概要
徒手空拳で、あるいは武器(超科学の所産)や魔法を使って、人々を害する存在に立ち向かい戦うヒロイン。および、その類型のキャラクターを主人公ないしはメインキャラとして据えた物語のジャンル分類の事である。戦うヒロインあるいはスーパーヒロインとも称する。
なお、「ただ性別が女性なだけの戦士」をまとめて呼ぶなら「女性ヒーロー」で事足りる。バトルヒロインという言葉には、肉体的な性別以上に少女漫画的なヒロイン属性の有無が強く意識されている。つまり少女漫画などの、女児向け作品の同類型作品やキャラクターにこそ向けられやすい言葉でもある。
一般メディアなどでは「戦闘美少女」「美少女戦士物」と呼ばれていることも多く、そちらの言葉でならよりイメージしやすい人もいるかも知れない。
ほとんどの作品が変身ヒロインか魔法少女の類型にも当てはまるため、現実的にはそちらのジャンルで呼ばれる方が優勢。あるいはそれらのさらに下部にある「サブジャンル」として扱われる場合もある。
沿革解説:序説
以下、本ジャンルの沿革を各期に分けて解説する。
ただ先に「乱暴にざっくりと」ぶっちゃけてしまえば、現在に至る「戦う変身ヒロイン」という類型を定着させたのは『美少女戦士セーラームーン』(武内直子)であり、この作品の登場がジャンル構築の道を拓いたといって間違いはない。
ただし、だからといって各所でよく言われている『セーラームーン』をグラウンド・ゼロに置き同年代およびゼロ年代の同傾向作をすっ飛ばして近年の同傾向人気作品(『プリキュアシリーズ』など)に直接繋げて本ジャンルを語るような論は必ずしも適当とは言えない。
なぜなら、そのセーラームーン自体が、過去の作品の中に出てくる「戦う少女」と「変身ヒロイン」たちのオマージュとして作られたものだからである。ゆえにこのジャンルの沿革を知るためには、セーラームーン以前の変身ヒロインたちも無視することはできないし、ジャンルの成立に至るまでにはセーラームーンと同期及び以降に登場した各作品に関してもきちんと注目する必要がある。
本ジャンルには「類型が『出された』歴史」と「類型が『定着に至った』歴史」と「類型が『発展する』歴史」がきちんと存在し、その全てを複合的に語れねば、ジャンルの理解には至れないのである。
第一期:「キューティーハニー」とそれ以前
アニメの歴史を解説した数多くの解説書や研究書では、「変身して戦う女の子」のキャラクター類型は1974年の『キューティーハニー』(永井豪)を元祖とするものが多い。
しかしこれはあくまでも少年漫画上のヒロインとしての登場であったため現在に言うバトルヒロインの類型とは趣を異にする。
そもそもが、キチンと類型立てて遡っていくならば「扮装して戦う女の子」というキャラクター類型は1953年、『リボンの騎士』(手塚治虫)のサファイア姫までたどることができる。
にもかかわらずキューティーハニーを元祖に据える説が根強いのは、サファイア姫がリボンの騎士として戦う時に用いるのが「扮装・変装」であり「超常的な力を用いずに鍛錬された基礎体力や政治力で戦う」のに対して、ハニーには「変身」と「七変化」によって「魔法じみた超科学を用いて戦う」という、後の作品に共通する要素があるためである。
また、ハニーは少年漫画の主人公にもかかわらず「少女漫画的なヒロイン属性」を多分に意識した「恋に憧れるお年頃の乙女」でもあったため、バトルヒロインの重要な本質をもっていたのも確かである。実際、もともとは少女向けのコンテンツを作る企画から始まりつつも大人の事情で少年向けに変化したのが、ハニーの生まれた経緯である。
ただし、これはサファイア姫にヒロイン属性が無い、という意味にはならない。曲がりなりにもサファイア姫は、その初出より少女漫画の主人公そのもの。当然サファイア姫にもその時代に則したヒロイン属性はきちんと付与されている。サファイアは敵国のフランツ王子に恋をしてしまい、まさにロミオとジュリエットが如く「運命に弄ばれる恋の物語」が展開している。
しかしサファイアは「恋」の面では受動的で運命のまま流されるだけだったと言える。恋の物語の主人公はフランツだったと言え、このあたりが今の感覚での少女漫画の主人公とは少し異なるかもしれない。
だが、それをしいて言うなら時代が許した価値観が全く違う事を考慮に入れねばならない。サファイア姫初出の時代のヒロイン属性は現在や『ハニー』当時のものと異なり「愛されるを待つ」受動性が重要であり「一途・貞淑」や「家庭的」という部分が主軸である。
ハニーの時代から現在に至るヒロイン属性のひとつであるミーハーでちょっと惚れっぽい主導的な部分は『リボンの騎士』当時においては「ふしだら」「自分勝手(自己中)」「他人に対して人格を認めず、人を自分の都合のみで道具のように動かしたがる人非的な残酷性」「異性を手玉に取る魔性」(この全てではなくとも、この中のいくつかを示すもの)などに繋がるものとして現在に言う悪しきダークヒロイン(あるいはカウンターヒロインもしくはアンチヒロイン)の属性とされていた。実際『リボンの騎士』において、こうした部分を担っていたのはカウンターヒロインであったヘケートや、なかよしリメイク版の物語後期に登場してサファイアの記憶を奪う女神ヴィーナスである。そして彼女らは例外無く、その「ミーハーでちょっと惚れっぽい主導的なふるまい」のせいで自爆・自滅していく。
実際『キューティーハニー』を生み出した永井豪自身、戦後の手塚漫画に影響を受けた世代である事を自分から認めているため、それについても推して知るべしとも言える。ゆえに「戦うヒロイン」の発祥に両説が並び立つのである。
その一方、『リボンの騎士』に至る以前の作品として、「少女の友」昭和9年(1934年)4月号において付録別冊漫画として発表された「覆面の義賊少女である『フクメンサン』が剣技と変装等を駆使して悪政と戦っている」という内容を持つ『?(なぞ)のクローバー』(松本かつぢ)が挙げられる事があり、ここにルーツを求める説もある。
「リボンの騎士」と男装する少女
この『リボンの騎士』の主人公・サファイアは生まれながらにして男と女の両方の心を持っているというキャラクターだ。男の心が彼女を「王子」として演じさせ、女の心が繊細な「少女」としての本質を自覚させ、双方の心のアンビヴァレンツが彼女を苦悩と波乱へと導いていく。
彼女は「亜麻色の髪の乙女」として少女の衣装を着ている時は女の心で恋もするが「サファイア王子」として騎士の衣装へ着替えることで男の心に入れ替わり国を乱す悪党と戦うのである。
まさにこれは後のバトルヒロインたちの「変身」要素の原点と言えるだろう。
ただ、当時はまだ若い女の子が悪者と戦うこと自体が過激な表現として捉えられていた時代である。そのため、サファイヤ王女は、男装によって少女性を消し去ることで戦士になる。
この点で、女の子らしい可愛さやポップさを全面に押し出している現在の美少女戦士モノとは方向性が大きく異なる。
ちなみにサファイア姫の元ネタは宝塚歌劇団のタチ(男)役であると言われている。
『リボンの騎士』が最初に連載されたのは1953年だが、知名度を爆発的に広めたのは1967年にアニメ化されてからだろう。
「男装の騎士」は当の少女漫画・少女アニメの世界ではストックキャラクターとして定着し、1972年の『ベルサイユのばら』(池田理代子)や1975年の『ラ・セーヌの星』(創映社、後のサンライズ)など「男装の騎士」をテーマにした作品がいくつか作られるようになった。いずれも当時の人気作であり今でも知名度がある。
だがどちらにせよ、少女漫画で一番ウケるの主人公の少女性を強調したものであることは今も昔も変わらない。少女性を隠す必要があった「男装の騎士」ジャンルのこれらの作品は刺激的なものとして人気は出たが、メインストリームになることはできなかった。
また、1970年代までの少女漫画・女児アニメの主流は昔の外国を舞台にしたものが多かったが、1980年代には現代日本を舞台にする現実的なものに変わっている。そんな舞台では「男装の騎士」みたいなキャラを出してもギャグやパロディにしかならない。
そんなわけで、1980年代には「悪と戦うヒロイン」は少女漫画・女児アニメの世界ではほとんど出なくなる……のだが、どんな時代にも「例外」というモノはある。
そこで、今一度『ハニー』当時前後における状況を、おさらいしてみる事とする。
第1次SFブームと少女漫画
話は『キューティーハニー』が生まれる直前の時代。
当時は戦後からの脱却のために「所得倍増計画」の元、東京オリンピック(1964年)を超えて「高度経済成長」への突入も果たし昭和40年代騒動もありながらも、国民の生活が安定を見せ、メディアがお茶の間に急速に浸透を果たしていった時代であった。
この時期と前後して、いわゆる手塚治虫世代、ないしは円谷英二などの映像クリエイター、あるいはそれ以前より存在した江戸川乱歩のような幻想小説など、他ならぬ彼ら自身を含めて、そうした作品に影響を受けた作家・クリエイター陣が、あるジャンルに集中するようになる。これが第1次SFブーム(この呼び方には第1次・第2次の、いわゆる「怪獣ブーム」および「変身ブーム」すらをも含むことがあるが、それらもこの話題に無関係でもないので、ここではあえてこれを用いる)である。
このムーブメントはジャンルとしてはSF全般であるが、ゆえにその応用内容については、全てを拾い上げれば広範できりがない。(それだけで下手をすれば大全集・大百科クラスの書籍群が出来上がるし、実際にそういう本もある)そのため、それがどのようなものであったのか、という事についてはいちいち取り上げずに各関連項目に譲り、ここでは基本的な部分と関連事象のみを挙げる。
上記した世相を背景に「未来への(ある意味では楽観的で根拠の薄い)希望」が、民衆より殊更に希求された時代。他ならぬ大阪万博(1970年)の登場により、そのニーズが科学技術や、それによってすら解明できない(そして近い未来には解明されるだろうと期待された)未知の可能性に向けられるようになり、その一方でそこには誰も未だに見たことが無いものに対する未知への不安が同居するというアンビヴァレンツな観点が構築される。
上述した少女漫画における舞台・シチュエーションの「西洋風なファンタジー性のあるもの」から「現代的な現実性のあるもの」への転換は、こうした世相が時を置いて徐々に反映された結果である。(後に、後述する和田慎二は自作のあとがきで、こうした世相の流れを「時代とその周辺に多分に政治的な意図を感じずにはいられなかった 」と述懐し批判している)
それが創作においても影響を与えてSFブームのベースとなり「怪獣」「宇宙人」「ロボット(等身大・巨大の双方)」「変身」「スペオペ(宇宙)」の各作品が構築されていく。『ハニー』の登場は1974年。まさに、この流れ、この大きなジャンル上のムーブメントにおける「等身大のアンドロイド作品」という中にハニーの存在はあった。
一方でそれらの各ジャンルに並び「超能力もの」が存在した。
具体的に現在でも名の通る作品を挙げるとしたら、その萌芽も含め60年代後半と前後こそするものの筒井康隆の『時をかける少女』(1967年)や眉村卓の『ねらわれた学園』(1973年)あたりが代表例と言えるが、無論それだけではない多くの作品がSF文壇に登場した。当然、その流れは少年漫画でも興っており、その代表格とされるのが『バビル2世』(1971年、横山光輝)や『超人ロック』(1967年、聖悠紀)である。
第1次SFブームの作品は、手塚からの流れによって当然のごとく男子向け作品の世界を席巻して話題をさらったため、これが女子向けから隔絶されていた男子のみのムーブメントと誤解されやすい。しかし、当たり前のことだが、こうしたブーム(それこそ『ウルトラマン』『仮面ライダー』『戦隊もの』『宇宙戦艦ヤマト』など)に影響されて作品を構築していった少女向けのクリエーターは当時から存在した。第一、手塚・横山をはじめとした面々は少女漫画でも活躍しているのだから、その影響がないわけがない。
かくて、こうしたブームの中で子ども向けに作られたのが「宇宙の進んだ文明からやってきた、それゆえに超能力・魔法を持ったお姉さんが、子どもたちのために力を振るう」という系列の特撮作品である。
この系列で特筆されるのが『特撮版コメットさん』(1967年、国際放映・横山光輝)と『千の目先生(特撮版:好き!すき!!魔女先生)』(1971年、石ノ森章太郎)である。
特に『好き!すき!!魔女先生』では初手から原作から大幅に離れた改変が行われていたのだが、後半からはさらなるテコ入れで仮面ライダーを旗艦とした「変身ブーム作品」のメソッドを導入し、主人公の女性教師「月ひかる」が宇宙の力によるムーンライトパワーで「アンドロ仮面」という扮装姿に変身して子どもたちを守るため宇宙人と戦うという展開を導入した。これは後の『東映不思議コメディーシリーズ』への流れの先触れともいわれ、これをもって同作をバトルヒロインの先駆けと見る意見もある。
さらに当時は、あの大和和紀ですら『はいからさんが通る』で主人公や脇役をゴジラやネッシーに見立て、サブキャラを用いて「見よ! ガッチャマン形のマントを!! 」などという、当時の少女漫画にしてみればキレっキレのギャグをスッ飛ばしていた時代だった。その中でも特にSFな人々の代表格として見られるのが萩尾望都・竹宮惠子らを筆頭とする花の24年組の面々である。が、彼女らが得意とし好んで扱ったのは壮大かつ耽美な世界観であるため、こうした面々が、このジャンルに噛むことはほとんどなかった。
一方で、その時代の影響を自作に色濃く映した一人が和田慎二である。彼は縁あって1971年に『マーガレット』よりデビューした漫画家だったが、元より東映東宝特撮やSFアニメが大好きな、今に言うガチのオタクだった。
それゆえに彼は少女漫画の世界に少年漫画顔負けのアクションとバイオレンス(あと、読者サービスと称するヌードを基調とした美意識のあるエロス)を持ち込み、そこに少女漫画特有のロマンスとの両立を行い見事に成功させた第一人者となった。
そんな彼が上記した「超能力もの」の影響を受けて生み出したのが「メカクレ娘から美少女に変身して戦う超能力少女」を主人公とした『超少女明日香』(1975年4月、集英社・別冊マーガレット掲載)である。
ミックというヤボったい白猫をおともに連れた(実は、この猫も主人公に呼応して変身する)普段はちんくしゃでイケてない、家事が得意ゆえに所帯じみていてオシャレとは無縁という、住み込み家政婦の少女「砂姫明日香」が、「自然の精霊」としてセーラー服に着替えて(仕事着を兼ねた普段着よりも動きやすく、他に手持ちの服が無いから、という理由である。学校の制服だが、汎用的なありふれたデザインだったというのも大きい)自然界より賜った超能力を駆使すると容姿の整った超少女となり、自然や人々を脅かす悪と対峙して人知れず戦う。運命の恋人である田添和也を戦いに巻き込むことを怖れながら「自然の精霊」として生きるも、その和也は明日香を取り巻く運命すらも構うことなく、ただひたすらに明日香を追う、という、運命的で壮大な超能力バトル&ラブロマンスが展開される。
なお前述の通り同作で描かれるのは主に超能力バトルである。超能力バトルでは体力でも武装でもなく超能力の使い方が最もバトルに重要なファクターと言える。事実、明日香は作中、超能力で美人にはなるものの、自身の武装を強化するような変身は行わず、時に自身より財力や体力や知識的に優れた敵に対して、超能力の使い方ひとつで優位に立つという戦い方を繰り広げている時がある。これは前述した「超能力もの」のセオリーのひとつではあるが、いわば後述する「理屈よりもイメージ力 」にも繋がっていくものともいえる。
結果、この作品は少女たちに支持され、連作読切作品という形でシリーズが継続された。和田の出版社移籍に従い掲載誌を数度変え、結局は和田の体調不良により未完となったものの『超少女明日香』シリーズは初出より2004年まで実に30年近く続くロングランシリーズとして、和田の実質的な文字通りのライフワークとなった。2011年の和田の逝去においてはファンらより同作の絶筆が心より惜しまれたのである。
↑pixivに上げられた追悼イラスト
