しているルールとして、プリキュアとして戦うことを、主人公達の生活の中心にしてはならないという点がある。
彼女達は戦いとは一切関わりのない「普通な女の子の日常」の中で生活しており、その日常の中ではプリキュアとしての使命感や緊張感を引きずらせないことが意識されている。
むしろ聖闘士星矢シリーズのように、「戦いと無関係なユルい日常」を過ごせないようなプロフェッショナルすぎるキャラクターはプリキュアとしては相応しくないとされる。
番組中盤から加入する追加キュアが、最初は日常に溶け込めないプロフェッショナルな戦士として登場するも、主人公達との触れあいの中で戦いと無関係なユルい日常を楽しめるようにほだされていく、という展開がなされることも多い。

「プリキュアとして強くなるために特訓する」ようなシーンもあるにはあるが、学校の同好会程度の和気藹々としたアマチュアリズムな楽しいノリが基本におかれている(先述の聖闘士星矢やドラゴンボールに代表されるバトルフィクションのように、本格的且つ人生そのものを懸けるような激しい修業は全く行われないが、パワーアップのための様々なイベントはある)。

プリキュアの日常の立ち位置については、11作目『ハピネスチャージプリキュア!』を境に大きな変化も生じている。
それより前のプリキュア作品では、プリキュアとしての戦いを日常と切り離すために「主人公達はプリキュアを仕方なくやっている」というニュアンスが多少なりとも必ず盛り込まれていた。
ところが『ハピネスチャージ』ではプリキュアは「みんなのために戦うヒーロー」であると同時に、主人公達全員がプリキュアをやることにごく個人的な動機が存在している。いわば自分にとってメリットがあるからプリキュアをやっているわけである。
主人公達がプリキュアとして戦うモチベーションを強めることは長年避けられてはいたので、これはかなり大きな転換である。この決断がなされた理由は、主人公達がプリキュアを仕方なくやっているというスタンスを長年続けた結果「プリキュアが他人を守るために自己犠牲的な戦いを強いられる悲劇的な存在になってしまっているのではないか?」と問題提起された為である。
『ハピネスチャージ』以降も、「主人公達が進んでプリキュアになりたがっている」というスタンス自体はずっと継続されることになり、プリキュアという役割が押し付けられた義務ではなく、本人が望んだ権利という形へと再構築されることになった。
ただ、戦いと日常を切り離すという点は最重要要素として守られているため、主人公たちがプリキュアをやりたがっていると言っても「戦うことが好き」みたいな設定にはしていない。
そのため、プリキュアに選ばれることで戦いだけではなく「新たな日常の楽しみ」も得られるようになったという描き方が基本になっている。プリキュアに選ばれたことがきっかけで自分が「やりたいこと」「楽しいこと」を獲得することができたという立ち位置である。日常を守るプリキュアから、新たな日常を獲得するプリキュアになったともいえるだろう。
近年ではそれをよりわかりやすく描くために、プリキュアには戦う力はあっても、戦い自体を目的にした存在ではないという設定の作品も出てきている。そのような作品の場合、「伝説の戦士」というプリキュアシリーズの伝統的な称号では呼ばれず「伝説の○○」というその作品に即した称号で呼ばれるが多い(例:『魔法つかい』→「伝説の魔法つかい」)。『アラモード』では遂にプリキュアが戦いと無関係な使命を持っていることがルミエルの台詞で間接的に明かされた。

敵キャラクターの扱い

プリキュアシリーズの敵キャラは、その最終目的が世界の破滅というような壮大なものであったとしても、プリキュア視点からすると「自分たちの日常を乱す存在」という身近なものとして扱われるのが基本である。
上述したように6作目『フレッシュプリキュア!』以降のプリキュアは「街の一般人たちを敵から守る」ことを目的に戦うわかりやすい正義のヒーロー像が強化されたが、これはあくまで自分たちが住む日常の生活空間である「わが町」を守るために戦っているという意味でもある。どこか遠くの街でのことまで気にかける責任は持たされていない。(ただし、遠くの国にすむ誰かが助けてほしいと自分から頼んできたのなら見過ごすことはない)
なので、プリキュアシリーズの敵キャラのほとんどは「プリキュアを倒すこと」自体が使命として与えられており、わざわざプリキュアのいる街で悪事を行うことに一応の理由づけがされている。

また、プリキュアシリーズの敵キャラはどんなに悪辣で卑劣且つ不快なキャラであっても、戦いを通じてプリキュアたちの成長を結果的に促す存在となるのが基本である。
敵キャラクターの悪行や蛮行がプリキュアたちに自分たちが現在置かれている現状や欠陥を客観的に見つめ直させるきっかけになったり、それを契機に自分たちが成長する上で、仲間たちや周囲な人々との触れ合いや切磋琢磨が如何に大切なのかを改めて気づかせ、プリキュアたちの成長に一役も二役も買っていることにもつながっていく。勿論、敵キャラクター自身にはそんなつもりは全くないのだが、結果的にはプリキュアたちだけではどうにもならない袋小路を打破してくれる、皮肉ではあるものの大変貴重な存在にもなっているのが実態である。
『アラモード』のエリシオ役の平川大輔はアニメージュ増刊号のインタビュー内で自身が演じるこのポジションをエースをねらえ!宗方仁に例えた。

