概要
オウム真理教とは、かつて日本に存在した宗教団体。1987年に麻原彰晃(本名・松本智津夫)が設立し、武装化を図ったカルト宗教である。
1995年、都心地下鉄に毒ガスを撒く前代未聞の無差別テロ事件(地下鉄サリン事件)を起こした。これがキッカケで、以前から数々の非合法活動を行っていたことが露見し、教祖らが逮捕。教団には解散命令が出され、1996年に宗教法人資格を失った。
教団は宗教法人資格を失った後も暫く活動を継続したが、2000年に「オウム真理教」の名を使えなくなった後はいくつかの団体が分立し、それぞれが後継団体を名乗って、跡目争いを続けている。
現在、主に活動を続けているのは「人格のない社団Aleph」「ひかりの輪」「山田らの集団(正式名称不明)」の3団体。
これらの団体は宗教法人として認められておらず、現在も公安監視下にある。
教団の歴史
前身は1984年に設立された「オウムの会」で、1987年に「オウム神仙の会」に改称、さらに「オウム真理教」に改称し、1989年8月25日に正式に宗教法人として認証。
「空中浮揚」のトリック写真に代表される奇抜な宣伝や、独特の教義に加え、第1次オカルトブーム世代が成人する時期であったこともあり、良くも悪くもおかしな教団としてカルト的人気を集め、信者を増やして行く。サリン事件を起こすまでには全世界で3 - 4万人の信者がいたとされる。しかし、その裏では強引な勧誘や布施によるトラブルが多発し、複数人の犠牲者が出ていた。
知名度と共に批判が強まる中、教祖・麻原彰晃は敵対する勢力への攻撃を行うようになる。1989年11月4日に、信者脱会について相談を受けていたことがキッカケで、オウム問題に取組んでいた坂本堤弁護士を危険視し、幹部6人で彼と彼の妻と1歳の長男の家族3人全員を殺害する事件(坂本弁護士一家殺害事件)を起こした。一家の遺体は1995年に発見された。また、TBSワイドショースタッフが坂本弁護士のインタビュービデオを放送前日夜に、オウム関係者に公開していたことが判明し後に批判された他、神奈川県警が労働争議に深く関わっていた坂本弁護士を兼ねてから嫌って怠慢な初動捜査を行ったどころか、記者会見で誹謗中傷とも取れる怪情報を流して社会問題となった。
麻原は世界征服のために、理系信者達を使って様々な兵器を開発。1994年6月27日から翌未明にかけて、長野県松本市の住宅街で長野地裁松本支部官舎を狙って幹部8人が化学兵器「サリン」を散布。8人が死亡。600人が重軽傷を負った(松本サリン事件)。この事件では、警察が第1通報者の男性を聴取したことでマスコミ各社は男性を犯人視する報道を続けた。
結局オウム犯行と判明したのは地下鉄サリン事件後で、警察やマスコミが謝罪する事態に。
1995年3月20日、東京を走る営団(現・東京メトロ)日比谷線車両内で通勤時間を狙って「サリン」を散布、死者・負傷者合計約6000人にも及ぶ被害者を出した「地下鉄サリン事件」を起こし、首謀者・松本は世界にその名を広めた(地下鉄を狙った化学兵器による攻撃は世界の事件・戦争史を見ても前例がない)。
現在でも地下鉄を始め、鉄道車両で「不審物を見掛けたら触らず駅係員にお知らせ下さい」とアナウンスされるのはこの事件がキッカケ。松本サリン事件・地下鉄サリン事件首謀者であった彼は、1995年5月16日、上九一色村で警察に逮捕され、教団は事実上摘発となった。そして彼は17の事件で起訴(後にその内の4つは起訴取下げ、最終的に13の事件で起訴されている)され、一連の事件の首謀者として死刑判決を受けた(刑は2018年7月6日に執行)。
現在
1999年12月29日、同教団の正大師という立場にある最高幹部・上祐史浩が広島刑務所から出所、教団に復帰。自らの犯した罪の反省と責任を取るために正大師の地位を教団代表代行・村岡達子に返上したが、後に撤回する。
2000年2月4日、教団は破産、破産管財人より「オウム真理教」の名称使用を禁止され、事件後より教団代表代行を務めて来た村岡達子を代表として、同教団をベースとした宗教団体「アレフ」を設立する。(2002年に「アーレフ」、さらに2008年に「Aleph(アレフ)」、2024年頃に「人格のない社団Aleph」と改称)。実質的な後継団体であるため、オウム真理教そのものとして扱われることが多い。
