弱肉強食
「弱者の犠牲の上に強者が栄える」という意味の四字熟語である。
生存競争の激しい自然界においては、絶対ではないものの戦闘力において劣る生き物はより強い生物に捕食されてしまうことが多く、正にこの弱肉強食と言う言葉が相応しいとも言える。
ただし、本来の自然界での意味としては、食糧を提供する弱い者が存在するから強い者が肉を食べられるのであり、それがいなくなればそれを食べていた強い者も食糧がなくなり同時に滅んでしまうというニュアンスを含んでいる。
転じてpixivでは動物キャラを現実の自然界に置き換えたパロディ、もしくは食べるもの食べられるもの……その関係から着想を得た耽美なエロティシズムを描いたイラストに付けられるタグとなっている。
「自然の摂理」?
たまに弱肉強食とは自然の摂理であり、強いものが弱いものを潰すのが当たり前、理不尽に害される方が悪いのだ、と言われることが現実創作問わずある(例えば人間界における弱者保護への批判にそんなレトリックが用いられる)。
しかしこれは単純な個体同士の捕食関係をさしているにすぎないのものであり、一様に摂理だとしてしまうのは誤解を招く表現である。
前述した通り、飢えた捕食者が出ない程度には食べられている筈の被捕食者も未だ絶滅しないでいられるという点が有力な根拠として挙げられるように、一場面として捕食者に食われることがあっても種全体としては他の個体が十分生き伸びているのであり、種の保存という観点からすれば被捕食者(一対一の場面では弱者)もまたじゅうぶんに「栄えている」のだ。
どちらかといえば、自然の摂理とは、その場の環境(これは生態系も含む)にいかに適応するか、または、捕食者は限られたエネルギーでいかに獲物を狩り、被捕食者はいかにして捕食者に狩られることなく危機を脱して生き残るか、という「適者生存」のほうが正しい(※)。
また、一つの大きな生態系として調和する「共存共栄」の概念も強い。(※※)
食物連鎖の視点を広げてみれば、強きも弱きも死ねば皆微生物に食われて土に帰り植物を育てるため「全肉全食」であるともいえる。
つまり、弱肉強食のごとき「弱者の肉を食すほど強い」ことは全体として種が栄えることとは全くイコールで結ばれないし、事実そういう意味で「強い」種も幾度となく環境に適応できず滅んでいる。
第一、物理的には最強とされる頂点捕食者(大型肉食動物)はたくさんの捕食対象動物が生息できる豊かな自然環境が無いと生きていけず、個体数も少ないため生息地の破壊(もちろん多くは人間の活動が原因である)によって絶滅の危機にさらされやすい。トラやワシなどが絶滅危惧種に指定されている現実を考えてみれば理解しやすいだろう。生存という観点からすれば彼らこそ弱者という見方すらできる。
※「適者生存」についてはここでは立ち入らないが、これも「その場に適応するよう努力したものが最終的には栄えるのだ」という意味で用いられ、誤解を招くことがたまにある。
この語の根幹をなすダーウィン流の進化論に則れば、種が環境に適応したのは誰の意思でもなく偶然の積み重ねの結果である。
つまり適者生存が自然の摂理なのだから、適応する努力を怠った側が悪い、なるレトリックもまた間違っているのだ。
※※たとえば生態系ピラミッドの頂点に立つ最強の捕食者は、同時に下層の生物の大発生を防ぎバランスを守る傘でもある。また、捕食者・被捕食者関係なく環境を維持する要石の役割を果たす生き物もいる。
「焼肉定食」?
国語のテストで「○に漢字を入れて四字熟語を完成させなさい」→「○肉○食」という問題で「焼肉定食」と答えた(「焼肉定食」という単語は狭い意味での四字熟語ではないので不正解)という都市伝説がある。
実際にテストであった話が広まったかは不明なのだが「○肉○食」が弱肉強食であることがわからない学生は毎年一定数いることだけは確かで、面白おかしくネタにされたというのが実際のところで、最近の学生の知力は昔に比べて落ちた、と言われる時の例として決まって例として出される、ある意味本来の「慣用句」としての使われ方もされている。
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