概要
人智を超えた特殊な「力」を持つ者達が互いに争ったり、共通の敵に立ち向かったりする物語群を指す。単に「能力バトル」とも言うが、こちらは広義的な意味合いが強く、「異能」を強調したい場合は本タグの方が適しているかもしれない。
バトルものの派生形ではあるが、一般的なバトルものとは異なり、キャラの能力は本人が努力して得たもの、筋力や物理や科学に由来するものではなく、生まれつきのものであったり何かのきっかけに覚醒したり他者から貰い受けたりする場合が多い。
また超能力など、能力の内容が本人の身体能力と密接に関係していないことが殆どであり、そのためガチムチキャラは少ない。
地道な鍛錬や修行をしなくてもわりとお手軽に能力を得られる事から現代ものとも相性が良く、一部の人々が強く憧れ、妄想をはかどらせるジャンルでもある。
(『サルでも描けるまんが教室』で言う「現代は忍者マンガ(修行の成果)よりもエスパーマンガ(イヤボーンでOK)の方がウケる」と言う理論)
異能バトルに分類される事は少ないが『機動戦士ガンダム』のニュータイプも似たようなものである(訓練された軍人よりもニュータイプに目覚めた素人の方が強い)。
異能バトルもののはじまり
「登場人物がそれぞれ自分の得意なスキルや能力を駆使して争う」「能力によってキャラの個性や物語上の役割を規定する」という趣向の商業作品は曲亭馬琴の椿説弓張月 (1807〜1811年発表)あたりが元祖であろうが、現代で一般的にイメージされる異能・能力バトルものの始まりは山田風太郎著の『甲賀忍法帖』(1958年発表)を代表とした忍法帖シリーズだとされている。
だが、同作品は「バトル物」と分類される漫画やアニメの始祖ともいえる存在でもあり、それ以前でも海外ではアメコミやSF小説等において異能バトルものに通底する作品も多く登場しているため、一概には言えない。
その後、1960年代になると白土三平の作品群や『甲賀忍法帖』に影響を受けた横山光輝作の『伊賀の影丸』(1961)を始めとする必殺忍法を駆使する忍者漫画の隆盛と、当時国民的な人気を誇ったプロレスの影響もあり、「名前のある必殺技(特殊能力)」の概念がより一般化。
「登場人物が何らかの必殺技を持つ」「相手の必殺技の攻略」「物語のクライマックスは必殺技同士のぶつかり合い」といったバトル物に欠かせない諸要素(これらの要素の原型自体は江戸時代の講談等の時点で既に存在してはいた)が漫画・アニメ・特撮に浸透していき、バトル物に限らずスポ根等の競争要素のあるあらゆるジャンルにまで波及していった。
そして、平井和正・石ノ森章太郎作の『幻魔大戦』(1967)や横山光輝作の『バビル2世』(1971)を嚆矢として、超能力に覚醒した少年少女達を主役に据えた「エスパーもの(超能力物)」が登場。1970年代半ば頃から1980年代にかけての当時の世間のオカルトブームも背景にエスパーものが大きく隆盛すると、「超能力者同士によるサイキックバトル」を扱った作品も数多く作られるようになり、その中で現在の日本の異能バトルものの下地が形成されていったと謂われる。
能力の応用による知的要素
一般的には『ジョジョの奇妙な冒険』(第三部のスタンド(1989))がはしりと言われている。
(一応「相手の特技・能力を手持ちの技と知恵で攻略する」という要素は、神話の時代にまで遡れるが、神話などの場合は明確な「弱点(代表例がアキレスの踵)」が設定されている事が多い)
これは『バビル2世』等に代表されるそれまでのエスパーものの様な「なんでもあり」の事態を抑制して能力の所有者の無敵化を防ぐために、技に制限があったり能力が一つしかなかったりする場合が多い。
どんな強い敵でも一芸しか無い事で、相手の能力がどのように作用するかを推理したり、能力の隙を探ったりするなどの心理戦、頭脳戦が展開できるため、戦闘力の数字合戦では終わらない知的要素を演出することが出来る。
直接的な攻撃性を持たない能力であっても使いようなので、さほど問題にはならない。
(例:テレポート(厳密にはアスポート)を使い敵の体内に異物混入する)。
格下と思われていた能力者が戦略を張り巡らせ、ボスクラスの強敵に肉薄するのは異能バトルものの醍醐味である。
逆に言えば汎用性の高い能力が有利とも。
- 電気を操る能力=雷を起こす能力+電子機器を操る能力等、諸々の能力を兼ねる
- ベクトル(方向)を操る。電気の向きさえ自由自在(=電気を操る能力より強い。流石に発電は出来ないが)
- 自身は異能を使えないが、相手の異能も打ち消して無能力者に引き摺り落とし、異能に頼ったモヤシ野郎を殴り倒す。
もちろん、現代でもパワーゴリ押しによる勝利は多々ある。そもそも『ジョジョ第三部』自体も最終決戦は「能力が進化した」と言う形によるパワーゴリ押しである。
能力名・二つ名
能力の内容が本人の身体能力に由来しないため、異能バトルもののキャラの能力は、その外見からは推し量れないことが多い。
このため、キャラの強さを仄めかす要素として「二つ名」が付けられ、「○○(能力の様子)の××(キャラ名)」(一例としては「疾風の佐藤」「炎熱の山田」といったネーミング。『僕のヒーローアカデミア』ではヒーロー名)などで端的に設定を説明したり、能力そのものに名前を付けて特徴を示す処置等がよくとられる。
その際のネーミングは作品全体を通して「共通したセンス」で縛られることが多い。誰かの能力名がカタカナであるならば、その作品すべての能力名をカタカナで統一するという具合である。他にも熟語、漢字一文字、日本語に横文字でルビを振る……等々多岐に渡るが、それらのネーミングはその作品の雰囲気を決定づける重要なファクターの一つである。
