概要
クルアーン(قرآن : qur’ān)あるいはコーラン(Qur'anのアメリカ英語読みに由来か)は、イスラーム(イスラム教)の聖典。
イスラーム(イスラム教)の信仰では、唯一の神(アッラーフまたは、アッラー、アラー)から最後の預言者に任命されたムハンマドに下された啓示と位置付けられている。
ムハンマドの生前に多くの書記によって記録され、死後にまとめられた。第3代正統カリフであるカリフ・ウスマーンによって統一バージョンが作成され、それ以降、全114章からなる。
他の諸バージョンはウスマーンたちの手で焚書にされており現存しない。
クルアーンは、読誦して韻を踏むように書かれている。
「クルアーン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味し、
アラビア語では、正確には定冠詞を伴って「アル=クルアーン(القرآن : al-qur’ān )」と呼ばれる。
アラビア語原文のみがクルアーンとみなされ、翻訳は「注釈書」「あくまで解釈」という扱いになる。
特殊に思われるが、日本でも真言が翻訳されないのと似ている。
原文の読みにしても様々な読み上げ方があり、例えばスンニ派には10の正統と認められた読誦法が伝わっている。
どの読誦法を優先、参考にするかでも翻訳文は変わってくることになる。
クルアーンの内容
- アッラーを万有の主である。アッラーは慈悲深い神であり、なおかつ最後の審判の主宰者である。イスラム教徒は神のみに仕える、と誓う(1章など)
- 不信心者の心に宿る病を神が重くすることもある。不信心者の偽りは神からの懲罰を招く(2章10節~19節)
- イスラエルの子孫(ユダヤ人、ユダヤ教徒)もクルアーンを信じ、定められた礼拝や施し(座カート)をしなければならない(2章第40節~第54節など)。
- 出エジプト記での預言者ムーサ-(モーセ)の事績と神との契約について改めて語り、イスラエルの子孫にムハンマドを預言者と信じるように命じる。(2章第40節~第54節)
- イーサー(イエス)も神から遣わされた者であることを強調する。(第83節~第90節)この編に偶像崇拝が厳格に禁じられている部分がある。特に83節と89節、90節ではアッラー以外の神は崇拝してはならないと書かれている。
- 現世よりも来世が重要であることを説く。イスラエルの子孫が、神が命じた善行のほとんどを破ったことを非難する。啓示の一部だけを信じる、という者も来世で罰される。このような人々は来世でなく現世の生活にこだわったものである。ムハンマドを信じないのは彼への僻みによるものとも説かれる。(2章第83節~第90節)
- ユダヤ人とキリスト教徒の者しか楽園に入れない、という人々を否定する。キリスト教徒には拠り所(根拠)が無いというユダヤ教徒も、ユダヤ教徒には拠り所が無い、というキリスト教徒も「知識の無い者ども」として否定される。最後の審判の時、神はこの論争に決着をつける。(2章第111節~第114節)
- 死肉、血、豚肉、及びアッラー以外の神々(偶像)に備えられた肉を食べてはならないと命じる。わざとでなかったり、強制で食べさせられた場合、必要に迫られた場合は罪にならない、と説く(2章第172節~第173節)。ここに食べ物の件が書かれている。特に第173節で死肉、血が書かれているのはハラールで処理した肉以外を食べてはならず、豚肉は特に厳禁とされている。但し、飢えているときはその限りではない。
- 多神教徒の女性はイスラム教徒の男性と結婚できない。多神教徒の男性もイスラム教徒の女性と結婚できない。相手がイスラム教に改宗しない限り結婚はできない。(2章第221節)
- 月経は不浄であり、月経時の妻からは夫は遠ざかり、清めが済むまで近づいてはならない。(2章第222節)
- 離婚を許可している。妻と離婚したい者は四か月待たないといけない。離婚された女は月経を3度待つまで再婚できない。離婚を翻すことも良いことだとされており、女性側にも男性と対等の権利があることが強調されている。分かれた妻が他の誰かと再婚することを前夫が妨害することも許されない。もうけていた子供への配慮や離婚時の財産分与についても命じられている。(2章225~240節)
- 預言者たち、公正を勧告する者たちを殺した者には神からの厳罰が待っている。(3章21節~26節)
- クルアーンにおいてもイエスはマリアから処女懐胎で生まれたと説かれる(3章第34節~第49節)
- 「啓典の民(ユダヤ教徒やキリスト教徒)」がイスラム教を信じないことを強く非難する。彼らの中にもムハンマドとの約束を守る者もいるが、守らない不届き者もいたが彼らは裁かれる(3章69節~77節)
- 「啓典の民」の一派はアッラーがかつて伝えた啓示を歪めたと説かれる(3章78~79節)。これはそのままユダヤ教とキリスト教が伝える聖書に対するイスラム教徒側の認識になっている。元々なかったものを挿入され、歪められた物、とみなすため、イスラム教では旧約聖書と新約聖書を聖典とはしない。
- 多神教徒と不信心者への裁きが説かれ、「啓典の民」に対しても「アッラーの印(聖書にも記された、預言者たちを通じて表された神の意志)」を拒絶するのか、と問う(3章88節~98節)
詳細については外部リンクの日本語訳文や、刊行されている各翻訳書を参照。
クルアーンの扱い
クルアーンは神の言葉そのものとされており、イスラム教国家では批判すらも禁じられている所も多い。
「冒涜した」とみなされれば死刑の判決が下る国もある。これはアッラーやムハンマドに対しても同様である。
参考文献
イスラーム文化のHP:クルアーンについて書かれている。
関連タグ
外部リンク
アル=クルアーン(コーラン) 上記の「イスラーム文化のHP」内にあるクルアーンの日本語・アラビア語の対訳