概要
1899年創業。名前の由来は創立者が大阪の吉野(現在の大阪市福島区吉野)出身だから。
1968年に本格的にチェーン展開を始める。吉牛(よしぎゅう)という愛称で親しまれる。
元々日本橋魚河岸内に市場の食堂として創業したという経緯があり、その後市場が築地、豊洲と移転してもなお市場内に店舗を構えている。
他の牛丼店と比べ、薄味と言われている。
実は過去に2回も吉野家が無くなる危機があった。
- 1980年に一度経営破綻している。これは店舗増大により、原材料を粗悪品にした事による客離れが原因とされている。それでもその後実業家の堤清二(元セゾングループ代表)のバックアップで、7年後に債務を完済し再建に成功した。
- 2003年、アメリカでBSEに感染した牛が確認され、アメリカ産牛肉の輸入が中止になった。(吉野家に限らず多くの牛丼チェーンはアメリカ産を使用していた)
黒い吉野家
吉野家の看板は基本オレンジをバックに江戸勘亭流体の黒文字が一般的だが、中には黒をバックに白文字看板の黒い吉野家も存在する。オレンジ看板は文字が真ん中よりだが、黒看板は文字左に牛をかたどったロゴがでかでかと付く違いがある。
この店舗では通常の吉野家にはないから揚げなどのメニューが充実しているのが特徴。どこにあるかは明確には公開されていないが、ネットニュースでは秋葉原や恵比寿にあることが判明している。
黒看板店舗の所在地の基準も曖昧だが、都内だと東京メトロの駅周辺に多く見られるように思える。実際、上記2店舗はどちらも日比谷線出口寄りにある。
ただし、最近では観光地店舗の景観保護を理由に既存のオレンジ看板を黒看板に変更しただけの店舗も増えてきており、黒看板=限定メニュー取り扱いとは限らない点には注意してもらいたい。
また、紺色の看板の吉野家もあり、こちらは『そば処吉野家』として牛丼の他に十割蕎麦・天丼などを販売。2000年代から展開している
はなまるうどんとの複合店
2004年に「はなまるうどん」を運営する『株式会社はなまる』と株式会社吉野家ディー・アンド・シー(現:株式会社吉野家ホールディングス)と資本業務提携を締結、2006年に子会社化(2012年に完全子会社化)された。
2015年6月に愛知県一宮市の名神高速道路・尾張一宮パーキングエリア(上り)に初めて『吉野家』と『はなまるうどん』の複合店舗を開業、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアを中心に複合出店も展開している。
中央自動車道の屏風山パーキングエリア(上り)など『そば処吉野家』と『はなまるうどん』の複合店舗でうどん・そばが食べられる店も存在する。
関連タグ
筋金入りの吉野家党で知られ、実際にキャンペーンガールに採用された事もあるほど。
故にこんなイラストも。その発想はあった。