プリキュア側も敵キャラを「追い払いたい」と考えているだけで、相手に対して「憎悪」や「殺意」の感情を持つ者は少ない。登場してからしばらくは敵に憎悪や殺意を抱いて戦っていたというプリキュアもいるが、他のプリキュア仲間や周囲な人々とのふれあいで憎しみや殺意の感情が次第に薄れていき、最終的には敵キャラを赦すことにもなるのである。
また、一タイトルを一年間放送したいという複雑な大人の事情もあってなのか、プリキュア側はその町内で非道を働く敵キャラと彼らが仕掛ける怪物を毎回毎回追い払うという受け身のスタイルを一貫するが、最終決戦が訪れるまで元凶である黒幕とそのアジトを手っ取り早く真っ先に打倒するという積極的な襲撃を全く敢行しないのも本シリーズの特徴でもある(作品によっては単純に場所が分からない、プリキュアが行き来する手段がないなどそれなりの理由づけがされてる)

そんなこともあってか、プリキュアは敵を倒したときに、命を奪っているという扱いにしない演出がシリーズを通じて徹底されている。
まず基本的に毎回戦う怪物たちは、敵キャラクターが目についた適当な道具や動植物、街の人々などに「邪悪なエナジー」のようなものを注ぎ込むことで生まれるというのが基本である。怪物のデザインや行動もコミカルさをある程度出すようにされていることが多く、メイン視聴者である年少の少女層を怖がらせないようおどろおどろしさは仮面ライダーシリーズ等に比べるとかなり控えられている(但し『魔法つかい』のデウスマストは、今までの敵キャラと比べて、かなりおぞましい外見となっている)。怪物を倒すとその邪悪なエナジーのようなものが霧散し、怪物の触媒にされていたものは本来の姿を取り戻す。
ハートキャッチプリキュア!』からは、そのあたりをより強調するために、怪物を倒す瞬間の演出を痛々しいものではなく、優しく癒して元ある姿に戻すような演出にするようになった。
このころからプリキュアシリーズは怪物を倒すことを「浄化する」という表現に言い変えることが多くなった。同時に、いわゆる「必殺技」という呼び方も公式サイドでは使われなくなり、「キメ技」と呼称されるようになった。

怪物を生み出す敵キャラクターたち(「構成員」と呼ばれることが多い)は知性と人格をもち、プリキュアたちと交流もする。外観も人間とほぼ変わらないものたちも多い。そのため、敵キャラクターたちが倒される場面の演出はよりデリケートである。
プリキュアシリーズでの首領格やその配下たちに定番の設定として、彼らは自然な形で生まれた「生物」ではなく、「闇」「欲望」「絶望」「憎悪」「嫉妬」「不幸」など何らかのマイナス要素を有する概念や感情が凝り固まることで意思を有する「邪悪な化身」だとされることが多い。
そのような敵キャラたちは、基本的にプリキュアたちに倒されると「あとかたもなく消滅」する。死体を残さないことで「死」のイメージを薄めている。
第一作『ふたりはプリキュア』では、一番最初の敵キャラであるピーサードを消滅させたときに、キュアホワイトが自分たちはとんでもないことをしてしまった(=相手を殺してしまった)のではないかと一瞬パニックになるが、妖精のメップルがすかさず「闇に帰っただけ」とフォローするシーンがある。これはキュアホワイトに対してよりも視聴者に向けたメッセージの意味合いの方が強いだろう。

シリーズが進むにつれて、敵キャラが「闇の化身」ばかりでは物語のマンネリ化を避けられないため、『フレッシュプリキュア』からは主人公たちと同じような「血が通った、命ある人間」が敵キャラとして立ちふさがるケースも出てきている。
命ある人間の敵キャラたちはプリキュアによって「消滅」させられたことが基本的にいまだない。上述で述べた浄化のプロセスによって元の姿を取り戻したり、浄化とは無関係に改心したりもする。

また、プリキュアと同年代の少女キャラがライバル的ポジションとして登場することもあり、その場合プリキュアと和解したりプリキュアに加入したりする展開が多い。

なお、プリキュアたちの身近な者の死を描くこと自体はある(例:ハートキャッチプリキュア月影博士コロン)。あくまで主人公側のプリキュアたちが命ある人間を殺すことはないというだけである。また、『フレッシュ』のイースもプリキュアになる前に一度死亡している。

会話内でも「殺す」「死ぬ」というストレートな表現は自粛されており、言い回しを工夫して「消す」「失う」「いなくなる」など別の単語に言い換えられている。

戦闘シーン

戦闘シーンは女児向けアニメの中では過激と言われるプリキュアシリーズだが、実際は数多くの自主規制がある。
有名な点は以下。

  • あからさまに武器っぽいデザインのアイテムを持たせず、アイテムで敵を攻撃するときはアイテムで直接殴るような攻撃方法にしない。
  • 主人公側のプリキュア同士の戦いはNG(MH映画版2作目以降)。
  • 流血描写はしない。
  • 顔面や腹部に打撃が加えられる瞬間を直接描かない。

武器の所持・使用の制限については、格闘主体という作風を実現するならば武器を持たせるわけにいかないという単純な理由が一番大きい。
ただ、シリーズが進むにつれて単純な格闘だけでは演出がマンネリ化するということもあってなのか、飛び道具的な遠距離攻撃ができるアイテムは持つことも増えてきた。ただし、あからさまに銃の形をしたものは採用されておらず、弓やステッキのような形状になることが定番である。
近接武器については格闘の存在価値を減らすので扱いは現在でも慎重であるが、エネルギー状の武具を錬成する「技」として剣やハンマーを使うプリキュアもいる。特に『アラモード』ではプリキュア全員が武具錬成能力を持ち、それが徒手格闘よりも上位に置かれるという、プリキュアシリーズでも例外的な作風となっている。
近接武器はエネルギー状ならOKでアイテムならNGという理由は、玩具販促アニメならではの事情がある。要するにプリキュアごっこをする子供達が玩具を使って誰かを怪我をさせてしまうリスクを避けるためである。
『アラモード』のレインボーリボンは長めのリボンを振り回す若干危険性を伴う仕様の玩具だが、ダンス遊びをメイン用途に据えている。またアニメ本編でもリボンで叩く描写は避けられ、手足を縛る、足場にする、輪っか状のエネルギーを発射するなど仮に真似しても危険性が少ない(または真似できない)アクションが中心とされた。