2002年1月30日、上祐史浩が教団代表となり、麻原元死刑囚との決別を表明。教団は「麻原隠し路線」を推進して行くことになるが、これに松本家(麻原の家族)や多くの信者の反発を招き、後に教団の分裂にまで発展する。
2003年10月、上祐・松本家・正悟師(正大師の1つ下の階級)ら幹部による会議で上祐史浩修行入り(実質的な軟禁)が決定。教団は正悟師5人による集団指導体制へ移行する。
2004年11月、正悟師・杉浦茂と二ノ宮耕一が軟禁中の上祐に教団運営への復帰を直訴。上祐は解放され、教団運営に復帰。
その後、上祐は松本家の批判を展開し始めて信者支持を拡大して行き、教団の中でM派(上祐の教団名であるマイトレーヤから)を形成する。
一方で、松本家側も正悟師らとA派(麻原三女の教団名であるアーチャリーから)を形成して反上祐宣伝を展開する。
両派閥の溝は深まるばかりであった。
2006年3月には麻原の4女(後に「松本聡香」のPNで手記を発表)が麻原の妻や麻原3女(後に松本麗華の実名を発表して著述業に就く)の意見に反発して松本家から家出し、正悟師・村岡達子らと接触して松本家の内幕を告白。これに共鳴した村岡らはA派から中間派に転向。
2006年5月にはA派とM派は居住区域を分割して会計を独立させることで合意。教団分裂は決定的なものとなった。
2007年3月に上祐とM派信者らが脱会。同年5月には上祐を代表とする仏教哲学サークル「ひかりの輪」が設立され、上祐が麻原信仰からの完全な脱却を表明するが、世間からは内部抗争と見なされ、こちらもオウム真理教であるというイメージがついている。
公安調査庁からもオウム真理教上祐派として団体規制法に基づく観察処分対象とされている。
一方、アーレフでは内部対立が続いており、上祐脱会時に上祐が後任の代表として正悟師の中でも比較的上祐と考えが近かった野田成人を指名したが、A派幹部の師(正悟師の1つ下の階級)らはそれを認めなかった。現在では麻原の次男を教祖とする二ノ宮・松本知子らAleph主流派と、麻原の3女に従う分派(山田らの集団)の間にも対立があるとされる。
2008年5月、教団は名称を「Aleph」に変更、新体制を発足。
2011年6月、村岡達子が教団を脱会。これによって教団運営に関与する正悟師は二ノ宮耕一のみとなった。
2018年7月6日、麻原彰晃と死刑判決を受けていた幹部(早川紀代秀・中川智正・井上嘉浩・新実智光・遠藤誠一・土谷正実)達計7人の死刑が執行され、大きな話題となって公開処刑の様にテレビ特番でも放送された。
残りの死刑判決を受けていた6人の幹部(林泰男・岡崎一明・豊田亨・広瀬健一・端本悟・横山真一)は同月26日に執行された。
6人は概ね落ち着いて執行を受入れたといい、岡崎は自身の執行が近いということを悟って以降は「もう時間がない」と拘置所内で傾倒していた筆ペン水墨画制作に没頭していたという。
特徴
宗教の概要
真理教の名前の由来…仏教には自分の中に「真理(悟り)」を見付け、それを元に生活を行うという考えがあるとされ、真理教の真理はそこからの由来と思われる。
東京都に提出した『宗教法人規則認証申請書』においては「主神をシヴァ大神として崇拝し、創始者の松本智津夫(別名・麻原彰晃)始め、パーリ仏典を基本としてシヴァ大神の意思を教学し実践する者の指導の下に、古代ヨガ、ヒンズウー教、諸派大乗仏教を背景とした教義を広め、儀式行事を行い、」と記す。阿含経を基礎として位置付けつつ、密教系要素を有するという点は麻原がかつて所属していた新宗教「阿含宗」と共通する。
仏教やヒンドゥー教の様に輪廻転生を信じ、そこに「ノストラダムスの大予言」や「ヒヒイロカネ」など昭和末 - 平成前半に掛けての「鉄板ネタ」なオカルトネタを混ぜ込んだ様な世界観を持つ。用語には「キリストのイニシエーション」や「ハルマゲドン」といったキリスト教や聖書に材をとったものもある。典型的な諸宗教混淆系の新興宗教である。釈迦のことを「サキャ神賢」と呼び、麻原は自身をインド神話の最高神の1人シバ(シヴァ)の化身と主張、ヒンドゥー教やチベット仏教において師を意味する「グル」を自称した。麻原自身は伝統宗教師資相承に属していないが、既存伝統宗派に莫大な寄付を行い、宗教指導者よりリップサービスを貰うことで、「宗教的な正当性」を醸し出すという手法を行った。
