ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

閲覧時の注意

まず前提として、セカイ系という言葉の定義は曖昧であり、これが正解だというものは存在しておらず、定義が不明瞭なバズワードである。その認識は各人によって微妙に異なるものであることに留意しておかねばならない。

その上でセカイ系とされる既存の作品群に共通する特徴から大雑把にまとめるならば、主人公達の行動・心理・関係性が、本来ある筈の中間領域である『社会』をすっとばして、そのまま上位領域たる『世界』の在り様や命運を決定する」ような構造を持つ物語と言ったところ。あくまでも一面的な説明であることに注意されたし。

特徴

評論家の東浩紀らが執筆した書籍『波状言論美少女ゲームの臨界点』編集部注釈の定義では「主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」となっている。

また同じく評論家の前島賢の書籍『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』では「『君と僕との関係が具体的な中間項を抜きにして世界の運命と直結云々』というのは後付の定義であり、元は『エヴァっぽい(=一人語りの激しい)作品』を指すための造語」とされている。

「なんらかの要因によって「世界の危機」ととれるような事態が起こり、(結果的に)世界の行く末を左右することができてしまうごく少数の者たちの行動や心理を描いた作品」であることが多いが、この他にも

  • 単純に世界を個人の意思でコントロール可能なものとして捉えている作品
  • 「世界の危機」をストーリーラインに据えつつも、主人公達の自意識の問題をメインテーマとして扱っている作品
  • 主人公の現実認識(自分語り)がそのまま作中世界の世界観に短絡している作品
  • 一見すると規模は小さいが実は世界の存亡に関わる問題が主人公達の身近な場所で起こり、それに対処するべく主人公達が小さな冒険を繰り広げる作品

等を指すこともある。

概ね「ゼロ年代前半に流行ったものを無理やり一つの概念で纏めようとしたもの」と考えればよく「エヴァンゲリオンっぽい」もしくは「keyのギャルゲーっぽい」あたりがパブリックイメージに近いだろうか。

いずれにしても主人公とその周辺のみで完結する極めて狭い「セカイ」の中での出来事が、抽象的なものも含めた「世界」規模の事象に直結する、または拡大解釈されるのがポイントである。

セカイ系が扱う「世界」の規模は作品によって異なり、宇宙地球といったスケールの壮大なものから、学校、果ては家族友人恋人といった主要キャラクターの日常を司るコミュニティだけを定義したものまで様々に存在する。

また狭義の意味では、物理的ではなく観念的・抽象的なものを含むこともある。もっとざっくり言うならば、「ぼく(主人公)が知っている世界だけをまとめたものが『セカイ』」ということになるだろうか。

RPGで例えるならば、世界を救う勇者は魔王を倒すために各地を回ることなく、最初の村(『ポケットモンスター』でいうところのマサラタウン)から出ようとしない。ことによっては家からも出てこない。

ここでいう「最初の村」とは勇者が所属しているコミュニティのことであり、勇者の家とはコミュニティの最小単位、すなわち家族・友人・恋人のことである。世界の危機とは「最初の村」の崩壊と同意義であり、伝説のアイテムも倒すべき魔王も村の中に存在している。そんな非常にこぢんまりとした大冒険がセカイ系の物語である。

乱暴な言い方をしてしまえば、恋愛友情・人間関係・トラウマの克服・自己実現等といった、当事者達にとっては重大な(だが、赤の他人から見れば実にどうでもいい)個人的問題や危機感を、「世界の在り方」という他者を巻き込む誇大な命題と直接シンクロさせ、なおかつ思い切りその純度を高めた類型、団塊の世代以前の作り手が重視していた政治性の否定だとも言える。

物語構造としては主人公の直面している個人的問題こそが「世界」を終わらせるのであり、実体的に世界を終わらせる存在が何なのかはマクガフィンに過ぎないため、より先鋭的な作品によってはなぜ世界は滅びるのか、誰が世界を滅ぼそうとしているのか語られない物すら存在する。