主人公サイドでのプリキュア同士の戦いを行わないのはMH映画版2作目で視聴者の子供達が怖がったことが影響している。ただし、子供達が怖がったのはあくまで「仲間割れ」の描写であるため、悪のプリキュアとの戦いや、主人公チームに属していないプリキュアと敵対することには制約はない。
また毎年リリースされるプリキュアゲームで公式におけるベルトスクロール型アクションゲームや対戦型格闘ゲームがないのもこのことが影響しているようである(バンナムから発売されているプリキュアゲームはトランプお絵かきパズルアドベンチャーゲームダンスアクションが主なコンテンツである)。

流血描写の禁止についてはプリキュアに関わらず今の時代に子供向け作品を地上波で放映するならば基本的についてくる制約であろう。ダメージについては汚れ描写にしている。
しかし、ただ過激にしたいだけでなく、子供達にも意図が伝わるような意味ある演出ならば流血描写もアリなようで、『ドキドキ!プリキュア』の劇場版で魔獣化したマシューの噛み付き攻撃を受け止めたキュアハートが流血したシーン(演出上やむを得ないことだったとスタッフが明かしている)が2018年現在唯一の流血描写として存在している。

腹への打撃描写の禁止はやはり「プリキュアは戦士と言っても女の子」だからという配慮である。ただ、劇場版など過激な演出がある程度許される機会では挿入されることが何度かある。
詳細は、腹パン(プリキュア)を参照。

腹への打撃描写や流血描写は緩和されていったのに対して、「顔への打撃描写禁止」は徹底して守られ続けている。
戦闘シーン以外で顔を殴打すべきシーンについても、ビンタの場面を効果音だけで済ませたりと一定の配慮がある。
ただし『ドキドキ!プリキュア』第8話のように眠気を払うために顔を挟み込んだり、お互いに相手の頬をつねったりデコピンしたりする程度の描写はOKのようである。また、顔に何かがぶつかる、転んだ拍子に顔を壁や地面にぶつけるといったギャグ描写であれば別段制限はない。
プリキュアではないキャラが顔面を殴られるのは全く問題ないようで、『Go!プリンセスプリキュア』第48話ではシャットクローズがお互いに相手の顔を殴りつけるシーンが登場している。

その他のダメージシーンとして、洗脳、石化、凍結、結晶化、封印などの状態異常の描写が見られる。

また基本的に敵側は巨大な怪物を召喚して戦うかプリキュアとほぼ同人数でまとめて直接襲いかかるが、これはいわゆる『リンチ』描写を極力減らすため。
例外的に『ハートキャッチ』のダークプリキュアなど桁違いの戦闘能力を持つとされるキャラクターは、単身で乗り込んでも問題ない様子(プリキュアから見て互角か優勢になる場合は基本タイマンだが)。
若干異質な例として『アラモード』は敵味方ともに遠距離攻撃(敵は精神攻撃も)を中心とするためなのか、人間サイズの敵が普通に単身でプリキュアチーム相手に戦うことも多い。

変身シーン

主人公たちがプリキュアに変身するためには、『ふたりはプリキュアSplash☆Star』までは二人一組で一緒に変身しなければならなかったが、『Yes!プリキュア5』以降は単独での変身が可能になった(『スイート』『魔法つかい』のメンバー、『HUGっと』の追加メンバー2人は例外)。
変身シーンのバンクにおいて、最後のキメポーズシーンを除き、『初代&MaxHeart』『Splash☆Star』『魔法つかい』のメンバーは当然ではあるが単独変身バンクが存在せず、一画面に二人が同時に映りこむ形で一緒に変身する(『魔法つかい』ではキュアフェリーチェが登場して数話くらいは初期メンバー2人と変身シーンを分けていたが、後に2つの変身シーンを組み合わせて全員変身バンクを作り上げている)。更に踏み込んだ『HUGっと』では、決めポーズのシーンまで2人が同じ画面に映りこんでいる。
逆に『5』や『フレッシュ』、『スマイル』は、全員が同時に変身する場合、単独変身バンクの画面分割とバンクの連結を行っており、複数のプリキュアが映りこむような全員変身バンク(フレッシュは単独変身バンクの組み合わせは多少あるが)の追加がない。
『ハートキャッチ』と『スイート』では、一部のキャラのみだが、単独変身バンクと二人変身バンクが存在する。特にスイートは、全員変身バンクを想定した上で単独変身バンクを作っているようで、4人の同時変身がとても自然に繋がっている。
『ドキドキ』では、画面分割に加え、ハートキャッチやスイートでも用いられていた単独変身バンクを目まぐるしく入れ替える手法で、同時変身をうまく表現している。
『ハピネスチャージ』『Go!プリンセス』では、上記の手法に磨きが掛かっており、それに加えて全員変身バンクを追加している。
また、プリキュアシリーズ以前の変身ヒロインものの変身シーンでは変身時に光に包まれるヒロインのシルエットが裸のように見える描写が多かったが、プリキュアシリーズでは『初代』と『スイート』以外は体のラインを見せないように、光の集合体や衣装を纏うなどして工夫されている。