オウムの出家制度は財産や土地・家屋の全てまたは大半を布施として寄付させ、信者の退路を断つための役割を果たしていたが、元々出家はシステムとして練り上げられたものではなく、前身のヨガサークル時代に当時の会員が麻原の家に勝手に泊まり込んでいたところから自然発生したものである。
信者の出家生活も証言によって「粗食、長時間修業、寝不足で過酷であった」という否定的意見と「一般社会と比べて責任を求められず、それほど締め付けを受けなかった」という肯定的意見の真っ二つに分かれる。
「空中浮揚」や「ダーキニー」等の強烈さからトンデモ宗教・インチキ宗教の感じが強いが、当初は原始仏教復興・現代化を目指すところがあり、また麻原も物知りで非常に理屈っぽく、一部インテリの間でも高評価されていた。日本における仏教が「葬式仏教」と揶揄される程形骸化していたことや、聖書を必ず参照するキリスト教圏とは異なり、日本の新興宗教は経典や宗教史などをほとんど知らない神がかり的な教祖が多いため、勤勉な読書家であり、宗教以外の知識にもそれなりに精通した面もある麻原は特殊であった。
少なくともある時点までは真っ当な仏教思想を元に教義を構築しようという試みは熱心に行われており、信者の中には難解なパーリ語やサンスクリット語を習得し、仏典を翻訳した猛者もいた。その甲斐もあって麻原を始めとした幹部連中の仏教思想への理解や造形の深さは単なるご都合主義のちゃんぽん宗教の域を超えており、テレビ討論において優位に立つ程のレベルには達していた。
しかし、麻原中心の真理教運営が進むに連れて、古今東西の宗教全ての言葉を引用し超越した宗教という形を取る様になり、最終的にサリン70tで資本主義・民主主義・社会主義・共産主義全てを破壊し政教一致の新世界(国家)を建設するという狂気の宗教と化した。
信者
オウムが勢力を拡大した1990年頃は、1970年代のオカルトブーム・超能力ブーム・ノストラダムスブーム世代の成人期であり、新々宗教が盛り上がっていた時代であった。1980年代頃から各地の大学での宗教勧誘が社会問題化しており、オウム真理教もその1つで、有名大学卒・高学歴の信徒が幹部として活動していたことで知られる。特に理系の多さは驚かれ、事件後は日本の教育の失敗と捉えられた。いち教団でありながらオウム真理教がサリンを製造し得た背景でもある。暇を持て余すが孤独な大学生は時代を問わずカルト宗教や過激派思想の草刈場となっており、麻原も多くの大学で講演を行っていた。麻原の理屈っぽさは聡明な学生にはピッタリであった。また、他宗教団体教祖が、自らの超能力をひけらかしたり誇示したりするのが大半であったのに対し、麻原は「人は誰でも神秘の力を有している」「誰にでも解脱は出来る」「一緒に頑張って解脱しよう」といった親身な口説き文句で若者達の心を掴んだ。
オウムに入信した者の多くは、一見すると何不自由ない優等生でも、内心では人生や社会にどうしようもない疑問を抱いた純粋な心の若者であった。当時のバブル景気とバブル崩壊で金に浮かれた日本に幻滅し、新境地を求めた者もいる。この様な点で、最初から暴力革命を前提としていた赤軍派兵士などとは異なっている。単に精神的な救いを求めて麻原にすがり付いた結果、歴史に残る残虐な行為をした集団の一員となってしまったということは、本当にいたたまれないことである。
また、逮捕されたオウム幹部の中には、若者特有の性欲の煩悩から解放されたくてオウムに入信したと公言していた者も目立つ。
先述の通り、元死刑囚も含めて高い知能や技術を持った者が多数存在したことから、「彼らの知識が正しく社会に役立っていたら」と同情する声もあったが、「彼らが本当に優秀なら麻原の胡散臭さや教団の怪しさに気付けたはず」「幹部は社会経験が乏しい若者ばかりで、麻原の様な詐欺師にまんまと騙された」と厳しい論調を述べる者もいる。また、オウム活動期に教団と接触した関係者の多くが「麻原は喋ってみると意外と『普通の人』であったが、周囲の信者達は変な人が多かった」と述べている。
麻原逮捕と教団崩壊過程でほとんどの信者は脱会し、普通の市民へと戻ったが、一部信者は信仰を保ったまま後継団体で活動継続している。
出家生活