とはいえ、作品の発表が連作読切にとどまったのは他ならぬ和田自身の作品に対する思い入れゆえ(当時の通常の連載ベースでは和田自身が『明日香』に対して求めるべくものを保てなかった。後に和田自身も「明日香を描くのは他の作品をやるよりもパワーが要る 」と述べている)もあるが、やはり「少女が戦う」ことへの忌避感や「少女作品らしいお洒落を希求できない」キャラ付けゆえによるものだったのかもしれないと言われる。(『超少女明日香』が支持されていたのも、実は超能力バトルよりも和也とのラブロマンスが少女たちをひきつけていたからだ、という意見もあり、コミックフラッパー(青年誌)に同作が移籍した際には、当初、和也を出さなかったために多くの(元)少女たちから「なんで和也が出ないんだ! 明日香と言えば和也でしょ!(=ラブロマンスをキチンとやりやがれ)」という嘆きがたっぷり舞い込んだという。そして、このエピソードは同時に(元)少女たちが「明日香を読むために青年雑誌を購入していた」という事実も示している)
ちなみに『超少女明日香』シリーズは同作者による『スケバン刑事』(後述)とは異なり、連作シリーズゆえに人気と反してメディア化などには恵まれなかった(原作量が少なく、折に触れて出るシリーズであるために知名度を広げることが叶わず、メディアミックスにするには各社の食指が動かなかった。また後には「スケバン刑事」時に起きた和田とメディア側との対立も影響している)のだが、それにもかかわらず(むしろゆえにこそか)クリエーター間においては「あの『スケバン刑事』の和田慎二が、その『スケバン刑事』以上に魂を燃やして生涯を費やした作品」として知られファンを獲得している。
ここで視点を『ハニー』に戻し、少年向け作品の世界を見てみよう。
『ハニー』と少年漫画の「女性主人公」
前述したように『キューティーハニー』は少年漫画から生まれた作品である。つまり男性向けの需要をもったコンテンツであった。しかし、男性向け作品の世界においても、こういうタイプの作品はなかなか後続が現れなかった。
1970年代は男性向けの作品で女性キャラを「主人公」として扱うという需要自体がなかったのである。当時は戦隊ヒーローやスーパーロボットものの女戦士枠などで「戦う女性キャラ」自体はすでにキャラ性として確立していたのだが、それはあくまで男性ヒーローの「相棒」としてのキャラ性である。女戦士枠のキャラたちは敵を撹乱させる程度のサポートをするのが活躍のギリギリの線であり、ピンチになって主人公に助けられるという役割になることが多かった。敵と真正面から戦いトドメを刺すのはあくまで男の役目というわけだ。
そもそも『キューティーハニー』にしたって戦闘(物語)の主人公となるハニーすらも設定上は人間ではない(女性型アンドロイド、すなわち人形)とされていた。(スポンサーや出版社を納得させるためである)そのため、この漫画の「人間としての主人公」とされているのは(あくまでも批判回避の建前上ではあるが)青児だったりする。それがあればこそ、作品発表時にハニーの存在が許されていたのである。
「変身する少女」のイメージの定着
一方で、バトルヒロインというジャンル以前に少女向けアニメ界で確立していた注目すべきジャンルがある。これがいわゆる魔法少女もの・魔女っ子ものと呼ばれるジャンルだ。
このジャンルの発端は1966年に制作・放映された『魔法使いサリー』(横山光輝)であるとされている。サリー以降も似たよう作風のアニメが同じ時間帯で東映動画によって制作されたため(いわゆる「東映魔女っ子シリーズ」)、1970年代にはいわゆる「魔法少女」「魔女っ子」のイメージはすでに確立していた。ちなみに『サリー』自体はアメリカテレビドラマの名作『奥さまは魔女』をオマージュにしている。
また上述した『コメットさん』も、第1次SFブーム時の影響に基づく設定があるものの、一応はこのジャンルに含まれている。
このジャンルの詳細についてはそれぞれの項目に譲るが、要するに10代のキュートな女の子がファンシーな魔法を使って様々なトラブルを解決していくという、世代を超えて幼女たちのハートをわしづかみにしているジャンルである。(無論『コメットさん』のような例外はあるのであしからず)
魔法少女というジャンルには現代でも受け継がれている、「お約束」として共通化したイメージがいろいろある。人語をしゃべるマスコット妖精がいたり、魔法の使用には可愛らしい意匠の小物が必ず必要、といった具合である。そして、その中でも最も知られているイメージが「魔法少女は変身をする」である。
実は『キューティーハニー』でハニーが様々な職業に「七変化」する要素も、先行する魔法少女の変身要素からの影響で取り入れられている(上述したように、もともとハニーは女児向け作品として企画が始まっている)。ハニーはファッションモデルやアイドルに変身できるからこそ、悪を倒す戦士に変身してもおかしくなかったのだ。(とはいえ、ハニーの七変化要素は、戦後すぐの頃に作られた探偵活劇映画である『多羅尾伴内』シリーズのオマージュであるとも言われている)
魔法少女の変身能力は、東映魔女っ子シリーズの一つである、『ひみつのアッコちゃん』(赤塚不二夫)で、主人公の女の子が魔法の力で様々な職業の大人に「変身」するという「子どもの大人への憧れや背伸びしたい心」へのフィーチャーがあったことから始まる。
ただ、東映魔女っ子シリーズが人気を博した1970年代は、変身能力は魔法少女がよく使う能力の一つという感じに過ぎず、そこまで圧倒的な存在感を持つ要素でもなかった。魔法少女=変身する少女のイメージを固定したのは、1980年代に入って作られた『ぴえろ魔法少女シリーズ』および葦プロダクションの『魔法のプリンセスミンキーモモ』の影響が強い。
とにもかくにも、1990年代に入るまでには「変身する少女」という文脈が少女向け作品の定番要素として根付いていたことは重要なところである。
これは、「とても戦士には向かない少女漫画的なヒロインでも、変身させれば悪と戦うヒーローだと幼児にも納得させることができる」という空気感が熟成されていたことを意味する。
第二期:「美少女が活躍する」第2次SFブーム
一方、男性向け作品の世界では、1980年代に入ってから「悪と戦うヒロイン」のフォーマットが独自に作られるようになる。
これは上述した女児向け作品の動向とは無関係なところから発生したもので、その当時に巻き起こった「メカと美少女」と言われるムーブメントが影響している。(これを第2次SFブームとして捉える者もいる)
この時期に自然発生的に「メカ(特に兵器的なもの)を操る女性キャラ」というものが登場する作品がやたら増えたのである。当時の流行を反映した作品の中でメジャーなものを挙げるなら、1978年よりスタートした『うる星やつら』(高橋留美子)が分かりやすいだろうか。
そして「メカ兵器を持ってるんだから女の子が男以上に戦えても違和感がない」ということになり、「メカと美少女」のムーブメントは、同時に女の子たちを戦場に送り込む免罪符となったのである。そしてそんな戦う女の子たちを主人公として扱う作品が生まれていった。ただ、そのほとんどは『ダーティペア』(TVアニメ版)『戦え!!イクサー1』『ガルフォース』『幻夢戦記レダ』などに代表される、青年以上の年齢層を狙った作品であり、やはりまだ「男を差し置いて女の子が戦う」を子供向けに見せるのは後ろめたいという空気感は存在していた。
「理屈よりもイメージ力」イマジネーションを武器にした少女たち
じゃあいっそ子供には見せられないものを作ってしまえと開き直ったのが、1985年の成人向けOVA『ドリームハンター麗夢』である。
主人公の綾小路麗夢はオカルト事件専門の女探偵だが、「夢の中に入る」という超能力を持つ以外はごく普通の女性である。宇宙人でもサイボーグでも異世界人でもない。故に普段は拳銃や車を使ったメカアクションでピンチを切り抜ける。しかしいざ夢の中に入ると、彼女はビキニアーマーを纏った超人戦士になり、メカなどに頼らずに大剣をふるって夢魔をぶった切るのだ。とりあえず男の子が好きそうなものを全部ごった煮して女の子に盛り込んでみましたという感覚がものすごい。
『麗夢』が現実世界と夢世界とで二つの姿を持つのは、アダルトアニメなのでリョナ・陵辱(いわゆるヒロピン)ネタをイメージしやすいようにという理由に過ぎない。夢世界で激しく戦える麗夢も一皮向けば非力な女の子であり、ちょっとした油断で夢魔に触手であんなことやこんなことされてしまうのだ…というわけだ(だが、現在でも戦う変身ヒロイン物の成人向け二次創作の主流がそういう傾向であることを考えると、『麗夢』はその需要を可視化させたマイルストーンとも言える)。
(麗夢タグにはもっとキワドイものも投稿されていますが、閲覧は自己責任で願います)
だが『麗夢』は後に全年齢むけにアレンジされ、むしろそちらの方でニッチながらも人気が出た。つまり『麗夢』は陵辱要素以外の点が支持されていたのだ。『麗夢』が先進的だったのは、普段よりも装備が増えている現実世界(拳銃や車を操っている時)よりも、普段よりも装備が減っている夢世界(メカを取り払い、露出度の高い衣服が着せられた時)の方が強いということを、視聴者に感覚的に納得させた点である。つまりこれは「メカに頼れば、普通の非力な女の子でも戦える」という文脈に頼らずに、「メカよりもビキニ着ただけの方が強い! なぜならエロカワイイから!」という新たな文脈を提言したことである。夢の世界では現実的な理屈よりもイメージ力の方が重要というわけだ。
この「理屈よりもイメージ力」という観点を元に東宝の企画部によって六月十三と宮尾岳のコンビの元、1990年に作られたのが『魔物ハンター妖子』である。この作品の主人公・真野妖子はビキニアーマーと比較するならば露出が低いチャイナドレスに変身して戦いに赴く。が、変身シーンには前述した『キューティーハニー』を意識した、従来着ていた衣服が解除されて戦闘用の服に換装されるというやり方を用いている。
(妖子タグにもキワドイものが投稿されている場合がありますので、閲覧は自己責任で願います)
ただ、『麗夢』『妖子』の「カワイイから強い」という文脈は当時は先進的すぎて、それを貫けるフォロワー作品は、90年代後半あたりまでは男性向け作品の世界ではほとんど出てこなかった。
もっとも、この時期における両者のジャンクション的な作品と言えるものは存在し、そのひとつに挙げられるのが椎名高志の『GS美神』(1991年、週刊少年サンデー)である。ちなみに椎名は上述した『うる星やつら』(を、筆頭とする高橋留美子作品)や『世界名作劇場シリーズ』へのリスペクトがハンパない作家の一人として知られている人物でもある。
なお後述するアニメ化の時期から、この作品をセーラームーン影響下の「戦う少女(女性)」と数える専門書が存在するが、実のところ『GS美神』の初出はサンデーで同作者が持っていた連作読切枠「(有)椎名百貨店」シリーズにおいて1991年2月に発表された『極楽亡者』である(本連載にしても同年4月。どちらにせよ『セーラーV』よりも前の発表である)ため、それは大きな間違いといえる。そもそも、この作品は女性が戦っている作品ではあるものの、基本は「除霊もの」で「変身もの」ではない。
のち同作はセーラームーン展開開始後の1993年にテレ朝・ABCの日曜朝8:30枠でアニメ化され放映に至る。なお、同作のアニメ化を担ったのは後に同枠で『おジャ魔女どれみ』を生み出す関弘美、そしてシリーズディレクターは後にプリキュアシリーズ2代目ディレクターとしてミラクルライトを生み出す梅澤淳稔が受け持った。結果としては『GS美神』は少年漫画としての作品構造から玩具の展開がし辛かったためスポンサーの意向により1年間で終了する事となったが、当時の視聴率においてセーラームーンの最高視聴率を超えた上で劇場版作品まで作られるという確かな成果を叩き出している。
ちなみに軽い余談になるが、アニメ版『GS美神』のスタッフ陣(特にプロデューサー)と原作者は非常に趣味が合いまくったらしく、原作者は自作の初のアニメ化という事もあって連載の多忙の中でも出来る限りアニメ側に協力しまくったと言われている。
ただ『美神』の時点においても主人公の美神令子が持つのは「カワイイ」というよりも少年漫画的な「カッコイイ強さ」であり、そのカッコ良さは「信念(もっとも美神の場合それはバブル景気を背景にした拝金主義なのだが)を持つがゆえの素敵さ」から来ており同時にそれは「稀有の才能に裏打ちされたもの」である。この作品において「努力の強さ」を担ったのはむしろギャグメーカーであった助手にして下僕ポジション(のち弟子)の横島忠夫であり「可愛さ」を担ったのは幽霊のおキヌちゃんであった。
結局「カワイイから強い」を世間に受け入れさせるきっかけになったのがセーラームーンの大ヒットとなるのだが、それは後述する。
それでもセーラームーン以前に「カワイイ(綺麗・素敵だ)から強い」を意識していたところは特筆に値し、このことから『麗夢』こそがバトルヒロインの元祖とする説もある(バトルヒロインアニメのクロスオーバー作品『超ヒロイン戦記』などはその立場である)。
発展する「メカと美少女」科学のギミックで戦う少女
一方で「メカと美少女」のギミックが広まっていくにつれ、ただ女の子に兵器を持たせるのではなく、女の子の肉体そのものにメカ分をくっつけるという新しい萌え嗜好が見出された。それがメカ少女というジャンルである。
その始まりはモビルスーツを擬人化させる企画であるMS少女であるというのは論を待たないが、擬人化という概念は当時はあまり広く理解はされなかった。そこでメカ少女的なデザインをアニメや漫画に違和感なく持ち込むために考えられたのが、普通の女の子が「鎧もの」のような変身をすることで、メカっぽいパワードスーツ的なものを着るというアイデアである。鎧ものというのは『聖闘士星矢』や『鎧伝サムライトルーパー』などを代表とするジャンルで、イケメンたちが顔や肌を隠さないスポーティーな鎧に身を纏って悪と戦うという、当時の大きいお姉さんたちに大変支持されたジャンルである。これを女の子でやってみようという発想だ。
端緒となるのは1992年のPCエンジン用ゲーム『銀河お嬢様伝説ユナ』や1993年にパイオニアLDCが繰り出したOVAシリーズのひとつである北爪宏幸の『モルダイバー』なのだが、この当時から変身シーンはヒーロー的な格好良さと同時に魔法少女ものの変身シーンを参考にしたキュートさを重視するノリで作られていた。
奇しくも、後のセーラームーンと同じ方法論が違う過程によって生まれていたのである。
そして『モルダイバー』展開終了後「月刊少年キャプテン」(徳間書店)にて、その漫画版を手掛けていた伊藤伸平が同誌にて『楽勝!ハイパードール』を送り出す事となり、これも1995年にパイオニアLDCによってOVA化される事となった。
なお、こうした「科学のギミック」をもって戦う少女を「魔法少女」の対になる存在として「科学少女」と呼ぶ場合もあるが、明確な考証を常とするSFの世界では、こうした作品や設定はアラ(ツッコミどころ)が出やすい。そのため、このテの呼称はイマイチ普及には至っていない。(→ギリギリ科学少女ふぉるしぃ)
第三期:実写ドラマの「戦うアイドル」から「セーラームーン」へ
「戦う女の子」が男性向け作品で消費されるようになったのはアニメや漫画の世界だけではない。実写の作品でも同じである。
無視することのできないマイルストーンは1981年に公開された赤川次郎原作・薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』である。
もうこのタイトルが属性を全て表している。今となっては珍しくもない組み合わせだが、当時は非常に衝撃的なもので、むしろアニメや漫画の「メカと美少女」の流れに火をつけたきっかけになったのはこの作品であったかもしれない。この後はほとんどのアニメや漫画で、セーラー服を着た女の子が機関銃を撃ちまくるシチュエーションが萌え属性のように量産されたのだから。