変身後の呼び合い

プリキュアに変身した後は、昔のスーパー戦隊シリーズセーラームーンシリーズと同じくプリキュアの名前で呼び合う。例えば美墨なぎさは相棒の雪城ほのかから変身前は「なぎさ」と呼ばれているが、変身後はプリキュア名の「ブラック」と呼ぶ。これは現在も続いており、Go!プリンセスプリキュアでも春野はるかが、本来先輩であり敬語で接している海藤みなみに対し変身後はマーメイドと呼び捨てにしている(但し呼び名以外は敬語のまま)。
なお、サポート役である妖精たちも、変身前は本名で呼んでいたのを変身後はプリキュア名で呼ぶ。

プリキュアは一般人に正体を秘匿するのが通例なので、正体バレを避けるために本名呼びを避けようとする意識が働いているのかも知れないが、一般人が周りにいないような場所だろうが心の中でのモノローグだろうが、変身後に仲間を本名で呼ばない。
このことから正体秘匿のためというより、プリキュアになった時点で一個人ではなくプリキュアの戦士であるという演出の意味合いが強いのだと考えられる。
玩具販促の視点からすると「子供達にプリキュアの名前をはやく覚えて欲しい」という大人の事情もあるだろう(ほとんどの玩具は変身前の名前でなくプリキュア名をパッケージにするため)。

但し、ごく稀に相手のことを変身前の本名で呼ぶ事もある。それはミスというわけではなく意図的な演出であり、「プリキュアの仲間同士」という繋がりを超えたところにある個人的な友情を強く示す必要がある時のみ使われる。
これはとっておきの演出として扱われており、プリキュアシリーズ全体を通じても数えるほどしかない。現時点では『ふたりはプリキュア』の第42話、『スイートプリキュア♪』の映画版、『ドキドキ!プリキュア』の最終回、『キラキラ☆プリキュアアラモード』の第29・35話などで「本名呼び」するシーンが確認できる。

敵キャラがプリキュアの名前を呼ぶときは規定がもう少し緩くなり、「プリキュアの正体を知っていて、変身前の姿の時から個人的な因縁がある」場合は相手を変身前の本名で呼ぶ。特に敵組織から寝返ってプリキュア側についた光堕ちキュアは、かつての同僚と相対したとき、組織で名乗っていた名前で呼ばれることが多々ある。

ちょっと面白い例としては『フレッシュ』の妖精・タルトがいる。彼はプリキュアに変身していない状態でも相手をプリキュア名で呼んでおり、変身前の本名を呼んだことがオールスターズ版を含み殆どない(プリキュアの正体を知らないカオルちゃんに対してキュアピーチを「ラブはん」と呼んだことはある)。ただし、プリキュア以外のキャラクターの場合には本名しか名前がないので、そんな場合は本名で呼んでいる(実例:ミユキはん大輔はんカオルはんなど…)。

男子キャラの扱い

プリキュアシリーズでは、「人間の見た目をした男子キャラは、バトルシーンでプリキュアを助けてはいけない」ということがかつては強く意識されていた。
重要なのは、これは人間の女子キャラや妖精の見た目をしたキャラであれば、バトルシーンで主人公たちをサポートする助っ人として登場できていたということである。

なぜ「人間の見た目をした男子キャラ」だけがNGなのかというと、もともとは美少女戦士セーラームーンとの差別化という意識が強くあったかららしい。アニメ版のセーラームーンはタキシード仮面を活躍させるためにセーラー戦士のピンチを毎回作らなくてはならないという脚本上の制約があったことで有名で、なおかつ後発の多くのバトルヒロイン作品がそのフォーマットを継承したため、「不自然なヒロインピンチはバトルヒロイン物のお約束」としてかつてよくネタにされていた。
プリキュアの初代プロデューサーである鷲尾は主人公たちを「格好いいヒーロー」と位置付けていたため、この不自然なヒロインピンチ展開を撤廃しようと考えていた。しかし、初代プリキュアが放映された当時はイケメンキャラが助っ人として登場するのは当たり前と誰もが無意識に刷り込まれていたので、「人間の見た目をした男子キャラを活躍させてはいけない」と具体的に指示するくらいでないとその空気を打ち消せなかったのである。

プリキュアシリーズも10年を超えた現在ではそういうヒロインピンチのお約束認識も薄れ、男子キャラ活躍禁止と別段声高に言う必要もなくなったようで、プリキュアをサポートする形で戦場にとどまれる程度の強さを有する男子キャラもそれなりに登場してきている。
ただ、このようなキャラはあくまでプリキュアのサポートが基本で、敵と直接戦うことはあってもザコキャラを薙ぎ払ったり敵キャラの足止めをしたりするくらいであり、怪物を浄化し、敵キャラを直接倒すといったプリキュアと同じ形で勝利を収めることは絶対にない。そのためなのか男が中心となりやすい警察軍隊(あるいは自衛隊)が殆どの作品で登場することがない。

もっとも、プリキュアシリーズの味方側の男子キャラに求められる基本的な役割はプリキュアの日常の支えとなる理解者・サポーターである。戦場でのサポーターになれるキャラであっても、それ以前にプリキュアたちにとっての「守るべき大切な日常の象徴」となっていることが求められる。
これはプリキュアは従来のような男子に守られるヒロインではなく、あくまで男子を含む弱者を守るヒーローであるという初代から続く伝統が受け継がれているが故である。

水着回の扱い

プリキュアシリーズは性的な描写は不必要ならば避けるということが意識されている。
それ自体は理解できる方針なのだが、性的な描写の基準として初代作で鷲尾Pが例示したのが「水着回の有無」であり、プリキュアシリーズではキャラクターたちが水着を着ることが長い間避けられ続けていた。