オウム真理教に於いて出家が重視されており、出家信者は教団内では「サマナ」と呼ばれていた。彼らはサティアン内で共同生活をしており、出家の際には土地や有価証券を含めた個人財産全てを教団へ寄付しなくてはならなかった。そのため、出家信者の多くは逃げ出すことが困難で、例え洗脳が解けたとしても教団内に留まらざるを得なかった。
元信者の証言によると、サマナ達の生活は朝6時からの起床に始まり、午前中は大乗発願や苦の詞章、ヨーガ、ウインドトレーニングといった修行を行い、それが済んだら食事(教団内では「供養」と呼ばれた)と掃除が行われた。午後となると支部活動やビラ配り、「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に終始し、夕食後は勉強会を行い、立位礼拝等の修行を午前3時まで行っていたらしい。そのため、信者達の睡眠時間は3時間程度であり、理想的とされる7時間の睡眠時間を大幅に下回っていた。
基本的に殺生は禁止とされていたため、食事の際は肉や魚などの動物性タンパク質は勿論、イースト菌を殺すからという理由で発酵パンは禁止され、提供される食事は胚芽米と根菜の煮物といった質素なもので、栄養失調となりがちであった。また施設内にはネズミやゴキブリといった有害生物が多数生息していたが、殺生禁止という戒律故に駆除も成されず大変不潔な環境であったという。
この様に、サマナ達の出家生活は極度の睡眠不足に加えて、過度な労働や修行、栄養不足が深刻な生活環境であり、それによる判断能力や思考力低下により、教団側にとって洗脳しやすい状況であったことが窺える。
宣伝戦略
90年代を生きた人々の脳裏には強く残っているであろう「尊師マーチ」などの楽曲も、専門教育を受けた信徒らによって制作されている。教団制作アニメも複数存在し、ネットで比較的簡単に見ることが可能。
既存宗教とも接触を図り、チベット仏教最高指導者・ダライ・ラマに合計1億もの布施を贈った。ダライ・ラマはオウムが東京都に宗教法人申請を出す際に推薦状を出している。ダライ・ラマと映った麻原の写真などは教団の箔付けに利用された。チベット亡命政府側に麻原を紹介したペマ・ギャルポは紹介後にその本性に気付き、ダライ・ラマ側に彼と関わらないよう進言した。
メディア戦略とメディア対応
事件発覚以前は教団の大衆的イメージは「奇妙でヘンテコな集団」程度のイメージであった。
教団外のメディアにも次々と進出した。坂本弁護士失踪に前後して注目され、当時の捜査では事件と関係ないということに落ち着いたため、滑り込むようにテレビへ進出。ビートたけしやとんねるずといった超大物と共演したことすらある。
当時のマスメディアの主力であったテレビは、オウムに関しては坂本事件の頃に適当にネタにした後にすっかり忘れていた(また下手に報道するとオウムがスラップ訴訟をするので報道出来なかった)のであるが、地下鉄サリン事件以降、ワイドショーやニュースなどの番組は他話題を全く取上げない程の社会現象となった。教団側も上祐・青山・村井ら教団関係者をテレビへ出演させるなどしたため、視聴率を伸ばした。
TBSビデオ問題が発覚すると逆に一種のタブー(禁忌)とされ(現在はビデオ問題すらタブー視されている)、報道は沈静化したが、オウム事件で味を占めたマスコミ各社は、続いて酒鬼薔薇事件や毒カレー事件などの相次ぐ凶悪事件を連日特集。当時BPOといった制御する機関がなかったため、情報番組と報道番組融合により、報道ワイドショー化とメディアスクラム激化による監視社会化が進んだ(現在でもワイドショーなどの情報番組は報道番組とは違うので、何が悪いというのがテレビ局側の言い分である)。
オウムを取上げる番組は時折放映されているが、2012年にNHKが『未解決事件』を放送するまでオウム内部事情は余り取上げられることがなかった。
こうした見世物としてのオウム報道は事件当事者の思いを無視して広がり、「ああいえば上祐」は流行語となり、2ヶ月前の阪神・淡路大震災報道に倦んでいた国民を大いに関心を寄せることとなった。この流れからオウム真理教を不謹慎コンテンツとして捉えるオウマーや、上祐史浩の追っかけ「上祐ギャル」などが生まれる。当時から地下鉄サリン事件のゲームや、ダムダムTVによるオウム関係のコラージュ作品が存在し、インターネット時代のflash動画や例のアレコンテンツ(恒心教等)へと繋がって行った。
凶行を止められなかったのか?