今の感覚では分かりにくいが、当時のメディア好きの男性にとっての女性アイドル需要というものはアニメ・漫画の美少女需要とほとんど重なり合っていた。ゆえに、男性向けのアニメや漫画の嗜好と、アイドルの嗜好は頻繁に交流された。その背景から、最も顕著に二つの世界を融合させた作品が『超時空要塞マクロス』である。この作品は「戦う女の子」ものと言うには微妙な位置にあるが上述した「メカと美少女」のストリームおよび「戦い」と「女の子(アイドル)」の距離を近づけた、という意味では現在でも大きく特筆される作品である。
さらには前述した『うる星やつら』から『マクロス』を経て「メカと美少女」のストリームは加速。「戦う女の子」は完全に受け入れられ、最終的にはその決定版ともいえるスラップスティックギャグアニメ映画が登場した。それが1986年に創映新社によって送り出された西島克彦ともりやまゆうじによる『プロジェクトA子』である。この作品は登場と同時に大きな好評を経て、のちOVA展開によって物語が継続し1989年まで続いた。(番外編を含めると1990年まで)
「戦う女の子」がアニメや漫画で受け入れられるようになったのなら、映画やドラマの世界でもまた然り。80年代は当時の美少女アイドルを主役に過激なバトルものがTVドラマとして作られた時代でもある。
この流れに火をつけた作品こそ、上述した和田慎二の原作を元に1985年に斉藤由貴を主演に制作された『スケバン刑事』と言われている。
大元は1975年12月に『花とゆめ』で発表・連載された少女漫画なのだが、ドラマの方は基本的に男児向けの特撮ヒーロー作品のノリである(だって制作が東映だし)。
ともあれ、そうして登場した『スケバン刑事』は時間帯からしても幅広い年齢に受け、子供たちも性別を問わず多く見ていたので、「戦う女の子」のイメージを男性向け作品の世界からその外に広めるのに大きく寄与した。
ドラマ版『スケバン刑事』は記録的大ヒットを起こし、2年続いて劇場版もできたが、原作ものということもあり延々と続けるわけにも行かなかった。
そこで南野陽子に主演交代した第二シリーズ「少女鉄仮面編」、浅香唯を主演にした第三シリーズ「風間三姉妹編」と原作枯渇対策によるオリジナル展開およびテコ入れが継続して行われた。
ところが、この第三シリーズ「風間三姉妹編」においてファミリー層を狙って明るい方向に舵を切りアットホームな「仲間」のファクターを持たせた上、主人公に「忍者」という特殊能力を持たせた(主人公たちを「綺麗に戦って綺麗に勝って綺麗に生きてそれが当然の存在 」にした)ために原作者の和田を激怒させるに至った。この和田の激怒は長く続き、別作『怪盗アマリリス』や『スケバン刑事・白泉社文庫版あとがき』でも「実写のスタッフは信用できない」「なぜスケバンがわざわざ刑事になって戦うのか、戦わねばならないのか、という意味を(実写のスタッフや役者たちは)完全にはき違えている」「(制作会社とテレビ局は)2年もやって作品の何たるかを何もわかってなかった」という旨をつらつらと各所で書き綴りまくっているので、和田慎二のファンには有名な語り草でもある。余談になるが、この件はドラマ『スケバン刑事』を見ていた世代のファンが制作側に回り和田に「きちんと作る」と説得して2006年に実写映画版が作られ、その映画の出来で和田が態度を軟化させて和解するまで続いた。
結局、この原作者との関係亀裂によってドラマ版スケバン刑事は風間三姉妹編で終了の憂き目に合う。そこで同じようなコンセプト、つまり「戦うアイドルもの」という傾向のオリジナル作品をフジテレビと東映はしばらくの間作り続けることになる(1987年の『少女コマンドーIZUMI』、1988年の『花のあすか組!』など)。また『スケバン刑事』のヒットを見逃せなかった他局も、その対抗馬として「セーラー服の少女が理不尽な悪に立ち向かう」という同コンセプトの番組を制作している。代表的なのは日本テレビの『セーラー服反逆同盟』(1986年)であろうか。
(ドラマとしての発表は『スケバン刑事』よりも前になり、作風としてもドキュメントタッチのハード路線になるが近時期の作品であることから1984年に発表されたTBS制作大映ドラマのひとつである『不良少女とよばれて』もこの流れに含まれる事がある)
また、このムーブメントは単にドラマの世界に留まらず漫画の世界にも当然のように逆輸入され、メディアミックス戦略として上述作品の漫画版が登場したり原作漫画が再注目されたり、あるいは少年ジャンプで同傾向となる『舞って!セーラー服騎士』(有賀照人、1988年)が登場するなどの影響が見られた。
そして、このような「戦うアイドルもの」のムーブメントの発展作の一つに、1990年に制作・放映された子ども向けアイドル特撮『美少女仮面ポワトリン』が存在した。これはフジテレビと東映による東映不思議コメディーシリーズ(原作:石ノ森章太郎、メイン脚本:浦沢義雄)の一作で前年の『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(中華魔女シリーズ)から続く同シリーズにおける美少女路線の延長上の作品であるが、その一方で上記の「戦うアイドル」の系譜をより強く受け継いでいた作品である。以降、同シリーズでは、この「少女がガチで戦闘に身を投じて行く路線」を最終作である1993年の有言実行三姉妹シュシュトリアンまで続けた。
「愛ある限り戦いましょう。命、燃え尽きるまで。美少女仮面! ポワトリン!!」
そしてこのシリーズに影響を受けた武内直子が『ポワトリン』のパロディ作品として1991年の夏休み号に向けて描いた読み切り漫画作品が『コードネームはセーラーV』であった。
「正義の使者! セーラー服美人戦士!! セーラーヴィーナス参上!! 愛の天罰、落とさせて頂きます!」
『セーラーV』は掲載後すぐに増刊号(後の『るんるん』)での連載が決定。翌1992年春休み号から毎号連載開始。さらに本作の設定を拡大させて新たな作品として1992年に漫画化アニメ化を並行して進めることになった。それがかの『美少女戦士セーラームーン』なのである。
特撮作品であった「ポワトリン」のパロディであった「セーラーV」の世界観を広げるにあたって、武内はやはり特撮作品を参考にした。ポワトリンつながりで東映伝統のスーパー戦隊シリーズのパロディをあからさまにぶっこんだのである。色別に分けられたコスチュームを着込む美少女戦士5人組が、毎週現れる怪人と戦うというわけだ。そしてアニメ化は東映アニメーションが担当した。
ただし、変身部分だけは古典的な魔法少女アニメのキラキラカワイイ雰囲気を持たせるようにした。男の子が好む「変身」と女の子が好む「変身」を一体化させたのである。
「愛と正義のセーラー服美少女戦士! セーラームーン!! 月に代わっておしおきよ!」
戦士には似つかわしくないコスプレめいた衣装に身を包み、やたら仰々しい名乗りをあげ、自分から「セーラー服美少女戦士」とか恥ずかしげもなく自称する・・・という『セーラーV』『セーラームーン』の諸要素は基本的にポワトリンの直接的なパロディである。
これらのシリアスな笑いとも言える部分が連載当時に別にツッコミも受けずにスルーされていたのは、読者側もポワトリンのパロディだと暗黙に理解していたからというのが大きい。
むしろこのあたりが突っ込まれるようになったのは、セーラームーンが歴史に残る作品になった一方で、ポワトリンの存在が忘れられてしまってからのことである。
このセーラームーンの大ヒットが、バトルヒロインという存在を世間一般に定着させ、それがジャンル化に至る……のだが、その他ならぬ「ジャンル化」においては『セーラームーン』というコンテンツが強大な力を持ってしまったがゆえに、ここからさらに後述する長い道のりを辿る事になる。
なお前述した『キューティーハニー』に代表される『セーラームーン』以前のバトルヒロイン分類は、セーラームーンのヒットによってマニア間に沸き起こった「戦う美少女の元祖って誰だろう?」という疑問の果てにマニア間の独自研究に基づく逆算上の産物の結果として見なされるものである(ただ、美少女仮面ポワトリンと東映スーパー戦隊シリーズに関しては武内本人が「影響を受けた作品」として挙げている)。
この時代の少女漫画家や同ジャンルのクリエイターは男女を問わず、いわゆる上述した60年代後半から80年代前半にかけての第1次SFブームにおける少年向け特撮ブームに強く影響を受けた世代であり、バトルヒロインジャンルはそうした少年向けの作品を少女向けに落とし込んで成立したとも言える。その意味でも90年代のバトルヒロインの勃興は必然で、セーラームーンと同時期に展開されていた『魔法騎士レイアース』もまた、この流れの上にあったものと言える(レイアースの作者であるCLAMPも自身が特ヲタである事を多くの初期作で語りまくっている。まぁ、そうでなければ『学園特警デュカリオン』なんて描かないワケで)。
第四期:「セーラームーン」とその時代
『セーラームーン』が社会現象化するほどの人気を得たことで、アニメ版『赤ずきんチャチャ』や『ナースエンジェルりりかSOS』『愛と勇気のピッグガールとんでぶーりん』さらには前述の『魔法騎士レイアース』を含め「女の子が変身して戦う」という同傾向を持った作品が次々と作られるようにはなった。
しかし、意外なことに「セーラームーンのパクリと言われるくらいの後発作品」はすぐに出てくることはなかった。
当時において「セーラームーンの影響が」と言われ指摘されるような作品群にしてみても、例えば『チャチャ』『りりか』『ぶーりん』のように「戦うヒロインは一人のみ」に絞ってムーン以前の従来作と変わらない作風に寄せて見たり、『ぶーりん』のようにどこぞのあかぬけのごとく、あえて「カッコ悪い変身」を導入してみたり、ロボット戦を取り入れた『レイアース』のように「別要素の流入」を落とし込んでジャンルそのものを変えてしまったり、また『スターピンキーQ』のように少年向けや青年(成年)向けにジャンルを切り替えたりと、それらは明らかに「セーラームーンが無くても至れる作品」であった。この事自体は、当時「セーラームーンの登場以前においても同様の文脈の作品が萌芽として出てきていた」現状からも明らかだったと言える。
これらの事象は偶然というより、「セーラームーンの人気にあやかりたいが、真正面から競合して勝負したくない」(社会現象化したセーラームーンのファンを敵に回したくない)という業界全体の保守的な(というか確実な安全パイしか打ちたがらず冒険できない)空気によるものである。
もちろん、このこと自体は作品のオリジナリティへの尊重という意味で評価されてしかるべき点であり、安易なパクリのようなことは推奨されるべきではないのは明確なところではある。
とはいえ、それを錦の御旗として、表現法として正しい意味でのオマージュ(異論表現のためのアンチオマージュを含む)やパスティーシュ・リスペクトまで否定される事は、文化意識の停滞と阻害を生じさせることにつながりかねないため、正当化されるべき事でもない。そこを否定してしまえば、これまでの沿革で述べてきた『セーラームーン』を含む各作品もまたありえないからだ。だがセーラームーンの社会現象化の当時におけるファンの作品に対する意識の先鋭化には「セーラームーン以外は許せない。セーラームーンだけがあればいい」という危険な側面も確かにあったのである。
実際、このセーラームーン人気が、他ならぬセーラームーンのオマージュ元であったはずの東映不思議コメディーシリーズ(当時は有言実行三姉妹シュシュトリアン)を、1クール早い打ち切りおよびシリーズそのものの終焉に導いてしまったとも言われている。
一方で、この意識の先鋭化は『セーラームーン』という作品そのものおよびその作り手たちに対しても完全に追い風になっていたとは言い難い一面もあった。それが当時において「浦和良ショック」または「久川綾の『大きいお友達』発言事件」と呼ばれる一連の流れが象徴する問題であった。
簡単に言えば「大きいお友達が幼女先輩を弾き飛ばして前に出たがる」ような事態が多発し、製作側がその声におもねらねば作品を維持できないかのごとき空気が醸成されてしまったのである。
これに関しては現在でも功罪および賛否両論があって、その善悪に対しては結論が出すことはできず、ゆえに詳細は各関連項目に委ねざるをえない。だが、それ自体が当時において(また現在においても)様々な歪みや問題を生み出していた事は確かな事であった。
これを憂慮していたセーラームーンの一部スタッフは、のちに「とある挑戦」に至ったのだが、これに関しては後述する。
そのセーラームーンは1997年にメディア展開を一旦終了。宇宙規模の壮大なスケールに広がった物語の風呂敷を見事に畳み、人気を維持したまま大団円を迎えた。そしてそれと同時に、「戦う変身ヒロイン」というジャンルが急速に沈静化してしまう。
武内自身(ムーブメントの最中に結婚したこともあいまって)セーラームーンで完全に満足してしまい、彼女本人による『セーラームーン』と切り離される形での同傾向後継作をキチンと生み出すには至らなかった。(それ自体はある意味では当然の事であり決して責められるような事ではない。似たようなひともいるし)後に一応『PQエンジェルス』(1997年)『ラブ・ウィッチ』(2002年)などを発表し「生み出そうとした努力」は見られるのだが、これらは様々な不遇(主には、セーラームーンの「うまみ」を忘れられなかった編集部が以下にも述べる当時の空気感に影響され、せっかくの新作に対して育てる意図を見せずに怠慢を起こしたことが原因)に見舞われ、結果として出版社の対応に不信を持った(無論それだけではなく本人の体調不良や家庭の理由もあるけれど)武内が開始数話で連載を投げ出す形で強制打切を起こし、支持者を増やすことなく終わってしまっている。
無論、当時の「戦う変身ヒロイン」系の作品はいくつもあったが、上述したように多くの作品がセーラームーンとは違うものというのを意識しすぎたがために「セーラームーンが好きだった人たちが代わりに見てくれるような類似作品」を育てる事ができず、また既記したファンの思想の先鋭化によって、そうした作品を出す事も憚られる空気感が生み出されてしまった。
こんな状況では複数の作品によって成立する「ジャンル」など成立のしようも無い。残念な事にセーラームーンの様式美および人気そのものを「ジャンルとして」継承・持続・成長できるほどの力を持ちうる作品を提示させる事が『セーラームーン』作者の武内を含めて実際に誰にもできなかったのである。
ゆえにセーラームーンのファンはセラムンロスを抱えたままセラムン卒業を果たし、玩具業界やアニメ業界はバトルヒロインものに見切りをつけてしまった。
こうして、セーラームーンの時代はセーラームーンの圧倒的な一強のまま過ぎ去った。
セーラームーンは確かに多くのファンを獲得し社会現象となるほどのセンセーションを巻き起こし後の創作作品全般に広くあまねく多大な影響を与えたが、初期のヒーロードラマにおける『月光仮面』のような、怪獣ドラマにおける『ウルトラシリーズ』のような、もしくは変身ヒーロードラマにおける『仮面ライダー』のような、あるいはロボットアニメにおける『マジンガーZ』や『ガンダムシリーズ』のような「ジャンルを牽引する旗艦作品となる」という役割は果たさなかったのである。
「ウェディングピーチ」の挑戦
セーラームーンの人気と存在感があまりに強すぎる中で、多くの作品が「セーラームーンと競合しない」ように意識したことは責められない。
しかし、そんな中でもあえて「セーラームーンと真正面から競合し、そのシェアを奪う」あるいは「セーラームーンの方法論を継承してバリエーションを生み出し、次の時代へと受け渡す」ことを目的とした同時代作品が、実は全くなかったわけではない。
そして、その作品はこのジャンルこの時代において、他の「セーラームーンの影響が」といわれる同時期の多くの作品とは、ゆえにこそ確実に一線を画した。
その作品こそが1995年度にテレビ東京系列水曜18時枠で放映された『愛天使伝説ウェディングピーチ』である。
