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ケンタッキーフライドチキン

けんたっきーふらいどちきん

米国に本社があり、日本にも進出しているファーストフードチェーン店。
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ケンタッキーフライドチキンとは、KFCコーポレーションを母体とするフライドチキンを扱ったファーストフードチェーン店を展開するアメリカの企業である。
通称はKFCケンタッキーケンタなど。

概要

本国アメリカ合衆国
業種飲食業
創業1970年(日本において)
創始者カーネル・サンダース


略歴

創始者はカーネル・サンダース(本名:ハーランド・デーヴィッド・サンダース 1890~1980年)。
1930年、ケンタッキー州・コービンで経営していたガソリンスタンドの副業として始めた「サンダース・カフェ」は、フライドチキンがケンタッキー州の郷土料理に選出されるなど人気を集め、サンダース氏はケンタッキー州政府からフランス領時代から続く「ケンタッキー・コロネル」の名誉称号を贈られ、カーネルとあだ名されるようになる。
火災で全焼するなど紆余曲折を経て、カフェは147席のレストランにまで成長した。
1956年、新しい自動車道が建設されたことで店の前の道路を車が通らなくなり、やむなく閉店。
無一文となったサンダース氏は、少し前から始めていたフランチャイズ事業に全てを賭け、ワゴン車で日夜全米を走り回り、立地のよいレストランを見つけると「チキンを美味しく食べる秘密のレシピを持っているから厨房で調理したい」と飛び込みで営業し、ついには北米に600店を超えるフランチャイジーを獲得。
1964年、サンダース氏は事業を売却し、会社の顔として世界各国をツアーすることとなる。

ハンバーガー・チェーン「ウェンディーズ」創始者デイヴ・トーマスも、サンダース氏の元でフランチャイズ事業のノウハウを学んだ。

日本には1970年の大阪万博屋台を出店したことを契機に、1974年、名古屋に第1号店がオープン。
当初はアメリカ同様ロードサイドに店を構えるスタイルだったが、モータリゼーションの遅れていた当時では時期尚早で売上が低迷。繁華街を中心の出店に切り替えて盛り返しに成功している。

特徴

ファーストフードといえば『ハンバーガー』というイメージがあるが、黒人の食べる物と軽んじられていた『フライドチキン』という未知の領域に踏み込んだ珍しい企業である。
KFCは企業として初めてフランチャイズ商法を展開した飲食店であり、これがのちに多くの飲食店業界に影響を及ぼすこととなっていく。

そして、何といっても有名なのは"カーネル・サンダース秘伝の11種のスパイス"を利かせたオリジナルチキンであろう。
この調味料は配合こそ時代に合わせているものの、使っている香辛料には現在も変わらず、企業の最重要機密として非常に大切にされている。この調味料の中身が少し知られるだけでも、本国では重大事件として扱われる。
大げさに思うだろうが、企業の生命線ゆえに致し方なしである。

日本KFCでは看板がサンダース氏の似顔絵、店頭に氏をかたどったプラスチック製の像を置いている。
立像の原型はカナダのフランチャイズ店で作られたもので、視察に訪れた日本KFCの幹部が日本に持ち帰った。立像の身長は173cmだが、サンダース氏は180cm。それ以外は本人に忠実に作られている。
近年は日本以外の店舗でも、日本から贈られたサンダース氏の像を置く所が出てきている。

その他

呪いのカーネル人形

今や大阪名物の一つとされる、道頓堀川に沈んでいたカーネル・サンダース像。
またそれにまつわる都市伝説
事の発端は、1985年10月16日に、21年ぶりのリーグ優勝に歓喜した日本のプロ野球球団、阪神タイガース(以下阪神)のファンが、ケンタッキーフライドチキン道頓堀店の店頭に設置されていたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ入れたというもの。
店員や警備員の制止を無視して担ぎ出し、周りの熱狂に任せて道頓堀川のヘドロに沈んだ像だったが、これを機に実に18年ものあいだ阪神は絶不調状態となり、2003年の星野仙一監督を迎えてのリーグ優勝までその低迷は続くこととなった。
2003年に不発弾処理の際に偶然上半身が見つかり、甲子園のリニューアル工事とともに出店されたKFC甲子園店に展示。現在は日本KFC本社内に移されている。

※なお、この都市伝説を広めたのは『探偵!ナイトスクープ』第1回目の依頼の一つ『道頓堀川のカーネル像を救い出せ!!』であった。

関連サイト

公式

関連タグ

KFC クリスマスが今年もやってくる
Good_chicken!
カーネルサンダース カーネルおじさん

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