なんなら「ぼくが好きなあの子にフラれたので、世界は滅亡します」という極端なレベルにまで短絡してもなお物語としては成立し得る。

ゆえにその構造上、「登場人物の主観のみに焦点が置かれ、客観性が欠落している」「世界という元来は壮大で複雑な題材の矮小化」「視野偏狭で独善・自閉的」といったマイナス面が指摘される場合もある。

また、セカイ系的作品においては「主人公達が人間的に成長して良好な関係を構築し、自分の『セカイ』を肯定(或いは打破)することで『世界』が救われる」、つまり、個人の自我の回復と世界の救済を同一視する展開が多々見られるため、「自己啓発的で宗教くさい」と揶揄されることもしばしば。

しかし、セカイ系作品を観賞するにあたって重要なのは「主人公のセカイに没頭する」ことであって、隅から隅まで世界観の全貌を知りたい人や純粋なストーリーとして作品を楽しみたい人など、世界像や設定も含めた物語全体を俯瞰してみるタイプの人にはそもそも向いていないジャンルと言える。

受け手に深く登場人物の内面描写に接してもらう、あるいは受け手が物語世界の一部になったと感じるよう誘導するためにあえて主人公の周辺までの描写しか描かないのが特徴かつ人によっては欠点でもあり、そもそも世界観や周囲の描写の少なさに突っ込むこと自体がはっきり言って野暮な事である。

どれだけ壮大な世界観を持ち、その裏でとんでもない事態になっていたとしても、その作品にとって重要なのはその中心にいる僅かなキャラクターたちの内面描写であって、決して物語世界の行く末やその他の人々ではないという前提を、何なら触れる前から理解しておく必要がある。

このように、比較的メジャーなジャンルでありながらその実かなり人を選ぶジャンルなのがセカイ系なのである。

背景

「セカイ系」という言葉の初出は正確には不明だが、2002年末頃にジュブナイルポルノ作家・ぷるにえこと槻矢いくむが運営していた『ぷるにえブックマーク』というサイトで現れたとされる(当時のサイト)。ここでは否定的な意味合いで使われており、逆に非セカイ系の『おジャ魔女どれみ』が持ち上げられている。

というわけで当初は「個人の価値観・思想を『世界』という言葉で大げさに表したがる傾向」のある作品を揶揄するための語だったが、徐々に「登場人物の行動や心理・思想・関係性の如何が、『世界の危機』『この世の終わり』といった事象に密接に関係する」作品を表すようになった。

槻矢氏が2021年に自身のtwitterで語ったところによると、「セカイ系、という言葉は、今でいうところの「あるある」です。アニメやマンガやゲームの物語や演出によくある類型のひとつ。少年と少女が出会うラブロマンスに世界の存亡が掛かるほどのスケールの大きな出来事が関係するというアレです。」とされている。

時代背景としては、冷戦終結から同時多発テロ事件・イラク戦争頃まで続いた、これから先「世界」が変わるようなことはもう無く「歴史の終わり」が来たという風潮、オウム真理教事件や酒鬼薔薇事件に加え平成不況による陰鬱ムードといったものが挙げられやすい。

セカイ系のクリエイターは1960年代生まれとその周辺が多く、戦前生まれ~団塊の世代クリエイターの社会中心の作風に対するアンチテーゼともいえる。

セカイ系というジャンルへの認識を一般化させたのは1995年のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』であるという見方が強く、実際、『エヴァ』以降にはその影響を強く受けたであろうセカイ系的な作品(いわゆる『ポスト・エヴァ』)が、雨後の筍の如く制作されるようになった。

これは『エヴァ』が分類上はあくまでロボットアニメでありながら、その実主人公の葛藤や自尊心などの精神面をメインとして扱った作品であったためであった。

ストーリー上でも敵である使徒が登場せずに主人公・碇シンジや周辺人物の葛藤を描くだけのエピソードがあったりするなど心理描写が重視され、またラスト2話についてはそこまで積み上げてきた伏線をすべて投げ捨てひたすらシンジをはじめとするキャラクターたちの内面描写のみが続き、最後はシンジが自分の居場所を見つけてハッピーエンドという視聴者の度肝を抜くものであった。

