注意事項
イスラム教の神や宗教関係者を絵に起こすのは厳禁である。
教典の訳文を公開するのも厳禁である。
当然ながらイスラム教を侮辱するのも厳禁である。
イスラム教は偶像崇拝を禁じ、教典の翻訳を禁じ、あらゆる侮辱を許容しない。
まぁこれだけならキリスト教の代表的派閥の一つであるプロテスタントでも結構厳しく、教会に彫像を置くことを避けてたりする。
しかしながらことイスラム教に関して、敢えて表現の自由を度外視してこのような警告が行われるのは、タブーを理由にした殺人が現代でも相次いでいるからである。
実際に2020年のパリにおいてはムハンマドの肖像を持ち出した教師が殺害される事件が発生しており、日本においてもイスラム教に批判的な書を翻訳した訳者が殺されたりしている。
الله, Allāh
イスラム教での唯一絶対の神。
音声学的に忠実にカナへ転写すれば「アッラーフ」であるが、日本では慣用的にアラー、アッラーと表記されることが多い。
ムハンマド以前のジャーヒリーヤ(無明時代)においては、アラブ在来の多神教の最高神であり、三人の娘(月の女神アッラート、運命の女神マナート、権力の女神アル・ウッザー)がいるとされていた。
だがイスラム教開祖ムハンマドによって三女神を含む神々は否定され、実在しない単なる偶像とされた。ムハンマドによりメッカのカアバに安置されていた神々の像は破壊され、アッラートの神体とされていた黒石はカアバ外側に嵌め込まれる運びとなった。
かつての神体としての位置づけに代わり、イスラム教においては黒石の出自について、アダムとイブが関わる伝説が信じられている。
アラーという語について
アラーという語はアラビア語における定冠詞「アル」と神を意味する「イラーフ」を合わせた言葉であり、英語で言うなら「THE GOD」に相当する。
そのため、イスラム教以前もユダヤ教徒やキリスト教徒によって用いられており、現代に至るまでアラビア語訳聖書では神はアラーと表記される。セム語を用いる多神教は現存しないため、今のところアラーとわざわざアラビア語でTHE GODと呼ばれるのは、イスラム教をはじめとする「アブラハムの宗教」の神のみである。
つまり、実質的には固有名詞としての扱いを受けている。
この他アラーには99の美名があるとされ、その多くは美徳や美質、力を指す言葉の頭に定冠詞がついたものである。
定冠詞なしだと人名にも使われたりするが、定冠詞アルがつくとアラーのみを指す語となる。
イスラム世界では携帯電話のauのマークが、アラビア文字で書いたアラーに似ている、というだけで大切にされるほどに、
神の名は極めて丁寧、丁重に扱われている。大昔「我は真理なり」と述べた神秘主義者が処刑された事例もある。
ここで使われた真理とは定冠詞つきの真理(アル=ハック)であって、それは神の名の一つであり、
この行為は神の名を騙るものとして、神への冒涜の罪に問われたのである。
聖書の神ヤハウェとの関係
イスラム教の神としてのアラーは、聖書の神ヤハウェ(YHVH)と同一の存在とされ、旧約からイエスにまで続く預言者もアラーが遣わしたとされる。
アラーをYHVHと同一視しない事例は存在しない。創世記においてYHVHは世界を作り終えた後しばし休養についており、イスラム派はこれを批判しているが、
これはあくまで後述のように、ユダヤ教徒やキリスト教徒がもつ現行の聖書は改竄されたため、とみなす。
最後の預言者ムハンマドが「ただの人間」であることが強調されることに現れる神と人との峻別、自分を信ずる者をひたすら愛し、その反面背信者には苛烈な報いを与えるなど聖書の神との共通点は大きい。ただし、聖書の神と違う部分もある。
彼が遣わしたとされる預言者のうち、「ルクマーン」など聖書に登場しない人物がおり、イスラム以前からアラブ民間伝承に登場していたジン(ジーニー)が炎から創造された被造物として挙げられている。
アラーの最終啓示とされる『クルアーン』のエピソードも聖書の記述とは異なっている。
『ヨハネによる福音書』で強調されるイエスの神性を、クルアーンではイエス本人が否定している点などがそうである。そうした違いは聖書に改竄が紛れ込んだためとされ、預言者ムハンマドを通して啓示されたクルアーンによって修正される、とイスラム教では考える。
宗教学上ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同系列の宗教であり信じている神も同一とされるが、ユダヤ教とキリスト教との関係が込み合っているのと同様、イスラム教とユダヤ教・キリスト教との関係もかなり複雑である。