「麻原やオウムの凶行をとめられなかったのか?」ということが社会的問題として出て来ることがあるが、オウムの信者は超能力が実在すると信じ込んでしまうような、ある意味ピュアな人達であり、麻原に逆らうと超能力で天罰や地獄行きがあると思い込んでいた。また、彼らの多くは過酷な出家生活により、正常な判断や思考力が低下しており、教団による洗脳が行き届いていた状態であったことに加え、財産のほとんどを寄付してしまったために逃げ出すことも出来なかった。
このことからも麻原の意向に背くことは教団内においてあり得ない反逆行為であり、死を意味していたため、信者達は結局最後まで止めることが叶わなかったのである。
この科学文明時代に、説明不能な天罰や来世や転生といった概念がまだ生きていた、しかも理系大学生もいたことは人々を困惑させ、オウム事件解釈を困難なものとしている。
「部下が自分の頭で考えることが許されず破綻した」「高学歴なのに小学生でも分かる常識的行動が出来なくなる」という点は、当時乱脈経営などで倒産が相次いでいた日本企業風土とも似ており、象徴的な出来事であった。
また警察やメディアなど社会側も、過激派ならまだしも、たかがオカルト宗教団体が生物化学兵器を開発するといったことは全く想定外であった。
サティアン
教団施設は「サティアン」と呼ばれる建物で複数構成されていたが、他新興宗教の宗教らしい建物と異なりこの教団の場合はまるで工場か何かの様な外観をしていた。
これは麻原が宗教的建造物として余りこだわっていなかったから、あるいは麻原が弱視であったため外装のコンセプトを組み立てられなかったからとされている。内部も一部を除いて宗教施設らしくなかったことが判明している。
オウムの建物は主に信者をこき使って造らせていたことから、複雑な建築は難しかったことも原因と考えられる。
その後の跡地
以前本拠地があった旧上九一色村の教団跡地には現在公園がある、そこには「慰霊碑」とだけ刻まれた石碑が建立されている。これは地元有志が建てた一連の事件の犠牲者への慰霊碑であるという。
かつてこの地に何があったのか、この地で何が起きていたのかは最早面影もない場所となったが、それすらも石碑に刻めなかった程、凶悪な集団・悍ましい事件であったのである。
サイドビジネス
オウム真理教では、教団全盛期とバブル絶頂期が重なったこともあり、資金集めのためラーメン屋を筆頭に弁当屋、パソコンショップなど様々なサイドビジネスを行っていた。信者は修行という名目のボランティアで勤務していた。
特に、「オウムのお弁当屋さん」は安くて上手いと評判で、岸部四郎を始めとした著名人の常連客が多かった他、店舗所在地が新宿・渋谷に近いこともあり、大企業や官公庁、さらには大手ゼネコンを中心とした工事現場といった大口顧客も多数抱えていた。
また、パソコンショップ「マハーポーシャ」が販売するブランドのPCも当時は価格破壊的に他より安く、その安さの秘密は信者を修行名目で組立てを行わせたからとされている。つまり人件費が掛かっていなかったのであるが、それでは法律違反になるので名目上給料を支払い、全額寄付するという形を取っていた。
他方、「マハーポーシャ」においては求人誌(の体裁を取った冊子)「オメガ」を制作し、高給をエサにして一般人から信者をスカウトするというプランも存在、実行された。
ただし、「社長」である麻原の冊子内における扱いに困った結果、
「教団服に身を包んだ麻原が『マハーポーシャ社長』として登場する」
という、オウム真理教との関係性を見せ付ける有様となり、事実上このプランは頓挫している。
主な構成員
元死刑囚
いずれも2018年7月に死刑が執行されており、故人。
麻原彰晃/松本智津夫/マハー・グル・アサハラ
教祖。当該項目参照。
新実智光/ミラレパ
古参幹部の1人。