ラスト2話を補完する劇場版ではきちんとそれまでのストーリーにつながる話が公開されたものの、その中で世界はシンジの乗るエヴァによって滅亡し、しかし、シンジの「またみんなに逢いたい」という心の中の葛藤によりごくわずかな人々が生き残るという悲劇的なものであった。

これをセカイ系というジャンルと重ねてみると、シンジとその周辺のみで世界の危機が展開し、シンジの心情によって世界が滅ぼされたり一部再生されたりと、シンジと世界の危機が非常に密接にかかわっているといえる。

この辺からエヴァの影響を受けた作品がセカイ系だ、という説もあるが、エヴァは当時の流行もふんだんに取り入れた作品であり、従って「エヴァっぽい」と言える要素はそれ以前にもそれ以降にも無数に流れとして存在しており、直接的なエヴァの影響だと断言はしにくく、軽率にそれをもってセカイ系認定するのは難しいと言える。

またエヴァの作中ではシンジがクラスメイトからの反発を受けたり主人公が属する組織の他国支部の動きが描写されたりなどもしており、「きみとぼく」からセカイ間に挟まる社会のような中間項が無い構造をしていると言うことは難しく、更にはシンジとレイアスカといったヒロインたちの自意識の問題はそれぞれ個人の中で完結しており、つまり「きみとぼく」の「きみ」にあたるキャラクターも存在していない。

ついでに言えば「きみとぼく」だけで自己のセカイを完結させようとしているキャラクターは主人公であるシンジよりも「世界を犠牲にしてでも亡き妻に逢いたい」という願いを持つその父親・碇ゲンドウの方が当てはまる。

一方、「きみとぼくのセカイ」+「世界の危機」という構造は、ギャルゲーエロゲ含む)特有の手法として現れたとする見方も存在する(奇しくもエヴァブームとギャルゲーブームはその時期をほぼ同じくし、共に1990年代後半のオタク文化を席捲している)。

涼宮ハルヒの憂鬱』を筆頭に2000年代後半も影響力を持っていたセカイ系だが、このハルヒをきっかけに起きた深夜アニメブームによって、深夜アニメがコアなオタク層からライトオタク層に拡大。ライト層はセカイ系のような面倒な作品をそれほど好まず、日常系や王道バトルものを支持したため、徐々にセカイ系の退潮が発生、2000年代末には萌え系日常系等に押され気味になる。

それでも2011年にはゼロ年代セカイ系的要素の大集合ともいえる『魔法少女まどか☆マギカ』がヒット。しかし、非ロボアニメのセカイ系の完成形ともいえる本作の登場でネタ切れに近い状況になってしまい、加えて異世界転生というセカイ自体を最初から拒絶するジャンルも普及。2010年代以降は、かつてのように毎年毎クールと量産されることは少なくなっている。それらの作品に押し流されジャンルとしてはすでに消滅しているという意見もある。一方部分的にでもセカイ系的と解釈しうる作品については未だ数多く作られており、見方を変えるならば、セカイ系的要素は既に特筆しなくてもいい程に一般化・陳腐化して浸透していったとも言える。

2010年代にはいると、上述のギャルゲー業界出身である新海誠作品が台頭してくるようになり、オタク層の間では流行が去ったセカイ系が一般層の間で支持を得て、「きみとぼく」と世界の関係という構図が再び注目を浴びるようになった。

新海本人は「『セカイ系を作っている』という意識は、昔から特になかったんです。いま一番気になっているテーマや、みんなが共有していると思うような気持ちを描いたことが、結果的にそう言われている」とし、リーマンショック東日本大震災の前は終わりなき日常が永遠に続く感覚があったため社会の存在感が薄かったのだろうと述べている。

定義の難しさ

既述の通り、オタク文化圏においてセカイ系への認識が一般化したのは90年代半ば頃ではあるが、「セカイ系的」な構造や要素を含む作品は、それ以前の遥か古くから少なからず存在している。

さらに言ってしまえばセカイ系的な世界観はセカイ系固有のものというわけではない点にも留意しなければならない(そもそも嚆矢とされる『エヴァ』自体が過去の様々な作品からの引用オマージュパロディによる記号の集積で構成された作品である)。

