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セカイ系

せかいけい

創作作品のジャンルの一つ。
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概要

まず前提として、セカイ系という言葉の定義は曖昧であり、これが正解だというものは存在しておらず、各人によって認識が微妙に異なるものであることに留意しておかねばならない。

その上でセカイ系とされる作品群に共通する特徴から大雑把にまとめるならば、「主人公達の行動・心理・関係性が、本来ある筈の中間領域である『社会』をすっとばして、そのまま上位領域たる『世界』の在り様や命運を決定する」ような構造を持つ物語と言ったところ(あくまでも一面的な説明であることに注意されたし)。
「なんらかの要因によって「世界の危機」ととれるような事態が起こり、(結果的に)世界の行く末を左右できてしまうごく少数の者たちの行動や心理を描いた作品」であることが多いが、この他にも「世界を個人の意思でコントロール可能なものとして捉えている作品」や、「主人公の自分語りが、そのまま世界語りに短絡している作品」等を指すこともある。
いずれにしても主人公とその周辺のみで完結する極めて狭い「セカイ」の中での出来事が、抽象的なものも含めた「世界」規模の事象に直結する、または拡大解釈されるのがポイントである。

セカイ系が扱う「世界」の規模は作品によって異なり、宇宙地球といったスケールの壮大なものから、など、主要キャラクターの日常を司る周囲だけを定義したものまで様々に存在する。
また狭義の意味では、次元精神世界といった、物理的ではなく概念的・抽象的なものを含むこともある。もっとざっくり言うならば、「ぼく(主人公)が知っている世界だけをまとめたものが『セカイ』」ということになるだろうか。

その定義の曖昧さから、「登場人物の主観のみに焦点が置かれ、(作品の舞台となる)世界の構造について触れられていない」「世界に対する思想と実際の世界が混ざっている」「視野偏狭で独善的」といったマイナス面がしばしば指摘される場合もある。

「セカイ系」という言葉の初出は正確には不明だが、2002年末頃に『ぷるにえブックマーク』というサイトで現れたとされる。
当初は「個人の価値観・思想を『世界』という言葉で大げさに表したがる傾向」のある作品を揶揄するための語だったが、徐々に「登場人物の行動や心理・思想・関係性の如何が、『世界の危機』『この世の終わり』といった事象に密接に関係する」作品を表すようになった。

セカイ系というジャンルへの認識を一般化させたのは1995年のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』であるという見方が強く、実際、『エヴァ』以降にはその影響を強く受けたであろうセカイ系的な作品(いわゆる『ポスト・エヴァ』)が、雨後の筍の如く制作されるようになった。
その一方で、「きみとぼくのセカイ」+「世界の危機」という構造は、ギャルゲーエロゲー含む)特有の手法として現れたとする見方も存在する(奇しくもエヴァブームとギャルゲーブームはその時期をほぼ同じくし、共に90年代後半のオタク文化を席捲している)。

しかし、『エヴァ』以前にも「セカイ系的」な構造や要素を含む作品は古くから少なからず存在しており、さらに言ってしまえばセカイ系的な世界観はセカイ系固有のものというわけではない点にも留意しなければならない(そもそも『エヴァ』自体が過去の様々な作品からの引用オマージュパロディによる記号の集積で構成された作品である)。
例えば「主人公の自意識の範疇に映る『セカイ』だけを切り取って、まるでそれが『世界の全て』であるかのように描き出す」というセカイ系の根本的な文法一つとってみても、これはアニメ・漫画のみならず、古今東西の創作作品で散々使い古されてきた表現である。
見方によっては、ロボットアニメ異能バトルもの特撮ヒーロー物・学園ものループもの新日常系あたり等は、ジャンルそのものがセカイ系的と解釈し得る構造を内包しているとさえ言える。
セカイ系の名を世に広めた一人である作家・東浩紀自身も 「『自意識と世界の果て』というモチーフ自体は、ある意味で文学の基本テーマそのもの」 と述べており、こうしたセカイ系をセカイ系たらしめる決定的な独自要素の不在もまた、セカイ系の定義を難しくしている一因でもある。