この作品は『セーラームーン』からの系譜を正しく受け継ぐ同ジャンル作品として「正統派」である事を意識したがゆえに、上記したファンの意識の先鋭化によって、世間からはセーラームーンのパクリかよと嘲笑されることも多かった(そして視聴者数が少ないテレ東系アニメゆえに未視聴地域を中心に当時まだ黎明期であるがゆえにカオス状態だったインターネットを通じてその評価が独り歩きし続けた)ものの、結果的には前述した嘲笑や後述する批判に負けることなく予定されていた一年間のスケジュールを打ち切りを起こすことなく走り切り一定の人気を得て、放映後も主演声優陣によるライブステージが開催されて成功を収め、さらに後にはOVAまで展開された。また、海外においても一定の評価を得て、いくつかの国ではムーブメントを生み出す事に成功している。
セーラームーンという化物コンテンツと肩を並べるライバルと言えるほどにはなれなかったものの、普通のアニメとしては充分に商業的成功を得たと見てよい。
そもそもこの作品の仕掛け人は当の『セーラームーン』において初代のシリーズ構成を務めた富田祐弘であった。
1994年、富田は『美少女戦士セーラームーンS』の企画中盤に、自主的な降板を申し出てシリーズを次代へ託した。そして以前の仕事で共に仕事をしたテンユウ(いわゆる企画会社。旭通信社(後のADK)グループでNAS子会社。つまりはADKの孫会社。ちなみに主要スタッフは3社兼務者=旭通信社からの出向者)とKSSの支援の下、『ぴょんぴょん』(小学館)誌にて東映不思議コメディーシリーズのひとつである「中華魔女シリーズ」を漫画化した谷沢直を巻き込んだ上で、かつての『ミンキーモモ』総監督であるOLMの湯山邦彦と共に、あるオリジナルアニメをテレビ作品用に企画した。
それは、セーラームーンと真正面から競合して人気を分かち拮抗させること、またセーラームーンのファン層をオタク混在と見た場合において、逆に純然たる少女向けとして棲み分けができる同傾向作品であることを目的にしたチャレンジ精神溢れる作品であった。それがこの『ウェディングピーチ』なわけである。
あえて『セーラームーン』と全く同ジャンル・同傾向を意識して制作され、ターゲット層もセーラームーンと同年代を対象にし、さらには『セーラームーン』のオマージュ元でもあった『不思議コメディシリーズ』をキチンと意識したナンセンスすらも軽いエッセンスとして加え、挙句にキャラデザには『セーラームーン』を担当した只野和子を迎え入れるという『セーラームーン』の系譜をしっかりと受け継ぎながら、一方で「浦和良ショック」時に出された「他の美少女戦士たちに恋愛要素を加えたら話がパンクするだろう」という批判に挑戦・対抗するように初期登場のメイン少女キャラ全員にノマカプをブッ込み、その相手役である少年キャラにも個性的なドラマを与え、さらには「大きいおともだち事件」の際に出された「子ども向けなんて飾りです」という言葉に対して、より「子ども向け」として特化した作風を仕上げ、さらに現在のフォームチェンジの概念にまでつながりうる「並列式二段変身」(ウェディングチェンジお色直し)を導入させて防御フォーム(スターターフォーム/ドレスフォーム)と攻撃フォーム(バトルフォーム/ファイターエンジェル)を用いたギミック性すら取り入れて、これを挑戦と言わずして何を挑戦と言うのかという作品をブチ挙げたのである。
曲がりなりにも原作があるセーラームーンに対して、そのアニメ化の中心になったスタッフがパクリと言われかねない競合作をオリジナルアニメとして作り上げた、ということはクリエイターとしては如何なものかという意見は今でも見受けられる。
しかし富田は前述した「メカと美少女」のムーブメントの中において『超時空要塞マクロス』の主要サブであり劇場版「愛・おぼえていますか」を担当した人物でもあった。富田自身、幼い頃や青春期、また脚本家見習い時代、子ども向けメディアという夜空へ超新星の綺羅星のように同傾向作品が制作されまくった第1次SFブームを経験し「マクロスシリーズ」で前述した「メカと美少女」のムーブメントを牽引した身として「全く同傾向の競合作品があっても構わない、むしろ作品のためには競合作が必要となる」(競合作が登場して競争原理が働けば互いの作品の質の向上に繋がりジャンルに良い影響を与える)「複数の作品を提供することで、子どもに提供できる価値観を多様化できる」(一作の価値観に子どもの視点が固定されてしまうことは社会にとって非常に危険で、そうならないためにも新旧入り交ざった多くの価値観を提供する必要性がある)という意識があったのではなかろうかと言われている。
それは、いわば社会現象化して「セーラームーン一色」となってしまった世間に「それでいいのか!」と一石を投じるための時代への挑戦そのものであり、またファンの声に推され過ぎた結果としてスタッフにすらも制御不能となってしまった『セーラームーン』という化物コンテンツを作り出してしまった者としての責任の取り方のひとつでもあったのかもしれない。
だが、セーラームーン初期の屋台骨であった富田と只野の離脱と競合作への参加は『セーラームーン』のファンにとっては決して容認できるものではなく、人によってはこれを「手ひどい裏切り行為だ」と口汚く罵った。ウェディングピーチのスタッフの元には、一部の過激なセーラームーンファンからの脅迫状がひっきりなしに送られていたという。
そうした一部のファンにとっては上述した上で後述もする『ウェディングピーチ』の成果など、決して認められぬものであり、彼らは殊更に『ウェディングピーチ』への冷静な評価を行おうとする行為そのものを非難して議論もなく否認しようと動き続けた。
ただし、ほかならぬセーラームーンの原作者は『ウェディングピーチ』の登場に対してはノリノリであり、むしろいいぞもっとやれ状態であったという。かの女史が『セーラームーン』の印税で『ウェディングピーチ』のグッズや同人誌を買いあさった、というのは『ムーン』および『ピーチ』両作のディープなファンにとっては有名な話でもある。(のちに自身のアレなファンから「先生何やってんすか!」とガチ泣かれして大っぴらに言えなくなったらしく、ゆえにこそ、このファン反応には忸怩たる思いもあったとされる)
つまり、この『ウェディングピーチ』への拒否的反応は、ほかならぬ同作が「セーラームーンが見出したジャンル的な魅力は具体的には何なのか」を明確に浮き彫りにできた(=セーラームーンの原作者さえ納得した見事なリスペクティングの)結果だと言える。すなわち「セーラームーンのパクリ」といわれるくらいには正しく競合する同系列の作品として世間から見られていたということである。
その中で別テーマ・別モチーフをきちんと用意して『ムーン』とは異なる作品独自の彩とストーリーとロマンスを示し、セーラームーンが切り捨てていたテーマを見事に拾い上げて作品にしてみせた『ウェディングピーチ』は、決してムーン一強時代に言われていた、上述したような安易なパクリ作品ではない事は現在ではきちんと認識されている。
ある意味では、これはスタッフとして『セーラームーン』という作品を知悉していた富田と只野であったからこそ、できた事といえばそうなのかもしれない。
そして、ジャンルという考え方は、複数の近似値を持つ同傾向の作品が同時期にあって初めて成立するものである。『ウェディングピーチ』の登場で狭義の戦闘美少女というジャンルの明確な定義が、すなわち「女児向け『チーム(戦隊)型戦闘美少女』という『作品ジャンル』や後続作品に続きうる『共通コンセプト』が確立された」という見方もあるのだ。
富田が『ウェディングピーチ』を企画したのは「パクリと言われるような作品がもっと出てきてもいい、いや、むしろどんどん作って『セーラームーン』と『ウェディングピーチ』が見出したはずの可能性から生み出されたモノをもっともっと活用して見せてほしい。『セーラームーン』が灯した炎を絶やさないでほしい、そのために自分は非難も辞さず『ウェディングピーチ』という薪をくべたんだ」という思いあってのことで、それはすなわち上述した沈静化を危惧したがゆえの行動でもあった。だが残念ながら既に記したように反発があいまって、後に続くものはなかなか現れず、結局は富田ほか一部スタッフの危惧は現実のものとなってしまった。
しかし、富田がここで『ウェディングピーチ』を作り上げた事は、後に本ジャンル上において大きな意味を持つ事になる。
また、余談になるが湯山をはじめとするアニメ版ウェディングピーチのスタッフ陣は、首藤剛志と合流して、ほぼそのままアニメ版ポケットモンスターへとスライドしている。
さらなる余談として。ウェディングピーチのトイ(玩具)展開を担当したトミーは、この作品をもって女児向けキャラクターコンテンツへの本格参入を果たした。なおトミーが『ウェディングピーチ』の企画に関わったのは同社がかつて『伝説巨人イデオン』『聖戦士ダンバイン』のトイを受け持っていた関係から、作者の富田祐弘(あるいはウェディングピーチのメディア企画の統括を請け負ったNAS/テンユウおよび書籍展開を請け負った小学館。どちらにしてもこれら全ての会社の企画メンバーは富田と付き合いがあった)と既知を持っていたためである。
この事から、ウェディングピーチはタカラトミーグループの女児向けキャラクターマーケティングにおける原点のひとつと位置付けられるようになる。
ウェディングピーチで培われた「トミー(タカラトミー)・小学館・テレビ東京(とOLM)」によるコンテンツスクラムは、ピーチが上述した難を受けた作品であればこそ、参加各社の担当間には「作品を守る。現時点において、どんな非難を受けても求められないものであったとしても、後の業界や子どもたちのために必要なものは必要なものなのだとして訴え、最後までやりきる」という目的が共有され、企画参加各社間の絆は『ウェディングピーチ』の展開が終了しても切れる事無く「ネクストワン(次の一手)」を導くに足りた、より強固なものとなった。ここで築かれた、この絆は、後にトミーおよびタカラトミー・タカラトミーアーツが小学館およびテレビ東京と共に送り出した種々のコンテンツ(上述の『ポケットモンスター』『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』また後述の『Dr.リンにきいてみて!』『プリティーシリーズ』など)を支える原動力ともなっていった。
これらの過程を経て2017年、ついにOLMと小学館・タカラトミー・テレビ東京は、バトルヒロインジャンル上に対し、制作会社上における『ウェディングピーチ』の後継作と言いうる作品を送り出す事となる。(後述)
が、それはひとまず置いといて、まずはここまで述べてきた『セーラームーン』と『ウェディングピーチ』が登場した直後の様相から順を追って紐解いていく。
第五期:月の王国の終わりと「戦わない」変身ヒロインたちの再興
上述したように、セーラームーン展開休止後は「変身して戦う女の子」を主体にする少女向け作品の制作は沈静化してしまう。
セーラームーンが展開を休止したとはいえ、その直後のフィーバー冷めやらぬ状態では、この時点で後継となる作品を作ろうとも別傾向の作品を作ろうとも、セーラームーンとの(ある種では強引な)比較が行われて『ウェディングピーチ』の二の舞になってしまうことは当時の情勢下では火を見るよりも明らかだった。それゆえに『ムーン』直近の後番組からして誰も相応しいパワーを持つコンテンツを作り出せず、また見つけられずに『キューティーハニー』を引っ張り出してリメイクした『キューティーハニーF』をやるしか対処法が無かった。
だが、それでもなお『ムーン』ひいては、それ以前からのファンを同時間枠に引き止めることは出来ず、結果として1985年から続いて数多くの名作を叩き出した「テレビ朝日・ABC系列における土曜19時のアニメ枠」は1997年で途絶してしまう。(枠交換の形で30分前倒しの18時半枠に移動したが、これですらもファンの固定化は望めず1999年の『神風怪盗ジャンヌ』で少女アニメ枠としては完廃となる。これもまた因果な余談だが、アニメ版ジャンヌのシリーズ構成を務めたのは他ならぬ富田祐弘その人であった。だが枠廃止に思うところがあったのか中盤より横手美智子の補佐を必要とした。また同作のシリーズディレクターは上述した『GS美神』の梅澤淳稔が担当した。なお単なるアニメ枠としてならば後番組としてマシュランボーの1作品だけ継続したが、結局はそこで全国系列放映のアニメ枠としても廃止された)
その一方で、セーラームーン中期のシリーズディレクターであった幾原邦彦がムーン終了直後に自らの仲間たちと共に『少女革命ウテナ』を立ち上げる。
これに関しては富田の『ウェディングピーチ』とは逆に、自分がかつて参加した『セーラームーン』とは徹底的に差別化した作品である。エヴァあたりにも見られるような難解な専門用語を受かった謎解き要素、舞台演劇的な独特の演出効果、そして登場人物たちのトラウマを芸術的とも言える美しさで描いた内容で多くのコアなファンを作り上げた。
だが、いかんせん、そのクセのある中身により悪い評価も呼び込んでしまい、作品に対する評価点は真っ二つに分かれてしまう。
幾原は「戦う少女」にセーラームーンの束縛を超えた新しいイメージを提示しようという思いがあったともされているが、残念ながらバトルヒロインの系譜をセーラームーンから革命して広く一般の次代へ繋げる、というほどの結果にはならなかった。それでも一定以上の評価は確かに得られたため、以降の幾原アニメはその方法論を踏襲・進化させる「ジャンル:幾原」とでも言うべき予想の斜め上な独自路線をカッ飛んでいく(当然だが、その時点で「バトルヒロイン」という固定ジャンルからは離れていく事になる)。
一方、「女の子を可愛いコスチューム姿に変身させる」という要素はそれまで以上により定番化する。戦闘や変身をしないタイプの魔法少女ものでも、可愛いコスチュームに変身することが当たり前になった。
顕著な例として『ムーン』連載中の1996年に連載開始され1998年にアニメ化した『カードキャプターさくら』(CLAMP)がある。
この作品で主人公はクロウカードの捕獲に伴い「友達のシュミ」のために何の理由もなくかわいい衣装にコスプレさせられる。変身とかでさえなく本当にただ着替える。これは大ブームになっていた変身ヒロイン物のパロディという側面もあるのだろうが決してギャグ的な側面ではなく、女の子が好みそうな「作品のウリ」として演出している。いつもと違う衣服を着るということが日常から非日常へと切り替わるギミックとして、この当時の読者にはすでに納得いくものになっていたとも言えるだろう。
とにかく可愛いコスチュームに変身しないと人助けのための魔法が使えないという形である。
1999年に開始された『おジャ魔女どれみ』はセーラームーン的な変身要素を「戦わない魔法少女」に持ち込んだエポックメイキングな作品でもある。これがシリーズで4年続くくらいの大ヒットとなり、女児アニメの世界ではセーラームーン以来の目玉作品となった。
ただし、ひとつ大事な事として『どれみ』の変身は変身ではない事を挙げておきたい。
当時『どれみ』を立ち上げたのは、当時ニチアサ常連となっていた関弘美と、かつて『姫ちゃんのリボン』や『赤ずきんチャチャ』前半部を担当した山田隆司(栗山緑)、そして『セーラームーン』のシリーズディレクターを担当していた佐藤順一(初代)と五十嵐卓哉(終代)である。
彼らはニチアサのメイン視聴者である子どもたちに作品を解ってもらう工夫を徹底し、そのひとつとして「主人公たちは見習いの魔女(魔法少女)だが変身はさせない」事を選択する。『どれみ』の主人公であるおジャ魔女たちが行うのは「変身」(メタモルフォース)ではなく「お着替え」(クロスチェンジまたはオーバークロス)に過ぎない。それは「子どもにとって、お着替えができる事が成長の要のひとつ」であることを意識したためだった。
だが彼らは、この「お着替え」という変身でも何でもない行動に、変身と同じ映像効果とバンクを用いたのである。この部分が『どれみ』の変身ヒロインジャンルにおけるエポックのひとつと言えるだろう(ただし、その一つ前のクッションとして1994年の『なかよし』誌に登場した魔法ではない手品による変身を用いている『怪盗セイント・テール』(立川恵)が存在することを忘れてはいけない)。
この方法論によって『ふしぎ星の☆ふたご姫』などその後に作られた多くの「戦わない魔法少女」も基本的に可愛いコスチュームを着込むようになる。
逆に、かわいいコスチュームを着ないことは『ムーン』登場以後の魔法少女にはほとんど不可能になってしまった。