例えば「主人公の自意識の範疇に映る『セカイ』だけを切り取って、まるでそれが『世界の全て』であるかのように描き出す」というセカイ系の根本的な文法一つとってみても、これはアニメ・漫画のみならず、古今東西の創作物で散々使い古されてきた表現型である。

海外ハードSF小説で流行ったいわゆる人間原理(観測者の存在・認識が宇宙の在り方を確定するという考え方)ネタ等は実にセカイ系的なアイディアであるし、個人の在り方と世界の在り様の直結という類型も、世界各地の宗教説話や神話を考えれば明らかなように、世界に対する認識がまだ狭かった中世以前の文学作品にも数多く見られる。

見方によっては、ロボットアニメ異能バトルもの特撮ヒーローもの・学園ものループもの新日常系あたり等は、ジャンルそのものがセカイ系的と解釈し得る構造を内包しているとさえ言える。

セカイ系の名を世に広めた一人である東浩紀自身も 「『自意識と世界の果て』というモチーフ自体は、ある意味で文学の基本テーマそのもの」 と述べており、こうしたセカイ系をセカイ系たらしめる決定的な独自要素の不在もまた、セカイ系の定義を難しくしている一因でもある。

最後にひとつ。外部リンクを参照すればわかるが、「セカイ系」というのは学術的な話もできてしまうような捉えどころのない曖昧なシロモノであるため、ピクシブ百科事典で扱うには少々難儀な項目であると言わざるを得ない。タグが存在すること自体がちょっとした不思議である。

セカイ系的世界

多感な年頃の少年少女が主役に据えられることが多く、かれらの心の揺れ動くさま、何ならその場の感情や勢いで決めた選択が、世界の明日をも左右してしまうため、作中に存在するであろう「その他大勢」の人々にとってはたいへん優しくない世界が出来上がることも多い。

鑑賞する際にいくらか憂鬱になる覚悟を決めておくべき作品もあるだろう。

物語の中で起きる主要な事件は大抵が主人公の周囲でのみ起こったりするため、モブキャラたちは物語の展開に関与(あるいは関知さえ)することなく、ただ主人公らが選択する未来を叩きつけられるだけの、非常に希薄な存在となる。

たとえ作品のスケールが地球規模だとしても、特定の場所(日本の地方都市とか)でばかり事態が進展して、首長や元首、国際機関といった世界の危機に本来立ち上がるべき人々のことはまるで描かれないというケースもある。

このジャンルにおいて、主人公が顔も名前も知らない人々はいないのと同じなのである。

また、セカイ系において肝要なのは「主人公達の『セカイ』の救済」であって、必ずしも『世界』そのものの救済がそれとイコールとなっているとは限らない。

「世界は滅びちゃったけど、ぼくらのセカイは救われたからハッピーエンド、或いは逆に「世界は救われたけど、ぼくらのセカイは壊れたのでバッドエンドというような、いわゆるメリーバッドエンドオープンエンド)的な結末を迎える作品も少なくない。

セカイ系と分類する際の注意点

繰り返すが、セカイ系は正解とされる固定的な定義を持っておらず、セカイ系的とされる特徴も決してセカイ系固有のものというわけでもない。「なんかセカイ系っぽい」という、ぼんやりとした枠が存在するだけと言ってもいい。

セカイ系的な特徴が表層のごく一部分しか無いにもかかわらずセカイ系として扱われる作品もあれば、逆に明らかにその構造にセカイ系的な特徴を多く含んでいるのにセカイ系と呼ばれない作品も多数存在する。

例えば、セカイ系的とよく言われる「主人公達の身近なところで世界の危機に直結する事態が起こるが、警察や軍隊のような本来それに対処すべき社会装置の存在感が希薄で、主人公達が日常生活を送りながら対処する」という類型を持つ作品がそのまま全てセカイ系であるとするならば、有名なところで言えばプリキュアシリーズなんて全部セカイ系ということになってしまうが、それを納得する人は少ないだろう。いわゆるそのようなホビアニの様式では一種のセカイ系的展開になりがちだが、一般的なホビアニ主人公のような「俺は/私は世界を救う!」という真っ直ぐなノリ(もちろん例外もあるが)だけでは決していかない、そんな作品こそ一定数の人が納得する「セカイ系作品」になるといえる。