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件で実行犯を、地下鉄サリン事件では運転手を務めるなど、数多くの殺人若しくは殺人未遂に加担。
その絶対的な忠誠心と関与した事件の多さから、検察や裁判所をして「最も血生臭い男」「人間的良心の一欠片も見出し得ず」「更生を期待することも困難である」「ミニ麻原彰晃」と、この上ない酷評を受けた。
実際に反省する素振りを見せたことがなく、最期まで麻原への帰依を貫き通したまま生涯を閉じた。ただし「オウムの正史を残すため」という独特の考えから、裁判が進むに連れて麻原に不利な供述を行っており、当の麻原からは「破門」と罵られたこともある。54歳没。
明るさと残虐さの二面性を有し、松本サリン事件決行前に放った「これから松本にガス撒きに行きまーす!」という発言は、そのサイコパス振りを表すものとして有名。オウム内部からは仕事の腕前は悪いと苦言を呈されていた。
早川紀代秀/ティローパ
古参幹部の1人。大阪府立大学大学院を経て、社会人を10年以上務めた後に出家。
信者殺害や坂本弁護士一家殺害事件に参加した他、細菌兵器生成、武器入手にも関わった。
麻原より年上なこともあって、時に麻原を叱責することもあり、一部では「裏のトップ」と呼ばれた(本人は否定している)。
年長者で社会人経験が比較的長かったこともあり、「頭が良い」「仕事が出来る」「麻原からも一目置かれる」「子供の集まりのオウムの中では唯一の大人」という評価が多かった。その反面、殺害された坂本堤からは「あの男は目付きが異なる」と警戒されていた。裁判の証人として出廷した際、麻原による不規則発言とそれに伴う退廷処分を目にして、泣き出したこともある。68歳没。
井上嘉浩/アーナンダ
地下鉄サリン事件を含む数々の非合法行為に関与した他、女性にモテたことから多数の信者を獲得し、教団の勢力拡大に一役買った。
裁判では反オウムを演じ、1審で無期懲役となるも、検察が控訴。さらに信者からの証言により次々とボロが出てしまい、2審では死刑判決となり、覆る事なく結審。
結果的に嘘つきのイメージが定着し、ついには仲間に裏切られる形となった。48歳没。
愚直なまでの信心深さとは裏腹に、炎天下でコンテナへ監禁されたり、恋人をレイプされたりと麻原からは何故か不遇な扱いを受けることが多かったとされる。
人物評も「愚直で修業熱心」と「嘘吐きで裏表がある」といった具合に、賛否が真っ二つに分かれたものとなっている。後述の林泰男は「井上君はどうしようもなく人間的で、憎めないところがある」と評した。
遠藤誠一/ジーヴァカ
化学兵器製造リーダー。麻原への懸命なごますりにより、彼の4女の許婚という地位も得ていた。
ただし、肝心の化学兵器は失敗続きで、結局は部下として取込んだ土谷(後述)が成功させた。裁判では土谷との対立が明確化し、遠藤は功績を横取りしただけだと糾弾されている。
新実同様麻原への帰依を貫き、執行後遺体は後継団体「Aleph」に渡った。58歳没。
帯広畜産大学卒であるが、教団内では北海大卒と学歴詐称していた。
人物評も毀誉褒貶が激しいが、中学時代までの知人は概ね「負けず嫌いで努力家の優等生」と肯定的で、オウム関係者や裁判・勾留等の関係者は「少年っぽい」「無能」という旨を証言している。
土谷正実/クシティガルヴァ
遠藤の部下。筑波大学卒。学生時代から化学が大好きで、その豊富な知識を元に独学でサリン生成方法を確立した。
彼がいなければオウムテロ事件は起こり得なかったといわれるキーパーソンであり、直接的な実行犯ではないものの重責を問われ、死刑判決となった。
逮捕後も長らく麻原への帰依を貫いたが、裁判で詐病を続ける姿に幻滅し、後に洗脳が解け反省と後悔を示す様になる。
良心の呵責からか、晩年は精神疾患を患っていたとされる。53歳没。