さらに、「不思議な力を使うために変身する」のでなく「オシャレやファッションの延長として、魔法少女みたいな変身をする」という作風のものも多く作られるようになった。この流れは後述もするがセガが送り出した女児向けアーケードゲーム『オシャレ魔女ラブandベリー』(ラブベリ)が起源とされている。
ラブベリの成功は、のちに『アイカツ』や『プリティーシリーズ』などの女児向けアイドルアニメの隆盛につながることになった。
これらのアイドルアニメは「魔法少女や戦闘美少女の文脈を一切無視した、女の子が変身するアニメ」なのである。もちろん変身バンクに当たるシーンも完備され、魔法少女のコスチュームと同じ文法でデザインされたステージ衣装の関連玩具がスポンサーの収益になる。
これはちょうど、男児向けアニメで「カードゲームアニメなどのユニットに巨大ロボットが出てくるのは当たり前に受け入れられているが、ロボットアニメというジャンル自体の認知度は弱くなった」と似た状況である。特定の要素があまりにも定番化したため、その要素をメインに扱うためのジャンルが不要になったのである。
セーラームーンが真に画期的だったのは、女の子が変身して戦士になるというジャンルを作り出したことではない。上述したように、それは特撮ヒーローの女戦士枠という形で男児向け作品ではすでにあった。
しかしセーラームーンは、その変身した姿を「女の子が憧れる可愛いコスチューム」にした。そこが新しかったのだ。普段は可愛い女の子が、戦士に変身すると格好良い姿になるという分かりやすい文脈(キューティーハニーもこのタイプ)をあえて無視したのである。普通の女の子が、凄い可愛い服を着たら、なぜか強くなるという概念を作ったのが、セーラームーンの革新である。戦士らしくない姿こそが重要なのだ。
そしてそれは「オシャレをすれば普段と違うことができる」という女の子の永遠の憧れと繋がっている。だからこそセーラームーンがあそこまでの人気を得た。
セーラームーンが最も偉大であったのはバトルヒロインというジャンルを作ったことではなく、「可愛いコスチュームと髪型に変身すると、非日常の世界へふみこめる」ことを世代を超えた女の子の夢として定着させたことだったのである。
そしてその非日常性は必ずしも「悪との戦い」である必要はない。だから戦わない魔法少女も変身して人助けの魔法を使い、アイドルも変身してステージというバーチャルな世界で踊るのだ。
バトルヒロインというジャンルがセーラームーン終了によって廃れていく一方で、変身要素だけは毎年洗練され、女児向けカルチャーの王道として君臨し続けているのが現状である。
そして、この手法は大人向け作品にも応用され『ウテナ』の幾原邦彦により『輪るピングドラム』が作られるようにもなっている。
第六期:「月の焦土」に「桃の種」が芽吹く時
こうして「戦闘しない変身」という要素が女児文化で洗練されていく一方で、『戦闘美少女』というジャンルは2000年代の初頭には女児向け・ファミリー向けの分野では売れ筋のものとは言えなくなってしまった。
商業的な話も観点に含めて当時の状況を俯瞰するならば『セーラームーン』は自らが育ち育て興した土地(ジャンル)を自ら喰らい尽くし、そして見るも無残な焦土と化してしまったことになる。戦わない変身ジャンルの隆盛は、結局のところセーラームーンが咲かせた花の苗を改めて別の肥沃な土壌に持ち帰り(あるいは「セーラームーン以前より存在した変身ヒロイン」という原木に接木されて)そこの土に合うように改めて品種改良したような感じだろう。
だが、このジャンルの作品は細々とであるが作られ続け、ジャンルの命脈は保たれていった。
かつて富田たちがセーラームーン人気という紅蓮の炎の中で、それでも必死に培った命脈を残そうと撒き続けた種のために、絶えた焦土の土を起こし水をやり芽を見出し育てようとする人々がいた。
この頃のジャンクション的な作品として『ちゃお』が1999年に送り出した「戦わないヒロインから、物語の進展に伴って、戦うヒロインへと移行していった」作品である、あらいきよこの『Dr.リンにきいてみて!』がある。これは風水を基礎テーマとした作品で、当初はそれこそ『どれみ』のように「風水の力で『ありふれた友達の悩みを解決』する」事を主軸に置いた占いモノだった。しかし、のちに『セーラームーン』『ウェディングピーチ』のような「前世(運命)を起因とする戦い」を、『チャチャ』『りりかSOS』のように「男性の仲間たちと共に乗り越えていく」形の「戦う少女」路線へと推移していった。
『Dr.リン』は2001年にアニメ化し、トイスポンサーはトミーが担当した。この作品もまた『ウェディングピーチ』から続く「小学館・TOMY・テレビ東京」の企画ライン上によってメディア化を果たした作品と言える。
かくて2000年を前後する頃には、ようやく「女児向け『チーム(戦隊)型戦闘美少女』」も躊躇なく作られるようになり、『スーパードール★リカちゃん』『コレクター・ユイ』のような作品が女児向けとして放映されていった。
売れ筋でないジャンルでも続いているのは、やはりこのジャンルを廃れさせたくないという制作側の意識があったからである。細々とでも続けられた理由は、「戦う変身ヒロイン」というものがマンネリと思われてるくらいは世間的には受け入れられているからである。
このマンネリと呼ばれる部分を作り出すことこそが、富田・只野・湯山・谷沢が『ウェディングピーチ』にて示した『ジャンルとしての共通コンセプトを培う』だったのだ。つまり「たしかに『ムーン』はあるけれど『ピーチ』もあるから、自分たち(の時代)なりの『女児向け美少女戦士』があってもいい」という認識を生む事で『ピーチ』の存在はジャンルに対する参入の敷居を低くし、時代に合わせた美少女戦士ものを製作する素地を確立しえたともいえる。
かつて、『ウェディングピーチ』が撒いた種は遅咲きとなったが、こうして月がもたらした焦土にようやく芽吹いた。
『セーラームーン』ほどのヒットはなかなか出てこなかったものの『ピーチ』によって明確化したジャンルコンセプトを倣い、その血脈を両作品より直接的ないしは間接的に継承し続けた2000年代初頭の冬の時代の作品群がなければ「可愛い衣装を着て女の子が戦う」というイメージそのものが将来の子どもには通じなくなるおそれがあっただろう。
また、セーラームーン当時の状況を省みると「戦う変身ヒロイン」はセーラームーンの専売特許となって、いわば『ジャンル:セーラームーン』状態 となっていた可能性さえある。これはどういうことかというと、アニメとかに詳しくない人がセーラームーン以外にも同じ傾向の作品が存在する可能性を無意識に排除してしまうということである。新しい作品の変身ヒロインの姿を何かの広告でチラ見した時に、それを「セーラームーンとは別の作品の宣伝」と捉えてくれないということだ。そうなってしまえば制作側としてもセーラームーン以外の作品は作る意味が無く、結果としてデッドコピーめいた外伝作ばかりが時間を置いて増産され続けていた可能性もある。
そうなると、このジャンルはコンテンツの宣伝ができにくいものとなって、新作の提供は今以上に厳しいものとなっただろう。
細々とではあるがジャンルとしては命脈をつないだわけで、その意味で『ウェディングピーチ』は確かに作品としての目的と役目を果たし得た。ゆえに現在において『ウェディングピーチ』という作品は、これらの各作品を生み出すに至る道筋を導いた、本ジャンルの中興の祖として再評価されている。
そして『ウェディングピーチ』が撒いた種から咲いた花から、このジャンルに実った特大級の果実こそが、2004年に鷲尾天が日曜朝においてADKと東映アニメーションが担当するアニメ枠で手がけた『ふたりはプリキュア』である。
だが、そこに至るまでを解析するには、前述した男性向け作品の世界を改めて振り返る必要がある。
「セーラームーン」と萌え文化
実のところセーラームーンのアニメの大ヒットは、少女漫画や女児向けアニメの世界よりもむしろ男性向けの作品の世界に地殻変動を与えている。
簡単に言えば男性のファンが大量にできたのである。
女の子向けの作品に男性のファンがつくという現象はミンキーモモのあたりからありはしたのだが、やはり異質な嗜好という扱いだった。(余談だが『ミンキーモモ』の総監督であった湯山も同作メイン脚本の首藤剛志も、あるいは主演の小山茉美も、当時はそうしたファンに対して嫌悪感を堂々と表明していた)
だがセーラームーンは、あまりに大ヒットした上にオマージュ元がオマージュ元であったがゆえにユニセックスな作品の空気が生み出されてしまい、アニメファンの間では「男が見ても恥ずかしくない」という空気感が醸成されてしまった。
もっとも、セーラームーンはあくまで、伝統的な少女漫画的ヒロイン像に少年漫画的なヒーロー像を融合させることで、女児層を中心に支持された作品である。
キューティーハニーからモルダイバーあたりまでの男性向けのバトルヒロインの形成の流れにはこの「伝統的な少女漫画的ヒロイン」という要素が組み込まれることはなかった。
セーラームーンの人気が男性ファンにも広がることで、少女漫画的な趣味嗜好が男性向け作品の世界に新しい刺激として入り込んできたのだ。
男性向け作品の中での女性キャラの描き方や属性は飛躍的に増加し、それまでとは比較にならないほど多様な造形を持つ女性キャラクターを生み出せるようになった。
つまりは女性キャラの類型が大幅に強化されたのである。このことが、いわゆる萌え文化というものを熟成させることに至るのである。
特に大きなインパクトを与えたのは「日常」の描き方である。それまでの男性向けのバトルヒロイン物の多くは日常は戦いと戦いの間の幕間のような扱いであり、主題はあくまで戦いの方であった。しかしセーラームーンを初めとした女児向けのバトルヒロインものは日常での女の子たちの魅力をとてつもなく濃厚に描く。その「日常」部分を彩る少女漫画的な世界観とノリは、男性向け作品の世界だけでは生み出せないものだったのだ。
これはバトルヒロインというジャンルに限らず、セーラームーンが男性向け作品に与えた巨大なインパクトである。
後にいわゆる日常系や百合系の作品が流行するに至ったのは、セーラームーンをきっかけにして少女漫画属性が男性向け作品に流入した経緯が大きく影響している。
男性向け作品の世界ではセーラームーンの展開終了以後も、萌えの原点たる偉大な作品のように記憶され続けた。
そのため、男性向けジャンルにおいては「セーラームーン的な変身ヒロイン」は萌え要素を自虐的に皮肉るパロディネタの定番となったのである。
パロディという視点ゆえにより女児ものっぽい雰囲気が重視され、セーラームーンの原点である「魔法少女もの」の空気感を高めたものが多かった(この点は少女向け魔法少女作品である『カードキャプターさくら』がセーラームーンほどではないが男性ファンを多くつけたことにも起因する)。
原点となるのは1996年の『魔法少女プリティサミー』であり、後の『撲殺天使ドクロちゃん』『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』『大魔法峠』などに通ずる基本的にギャグ・パロディ系の作品の流れだが、こういう作品に共通していたのは、「カワイイから強い」という文脈を過激に強調したことである。
メカとか鎧とかで見た目のデザインをちょっと戦士っぽくすれば戦士っぽい変身したと納得できるのに、ただカワイイ衣装を着ただけで強くさせている。これはそれまでの男児向け作品の主流から見ると理不尽極まりない。ゆえにパロディするには恰好のネタだったのだ。
だが、「カワイイから強い」は『麗夢』の頃にすでに男性向けでもあった視点だ。セーラームーンの社会現象によってそれが一気に可視化されただけである。なので数年もたつと萌えの概念が根付いたこともあって「カワイイから強い」はギャグとかでなく普通に受け入れられるようになっていった。
いつしか「カワイイ衣装を着た魔法少女」が女児向けというより男性向け作品のストックキャラクターとして定着するようになり、ついには「男性向けの魔法少女」がシリアスで真面目なオリジナル作品として作られるようになっていく。節目となったのは2004年の『魔法少女リリカルなのは』で、もともとはスピンオフのパロディ企画だったにもかかわらず、シリアスなバトルヒロイン物として作られたことでスピンオフ元を知らない層からも大きな人気を得て、ついには独立したコンテンツとしてシリーズ化した。そして最初からオリジナル企画として制作された大作が2011年の『魔法少女まどか☆マギカ』であり、時代を象徴するアニメとして大きな話題をさらうことになる。
「カワイイから強い」が定着したということは、戦う女の子を表現するのに「兵器メカ」や「鎧もの」などの男っぽいガジェットに頼る必要がなくなったことを意味する。
にもかかわらず、「女の子にスポーティーな鎧やメカパーツをくっつける変身」という形は一定の需要があるようで、『舞-乙HiME』『ストライクウィッチーズ』『戦姫絶唱シンフォギア』など今に至るまで定期的に作られ続けている。
2000年代以降の装着型バトルヒロインや戦闘魔法少女は、女児アニメの世界のバトルヒロインと同じく「日常」も重視する作品が多い。日常から非日常への移行を変身というギミックで強調するのはまさに女児アニメの手法からの逆輸入である。
このように、男性向け作品は女児向け作品と違う経緯でバトルヒロインものが確立されたが、セーラームーンの大ヒットによって、男性向け作品に女児向け作品の要素が入りこんで、融合し再構築されていった歴史がある。
ただし、女児向けバトルヒロインの定番要素であった「運命的なロマンス」の要素だけは、今に至るまで男性向け作品では重要視されることは少ない。主人公の女の子に憧れの男性がいるという作品自体は男性向け作品でも少なくはないのだが、その憧れの男性は守るべき日常の象徴とされるのが基本である。主人公は非力な一般人である男性キャラを戦いには巻き込ませないように頑張るのである。
しかしセーラームーンを起源とする女児向けバトルヒロイン物は男性キャラとのロマンスを非日常として描くのが基本である。主人公には運命なり前世の因縁なりで結ばれることが決められた「素敵な王子様」がおり、その王子様は主人公の敵か味方のどちらかの立場で戦場に立つ。主人公と王子さまは戦場でいつも邂逅し、毎週の戦いのドラマの中で二人の恋は進展していく。一方で主人公の日常にその王子様キャラは基本的に現れない(もしくは正体を隠していて主人公は気づいていない)。
男性向けのバトルヒロインと女児向けのバトルヒロインは恋愛要素の扱い方はまるで逆であり、ここの部分では交わらずに決定的に違う道を歩んでいった。
ただ、恋愛要素の扱いが逆になった理由には思想的な背景があったわけでなく、単純に男性を視聴者として想定しているがゆえに「素敵な王子様との戦場でのロマンス」が感情移入されにくかったからである。
男性的視点の逆輸入
上述のように男性向け作品の世界では、変身ヒロイン/魔法少女の類型が一種の萌え属性として再構築されていったわけだが、この男性向けの視点を新しい刺激として少女漫画・女児アニメの世界に逆輸入した作品がある。
それが2003年の吉田玲子と征海未亜のコンビによる『東京ミュウミュウ』であった。ちなみに征海未亜は『スーパードール★リカちゃん』のなかよし版コミカライズを担当していた漫画家でもある。その繋がりから『東京ミュウミュウ』のトイとセールススポンサーはタカラが担当した。
そもそも、この作品は征海未亜が単独で組み上げた読切作品『Tokyo黒猫娘』が原案にあり『ミュウミュウ』そのものは『黒猫娘』をメディア企画用に翻案したものである。『黒猫娘』そのものは「宇宙犯罪者(エイリアン)を追う警察ロボットに、その捕獲を依頼された安曇緋姫という少女が、成り行きと勢いでソレを請け負い、宇宙のスーパーテクノロジーによって作られたネコミミバトルスーツを着て(口調や性格も江戸っ子気質になって)活躍する」という単独ヒロイン制(いわば「セーラームーン以前の潮流」の旗下にある)バトルヒロイン作品であった。