それと並行して、セカイ系作品が少ない他の同ジャンル・同作家による作品と比較したうえで生じた「この作品はシリーズにしては珍しくセカイ系に近い物語構造である」といった意外性も、「一般的なセカイ系的イメージ」とは関係なくその作品の「セカイ系としての評価」に加味されたりもする。

例を挙げると、スタジオジブリ作品を一通り鑑賞している経験があれば、他のスタジオジブリ作品と同じく社会的背景が強く描写された『ハウルの動く城』や、心象描写が重視されない『崖の上のポニョ』であっても、作中の展開などにより「これはジブリ版のセカイ系だ」と実感する人も少なからず存在する。

極端な話、セカイ系的な特徴を持つ作品があったとして、よほど極端なものでない限りはそれをセカイ系か否かかを分類するのは個々人の感覚に委ねられていると言っても過言ではない。逆に言えば、セカイ系に対する認識が自分とは異なる誰かとのセカイ系についての議論は、ほぼ間違いなく不毛な結果に終わるということでもある。

もともと批判用語であったため、セカイ系という語をネガティブなものとして捉えている層も存在しており、中にはその作品を非難するためのレッテル貼りとして使用する者もいる。

確かにセカイ系的要素はそのままマイナス要素として解釈することもできなくもないため、作品の批判材料とすることも可能といえば可能ではあるのだが、現状「セカイ系」という語は、あくまでも物語類型の一呼称に過ぎないと思っておいたほうが良い。

セカイ系はもともとアンチ用語として作られたが、一方でコアなオタク層や批評家からは最も好まれるジャンルであるという二面性を持っている。

「セカイ系だから嫌い」ならば個人の好みの問題だが、内容や構成の吟味も無しに安直に「セカイ系だから駄作」と決めつけてしまうのは些か早計と言わざるを得まい。

ただし、きちんと方法論的に構築されている場合はともかくとして、描写不足や作者の知識不足等の理由によって、意図せずセカイ系的になってしまっている場合は普通に批判の対象になり得る。

しかし基本的に今となってはセカイ系という言葉は昔ほど批判的な意味合いが薄れている風潮にあり、主にファンや評論家たちが作品に感じた「セカイ系らしさ」への感覚を情緒的に強調するための専門用語のようになっている。

それでも、単純認識として定着しがちな「ロボットアニメ」「異世界転生」といった一般的な作品のジャンル分けとは明らかに一線を画すため、よほどセカイ系の概念に精通してない場合ただ人々を戸惑わせるだけの言葉になりがちであり、先述した「他人のセカイ系的認識との違い」による軋轢も発生しうるので、そもそも安易なジャンル分けに使うのは少々危険であるという前提を持っておくと良いだろう。

結局のところ、ある程度感覚が近い人同士で、節度を持ってその概念やワードをそれぞれの感覚で定義を共有し、それ以外の理解しがたいものとは適切な距離を保つことこそが「社会領域を挟まない」というセカイ系的世界観ともつながる本質的かつ安全な楽しみ方かもしれない。

セカイ系と分類されることがある作品

以下の記事にて詳しく紹介している。

セカイ系とされることがある作品一覧

関連タグ

物語 世界 エンターテイメント

エンターテインメント作品のジャンル一覧

ボーイミーツガール 世界再編成エンド 伝奇 ループもの ロボットアニメ ダークファンタジー 鬱アニメ ハートフルボッコ 学園もの ギャルゲー:セカイ系と親和性が高いジャンル・作風に関するタグ。