…尤も知的バトルと考えると、二つ名を名乗ると言う事は弱点を教えるようなものだが。実際Fateシリーズの英霊が(Fate/GrandOrderを除き)真名を隠しているのはそういった理由である(伝説の英雄故に、名前を基に得意技に弱点、性格まで全て判明してしまうため。アキレスの弱点がアキレス腱なのは常識レベルと言えよう)。
定義について
敵味方問わず同じフォーマット(形式・方式)の力を持った者同士が戦うバトルものというのは前述の通りだが、中にはそれっぽいものの中にも「本当に異能バトルものと言えるのか?」という疑問が生じるものが存在する。
その場合「ダメージソースのほとんどを能力が担っているか」に注目するのが一つの目安になるだろう。
「異能バトルもの」を名乗るからには原則として能力を使って勝負しないとジャンルとして成立しない。「能力はとりあえず置いといてステゴロで勝負だ!」といった物理攻撃が成り立ってしまうのは異能バトルものとは言いがたいのである。
また、能力の内容がキャラの個性に直結しているという作劇の文法上、多少の例外はあれど基本的に能力は個人固有のもの(才能があっても他のキャラが全く同じ能力を得ることはできない)という点も重要である。
「あるキャラAと全く同じ能力を他のキャラBも使うことができる」とか「あるキャラAが能力Cも使えるし能力DもEも使える」ということは異能バトルでは原則起こりえない(あったとしてもそれは「コピー能力」などの例外でなければならない)。
まとめるとこういうことである
- 「能力以外で相手にダメージを与えられるのが許されてる時点で、普通のバトルものと違わなくなるよね」
- 「他のキャラも特殊なアイテム使ったり修行したりすれば同じことができる? それって本当にそのキャラ固有の能力って言えるの?」
- 「固有という点で言うと、全く同じ能力が別のキャラに発現するとか、1人のキャラが当たり前のように複数の能力を使えるっていうのもアウトだね」
- 「上で挙げたようなものは異能バトルにカウントしないってことでいいんじゃないかな?」
関連タグ
地球なめんなファンタジー 超能力(物理) … 異能バトルに対するアンチテーゼ
外部リンク
「異能バトルもの」に分類される作品(五十音順)
あくまでも狭義的なものに限る。また、追記する場合、上述の「定義について」には一度きちんと目を通すこと。
それらと食い違う内容のものを追記した結果、他の編集者からの異議で消されることも普通にありえると思われる。
また「合ってなかったら他の人が削除してくれるから、自分は何も考えずガンガン追加していけばいい」というスタンスもご勘弁願いたい。
記入前には「本当にこのリストに入れていい作品か?」「もうリストに(別名義で)入っていないか?」などきちんとご自分の目で確認していただきたい。
アルファベット表記含め、読みであいうえお順
あ行 | |
---|---|
か行 | |
さ行 | |
た行 | |
な行 | |
は行 | |
ま行 | |
や行 | |
ら行 |
「異能バトルもの」と言えるかどうか微妙なラインの作品
条件付きだったり、「異能バトル要素もある」だけで作品全体としてはそうでなかったりするものを以下に記す。
- キン肉マン(敵は異能の力を使うが、味方はほとんど使わず作戦と根性で勝つことが多い)
- コードギアス(大人の事情?でロボット要素が追加され、ベースが異能バトルなのだが片方でリアルロボットバトルをやっている不思議な作品となった。ギアス能力者同士による戦闘に限る。ロボットバトルの方は、スペックの高い機体とスペックの高いパイロットによる無双であることが多い)
- 絶対可憐チルドレン(そもそもジャンルがSFアクションコメディとされておりバトル要素は完全なるおまけである。また複数の能力を使いこなせる「何でもあり」なキャラが複数存在していたり、能力を持たない一般人が武器を用いて戦っていたりする)
- ニンジャスレイヤー(物語の主軸となるニンジャ達は超常の身体能力を得た者達であり、中にはユニーク・ジツという個人固有の特殊能力を得る者もいるが、基本的にはカラテ(物理戦闘力)の技量が物を言う。劇中でもノーカラテ・ノーニンジャという標語付きで強調されている)
- Fate/staynight(サーヴァントのスペック差や反則級のアイテムの力で乗り切っている場面が意外とあり、ルートによってはほとんど異能バトルしてないこともある)
- ブレイブルー、アンダーナイトインヴァース(一人に一つ能力がある、という異能バトルの基本は押さえているが、格ゲーなので、能力を使わなくてもバトルできてしまう)
- ペルソナシリーズ(1や2はペルソナ能力が付け替え可能なので該当しない。3以降も武器で直接敵を叩く場面が多く異能バトルと言いきれるかは微妙なところ)
- ONEPIECE(悪魔の実の能力バトル要素は確かにあるが、実は麦わらの一味の中で能力を活用して戦闘するメンバーは半数以下(ルフィ、チョッパー、ロビン、ブルックだけ)。加えて、作中のキャラクターは能力者であるか否かに拘わらず悪魔の実に頼らない基礎戦闘力が純粋に高い猛者が大半を占めており、その根拠に海賊王として名を馳せたロジャーや海軍の英雄のガープ、四皇のシャンクスも悪魔の実を食べていない。極めつけにとあるキャラクターが「悪魔の実以外の要素も強さの序列に関わってくるため、能力だけを鍛えても強くはなれない」という旨の発言をしており、作者の尾田っちも「悪魔の実の能力の強さ≠キャラクターの強さ」と明言している。そういった意味ではキン肉マンに近いと言えるかもしれない)