概要
自己啓発の「啓発」とは、「人が気が付いていない新しいことに気づかせ、より高度な認識・理解へと教え導くこと」である。
つまり「自己啓発」とは、「自分で自分の行動を顧みて、より高く深い知識・認識を得ること」と解釈できる。
より簡単にいえば「自分を人間として高めようとすること」である。
自主練習などとも近いが、より精神的な部分が重視されている形で使われることが多い。
言葉にすると簡潔だが、その実践には様々な方法があり、身も蓋もない事を言ってしまえば解法も正解も、そして終わりも無い。
そもそも、「人間としての高み」とは人によって解釈が異なる。
例えばビジネスの現場で用いられるときは、「仕事における能力を高める取り組み」として使われることが多い。ビジネスに関する知識や道具の使い方など仕事に直結するものであったり、メンタルのコントロール(いわば、気の持ちよう)、周囲とのコミュニケーションの取り方であったりと、仕事をするにあたって必要な能力全般を自主的に向上させることである。
自分の習慣を見直したり、他人への接し方や他人の言動の捉え方などを正したりといったことが具体的な方法として挙げられる。
ブリタニカ百科事典においては
「仕事に関する知識,技能,経験などを他律的な形式に支配されずに自主的に向上,啓発していくこと。」
と説明されている。
このほかいずれの事典・辞書でも「自主的に向上する」という点が重視されている。
自己啓発本やセミナー、インターネット上のサロンなど、多数のコンテンツが販売・展開されている。
問題点
「自己啓発」自体は決して悪い行いではないのだが、中にはこの言葉を隠れ蓑に悪質な情報商材を売り付け、ねずみ講やマルチ商法(ネットワーク商法)のような(違法な)商業活動、詐欺に誘導したり、宗教・スピリチュアルなどの活動に移行したりといったことも多い。「自分を見つめ直す」という言葉を悪い意味で利用し、洗脳、他者との関係を断ち切らせて、ますますのめり込ませ、経済的・精神的な搾取を行うのが目的である。
特に1998年に発生したXJAPANのボーカリストToshiのホームオブハート洗脳騒動で「自己啓発」という言葉を知った者も少なくない。
そこまでではなくとも、自己啓発本などの内容を自分に都合良く解釈して、その解釈を他者に押し付ける者もいる(そういう者は、そもそも押し付けている時点で自己啓発ではないことを理解していないので始末が悪い)。
これらに関しては、社員に「自己啓発のための活動時間」などと称してサービス残業を強いる企業が最も分かりやすい例だろう。
事実、社員の過労自殺で問題となった某大手広告代理店でもサービス残業隠しにこの言葉を用いていた。
さらに極端化すると、オウム真理教のように信者に「自己啓発を受けていない人類をさらなる高みへとのぼらせるための手段」として殺人(ポア)を正当化させるという危険思想にまで発展した例すらある。
このようなこともあって、「自己啓発」という言葉に、本来の意味から逸脱した「自分を見失うような良くないもの」あるいは「搾取のための使い勝手の良い方便」というイメージを持つ人も少なくない。一種の風評被害の状態にあるといえる。
また、自己啓発本を読んだりセミナーに参加したりしただけで「仕事・勉強した感」だけを得て、行動が伴わないということもあると指摘されている。
自己啓発とはステップアップのための過程、手段に過ぎない。啓発活動だけに一所懸命になっても得られるものは多くないことに留意する必要がある。