日常系 空気系 異世界転生:セカイ系の退潮とともに流行。苦悩する氷河期世代から諦めるさとり世代へのシフトとも捉えることができる。

新日常系:日常系とセカイ系の習合形態。

ファウスト系:派生ジャンル

新海誠 Key 虚淵玄 新房昭之 河森正治 株式会社サテライト ガイナックス 庵野秀明 ボンズ スタジオコロリド 上遠野浩平 麻枝准 岡本倫 鬼頭莫宏 宮沢賢治:セカイ系を得意とする作家・制作会社など。

関連動画

コメント

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

pixivに投稿された小説

すべて見る
  • 星空の漫才

    目を覚ますと地球には俺とミドリしかいなかった。星空の下、最後の漫才。
  • 幻想粉雪

    幻想粉雪(1)

    どうも綱垣真尋(ひなもんじゃ)です。今回は高校時代に夏鎖芽羽さん(blog:http://blog.livedoor.jp/you1869/)と共同書いた小説を焼きまししてこのたびpixivに載せることにしました。しかしあれですね、タッグで書くときは大体彼が脚本、私が設定と地の文を書くという風に建前上はなっているのですが、かなり彼に依存した作品になっているような気がします。そんなことはどうでもいいといえばそうなんですが。 ちなみに一応自作の小説を次回はちゃんと載せたいと思います。ええ。絶対やります(やる確証があるとはいっていない)。では、このへんで。
  • オリジナル

    オリジナル小説

    本当に題名が決まってない。決まったら変える。■全くキャプションの所に内容アップする所だったぜ危ない危ない■厨二病末期感しか溢れてこない。一体全体どうなっているんだ■ポケモンのシリーズ(?)はしばらく更新無いと思うよ■小説用ブログに同じのあるから!■実はこれ、全部前フリなんだ…
  • 誰が為に在る世界

    第1話「生きる」

    未だに設定やら内容やら方向性がはっきりとしていない作品です。◆主人公は、何らかの暗い過去を持つ十数歳の少年。◆ジャンルは、セカイ系雰囲気モノ。
    14,793文字pixiv小説作品
  • 電波1ー私の望む世界

    大学の始めに友人たちとネタで電波を書いたものです。なのでマジレスはご勘弁ください。また私は打たれ弱いので、誹謗はよして下さいね。   本当に必要なモノは語らいだと思う。互いに影響しえない「他者」は音楽でも恋でもない。それはただの「音」という名の物理現象、波であり。「恋や愛」と粉飾した、肉欲に他ならない。青臭いですね。現実を知らない私にはこんな観念的なことしか言えない。
  • 物語シリーズ

    死声問物語

    物語シリーズ3作目です。 高校時代、何を考えてこのシリーズを書いたのかは覚えていません。 けれども、内容は何も悩まずに、スラスラと書けたのは覚えています。
  • 殺戮人形の苦悩 ~デウスエクスマキナ前日譚~

    第5話 存亡大戦のお話

    今日は調子が良かった。 たった一日で書き切ったぜ。 誰か僕を褒めて。
  • アカツキに散る空花

    アカツキに散る空花 五

    神国『暁』を襲った大規模な空鬼との戦闘……通称『赤空の戦』から十年。  十メートルの対空鬼用戦闘兵器「天衣」に乗り込む操縦士達も次の世代へ移ろうとしていた。  神剣の力を引き継ぐといわれる「英傑」の二人も成人に達し、暁の象徴である「神栄天衣」に選ばれる。  そして二人の参戦を待って、今ここに鬼達が湧き出る「黄泉岩戸」を封じる作戦が始まった――。
  • 世界の話

    夜王子と月の姫

    世界で一番好きな曲GOING STEADYの「夜王子と月の姫」を脳内変換した作品 自分の世界観の根幹になる作品です 世界の終わり来ても僕らは離れ離れじゃない 世界の終わり来てもきっと君を迎えに行くよ
  • 【数字松】「世界は弾けて砕け散る」