一方で、当時の『なかよし』誌は「セーラームーン」ブームの反動や「CCさくら」の円満終了などが影響して部数を落とし続け、さらには少女漫画の世界もハートフルボッコやエロオーラの導入による過激化によって新しい時代に入り、結果『なかよし』は少女漫画業界における売り上げ順位に関して『りぼん』『ちゃお』に大きく水を揚げられ3位に陥落していた。そこで『なかよし』は改革の大鉈を振るうことを余儀なくされる。その大鉈の内容をざっくばらんに言えば、おおよそ2つの特徴に集約される。それは「作家の強制的な世代交代」と「メディアミックス企画戦略の破棄・縮小」という大幅なリストラ策であった。
この事により『なかよし』は、それまでのメディアミックスに貢献した作家やコンテンツを問答無用で切り捨てにかかり『超くせになりそう』から保持して『CCさくら』すら送り出したNHK教育のアニメ枠を『だぁ!だぁ!だぁ!』の終了とともにアッサリと手放した。さらには東堂いづみ提携連載枠(当時は『おジャ魔女どれみシリーズ』のも〜っと!からドッカ〜ン!にかけて)を20ページのレギュラー連載から8ページのミニ連載に格下げする、など既存のメディアミックス作品や関連作家を、突然前触れもなく極端に冷遇し始めたのである。
このイキナリの方針転換に驚き焦ったのが講談社上層部と、それに関連するメディア側(テレビ局およびアニメ制作会社)だった。とりあえず『なかよし』が手放したNHK枠は、同じく講談社のX文庫ホワイトハート部門(当時は『十二国記』)に移行し維持させて事無きを得たものの、部数の上昇のためとはいえ、このまま極端なリストラが進めば『なかよし』から後々に送り出せるはずの将来のメディアミックス作品に対してすら営業上(特に企画上の各社連携に対して)の影響(ぶっちゃけ支障・悪影響)が出ると判断した講談社は『なかよし』編集部から離した企画を上層部主導で展開しメディアミックスを回して『なかよし』に押し付ける強硬策を取った。そのために講談社上層部は、それまでに『なかよし』に掲載された読み切りと作者を洗い直し、そして選ばれたのが前歴からスポンサードを得やすいであろう征海未亜であり『Tokyo黒猫娘』だった。そして、この前提によって企画は『黒猫娘』よりも、よりスポンサードを得やすい形へと持っていく必要があった。そのためのブラッシュアップ担当としてメディア側から呼ばれたのが吉田玲子だった。こうして吉田(および講談社上層部をはじめとする参加メディア各社)の手によって『黒猫娘』から翻案されて講談社のメディア連携枠を守るために生まれたのが『ミュウミュウ』だった。
ミュウミュウは特にメディア連携(アニメ化)を確保することを意識した都合上、キャラクターの外見・仕草・セリフには過剰なまでに男性に媚びたかのような萌え系の演出が多々含まれているが、一方で作品全体の物語や世界観の雰囲気はセーラームーンやウェディングピーチから発された伝統を正当に継承するべく本歌取りを行ったともいうべき「運命的で壮大なロマンス」である。内容としてはやはり王道な少女向けなのである。
このミスマッチ感から、少女向けの作品としてみると男性への媚び要素が鼻につきやすく、一方で男性向けの萌えアニメとして人気がでるような物語でも決してないということで、展開当時は「誰がターゲットかわからない変な作品」としてネタにされることの方が多かった。
しかしミュウミュウは「セーラームーンを始めとする美少女戦士ものの作品は、男性向けの視点を女性向けのものに取り込んだことで生まれた」ということを意識していた作品でもある。それを現代的にやりなおしてみたというのが実態なのだ。あのセーラームーンからして男児向けの特撮作品のオマージュが根底にあることを忘れてはならない。
ともあれ、こうした事情もありミュウミュウ自体は確かに話題とはなった。そこで、講談社上層部は直後に、今度は横手美智子と組み、より少女向けに特化されたミュウミュウと同様のバトルヒロイン路線を継ぐ作品として『マーメイドメロディーぴちぴちピッチ』を送り出した。
『ぴちぴちピッチ』も好評を得て2期まで放送されたが、その直後にスポンサーであるタカラの意向と、これに乗じた当時の『なかよし』編集部の抵抗により、結果として枠が『なかよし』から切り離されて男児向け(トランスフォーマーシリーズ)に転換されてしまう。残念ながらミュウミュウから始まった新世代のバトルヒロイン路線はここで打ち止めになってしまった。
ここで余談となるが『ぴちぴちピッチ』の展開終了と前後して、タカラはそれ以前より苦戦していた海外展開・多角経営をしくじったツケから業績を悪化させ、2006年に上述したトミーと合併しタカラトミーとなった。(存続会社はトミーであるため、実質においてはトミーへの合流吸収によるタカラという法人の消滅であり、その後を受けたトミーによる「タカラブランド」の維持である)結局ミュウミュウ、ピッチと続いてきた企画開発ラインもまた、事実上トミー側の『ウェディングピーチ』から続いてきた企画ラインに吸収された。このラインが『プリティーシリーズ』を生み出したのは上述の通りである。(リカちゃん関連はタカラブランドのメインアイコンであるため、これらから切り離された別ラインで分立)
上述の通り、ミュウミュウ、ピッチと続いた流れは放送枠や制作会社の視点からは受け継がれなかったのだが、ピッチと同年、ある1つのバトルヒロイン作品が別の放送局と別の製作会社によってスタートされていた。
それは、東映アニメーションがテレビ朝日・ABC系列の日曜朝8時30分枠で放映した『ふたりはプリキュア』である。
プリキュアは「『なかよし』で漫画が掲載されている」という意味ではミュウミュウやピッチと共通点はあるものの、プリキュアは原作漫画を持たない東映アニメーションの完全オリジナルコンテンツであり(『なかよし』に掲載されているプリキュアの漫画は原作漫画ではなく、アニメを原作としたコミカライズ作品)、講談社上層部の意向が強かったミュウミュウやピッチとの実質的な繋がりはない。
だが、プリキュアはミュウミュウと同じく「バトルヒロインを男性的視点から再解釈する」というチャレンジから始まった作品であることは注目に値する。
ただしプリキュアが見出した「男性的視点」はミュウミュウ、ピッチの萌え路線とは根底から異なるものであった。それはドラゴンボール的な肉弾戦アクションだったのである。
『ふたりはプリキュア』は、女児向けアニメの世界においてはセーラームーン以来の大ヒットを繰り出した。長らく不在だった「ジャンルを代表する主役」がようやく登場したのである。
「プリキュア」がもたらした(少女向け)バトルヒロインジャンルへの、何よりも大きなチャレンジだったのは、運命的なロマンスという要素を無くしたことである。主人公が淡い憧れを持つ男性キャラ自体は出てくるのだが、それはあくまで「守るべき日常の象徴」であることを徹底した。さらにバトルという非日常の世界は女の子が恋にときめく時間を邪魔するものと強調して描かれることも多く、バトルを通じて恋が進展するのが当たり前だったそれまでの女児向けバトルヒロイン物の常識からすると明らかに異質である。この点でプリキュアはミュウミュウ以上に「男性向けのバトルヒロイン」の視点がある。
だが同時に、メインの視聴ターゲット層である女児とその母親が見ても不快感を催さないようにする演出方針が過剰なまでに徹底された。このあたりはミュウミュウを反面教師にした可能性も否定できない。
このことは結果的にプラスに働き、翌年以降も「プリキュア」のタイトルを冠した新たな作品が作られ、セーラームーン以上の長期シリーズ化を実現した。
現在までにおいてバトルヒロインジャンルにおける知名度はセーラームーンとプリキュアの2つが世間一般では圧倒しているため、「セーラームーンの時代」と「プリキュアの時代」は地続きで繋がっているかのように思われることも多々ある。
しかし実際は上述したようにセーラームーンの時代とプリキュアの時代の間には、このジャンルの命脈を繋いできたミッシングリンクとも言える作品がいくつも各時代に存在していた。とても大事なことなので幾度でも繰り返すが、このミッシングリンクとなる作品群が存在しなければ、決してセーラームーンからプリキュアに繋がり至ることはなかった。
ただ、これらの作品群の中に世間に対してジャンルを主張できるパワーある作品が不在だっただけであり、その期間が長くなってしまっただけの事だったのである。
第七期:「プリキュア」時代と、その取り組み
以上の過程を経てついに登場した「プリキュア」ではあったが、実はこの作品はスポンサーや製作会社から望まれて生まれたものではなかった。
『ふたりはプリキュア』が放映された時間枠(いわゆるニチアサキッズタイム朝8:30枠)は元々は前年番組『明日のナージャ』の2年目が予定されていたが、急遽のキャンセルにより穴埋め作品として「仕方なく」作られたものがプリキュアだったのである。
この枠は関西のテレビ局であるABC朝日放送と東映アニメーションの共同制作によるアニメ枠が長年続いており、制作された作品は様々で少年向けもあれば少女向けもあり、ファミリー向けもあった。
ただ、『明日のナージャ』が放映された2003年当時は、前年まで『おジャ魔女どれみ』がシリーズとして4年に渡って続いていたために『どれみ』と同じような作風が強く求められていた。具体的に言えば「幼稚園から小学校低学年あたりまでの女児をメインターゲットにしつつも、大人も感心できるちゃんとしたテーマ性があり、親が子供に見せたいと思う”教育性”や”品の良さ”がある作品」である。
そういう流れの中で制作された『明日のナージャ』は、世界名作劇場のオマージュのような作風で、親が子供に見せたいと思う”教育性”や”品の良さ”がある作品ではあった。
しかし企画段階からスポンサーであるバンダイ側と、製作側である東映アニメーションおよび実制作を行う現場スタッフとの間で作品に対する認識の齟齬と対立関係が発生。それが玩具企画と実際の作風との間に致命的なミスマッチを起こした。実際にこのアニメを見ていた人なら、CMで広告される様々な玩具が、『ナージャ』の世界観やストーリーと合わないものばかりであることがわかるだろう。これは、アニメを作っている現場スタッフ達が「玩具企画にあわせて作風が歪められる」ということをしたくなかったためともされている。(ただし、これはスタッフ陣に以前のシリーズから続いたムチャ振りの疲労が溜まっていたトコロに「玩具実績とか気にしなくていいから、自由に作品を作ってくれ」と偉い人から言われたため、これをそのまんま真に受けてしまった結果であり、反逆精神みたいな気持ちはそこまでなかったようである。これに関しては『明日のナージャ』の項目も参照)
『ナージャ』の2年目がキャンセルされたことで、東映アニメーション側は代替の企画を立てなくてはならなくなった。
メインスポンサーのバンダイ側の要望もあり、翌年も今まで通りの女児向けアニメを作ることは早々に決まったのだが、スケジュール的に急な話であったため、制作を担当する東映アニメーションは女児向け作品を得意とするプロデューサーをすぐに用意することができなかった。結局、女児向けの経験がない畑違いの人物がプロデューサーとして任命される事になる。それが、現在ではプリキュアの父と言われる鷲尾天である。
鷲尾はこの時点まで青年向けや男児向けの作品しか担当したことがなく、しかもその全ては原作もので玩具販促アニメの経験がなかった。
それがいきなり「女児向けの玩具の販促を前提とした、オリジナル作品」をゼロから企画しろと言われたのである(少女漫画の原作のアニメ化とかは権利関係の調整にかかる時間の問題で考慮の範囲ではなかった)。
『どれみ』の人気いまだ収まらない中で(当時の『どれみシリーズ』はCS放送およびOVAでも展開していた)そんな名作と比較されることが絶対という、この枠へと異動させられた鷲尾へのプレッシャーは並大抵のものではなかった。そして何よりも翌年作の放映まで時間的余裕がなかった。
まさに上層部&スポンサー陣の混乱ムチャ振り極まれり。ひとえに「ぶっちゃけありえない!」とは、それこそ、この事態を引き起こしてしまった前番組のスタッフたちや上層部や視聴者に向けた当時の鷲尾の魂の叫びそのものであったろう。(実際に叫んだかどうかはわからないが)
結果として途方に暮れた鷲尾が必死に考えた末に得た結論が、既に「女児アニメとして共通ジャンルコンセプトが確立された」上で「男児アニメで度重なるパロディーをされた事で同ジャンルの方法論と親和性が高く応用もできる事が証明されている」バトルヒロインジャンル作品の制作だったのである。そして何よりもバトルヒロインジャンルは玩具販促と親和性が高いことはスポンサーはよく理解している。少なくともこのジャンルならスポンサーは耳を傾けてくれるだろうと踏んだのである。
つまり鷲尾本人は最初からバトルヒロインものが作りたかったわけではなく、あくまで手段としてこのジャンルを採用したのだ。本人は正直いってこのジャンルへの造詣がまったくなかったので、セーラームーンの単純なオマージュをなぞることさえできなかった。
しかし、先ほど述べた前番組の失敗を「一回失敗したなら何回失敗したって同じだから好き勝手やってやる」とばかりに無理矢理プラスにとらえ、自分の好みのジャンルである刑事ドラマのバディアクションものの要素を分解して、バトルヒロインのお約束に組み込んだものを構想する。そうしてできた企画案が、「性格の異なる女子中学生二人が相棒同士になり、互いに軽口をたたき合いながら、悪党どもを格闘アクションで蹴散らしていく。ただし衣装はキラキラ可愛く」というものであった。一見イロモノギャグにしか見えない企画案だが、鷲尾はこれは真面目にちゃんと作れば面白いものになると直感し、「女の子だって暴れたい」をキャッチコピーに添えて企画書をまとめあげる。
この企画案に上層部&スポンサー陣は難色を示した。品の良さが求められる日曜朝の時間帯に、どちらかといえば青年向けの深夜アニメにありそうなノリを入れるのは如何なものかというわけだ。この企画はボツにして、別の人が考えた企画を鷲尾にプロデュースしてもらおうという話にまでなりかけたのだが。鷲尾は自分がプロデュースを担当するなら自分の企画じゃないとやらないと我を通し続ける。結局、スケジュールの問題から上層部&スポンサー陣も妥協し、鷲尾ができるといっているものをやらせることになった。
そして鷲尾は入社時点からの盟友である西尾大介を監督に招聘し(西尾も女児向けの経験はない)、西尾が当時担当していた『エアマスター』の製作チームをそのまま移行させることで『ふたりはプリキュア』の製作が始まったのである。
企画がまとまってから放映までは本当に時間がなかったらしく、立ち上げ準備は地獄のようなあり様だったらしい。プリキュアシリーズは玩具との連携があるのでアニメの作画製作のはるか前の時点で玩具パッケージや音声収録を先にすませないとならない。つまり作品の設定固めはアニメの放映開始の数ヶ月前には終わらせていないとならないのだ。実際、当時の感想をスタッフにインタビューする記事ではとにかく苦労話しか出てこないのはプリキュアシリーズのファンならよく知るところ。(もっとも、スタッフの多くが女児アニメに慣れてない中で手探りで作っていったので、立ち上げのときよりも放映が始まってからの方が地獄そのものだったらしいが)
もちろん「時間がない」ことは玩具会社であるバンダイの方にとっても深刻であった。実は初代のプリキュア玩具の企画担当はガールズトイ事業部の渡辺紀子ただ一人でやらされていた(2018年現在ではプリキュアの玩具担当は9人体制)。なぜそんなハードワークをさせられることになったのかは様々な事情があるようだが、もともとプリキュアはまったく期待されていなかったのでバンダイ側も人手を割きたくなかったかも知れない。
プリキュアシリーズの玩具実績は初代作が今でもトップなため、それらすべての企画を一人で担当した渡辺は後にレジェンドと称されることとなるのだが、立ち上げ時はとにかく必死だったようだ。鷲尾とは毎日のように丁々発止のやり取りを繰り広げていたようである。
