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マクドナルド

まくどなるど

アメリカ合衆国に本社を置く世界最大のハンバーガー店。 「I'm loving it!」がキャッチネーム。
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概要

マクドナルドは、ハンバーガーを主力商品として、世界規模で展開するファストフード店である。
アメリカで誕生し、日本では1971年に東京銀座に第一号店がオープンした。

ファストフードジャンクフードの代名詞的存在であり、栄養バランスはお世辞にも良いとは言えない。
また、バイト先としても定番であり、アメリカでは大学を出ても働き口がない人が、マックのバイトで糊口をしのぐことも多い。
これらのことから、アメリカでは貧困の象徴としても扱われている。

その品質は世界中で均一に保たれているため、その国の経済力を表す指標として「ビッグマック指数」という経済学用語も生まれた。
一方、現地の文化や嗜好に合わせてローカライズする柔軟性も持っており、牛が神聖視されるインドでは牛肉を使わず鶏肉で代用する、ベジタリアン向けに動物性食品を一切使わないハンバーガーを開発するなどの工夫を行っている。
日本人の嗜好に合わせて開発されたテリヤキバーガーもその一つであり、これは日本以外の国では販売されていない。

ロゴマーク

マックのM


単純明快で大体誰にでも描けるロゴマーク。通称「Mマーク」と呼ばれ、誰しもが「Mcdonalds」のMから来ているのだろうなと思うが、実は由来はちょっと違う。
外部リンク:ウィキペディアの画像より参照だが、元々アメリカの店舗において、店舗を目立たせるために店の左右に黄色のアーチを取り付けた。キッチンも丸見えのガラス張りの建物と相まって、1950年代に建てられたとは思えないような先進的な建築物に見える。
通称「ゴールデンアーチ」と言われたこの二つのアーチを模式化したもの、それがMマークの正体である。

超ポテト王子


ただまあMの字と言われても何の違和感もないですね。そういう頭髪の特徴をしている人と被せたりする絵もあります。


歴史

アメリカ本国

そもそもマクドナルドとは、アイルランド系アメリカ人の子孫であるマクドナルド兄弟が1940年代からカリフォルニア州サンバーナーディーノで始めたハンバーガーテイクアウト用の「ドライブイン」施設が始まりである。
「ドライブイン」は車で乗りつけて車から注文をし、ローラースケートを履いたウェイトレスが注文した商品の載ったお盆を客の車まで届け、客は車でそれを食べる、というスタイルのレストランである。自家用車が増えるにつれアメリカ中で爆発的に普及したが、繁盛すればするほど注文がなかなか届かない・忘れられるなどのいかにもアメリカ的な問題が発生していた。
マクドナルド兄弟はそんな不満などを分析、メニューをハンバーガー・ポテト・ドリンクに絞り、しかもシステム化されたキッチンで作り置きした商品を注文から30秒で顧客に提供。顧客は店先に並ばせて注文させることでウェイトレスも廃止。皿やお盆は包み紙で代用しナイフやフォークも撤廃。と無駄を徹底的に省いたシステムを作り上げた。
こうした改革もあって客回転率は大幅に向上し、兄弟の店は大いに繁栄した。

1954年、兄弟は店の効率をあげるため、ミルクシェイクの大量注文を行う。注文を受けたのは、販売代理店を営むレイ・クロックであった。全米を自家用車で渡り歩いては訪問販売のような形で商品を売ってきたクロックであったが、流石にここまでの大量注文は初めてであり、挨拶も兼ねて店を直接訪問。その繁盛ぶりに驚いた。
クロックは兄弟に「この店をここだけで終わらせるのは勿体ない、是非フランチャイズ化を」と提案するも、品質維持を第一とし、兄が持病の糖尿病を抱えるなどの不安も抱え、当時既に豪邸を買える程度の富を築いていた兄弟はそれを否定。だがクロックは諦めず、何事も兄弟の承諾をもって進めることを条件にフランチャイズ化にこぎつけた。
店舗はやがて全米に拡大を続けるが、クロックは自らが得るロイヤリティも極限まで削った結果、各フランチャイズ店舗の経営者たちは成功するも、クロック自身は資金繰りで首が回らない状態に追い詰められる。
そんな中、クロックは財務に長けた男ハリー・ソナボーンと出会う。ソナボーンのアイデアで、フランチャイズ化する店舗の土地そのものを保有するという戦略に転換すると、クロックはマクドナルドの全権を事実上掌握することとなった。今日、マクドナルドが「世界有数の不動産業者」と言われるのもここからきている。