    数字松のセカイ系です あんま深く考えずにばーーっと書いたので、どこかが絶対おかしいですが、気にしたら負けなのです
  • セイフク少女

    制服少女

    新シリーズです。 女子高生が世界征服を実現する為、全世界と戦う物語。 ※雑な文章注意 ※ご都合設定注意
  • 殺戮人形の苦悩 ~デウスエクスマキナ前日譚~

    第7話 アルガーの過去

    これまでのあらすじ  この物語の主人公アルガーは、突然世界政府の騎士達に誘拐されてしまった。  しかも、連れ去られている最中、世界政府正騎士団を影帝国の軍団が奇襲してきた。その結果アルガーは影帝国に囚われてしまう。  影帝国のアジトでは奇妙な科学者の実験体にされかけたが、アルガーは自分の育て親兼英雄であるフェロースに助けられる。  その後、教会連合という勢力がアルガー達を守ってくれると言ってきたため、彼らは話に乗った。しかしそれは罠だった。  教会連合は世界政府と対立していて、教皇はアルガーを政略の道具に使おうとしたのだ。  こうしてアルガーはまたもや窮地に立たされた。そんなアルガーを救ったのは、アルガーの義理の姉グラティアスだった。  グラティアスはアルガーと一緒に魔法の箒で逃亡を続ける。  しかし、その逃亡にも限界は来てしまう。魔法の箒を操るための魔力が尽きてしまったのだ。  そんな中、アルガーはあることを思いつく。それは自らの能力の封印を解くことである。  グラティアスは過去フェロースにアルガーの封印を解くための鍵を渡されていた。それを使って封印を解き、自らの封じられていた能力を使って窮地を脱しようというのだ。  こうした思いからアルガーは封印を解いた。  しかしその反動でアルガーは眠りについてしまった。  深い眠りの中、閉ざされていた過去の記憶が蘇ってゆく。  アルガーは眠りの中、過去の記憶の旅を始めた。  時は26年前に遡る。  そして今、謎として隠されていたアルガーの過去と特異存在の意味が全て明らかになる。  第7話 デウスエクスマキナ 〜舞台仕掛けの神〜
  • 殺戮人形の苦悩 ~デウスエクスマキナ前日譚~

    第3話 選択の時

    1話2話の「レグルス」は「フェロース」に改名しました。 ご迷惑おかけして申し訳ない
  • アカツキに散る空花

    アカツキに散る空花 終

    神国『暁』を襲った大規模な空鬼との戦闘……通称『赤空の戦』から十年。  十メートルの対空鬼用戦闘兵器「天衣」に乗り込む操縦士達も次の世代へ移ろうとしていた。  神剣の力を引き継ぐといわれる「英傑」の二人も成人に達し、暁の象徴である「神栄天衣」に選ばれる。  そして二人の参戦を待って、今ここに鬼達が湧き出る「黄泉岩戸」を封じる作戦が始まった――。
  • プロット置き場

    文化祭で文芸部部長として忙しくしたり、受験生として休んだ授業に追いつくために必死になったり……。そんなこんなで、また1ヶ月半もの放置。しかし、月曜からは期末試験で『S☆SプリキュアFairy×Friends』の続きも描けそうにないのです……。ごめんなさい、本当にごめんなさい。そもそも、作品の更新をまだ期待し続けて頂けているかもわかりませんが、ともかく謝ります……。そして、生存報告として一応の更新。              ①プリキュア好きのオレたちが事件を解決する話。 ②両手いっぱいの贈り物 ③19番目の被害者 ④アイして ⑤Night-Poker ⑥絶空と開演 ⑦To be continued...
  • I-CE-AGE

    heaven's feel

    あいすえいじのスピンオフに近いナニカ。やっつけクオリティです
  • セイフク少女

    女子至上主義

    第二話です。 早くも世界征服のための部を設立した詩乃。 女子至上主義とかいう狂気的な思想を持ち、それを全世界へ広める事を一つの目標として世界征服を企む女子高生達。 「女子至上主義」って、女子が男子に何しても許されるんですからねえ......ドMホイホイには最適ですよ()
  • 「わたし」がいっぱい