ちなみに玩具企画はアニメの企画より先行して動いていたのだが、渡辺も結構な曲者で、最初に考えた玩具企画が「『仮面ライダー龍騎』が男児に人気があるので、携帯電話っぽい小型メカにトレーディングカードをスキャンするとモンスター……じゃなくて精霊とか妖精っぽいものが召喚される玩具」であった。この頃は「トレーディングカード玩具は男児向け」が常識だったので(当時は『ラブベリ』の誕生前)、このようなアイデアはなかなか通しにくかったのだが、何せ一人で担当していたのである意味で好きにできたようだ。そういう玩具を女の子が欲しがるアニメを作って欲しいとの無茶ぶりを東映アニメーション側に要求したのである。
この路線でいけばポケモンやデジモンのようなものを女児向けにアレンジする作品となる方が普通なのだろうが(上層部が最初に鷲尾にやらせようとしていた別企画もこういう感じだった様子)、紆余曲折あって肉弾アクションものとなったわけだ。そして渡辺の考案した玩具はカードコミューンとしてプリキュアの変身アイテムとなった。
(余談だが、主人公のイメージカラーを「黒」というありえない色に指定したのも渡辺である。女児人気がないニッチな色だからこそそれで可愛いのが作れれば個性になるという狙いだったとか)
このようにとにかく関係者全員が行き当たりばったりを繰り返しながら作り上げたのが『ふたりはプリキュア』だったのである。西尾監督は立ち上げ当時のドタバタについて「崖っぷちの状況での”どうしよう”への対処の積み重なりで生まれたのがプリキュア。"これをやりたい"と頑なに拘ることは誰もしなかった。ただ、”やりたくないこと”は決まっていた」と述懐している。このことは初代作の作風とどこかシンクロも感じられる。
結果的にこれらの苦労が実る形で『ふたりはプリキュア』は大ヒットする。そして話題性だけでなく、カードコミューンの売り上げが放映開始直後から良かったことが追い風になって、2年目も作られることになる。
ご存知の通りプリキュアは現在まで続く長期シリーズになっているので、初代のヒットのおかげでシリーズ化が決定したのだと考えられがちだが、初代のヒットの恩恵で新たに作られたのは「2年目」のみである。
実はプリキュアを「3年目」以降も続けるべきかどうかについては更なる紆余曲折があり、最初の立ち上げ以上の困難を伴うことになる。それは「プリキュアシリーズ」として現在まで続けられている現状から鑑みれば、そんな過程があったことなど信じられないほどの「一難去ってまた一難」という苦難の連続の歴史であった。
「ブランド化」するプリキュア、その道のり
この小節に関しては『プリキュアシリーズ』の項目も参照
プリキュアシリーズにはそれまでのバトルヒロインもののアニメシリーズとは絶対的に違う点を取り入れている。
それは、キャラクターや世界観を一年ごとにリセットしながら継続していることである。
前年までの作品と一切関係ない世界で、一切関係ないキャラクターが、前作までの物語とは異なるテーマを背負いながら、「プリキュア」を名乗って活躍している。
徒手空拳がクローズアップされやすいが、プリキュアシリーズの全作品で重要視されているのは「全身を使った激しいアクション」である。こういったアクションを描きやすいからこそ肉弾戦に近い戦闘スタイルになっているだけで、シリーズ通してスタッフが口を揃えて発言しているように格闘アニメというわけではなく、一部の記事では「アクションファンタジー」とされている(参考リンク)。
よって「徒手空拳と肉弾戦」はプリキュアシリーズの定番ではあっても前提ではなく、作品によってカラーは大きく変わっていく。
極論を言えば毎年のプリキュアの新シリーズは、プリキュアシリーズではないバトルヒロイン物として作ってもほとんど問題がない。
それどころか、これがプリキュアらしさという枠組をあえて作らないようにしているところがあり、公式もプリキュアとは何かについて明確な定義を語ることは避けている。
プリキュアシリーズのメイン視聴者は低年齢層なので入れ替わりが激しい。プリキュアらしさというものに縛られるのではなく、その時代の子供達の感性に合ったキャラクターこそが「プリキュア」にふさわしいキャラクターなのだとも言えるだろう。
こうして様々なプリキュアが毎年出てきて、2022年現在ですでにプリキュアシリーズは19年目となった。
2018年の15周年記念映画では歴代55人のプリキュアが出演したことで、「アニメ映画に登場する最も多いマジカル戦士の数(Most magical warriors in an anime film)」でギネス世界記録に認定されるという冗談のようなことまである。
もはや「プリキュア」とは特定のキャラクターや作品を示す言葉ではなく、ブランドのような扱いとなっているのである。
男児向けの作品でいうところのガンダムシリーズや仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズあたりと近い立ち位置と考えるとわかりやすいかも知れない。
長く続いたコンテンツがキャラクターを世代交代させること自体はよくあるが、子供向け作品の場合は2〜3年くらいは同じキャラを継続させて世代交代させるものが多いし、前作の世界観と繋がりを持たせない形のキャラクター交代は、シリーズが5年くらいは順調に続いてようやくできることである。
しかしプリキュアシリーズが特殊だったのは、シリーズ三作目『ふたりはプリキュアSplash☆Star』でもうキャラクター交代がされ、しかもその時点で既に「前作の世界観と繋がりを持たせない」としたことがある。
これは当時の子供向けアニメの常識から言えば「大人気だった『ふたりはプリキュア』の遺産とIPをゴミ箱に捨てるような愚策」であるが、これも事情があってのことである。
そもそもプリキュアシリーズも元々は従来の少女向けアニメと同じく、キャラクターや世界観を継続させることを目的に作られていた。実際、プリキュアシリーズ2作目『ふたりはプリキュアMaxHeart』は前年の直接的な続編である。
この『MaxHeart』は初動時点で初代以上の人気と売り上げを達成したため、翌年もプリキュアを継続させる方針が早々に決まったのだが、鷲尾は監督の西尾の消耗が激しかったことから彼を現場から外して新たな監督に小村敏明を招聘した。そして今までのキャラクターたちは西尾でないと魅力を引き出せないと判断した鷲尾は、3作目で主人公から敵キャラクターまですべてを一新した「今までのプリキュアとは全く関係をもたない、別の世界線の『プリキュア』」を企画することになる。
これは、「従来通りの継続方法では、数年後先細りするかもしれない」という鷲尾の危惧もあってのことであった。
こうして制作が開始されたのがシリーズ三作目『ふたりはプリキュアSplash☆Star』なのである。
だが、この『Splash☆Star』は前作までのファンを引き継げないという裏目の結果に出てしまい、初動での玩具売上が前年同期から半減するという惨憺たる状況となってしまった。
しかしこれには同情すべき部分もある。この当時は、アニメではないアーケードゲームのヒロインの台頭でプリキュアシリーズは大きな岐路に立たされていたのである。
『MaxHeart』の物語が佳境に入りつつある2005年10月、セガは『オシャレ魔女ラブandベリー』(ラブベリ)を全国で稼働させた。前述したように、この作品は「戦わない変身ヒロイン」だったが、街のデパートや中核スーパーの店頭に筐体が置かれ展開したことや、何よりも女の子のお洒落心に希求する作品内容で、ほぼゲーム単独展開(漫画は作られたが映像作品になったのはブーム安定後に作られた映画のみである)にもかかわらず大きなムーブメントを巻き起こした。
この勢いはすさまじく、シリーズ2作目『ふたりはプリキュアMaxHeart』の後半の玩具売上が『ラブベリ』の玩具売上に大きく水を揚げられてしまった。
そして『Splash☆Star』の初動にも大きな影響を与えている。
理由はどうあれ『Splash☆Star』は初動時点で商業的に芳しくない結果となったのは事実である。
これでプリキュアシリーズ(より正確に言えばプリキュアシリーズの「オリジン」たるふたりはプリキュアシリーズ)の命運は尽き果てた。冗談抜きでこれでプリキュアは打ち切りになるはずだったのである。しかし、打ち切りが決まってから翌年の作品をすぐに企画立案できる人材が見当たらなかったので、鷲尾も含めた『Splash☆Star』の製作チームにもう1年だけ何か別の作品を作るように任じた。しかし鷲尾はその条件としてもう一年だけプリキュアを作らせてほしいとリベンジを願い出たのだ。ただし『Splash☆Star』の続編という形は認められなかったので、鷲尾はもう一度リセットして『セーラームーン』から『ウェディングピーチ』『東京ミュウミュウ』へと受け継がれた伝統を取り入れたノリ(個別の攻撃属性を持つ5人の戦隊チーム、ロマンス性の導入)に近づけた全く新しいプリキュア作品『Yes!プリキュア5』が制作された。しかし鷲尾はそれでも「ケレン味のあるアクション」という要素だけは捨てずにそこだけは守り、それこそがプリキュアと名乗る意味だとした。
その妥協と覚悟の成果があり、この『Yes!プリキュア5』はかなりの人気を得て、翌年には製作スタッフを継続して直接的な続編『Yes!プリキュア5GoGo!』が作られることになった。
見事なリベンジ劇の達成だったが、もともと「新しいスタッフを揃えるまでの繋ぎ」としてこの枠に残留していた鷲尾は『5GoGo!』の企画時点でこれを最後にプリキュアの現場からは去ることを決めており、上層部もそれを受け入れることになった。
この『5GoGo!』であるが、初動の玩具実績が良く年間としては成功作と言えたのだが、中盤で再び商業的に失速してしまっている。これは『MaxHeart』の時と似た構図である。
そして、翌年作をどうするのかという問題が再び立ち上がった。プリキュアの父である鷲尾がプロデューサーを退くなら、プリキュアをここで終わらせることも普通に考えられていた。
そしてここで運命の悪戯といおうか。『5GoGo!』の終了決定と同時に、東映アニメーションのテレビ企画部長(つまりテレビアニメ部門のトップ)に『どれみ』『ナージャ』のプロデューサーであった関弘美が就任する。
関は今までの経緯からプリキュアフォーマットを使う作品に2期を超えられる力は無いと結論付けていたのだが、初代の『ふたりはプリキュア』や4年目の『プリキュア5』の劇的な成果を無視する事もできなかった。このことから、プリキュアというのはキャラクターではなく、フォーマット自体が子供に支持されている作品であると分析していた。
また関は、今まで自分が現場で苦労した経験から「打ち切りや延長でスタッフを混乱させずに、当初の予定通りのスケジュールで制作できる番組体制」を望んでいた。関が理想としていたのはスーパー戦隊シリーズのような形であった。人気があろうがなかろうが一つの作品は一年で終わり、それでも前番組と次番組は「同じシリーズ」として視聴者が認知してくれるというコンテンツである。
そして関は、プリキュアはそれを実現できる力を持つと見込んだのだ。
関は長年の悲願を叶えるために、この枠の新しいプロデューサーとして任命した梅澤淳稔に、鷲尾とは異なる感性で自分なりの「プリキュア」を新しく作らせることにした。
こうして作られたのが6作目の『フレッシュプリキュア!』で、これは最初から「打ち切りも延長もなし」という一年完結で制作することが現場には告知されていた。
打ち切りも延長もないので一年でちゃんとテーマを完結できる作品をちゃんと作って欲しい。ただ、この『フレッシュ』がコケればプリキュアシリーズは本当にそこで終わらせる。もし人気が芳しくなければ『フレッシュ』という作品にテコ入れ的な干渉はしないが、プリキュアシリーズを終わらせてしまった作品という汚名は残るだろう……それが『フレッシュ』の現場スタッフたちに突きつけられた「自由と責任」であった。
結果的にこの『フレッシュ』が成功ラインを超えたため、これ以降のプリキュアシリーズは「特定年の作品に人気があろうがなかろうが続編は制作せず、しかし”プリキュア”というタイトルは冠した全く前年と無関係なシリーズを作り続けるコンテンツ」として継続されることとなったのである。
そしてシリーズ初期の苦難の歴史の中で鷲尾が「プリキュアとは格好良いアクションをするものである」ということは譲らなかったこともあり、現代でもプリキュアはいかなるテーマやモチーフであっても「飛んだり跳ねたりするアクションを伴うバトルをする」ということは貫かれている。肉弾戦封印宣言でファンをざわめかせた2017年の『キラキラ☆プリキュアアラモード』でも、格闘戦以外のバトル演出で見栄えのある激しいアクションを実現し、初代から続くプリキュアらしさを継承している。
『ふたりはプリキュアSplash☆Star』『Yes!プリキュア5』と2年連続で設定リセットした当時は迷走とも捉えられていたが、今となってはプリキュアは毎年交代するものということは当たり前のこととはコアなプリキュアファン以外の一般層からも理解されている。
上述したように、キャラクターを切り離して続けられるコンテンツというものは小さい女の子向けの作品の中では大変に珍しいものである。
しかしプリキュアにそれができたことには、プリキュアシリーズ以外で「子供向けのバトルヒロインアニメ」がほぼ作られていないという時代的背景も強く影響している。つまり、ジャンルに対する独占状態が長らく維持されているため、ジャンル自体への需要がそのままプリキュアの需要になってしまっているわけだ。
それは制作側も本質的には良いこととは考えておらず、プリキュアがプリキュアらしさを定義しないのは、「変身して戦う女の子」というジャンルの多様性を守るためだとも言える。
(このあたりは放送枠的なつながりが深い平成ライダーシリーズが「仮面ライダーらしさにあえてこだわらない」というスタンスであるがゆえに世代交代をうまく実現していることを踏襲したとも考えられる)
ある意味では『セーラームーン』時代、セーラー戦士のドラマが大団円を迎えたと同時にジャンル自体が一気に衰退化したことがトラウマになっているとも言えるのだが……。
とにもかくにも、「女の子は誰でもプリキュアになれる」のキャッチフレーズが示す様に、プリキュアというのは誰が名乗ってもよく、キャラクターに縛られないという空気感を制作側は少しずつ定着させていった。
こうして「プリキュア」はブランド化したのである。プリキュアというラベルをつければどんなキャラクターでもプリキュア足り得るのだ。
「プリキュア以外」の可能性に向けて
現在、pixiv上において二次創作として(要はプリキュアのパロディとして)出されているオリジナルプリキュア(オリキュア)やマイプリキュア(マイキュア)の作品群を見る限り、それらはプリキュアではない完全なオリジナル作品として十分に確立できるだけの多様性が垣間見える。創作の歴史がオマージュと共にある以上、もちろんこれ自体は悪い事ではない。
これはプリキュアシリーズにおいては「プリキュアらしさ」が明文化されないてないから、多くの独自のアイデアを込めたものでも「プリキュアの仲間」の一員として受け入れられる柔軟な作風になっていることの証明でもある。それゆえに、プリキュア周辺では『セーラームーン』でのファンの硬直化のようなものはあまり見られない。だがこの柔軟さは諸刃の剣である。
なぜなら、「アニメに詳しくない人からすると、少女向けの戦う女の子はすべて『プリキュア』の仲間と思われるのではないか 」「このまま行くと『プリキュア』以外の戦う女の子はすべて『プリキュアではない』という一言だけで存在を全否定されてしまうのではないか 」あるいは「何らかの形で『プリキュア』が終わった(一時的な停滞を起こした)途端、再びジャンルの衰退を招くのではないだろうか 」という危惧を常に孕んでいるからだ。
しかも、この危惧は『セーラームーン』時代に危惧されていたことと全く同じ事で、このジャンルを好み関わる者ならば決して繰り返してはならない歴史であるともいえる。
実際、プリキュアがアニメにおけるバトルヒロインジャンルを寡占化していることはセーラームーン時代よりも深刻である。2005年以降、女児向けアニメのバトルヒロイン作品はプリキュアシリーズ以外に一切なくなってしまったのである。