…とはいえ、正直なところ水着より際どい格好になることは普通にあったりする。なので、性的な描写の自粛がいつの間にか水着NGという形骸化したルールに置き換わっているのではないか?という疑問が言われることもしばしばある。
水着NGのせいで、海やプールを舞台とするシーンのシナリオ展開が極端に制限されていると指摘するファンの声もよくあった。
特に「別に性的じゃないように水着を描けばいいだけじゃないのか、何故それができないのか」というもどかしさはシリーズを長く視聴しているファンほどよく感じることであった。

しかし、これにはある理由が存在する。実は鷲尾Pから2代目の梅澤Pに交代した最初の作品である『フレッシュプリキュア!』では「中学生の女の子らしい日常をちゃんと描く」ことを目的にあえてタブーを破って美希の水着姿を描いたことがある。この時はそんなに性的なシーンにはならないようにしていたのだが、この時に周りの男の子たちが美希に見とれるシーンに対して視聴者の親御さんたちから苦情が寄せられてしまった。水着NGをあえて破るように主導したのは梅澤P本人であったためこれは強いトラウマとして残り、彼がプロデューサーを担当する4年間にプリキュアシリーズでは鷲尾P時代以上に水着に対する忌避感が強く現れるようになり、梅澤Pが退いた後もその空気がずっと引き継がれていったのだ。

水着NGが子供のためじゃなくて単に作品の幅を無意味に狭めているという思いは現場スタッフの間でも問題意識として共有されていたようで、2015年の『Go!プリンセスプリキュア』で「今年は海のプリキュアがいるので、海での遊びの楽しさをちゃんと描きたい」という現場の思いを優先して、当時のプロデューサーであった神木優が慣行を破って水着回の許可を出す。変に媚びたような演出にならないように注意したことが功を奏し、特に問題にもならなかったようで、それ以降も水着回は夏の定番としてプリキュアでも見られるようになっている。
プリキュア水着解禁の項目を参照のこと)

下着の扱い

プリキュアシリーズは「ドレスのような華美なコスチュームで激しいアクション」というのが重要視されているため、ほとんどのプリキュアがふんわりしたスカートを履く。
だから、ジャンプしたりキックしたりするとスカートの中身が見えないとおかしいアングルになることが多々ある。
だが、プリキュアシリーズでは何があってもパンツそのものが見えることはないという大前提がある。

まず、基本的に鉄壁スカートの演出が基本であり、そうそう中は見えない。
カットアングルの都合上で鉄壁スカートができないような場合は、かつては「スパッツなりレオタードなりで何か適当に誤魔化す」というアドリブで対処していた。どう誤魔化すかは完全に現場判断だったので、ある話でレオタードがチラ見していたキャラが別の話ではスパッツがチラ見してたりと統一性はなかった。

しかし『ハピネスチャージプリキュア!』からは、コスチュームデザインのレベルでスカートの中がどうなっているかが色や形まで厳密に設定されるようになったため以降のプリキュアは見せパンとして肌の密着度が薄いオーバーパンツが必ず履かれている。多くはドロワーズを履いており、さらにスカートの中がパニエ構造(多重フリル)になっているというのが基本。スカートが細めだったり短めだったりする場合はスパッツを履いていることが多い。

なぜスカートの中までちゃんと設定するようになったかというと、プリキュアシリーズが3DCGによるコンテンツを制作するようになったことと関係している。CGでは鉄壁スカートという非現実的な演出がしにくく、スカートの下が実際に映像に映ることが多々ある。なので「見えても大丈夫なように見せパンを履かせる」という現実的な対応が必要になってしまったのである。

ドロワーズ時代になってからはTV本編中でも割とそれが見えることも増えたが、これはドロワーズは体積が大きいので鉄壁スカートでも誤魔化しきれないケースが増えたため。
プリキュアシリーズは初期の頃は鉄壁スカートができない時にはいてないを想起させるカットもよく合ったが、現在はどうしようもなければ素直にドロチラさせる傾向である。見せパンとしてデザインしているのだから、そちらの方がまだ性的にならないというのは確かではある。

近年ではコスチュームデザインも多様化してきており、スカートがキュロットもしくはバルーンパンツに近い形状になっていて中が見えにくいような工夫をされているものもいる(キュアフェリーチェキュアジェラートなど)。
その逆の発想として、ドロワーズやスパッツを下着という扱いで隠すのでなく、レッグウェアとして扱い常時見えるようにしているものも出てきている(キュアフローラキュアショコラなど。なお、初期のキュアブラックも同様にスパッツは下着扱いではなくレッグウェアとして隠していなかった)。

恋愛描写の扱い

恋愛要素は作中では薄めに扱うことが意識されている。
これは、プリキュア初代作が作られた頃の少女向けアニメが「イケメンを出してキュン死描写させとけばそれなりに受ける」という思考停止で作られているものばかりだったことへのアンチテーゼであり、イケメンで釣るやり方は避けようとこだわったためである。