クロックはやがて保守的な兄弟と対立することとなるが、資金力で圧倒的に勝るようになったクロックは兄弟からブランドそのものを買収することに成功する。また、ソナボーンともやがて「店舗を拡大するか、維持に留めるか」で対立するが、ソナボーンがマクドナルドを去ることで、クロックの主導する拡大路線で進むことになった。
今日のマクドナルドの収益や株価は途方もない額であるが、もし兄弟が当初の契約通り0.5%のロイヤリティを受け取ったままであったなら(兄弟はそうした権利までクロックに売却してしまった)、あるいは創業時いくらかの株を有していたソナボーンがその株を握ったままだったなら(ソナボーンは離任するにあたり、もうマクドナルドに未来は無いと株を放出した)、彼らもまた成功者となったであろうが、結果的にはクロックのみが巨万の富を築くことに成功した。

日本

日本では藤田田がその将来性に着目し、前述の通り1971年に店舗をオープンさせた。当初の日本マクドナルドは藤田商店と米本社の合弁会社で、藤田時代は高い独立性を維持していた。
藤田のカリスマ性をもって店舗を拡大するも、1995年の円高や平成不況を機にデフレ路線へと転換。吉野家と共にデフレの勝ち組とまで言われるも、同時に顧客単価の下落に繋がり、末期は赤字に陥った。
藤田やその直系後継者たちに代わって経営者となった原田泳幸は、路線の見直しなどを進め経営環境は回復。しかしブランドイメージが完全に回復したとは言えず、2010年代には期限切れ商品や異物混入など「食の安全」という根本的な問題で大幅な顧客離れを招いた。
現在は顧客回復の努力を続け、2017年にはようやく二度目の回復基調の途中にある。

どこが一号店か

日本の一号店は明確であり、銀座店であるが、同店はテイクアウト専門の店であり現存しない。初めて着席スペースを設けたのは二号店の代々木店であり、ここが現在日本最古の店舗である。また、当初銀座三越の一階に作られた銀座店は移転して着席スペース付の銀座晴海通り店となった。その後も一号店のプレートは掲げたままであったが、こちらも現存しない。
世界の一号店は公式には米イリノイ州シカゴのデスプレーンズに開業したものとされる。が、前述の通りマクドナルド兄弟が初めて作った店はカリフォルニアにあった。デスプレーンズ店は、クロックが初めてフランチャイズによって作った店である。
兄弟の作った店は、マクドナルド本体から追い出されるような形となり、ブランド名を変更して販売を続けたが、付近にマクドナルドが新たに出店したために残念ながら潰れてしまった。出店した側の店は現存している。
ところが、兄弟はクロックに薦められるより前にカリフォルニア限定で数店舗だがフランチャイズ化を進めており、ロサンゼルスのダウニーにはこの最古の店が残っている。ダウニー店もやがてマクドナルド本体の傘下に収まったものの、潰れることなく現在まで当時の姿を保っており、デスプレーンズ店より古い店という栄誉を保持したままである。
サンバーナーディーノにあった兄弟の店の跡地には、マクドナルド博物館と呼ばれる施設が出来ている。同様の博物館は、デスプレーンズ店にもあるし、ダウニー店にも小さなものが併設されているが、サンバーナーディーノのものは非公式であると伝えられている。一方で、館外にもハンバーグラーや幻のビッグマックポリスの像があったり、見た目にはこちらの方が楽しいのかもしれない。

商品一覧

現行のレギュラー販売品

ハンバーガー


ハンバーガー
チーズバーガー
ダブルチーズバーガー
てりやきマックバーガー
ビッグマックシリーズ
フィレオフィッシュ・チキンフィレオ・えびフィレオ
マックグランシリーズ


サイドメニュー

マックフライポテト
チキンマックナゲット
マックシェイク
アップルパイ
ソフトツイスト
コカコーラ
ファンタ
コーヒー


限定販売品

グラコロ(グラタンコロッケバーガー)・デミチーズグラコロ

朝マック(一部未販売店舗を除き朝5時から10時半までのみ販売)

マフィン
ホットケーキ
フランクバーガー(現在は販売休止)
フィレオフィッシュ(全メインメニューで唯一朝昼夜通しで販売される)
ハッシュポテト

かつて販売されていた商品(期間限定で復活する場合もある)

チキンタツタ
メガマック
クォーターパウンダーシリーズ


外部サイト

公式

別名・表記ゆれ

マック マクド

関連タグ

ドナルド・マクドナルド ハンバーグラー らんらんるー
コカ・コーラ
ハッピーセット ハッキョーセット
ウィンターガーデン
ワクドナルド - フィクションで頻繁に行われるパロディ
ダンディ坂野怪盗ナゲッツ) - 元従業員

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