    毎日誰かが自殺する鬱屈な日常――そんな世紀末。私はただの高校生でありたかったのに、セカイはそれを許してくれない。私は全ての他人が同じ顔に見える狂人――だった。冷たい冬の空の下、私は彼女と出会う。たった一人、違う顔に見える歳が同じくらいの女の子。ねえ、あなたは狂った頭の見せるきらびやかなまぼろしなのかな。「ちがうよ」と彼女は言う。「わたしたちは八十年前に出会って、けれどその理由も記憶もわからないままなんだ」そして彼女は魔法をかける。彼女は不思議な力を使える。人の心に潜って、記憶を引き上げて体験させる力。例えそれが、私の知らない――知っているはずなのに、忘れた記憶であろうと。「さ、八十年前を訪ねよう。あの夏、私だったものと、あなただったものが出会った記憶。知りたいよね。私達がおかしいのか、セカイがおかしいのか」 そして私は知る。このセカイのひみつ。私達の正体。 ◇ 2089年だというのに、2000年代とほとんど変わらない景色の未来。高校生の藍羽アゲハは他の人と世界の見え方が違うことに辟易していた。彼女は全ての人間が同じ顔に見えていた。その顔は80年前に歌で一世を風靡し、謎めいた死を迎えた少女、雨月イザナのものだった。 自分は他の人とは違う。同じ世界で生きていていない。その思いのせいで、幼馴染の浅野愛実の事を友人と思うことができず、かつての親友だった一ノ瀬一花とは仲違いしたままだった。 ある日、アゲハは初めてイザナでない顔の持ち主と出会う。彼女の名前は凪原七未。彼女は他人の心の中を覗き、記憶を映像として見せる不思議な力の持ち主だった。そして七未は言う。自分は元々雨月イザナだったが、何故か全く違う容姿と性格になってしまったと。そして彼女曰く、アゲハの正体は80年前にイザナの親友だった少女、遠野アゲハだという。自分の正体を知るべく、アゲハと七未は協力することにする。 しかし調査は難航し、なかなか真実が見えてこない。その最中、アゲハはかつて大喧嘩を起こし、仲違いしていた一ノ瀬一花と再会する。彼女との対話の中で関係は回復したもののアゲハは一ノ瀬と喧嘩したトラウマが忘れられず、所詮自分は頭のおかしい人間なのだと諦念する。 翌日、クラスメイトの浅野愛実が突然「自分こそが雨月イザナである」と告白する。イザナは七未と同じ力を持っていたが、より危険な使い方をしていた。イザナは全ての人間の心を覗き、自分と同じなるように心を書き換加えていた。自分が死亡するたびに他の人の精神に眠る自分を目覚めさせ、80年間生きながらえていた。そしてアゲハはイザナに監禁されるが、一花によって助け出される。 一花は自分の中にあるイザナの人格に気付いたとアゲハに伝える。そして、その記憶の中にあった真実を伝えた。全ての人間がイザナなのだから、全員が同じまぼろしを見ているならそれは存在しているのと同じだと。アゲハは、イザナの見ているまぼろしだった。ショックを受けるアゲハ。そして一花は、自分の中にあるイザナの人格によって発狂し、学校の屋上から飛び降りてしまう。 アゲハは心に傷を負いながらも、イザナによっておかしくなった世界を終わらせる覚悟を決める。七未の力によってアゲハは自分の記憶の中の遠野アゲハとの対話を果たす。その末に、80年前に何がイザナを狂わせたのか知り、自らは藍羽アゲハと遠野アゲハの人格が融合した存在になる。 アゲハはイザナと邂逅し、イザナが世界を滅茶滅茶にしてしまうくらい狂っていること、狂わせたのは自分が80年前に自殺したからであること、七未はイザナの良心の部分であり、イザナが狂うためにに分離した存在であることを伝える。 最後にアゲハはイザナに謝罪する。謝罪を受け入れたイザナは、全ての人間の精神を元に戻した。全てを終えた二人は死を受け入れ、この世を去る。 その一瞬の狭間で、アゲハとイザナは走馬灯を見た。走馬灯の中では、藍羽アゲハが七未の歌を聴いていた。走馬灯の終わりとともに、イザナのまぼろしだった二人は世界から消える。
    119,404文字pixiv小説作品

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

セカイ系
61
編集履歴
セカイ系
61
編集履歴