ただ、これは恋愛要素を作品の中心テーマに据えないというだけの話だけであり、作品のスパイスとして淡い恋愛描写を演出することは別に問題はなかった。
実際、鷲尾がプロデューサーを担当していた初期の5作品では「メイン主人公がある異性に想いを寄せており、それを自覚している」という少女漫画的かつ古典的な描写が常に存在していた。
しかし梅澤淳稔が2代目プロデューサーとして担当についてからは、恋愛に憧れる感情を描くこと自体がタブーのように扱われ、スパイスとしての恋愛要素も敬遠されるようになってしまった。
これは梅澤Pがプリキュアを初めて担当することになった第6作『フレッシュプリキュア』で主人公の淡い恋愛描写に苦情が来たことが原因である。「リアルな中学生なら普通なこと」を描くのは梅澤Pがこだわりを持っていた部分であったため、それが否定されたことで色々と考えることもあったようだ。とにもかくにも、苦情が来てからの梅澤Pはプリキュアとなる少女達が恋愛に憧れるような描写を極力排除する制作態度を取り続けるようになった(完全に排除されていたわけではない)。
この結果、一部の大きなお友達からはプリキュアは百合アニメと揶揄する声が出たくらいである。
大きなお友達によるプリキュアの二次創作作品で百合キュアが主流になってしまったのはこの4年間がきっかけである(それ以前は百合キュアは二次創作でも傍流扱いだった)。

梅澤Pがプリキュアシリーズ担当から身を引いて以降は、男性キャラとの淡い恋愛描写も少しずつ復活してくるようになり、男性キャラの存在感も増した。
特に第11作目の『ハピネスチャージプリキュア!』では「プリキュアシリーズがいつの間にか積み重ねていた恋愛タブーの空気を和らげるきっかけとしたい」と強く意識していた作品であり、主人公の愛乃めぐみが地球の神ブルーに恋心を抱くようになる一方で自分は幼馴染の相楽誠司に昔から好意を寄せられているというプリキュア史上初の明確な多角関係が描かれている。

食事描写の扱い

意外に見過ごされがちな点として、プリキュアシリーズでは「食べ物の好き嫌いを極力描かない」と言うことが意識されている。
これは「プリキュアみたいになりたければ好き嫌いはなくそう」という食育的な側面が意識されているため。

「プリキュアに好き嫌いはない」ことをわかりやすく描くために、プリキュアには小食を特徴とするキャラは一切いない(食事の摂り方に気を使うことはある)。逆に大食漢は多い。この点についてはプリキュア大食い仲間の項目も参照。
初期シリーズの頃はアニメ的な過剰演出ゆえに普通の人間には不可能なレベルの暴飲暴食をするプリキュアも割といた。今の時代の映像倫理ではこれは逆に健康的とは言い難いということで、近年のプリキュアたちの摂食量はさすがに常識的なものとなっている。

ただし、食べ物の好き嫌いがあるプリキュアも少なからずおり(玉ねぎが苦手ななぎさ、ニンジンが嫌いなラブ亜久里、ピーマンが苦手なせつななど)、近年ではプリキュアたちにも嫌いな食べ物はあると描いた上で、それを克服するエピソードを作ることで食育的な内容を実現している。

親キャラクターの扱い

これまた見過ごされがちだが、親の立場にいるキャラクターは悪者になりすぎないよう配慮されている。
実際、プリキュア達の親の多くは子供の夢や自立に対する良き理解者として描かれる。
親子仲がギクシャクしているプリキュアもいるが、誤解やコミュニケーションの行き違いが原因であることが多く、最終的には相互理解に落ち着くのがお約束。

また、敵キャラであっても「子」を持つ父や母ならば基本的には和解可能として描かれる。
その場合は親子どちらかが他人に洗脳されていたなど致し方がない理由が据えられるのが基本。
ただしサラマンダー男爵のような血の繋がらない保護者役程度ならば悪事を働いても問題ない模様。

なぜ「子」を持つ父や母への配慮があるのかというと、幼児が視聴するアニメは親がチェックするわけで、要するに親が不快にならないようにという意味合いが大きいのだと思われる。

なので同じニチアサ枠の30分違いの世界に出てきた自分の娘を蘇らせるために何人もの人間を犠牲にした父親や、自分の子供を実験材料としか見ていない科学者のようなキャラクターをプリキュアに出す事は大変困難といえる。

なお親の過剰な愛ゆえに騒ぎを起こしたマァムについては愛情自体を決して否定しないよう考慮された。

成長したプリキュアの描写

プリキュアシリーズでは主人公を含めた多くのキャラクターは将来の夢などを持っているものの、「キャラクター達の未来像」を明確に描くことがかつては避けられていた。
最終回後にエピローグを描く事はあっても数ヶ月後までがせいぜいで、「舞台となる学園を卒業した後」を絵で見せることはなかった。

未来を描かないからといって何か不自然さがあるわけでもないのであまり気にする人も少ないのだが、小説スマイルプリキュア!を執筆した小林雄次によると、「プリキュア達の10年後を描いていいか」と東映側に確認をとったところ、映画「プリキュアオールスターズ」との兼ね合いがあるのでキャラクター達が成長した姿を書いてはならないと忠告された事をトークショーで話しており、これがタブーとされていたことが明らかになっている。詳細についてはこちらを参照。

プリキュア全員が揃うと言う意味でのオールスターズ映画が一旦休止状態に入った2015年以降、このあたりの制限は緩くなったようで、2015年放映作『Go!プリンセスプリキュア』の最終回では主人公が大人になった姿がエピローグで描かれ、古くからの視聴者を驚かせた。
それ以降もいくつもの作品でプリキュアたちの数年後の姿が描かれるようになっている。(どの作品で描かれているのかについてはヤングプリキュアの項目を参照)

成長した姿を避けておた理由は上述のプリキュアオールスターズ関連も原因だが、変身要素がそもそもある幼女子向けのアニメでは、キャラクターの成長による変化を描くのはメインターゲットである幼女子からは好き嫌いが分かれやすい。
プリキュアへの「変身」でキャラクターの変化があるのだから、プリキュアになる前の素の姿が成長により変化してしまうのは「変身」の憧れを現実的なものに落としてしまうからだ。この点はプリキュアシリーズに限らず魔法少女アニメなどで昔から指摘されていた傾向である。
そのため、大人になった主人公達がプリキュアに変身して活躍するような描き方は現在でも避けられている。
(『魔法つかい』で主人公達が大人になった未来を描いた時は、彼女達が中学生の姿に戻ってしまうというトラブルを描いた上でプリキュアに変身させていたりする)