セカイ系的世界

多感な年頃の少年少女が主役に据えられることが多く、かれらの心の揺れ動くさまが世界の明日をも左右してしまうため、作中に存在するであろう「その他大勢」の人々にとってはたいへん優しくない世界が出来上がることが多い。鑑賞する際にいくらか憂鬱になる覚悟を決めておくべき作品もあるだろう。
物語の中で起きる主要な事件は大抵が主人公の周囲でのみ起こったりするため、モブキャラたちは物語の展開に関与(あるいは関知さえ)することなく、ただ主人公らが選択する未来を叩きつけられるだけの、非常に希薄な存在となる。たとえ作品のスケールが地球規模だとしても、特定の場所(日本の地方都市とか)でばかり事態が進展して、首長や元首、国際機関といった世界の危機に立ち上がるべき人々のことはまるで描かれないというケースもある。主人公が顔も名前も知らない人々はいないのと同じなのである。

作品世界の中で見れば一個人でしかない主人公の思考や振る舞いが作中で影響を持つほどに、本来は主人公をも取り巻いているはずの社会の有り様が蔑ろにされる……という点が揶揄の対象になると考えればよいだろうか。自分の事で手一杯の若造が独り善がりに走ったところで、ということだ。
しかしセカイ系でこそ描ける世界や、より強く響くメッセージもあるだろうことは否定しようもないし、揶揄されようと描きたい人は描けばよいのだ。現実なんて何もかもが儘ならないのだ、フィクションでくらい世界の命運を握ってしまってもよいではないか。

最後にひとつ。外部リンクを参照すればわかるが、「セカイ系」というのは学術的な話もできてしまうような捉えどころのない曖昧なシロモノであるため、ピクシブ百科事典で扱うには少々難儀な項目であると言わざるを得ない。タグが存在すること自体がちょっとした不思議である。

セカイ系と分類する際の注意点

繰り返すが、セカイ系は正解とされる固定的な定義を持っておらず、セカイ系的とされる特徴も決してセカイ系固有のものというわけでもない。「なんかセカイ系っぽい」という、ぼんやりとした枠が存在するだけと言ってもいい。

そのため、セカイ系的な特徴が表層のごく一部分しか無いにもかかわらずセカイ系として扱われる作品もあれば、逆に明らかにその構造にセカイ系的な特徴を多く含んでいるのにセカイ系と呼ばれない作品も多数存在する。
例えば、セカイ系的とよく言われる「主人公達の身近なところで世界の危機に直結する事態が起こるが、警察や軍隊のような本来それに対処すべき社会装置の存在感が希薄で、主人公達が日常生活を送りながら対処する」という類型を持つ作品がそのまま全てセカイ系であるとするならば、有名なところで言えばプリキュアシリーズなんて全部セカイ系ということになってしまうが、それを納得する人は少ないだろう。

極端な話、セカイ系的な特徴を持つ作品があったとして、それをセカイ系か否かかを分類するのは個々人の感覚に委ねられていると言っても過言ではない。逆に言えば、セカイ系に対する認識が自分とは異なる誰かとのセカイ系についての議論は、ほぼ間違いなく不毛な結果に終わるということでもある。

また、セカイ系という語をネガティブなものとして捉えている層も存在しており、中にはその作品を非難するためのレッテル貼りとして使用する者もいる。
確かにセカイ系的要素はそのままマイナス要素と解釈することもできるため、作品の批判材料とすることも可能といえば可能ではあるのだが、現状「セカイ系」という語は、あくまでも物語類型の一呼称に過ぎないと思っておいたほうが無難ではある。「セカイ系だから嫌い」ならば個人の好みの問題だが、内容や構成の吟味も無しに安直に「セカイ系だから駄作」と決めつけてしまうのは些か早計と言わざるを得まい。
ただし、きちんと方法論的に構築されている場合はともかくとして、描写不足や作者の知識不足等の理由によって、意図せずセカイ系的になってしまっている場合は普通に批判の対象になり得る。

代表作とされる作品

新世紀エヴァンゲリオン
ブギーポップは笑わない
最終兵器彼女
イリヤの空、UFOの夏
ほしのこえ
魔法少女まどか☆マギカ
涼宮ハルヒシリーズ
交響詩篇エウレカセブン
戯言シリーズ
Dies irae

関連タグ

物語 世界 エンターテイメント
エンターテインメント作品のジャンル一覧

外部リンク

セカイ系 - Wikipedia
セカイ系とは - はてなキーワード
セカイ系とは (セカイケイとは) - ニコニコ大百科
セカイ系-アンサイクロペディア

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