この理由としてまず大きいのが2006年にタカラが消滅したことである(トミーへの吸収)。タカラは『赤ずきんチャチャ(アニメ版)』『ナースエンジェルりりかSOS』『スーパードール★リカちゃん』『東京ミュウミュウ』『マーメイドメロディーぴちぴちピッチ』とセーラームーン時代から数多くのバトルヒロイン物を支えてきたスポンサーである。
その一方でバトルヒロイントイにおいて、合併両社の潮流を受け継いだタカラトミー(トミー)については本ジャンルにて大きな足跡を残した『ウェディングピーチ』というオリジンを持ちながらも長らく2017年まで、このジャンルの作品へのスポンサードは『Dr.リン』など一部の単発的な作品にとどまっていた。このあたりはどうしても『ウェディングピーチ』のリアルタイム放送時に吹き荒れた逆風がトラウマ化した上でタカラ側の一部負債を引き受けた事が営業戦略に影響してしまい、それこそ「プリキュア時代」とまで呼ばれる2000年代以降においては、別途別ジャンルで安定した何らかのコンテンツを確立させて会社の運営を安定させるまで、本ジャンルへの冒険めいた参入が許されなかったのではないか、と呈される事もある。
とにもかくにも、こうした一連の事象からバトルヒロイントイのジャンルはバンダイとタカラがスポンサー同士でしのぎを削ってきた物であったため、ライバル(タカラ/トミー/タカラトミー)の撤退や足踏みにより競合相手を失って一人勝ち状態となってしまったバンダイからすればプリキュアシリーズが安定して続いている以上は同ジャンルの作品をスポンサードする動機は薄くなった。
もう1つの理由として『オシャレ魔女ラブandベリー』以降の女児向けコンテンツの主役がアイドルものになったこともある。現実世界におけるアイドルムーブメントも一時期に比べれば落ち着いたが、これはアイドルという概念そのものが「コンテンツ」として社会に定着したことでもある。もはや現実世界で大きな人気を誇るアイドル個人がいなくても、小さな女の子は「アイドルってどういうものか」を肌で感じることができるのである。『プリティーシリーズ』が10周年を迎え、また『アイカツ』も10年越えを視野に入れて続けられていることを考えれば、もはやアイドルものは「トレンド」でなく「スタンダード」である。それこそ「巨大ロボット」や「変身ヒロイン」と同じように、どこにでも遍在できる記号・属性となったのである。
そもそもプリキュアシリーズが続けられている背景は、メインスポンサーのバンダイが『アイカツ』のIPホルダーでもあるので、それと差別化できる女児向けコンテンツが求められているという事情が大きく関係している。(逆に言えば鷲尾プロデューサーが現場から抜けた時にプリキュアを終わらせていたなら、この枠で『ラブベリ』に対抗できるアイドル物をバンダイの意向でスタートさせていた可能性も考えられる)
そして上述したように、現在の女児向けアイドルアニメは「戦わない変身ヒロインアニメ」として再構築されている。少なくとも21世紀の女児向けアイドルアニメはスマートフォンっぽい何かにカードをスラッシュしたらステージ衣装への変身バンクが挿入されるくらいの玩具販促要素があって当然である。つまりはバトルヒロインものと同じような玩具をアイドルもののアニメに組み込むことが普通にできてしまう。同じような玩具を売るのならばスポンサーはより売れ筋のジャンルに投資するのは仕方ないことでもある。
(もっとも、『セーラームーン』以降のバトルヒロインものの玩具が武器でなくオシャレな小物なのはかつての「戦わない魔法少女」の玩具のオマージュなので、これは元に戻っただけとも言える。またアイドルものに魔法少女系玩具が組み込まれるのもぴえろ魔法少女シリーズからある傾向である)
『セーラームーン』と『プリキュア』の双方に関わってきた東映アニメーションは、プリキュア全盛下においても、あえてプリキュアブランドに依らずにすむジャンルの幅を広げ維持するために、プリキュアの枠には縛られない同傾向となる作品を散発的にではあるが制作している。例えばカートゥーンのバトルヒロインとして逆輸入された『パワーパフガールズ』をローカライズ・リメイクし、東映アニメーション50周年記念作品として作られた『出ましたっ!パワパフガールズZ』(2006年)などは、その代表例とも言える。
そして東映アニメーション主導の元、2014年からセーラームーンの原作準拠リメイク作『美少女戦士セーラームーンCrystal』の制作と放映が始まり、セーラームーンとプリキュアが同時期に並存するようになった。Crystalでは、かつて富田とともに土曜夕夜アニメ枠の女児向け枠としての終焉を見届けた梅澤淳稔が東映アニメーション側のエグゼクティブプロデューサーを務めており、彼を筆頭にプリキュアシリーズのスタッフが多く参加している。この事は『ウェディングピーチ』のかつての騒動から旧アニメ版セーラームーン以降のジャンル沈静化と土曜アニメ枠の終焉を知る者たちからすると、感慨の深いものがあるとも言える。
また、プリキュアシリーズの「二次的なオマージュ作品」という立ち位置をあえて意識的に目指した完全オリジナルコンテンツとして、2016年に劇場公開された東映アニメーション60周年記念作品『ポッピンQ』がある。こちらは劇場版以降の展開構想もあるようなので今後に注目である。
一方、東映アニメーション以外で女児向けのバトルヒロインもののアニメを目指すところはいまだ皆無であり、やはり商業的には新規参入がしにくいジャンルになっているようでもある。
だが、アニメ以外のジャンルを見てみると見過ごせない流れがある。それは2017年より女児向けの特撮として放映されている、三池崇史総監督による「ガールズ×ヒロイン!シリーズ」の勃興である。(現在はシリーズ名が異なるが、それに関しては第八期にて後述する)
「ガールズ×ヒロイン!シリーズ」は、その第1作となる『アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!』から第2作『魔法×戦士マジマジョピュアーズ!』に至り、順調に作数を重ね人気を獲得していった。
平成末期に、あえて昭和末期から平成初期に披露された東映不思議コメディーシリーズをリスペクトしたような作風をぶつけた事になるが、セーラームーンからプリキュアを経ないと生まれなかったであろう演出とノリも強く、まさに「今の時代」ならではのバトルヒロインものとなっている。されども、これの制作プロダクションは東映ではない。
実は「ガールズ×ヒロイン!シリーズ」の制作は、メディア展開が小学館、トイ展開がタカラトミー、そしてトドメに制作がOLMという体制で行われている。この制作体制は、あの『ウェディングピーチ』時とほぼ一致した体制であり、制作会社的にはその正当な後継と見なしうる。そのため、この事を、まさに因果と考える者もいる。
(もっともプリキュアシリーズの方も、その制作に『ウェディングピーチ』のメディア企画策定を行ったテンユウ・NASの親会社であるADKが噛んでいる以上、その流れを汲んでいる作品だとも言える)
第八期:令和からのバトルヒロイン
2019年のアニメまちカドまぞくでは舞台となる町の外では光と闇の勢力の過酷な闘争が行われていることが断片的に言及されるなど、戦闘美少女ものの設定やファンタジーの要素が詰め込まれているものの、劇中では規模の大きな戦いが起きることはなく、シャミ子と桃のほのぼのとした日常を中心に、友人知人や町内規模のトラブルを解決する物語が描かれている。
また、令和に先立つ2019年4月より「ガールズ×ヒロイン!シリーズ」は第3作『ひみつ×戦士ファントミラージュ!』より『ガールズ×戦士シリーズ』の呼称を用いて劇中に(主人公たちに自らを「ガールズ戦士」と名乗らせ、登場人物たちにも呼称させるなどで)シリーズ名称を出しつつ公式ロゴを制定するなど、新時代となるであろう令和時代に合わせる形での「シリーズ概念のリニューアル」を行った。これに伴い、それまで「ガールズ×ヒロイン!シリーズ」(『ミラちゅー』『マジマジョ』の2作品)として扱われていた作品も「ガールズ×戦士シリーズ」として組み入れられる事となった(シリーズカウントは『ミラちゅー』から)。
この呼称などのリニューアルは、今までよりもより順調なブランド化を形成する事を意識して行われたものであり、もしも10年を越えて続けることができれば初代を見ていた世代が成長してブランドを支持するようになり、特撮ジャンルでは「戦隊」や「ライダー」と肩を並べられるブランドになれる可能性は十分に期待される。(2022年6月で5作目まで続いた。現在は「一時停止中」としており、ウルトラシリーズや昭和ライダーに見られるようなシリーズ作品の一時停止と再開を繰り返す可能性は一応残されている)
詳細は当該項目に譲るが、原則一年ごとに新作に更新されるプリキュアと同じ制作体制で、非常に手堅いフォーマットを持っていてシリーズが別の作品に変わっても「同じシリーズ」と小さな子供でもわかりやすい。かつ、シリーズ全体に共通する作風は他の番組にはない独自のものとして子供だけでなくその親にも受け入れられるようになっていっている。
ジャンルの類型
戦闘美少女
主に『美少女戦士セーラームーン』の発表以前および直後、特に同作が成立したことによって、それまで存在していた各分野からカテゴライズ(ジャンル)移動された各作品を指して称するジャンル。
ジャンルとは言うが「女の子が戦う」という方向性以外に具体的なコンセプトが何も明示されない。
そんな認識の下に設定されたジャンルなので、作品コンセプトとしてファンタジーからSFからスポ根から時代劇からスパロボから、女の子が何らかの形で戦ってれば、なんでもアリだったり。(戦いが主要要素に無い作品であっても、である)
最終的にジャンルそのものがこれってジャンルって言えるのか!?とツッ込まれかねないカオス状態を呈している。(その懐の深さそのものがジャンルの特徴とも言えるが)
ただ現在ではピンと来にくいが、女性キャラクターが戦うというのはかつてはフィクションの世界では腫れ物を触るように避けられていて、上述のように1980年代に入ってからいきなり大量発生している。「女の子が戦うようになった」というただそれだけのことは、日本のサブカルチャー史を長期的に俯瞰するときはさけられない「重要なイベント」なのである。戦闘美少女という「ただ女の子が戦うというだけ」キャラクター類型はそのイベントを語るためには必要な概念なのだ。
キューティーハニーからセーラームーンまでの長い空白期には、やはり「女性キャラが戦うことへの忌避感」が時代的にとり払われていなかったからだという分析もある。
ゆえに、この類型はオタク文化史の研究書ばかりに出てきて、現実のファンの間でのジャンル分類・キャラクター類型に使われることは少ない。
美少女戦士物
前述した『美少女戦士セーラームーン』の登場と、そこから起こった『愛天使伝説ウェディングピーチ』の派生によって成立し、『プリキュア』にまで続いている一連のジャンル。現時点においては、通常「バトルヒロイン」と言えば、このジャンルを指す。
大まかな共通コンセプトとして「(表向き)平和な世界に生きている」「普通の非力な女の子が」「何らかの特殊な超常の力を得て」「常時とは異なる姿に『変身』し」「自身の平穏な日常を守るために」「(同じ力を持っている)友達と力を合わせて」「日常を脅かす敵の組織と戦う」という流れを持っている。(無論、多少の例外は存在する)
近年では深夜アニメの台頭により単に女児向けだけではなく『戦姫絶唱シンフォギア』など高年齢層を対象にした作品も作られている。
より直近の現在においては青年向けの作品における美少女戦士物は下記の「戦闘魔法少女物」に属するものが優勢である。
戦闘魔法少女物
美少女戦士物が、その特徴を残したままで魔法少女ものに先祖がえりを起こしたと言えるジャンル。
下記に詳しいがもともとはギャグパロとして生まれたジャンルで1995年の『魔法少女プリティサミー』(天地無用!のスピンオフ)がジャンルの類型を作ったとされる。その後には『魔砲少女四号ちゃん』(成恵の世界の劇中劇)が一部でわずかながらも密かな注目を集め『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』(ソウルテイカーのスピンオフ)も登場してギャグパロの定型として発展するが、2004年の『魔法少女リリカルなのは』(とらいあんぐるハートのスピンオフ)がギャグパロ要素ではなくバトルアクション要素に対して人気が出たことで、ジャンルに対する認識が一変された。
そして2011年にはギャグでもパロディでもないオリジナル作品として企画された『魔法少女まどか☆マギカ』が登場。アニメファンだけでなくサブカルチャーの論壇も沸かせ、時代を代表する作品としてヒットした。それをきっかけにアニメ、ライトノベル、コミックなど様々な分野で「パロディやスピンオフではないオリジナルの青年向け作品」としての魔法少女ものが次々に作られるようになり、現在ではニッチながらも青年向け作品の中では1つの明確なジャンルとして確立している。
ジャンルの登場当初は(ギャグパロが主眼に入っていたがゆえに)全くそうでもなかったが、近年(特に2010年代以降)の傾向的にはダークファンタジーの方向性の作品が多くなり、青年向けの作品の中で「魔法少女」がタイトルにつくと、過剰にハードな展開を繰り広げる作品になりやすいとも言われている。
これは「魔法少女」というワードにファンシーなイメージがついて回るのを利用してギャップを狙ってるからでもある。
このジャンルのほとんどの作品において魔法少女たちはステッキや指輪など何らかの象徴的な固有のアイテムを持たされるが、一方でコスチュームの変身要素などは導入されないものも結構ある。その点でバトルヒロイン路線とは異なっている。
このジャンルが成立した背景には、1990年代後半からから2000年代までの青年向け作品のスピンオフ企画に「本編の登場キャラクターを使って魔法少女ものを描く番外編」がやたら多かったことがある。
というのも魔法少女というワードからもたらされるイメージや雰囲気(=小さな女の子が玩具っぽいステッキ振り回して魔法の呪文を唱えると素敵なことが起こるというもの)は、その当時においては性別を問わずに広く共有されており、その上で青年向け作品の雰囲気とはかけ離れていたので、スピンオフのパロディ企画として作りやすかったのである。つまり元々が「お祭り企画なんだし、力の抜いたバカをやりたいなぁ」という産物だったのだ。
(余談だがそれ以前の時代においてはスピンオフに限らずパロディ企画の定番といえば「昭和風」の「戦隊もの」や「ロボットアニメ」のフォーマットを用いたものだった。解り易いところで言えば、それこそスピンオフではないが『機動戦艦ナデシコ』の劇中劇である「ゲキ・ガンガー3」などが挙げられる。また、実は上述した『愛天使伝説ウェディングピーチ』も作者が作者なだけにメディア収録の特典映像として「愛天使ロボ」や「愛天使戦隊」という公式が病気にもほどがあるパロディ企画をやらかしている)
そしてそのようなパロディ企画としての魔法少女ものの多くがバトルものと組み合わされていた。これはバトルに落とし込めばストーリーが弱くても「効果で魅せる」事が可能になり、お祭り企画ならではのケレン味が出て、アニメーターとしてもその方がスキルを存分に活かせるためである。
なお、魔法少女にバトルを組み込むという発想はセーラームーンの影響下にはあるが、セーラームーンがまだ新しいものだった時代はさすがにセラムンをストレートにパロディはしにくかったので、より「懐かしさ」がある「魔法少女」というフレーバーを前面に押し出したという理由もある。
このジャンルは上述したように2010年代頃からパロディではなく独立したジャンルとなっているが、その背景として、2000年代後半からは一般向けの作品で「魔法少女モノの作品」を正面から名乗るものがほぼなくなってしまったので、パロディとして使うにも古臭いイメージになりすぎてるというのが大きい。
しかしそれでも『なのは』と『まどか』の二大作品に影響を受けたより新しい世代がそれらをオリジンとし、それを共有することでオマージュが作られ続け、パロディ目的ではない独立したジャンルとして確立したのである