制作体制

プリキュアシリーズはいわゆる玩具を売るためのアニメであり、特定の漫画や小説などの原作は持たない。
玩具メーカーのバンダイのガールズトイ事業部がどのような玩具を売りたいかをまずデザインし、その玩具を活躍させるためのキャラクターやプロットを東映アニメーションが考える形で作品は企画されていく。
企画に携わるのはプリキュアシリーズでは東映アニメーション(制作)、朝日放送テレビ(ABCテレビ)(放送局、2018年3月までは旧・朝日放送)・ABCアニメーション(ABCグループのアニメ事業会社、2016年7月より)、アサツーディ・ケイ(ADK、広告代理店)の3(4)社である。それぞれの会社から企画担当者が一人ずつと、プロデューサーが一人ずつ選出される。企画会議時点での権限はプロデューサーより企画担当者の方が上であり、プロデューサーは企画担当者の要望を取りまとめて制作を指導するのが仕事となる。映画では企画担当者がプロデューサーを兼務する。

実際の制作スタッフの中ではシリーズディレクター、シリーズ構成、キャラクターデザイン担当者がプリキュアシリーズの主要三職とされ、インタビューなどでもだいたいはこれらの人たちとプロデューサーが受け答えをする。
簡単に言うとシリーズディレクター(SD)は絵コンテ、演出陣の代表かつシリーズ全体の統括職。要するに「監督」であるが、東映アニメーションではテレビアニメにおいては監督に相当する職種をSDと呼んでいる。これは東映動画時代から実写映画を踏襲する形で劇場映画を「長編」、テレビシリーズを劇場作品の短編と位置づけて「短編」とし、短編においては各話の担当演出が事実上の監督であると考えており、その統括職としてSDを置いているためである。
シリーズ構成は脚本陣の代表。SDと共に世界観や全体のストーリーを組み立てる立場でもある。1話や最終話あたりはほぼ担当している。
キャラクターデザインは作画陣の代表。キャラクターの原案を考えて終わりというわけではなく、総作画監督として毎話の原画をチェックし細かい手直しなどを入れるため一年を現場と付き合うことになる。また、重要な節目となる放映回では作画監督そのものを担当する。ただし『魔法つかい』以降は放送回によってはキャラクターデザインとは別に総作画監督を設けている。

この他としては、劇伴音楽の作曲担当もプリキュアシリーズでは重要な役所である。全体のBGMの作編曲だけでなく、各種挿入歌・キャラクターソングの作編曲、場合によっては主題歌の編曲も手がける。基本的に複数シリーズにまたがって起用されることが多いため、同じ作曲者であれば以前の作品で使われたBGMも流用されることがある。この作曲者が変わることで、音楽面での作品イメージも変わることになる。
他にも背景美術画の設定をとりまとめる美術監督(美術設定、美術デザインとも)や、キャラクター・背景などの着色設定を決定する色彩設計、そして制作現場を統括する制作担当などが主要なスタッフとなる。

一方で東映アニメーションでは基本的に各話の担当演出がアフレコ時の演出指導も行っているため、音響監督は置かれていない。キャスティングに関しては系列の東映アカデミー→東映東京撮影所マネージメント部、音響制作は子会社のタバックが担っている。

また、映画に関しては上述の制作中核3社(ABCについては2016年春まではABC本体が、同年秋からはABCアニメーションが担当)に加え、東映(映画の配給元であり東映アニメーションの親会社、テレビでも協力としてクレジット)、バンダイ(上記の通り関連玩具等を発売している筆頭スポンサー)、マーベラス(テレビ映画を問わず音楽制作と各種音楽・映像ソフトの販売)、木下グループ(企業メセナの一環で映画制作に出資し、映画制作子会社も持つ不動産ディベロッパー、ASDX1から参加)が参加する製作委員会によって製作されている。
出資リスクを減らすためにこの方式が取られているわけだが、その反面著作権・版権管理(特定の1社に管理をゆだねていない場合、委員会参加各社の許諾を必要がある)の都合上映画公開以後のグッズなどの商品展開がしづらいのもまた事実である(プリティストアなどでキュアエコーキュアモフルンのグッズがなかなか出ないのがその代表例)。

プリキュア声優

プリキュアを演じた事のある声優は俗に「プリキュア声優」という枠組みで呼ばれる。
詳しくは→プリキュア声優

楽曲について

女児向けコンテンツでは歌とダンスは定番の人気要素である。女児向けアニメにアイドルものが多いのは、歌とダンスと映像と物語を全てセットで提供できるからといって差し支えない。
プリキュアでもそれは例外ではない。もちろんアイドルアニメのように歌を作中で押し出すことはやりにくいが、それでも「歌」はプリキュアシリーズにとっては大きな柱として意識され続けている。
特にエンディングで描かれるCGダンスムービーはプリキュアの名物となっている。

