概要
創作のジャンルとしては「分かりやすい悪党が理不尽な悪事を働く」ところに「これまた分かりやすい善のヒーローが登場してその悪党を倒す、もしくは悪事を阻止する」というもの。
「分かりやすい悪党」というのが何気に重要で、見下げた経歴や行動で「こいつを懲らしめてもまさか可哀想に思う人はいないだろう」と念入りに危険度を描写することで、ヒーローの躊躇しない攻撃や「悪が壊滅してめでたしめでたし」という結末に説得力を持たせている。
日本国内での場合
聖徳太子が作ったとされる法文の一説「六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。」が語源とされ、悪を懲らしめ善を勧めることは古来からの規範であり、放置すれば大乱の原因になると記されている。
江戸時代後期の文学作品においては「正義が勝ち、悪が滅びる物語」が多く用いられた。
中でも『南総里見八犬伝』は勧善懲悪の代表作とされている。
その在り方については古くから否定的な意見もあり、明治時代に坪内逍遥の小説論『小説神髄』では勧善懲悪を説く小説を「勧懲小説」と呼び、時代遅れの産物と評している。
近年でもそういう“単純な勧善懲悪=時代遅れ、子供騙し”と見る風潮は根強いが、だからといって最後に悪が勝って善が滅びるような作品とてそう多くはなく(あっても主流とは見なされ難い)、いかに善悪が相対的に描かれた創作物であっても、最終的にはなんだかんだでこれに近い結末に落ち着く傾向は強かったりと、時代や媒体が変わってもやはり勧善懲悪は娯楽の王道であることは言うまでもない。
子供向けのヒーロー番組などでもシンプルな勧善懲悪より、複雑な善悪の概念を取り入れたシナリオやキャラクター造形が一般的になってきているが、まだ複雑な設定への理解力に限度のある幼年層にとっては、シンプルな勧善懲悪から入る方がわかりやすく合理的とする意見も存在する。
イスラム教の場合
基本的にクルアーン等を基にしたイスラム法の中にある「徳の奨励と悪徳の禁止」を基準にし、勧善懲悪委員会などのムタワによって法と価値観を破る者を処罰している。
過激派の組織名として用いられることもある。
最後に
しかし、中にはこの勧善懲悪を根拠に過激な言動や行動に出る人間が実際に現れることもあり、悪を懲らしめるのも節度を守らなければただの蛮行ということを忘れないようにしたい。
関連タグ
正義中毒:度を越した場合の一つ。
清濁併せ呑む:真逆の考え方