OP

  • 物語の進行に応じて映像の差異はあったりするものの、基本的に一年間同じ曲を使用(『フレッシュ』『スイート』『魔法つかい』は歌詞違いの別バージョンが存在、『Go!プリンセス』は後期では同じ曲の2番の歌詞を使用)。
  • 映画放映時期には、映画のハイライトムービーが流される。
  • 所要時間は無印が1:15、『MH』が1:20、『S☆S』~『ドキドキ』が1:25、『ハピネスチャージ』、『魔法つかい』が1:30、『GO!プリンセス』以降が1:45である。
ED
  • 『MaxHeart』以降は前後期に分かれており、曲に合わせて踊る「プリキュアダンス」が特徴。
  • 『フレッシュ』以降は3DCGアニメーションを使用。
  • ダンスの振り付けは『フレッシュ』~『スマイル』は前田健、『ドキドキ』~『Go!プリンセス』はMIKIKO、『魔法つかい』は原ななえ、『アラモード』&『HUGっと』は振付稼業air:manがそれぞれ担当。
  • 所要時間は全作共通で1:30である。
担当歌手について
  • シリーズ全作品において、本人名義での歌手活動を行っているプリキュア役声優が最低でも一人(中でも、『MaxHeart』チームは全員)出演している。彼女たちはキャラクターソングや挿入歌は普通に担当するが、OP・EDについては『Go!プリンセス』までは兼任例は無く完全に分業制となっていた(ただしいわゆるモブキュアは例外のようで『ハピネスチャージ』では仲谷明香吉田仁美の2人が28話でアロ~ハプリキュアキュアウェーブキュアサンセットを演じている)。
  • この慣例が『魔法つかい』で初めて崩れ、EDテーマをプリキュア役の高橋李依堀江由衣、後期では2人に加え早見沙織が歌うことになる(彼女達も前述の『MaxHeart』チーム同様全員が歌手活動をしている)。『HUGっと』でもプリキュア役の引坂理絵本泉莉奈小倉唯がEDを担当する。
  • 『アラモード』では再び分業制に戻ったものの、宮本佳那子がEDを担当することで「主題歌を担当した歌手が後にプリキュア役の声優となり、さらにその後の作品で再び主題歌を担当する」という初の事例となった。更に、宮本は本編でもかなこという役で出演しており、あくまで主題歌歌手という特例であるが「過去にプリキュア役をやった声優は後発の作品に出演しない」という不文律を打ち破った。宮本はさらに『HUGっと』でOPを担当することになる。
  • 歴代担当歌手がゲスト出演し、中には本人役で出ることもある(うちやえゆか:映画SS、工藤真由:『5』&『ハートキャッチ』、宮本佳那子:『5』&『アラモード』、池田彩:ハートキャッチ)。更に工藤は『スイート』でフェアリートーン役でレギュラー出演し、宮本は『ドキドキ』でキュアソード役に抜擢されている。レギュラー出演したプリキュア歌手はこの2人のみ。
  • 『GoGo!』後期EDのキュア・カルテットとは、五條真由美、うちやえ、工藤、宮本の4人によるユニットとしての名義。
  • 歴代主題歌歌手のうち、OPとED両方担当経験があるのは、五條・工藤・宮本・池田・北川理恵の5人(キュア・カルテット参加分も加えるとうちやえも該当)。このうち工藤と宮本(キュア・カルテット参加分も加えると五條も該当)は通算4作品で主題歌に携わっている。
  • 映画に関しては作品によって有名アイドルやアーティストとのタイアップ楽曲を使うことがある。この場合大半は作品の音楽制作を担当しているマーベラスとは別に、その歌手の所属レーベルがシングルを出す場合もある。
  • プリキュアのOP・EDを担当する歌手は、放映される一年間は全国各地で毎週のように開かれる遊園地やショッピングモールでのプリキュアショー、各種ホールで開催されるマスクプレイミュージカルにゲスト出演するのが定番となっているほか、CD発売記念のミニライブもあったりする。放映中のシリーズ作品のプリキュア声優がOP・EDを兼任しにくい理由の一つとして、彼女たちは毎週必ず出番がある=毎週収録があるので、地方での公演も多いプリキュアショーとのスケジュールの兼任が難しいという大人の事情があったりする。同じ理由で売れっ子のアーティストもOP・EDの歌手にはほぼ起用されない(上記のように映画版のテーマソングなら別ではあるが)。逆に言えば何年もプリキュア歌手として根付いていても、プリキュア以外の様々な仕事が増えると卒業せざるを得なくなるということでもある。もちろん現役の歌手もスケジュールをやりくりした上で全国各地を回ることが基本となる(本職のミュージカル女優である北川理恵がその最たる例)。また、2人いる歌手はOP・ED両方とも歌えるようにしているため、スケジュールの都合でどちらか片方のみ出演する場合、その歌手が1人でOPもEDも歌うこともあったりする。前述のように『魔法つかい』『HUGっと』では声優がEDを担当するが、この場合はOP担当の北川や宮本が対応する。

※ その他、こちらも参照→プリキュア関連曲一覧

関連タグ

プリキュア

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外部サイト

プリキュアシリーズ - Wikipedia
過去シリーズをまとめたプリキュア情報サイト『プリキュアガーデン』
朝日放送|ABCプリキュアBOX!
プリキュア公式YouTubeチャンネル
東映アニメーション公式YouTubeチャンネル - YouTube
プリキュア10周年おめでとうメッセージ - YouTube
バンダイのプリキュアおもちゃサイト
バンダイ こどもひろば -バンダイの歴史-
TAMASHII NATIONSのプリキュアアイテム情報! プリキュアーツ! | 魂ウェブ
プリキュアオンライン

プリキュアシリーズ最新作URL


最新作のプリキュアの公式サイトは上記のURLとなり、シリーズ開始前またはシリーズ終了後に個別のURLに変更される。最新作またはプリキュアBOXのページから各作品へのリンクは張られている。
東映アニメーション側の過去作の公式サイトへのリンクについては、プリキュアシリーズ一覧の項目の基本データの欄に記載されているのでそちらを参照。

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