真面目で聡明な一方、人格面では純粋さの裏返しとして未熟な部分があり、獄中結婚した妻は「中学生がそのまま大人となってしまった様な人」と評している。
中川智正/ヴァジラ・ティッサ
坂本弁護士一家殺害事件や化学兵器を用いた諸々の事件に関与。
医師免許を持っており、教団内でも医師として従事していたことがある。
死刑判決後は台湾人科学者・アンソニー・トゥーと交流を重ね、松本サリン・地下鉄サリン事件に関わる情報を提供。死刑執行後にアンソニーはこれらをまとめた著書を出版した。55歳没。
入信前までは真面目な常識人として知られ、何故彼がオウムに入信したかは入信前の彼を知る者からは不思議がられた。一方で林は「麻原の悪いところは分かっていても、そういうところを大切にしちゃう人」と語っており、この点が凶悪犯罪に加担するに至った一因といえる。
岡崎一明/マハー・アングリマーラ
古参幹部の1人。信者殺害や坂本弁護士一家殺害事件で実行犯を務めた。
入信前は腕利きのセールスマンで、教団内でも営業で成果を挙げていた。その手段は「ヤクザよりあこぎ」と評判であったとのこと。
1990年に身の危険を感じ、教団から脱走。その後は故郷山口県で過ごしたが、1995年に警察に自首、逮捕された。
同じく自首することで減刑となった林郁夫(後述)と異なり、教団から身を守るための自首と見做されたことが大きく、死刑判決を免れることはできなかった。57歳没。
人物評は幹部目線では「麻原に面従腹背」と教団への帰依が薄いというものであった一方で、一般信者クラスや入信前に関わっていた人達は「気配り上手で面倒見が良く、リーダーシップがある」と評価していた。
端本悟/ガフヴァ・ラティーリヤ
坂本弁護士一家殺害事件・松本サリン事件で実行犯を務めた。空手の達人であり、その腕っぷしを買われての抜擢であったとされる。
元々はオウムに出奔した友人を脱会させるためにオウムに接触したが、逆に自身が感化されてしまい、入信した経緯を有する。
教団が潜水艦を試作した際にテストパイロットに抜擢され、欠陥品の潜水艦ごと沼津港に沈められ死にかけるという散々な体験をしている。
死刑判決を受けたメンバーの中で、唯一特別な肩書を持っていない末端の信者であった。51歳没。
友情や仁義、男らしさや武士道を追求する一方で、教団への不満や教義への迷いを見せる弱さもあった。
豊田亨/ヴァジラパーニ
地下鉄サリン事件実行犯を務め、営団(現・東京メトロ)日比谷線でサリンを散布。
東京大学卒で、同大学の出身者として初めて死刑判決を受けるという不名誉な記録を打ち立てた。50歳没。
学生時代から快男児との評価を受けており、愚痴や不満をいわない性格であったとされる。
作曲家で東大教授・伊東乾は大学時代の友人であり、執行直前まで接見を続ける仲であった。
林泰男/ヴァジラチッタ・イシディンナ
地下鉄サリン事件実行犯を務め、日比谷線でサリンを散布。
他メンバーより1袋多くサリンを散布し、最多となる9人の死者を出したことから、マスコミからは「殺人マシン」なる物騒な渾名で呼ばれた。
しかし、イメージとは裏腹に人柄は温厚且つ実直で、その点は裁判官にも認められていた。第1審・東京地裁で「およそ師を誤ること程不幸なことはなくその意味において被告人もまた不幸且つ不運であったといえる」と裁判官に評されたのは有名である。60歳没。
広瀬健一/サンジャヤ
地下鉄サリン事件実行犯を務め、営団(現・東京メトロ)丸の内線でサリンを散布。
早稲田大学を学科首席で卒業。大学院時代に執筆した論文はスイスで「世界のトップサイエンス」と評価され、教授からも「博士課程に進んでいたらノーベル賞級学者となった」と太鼓判を押された程の秀才であった。性格も入信前を知る人物は異口同音に「真面目」と評するものであった。
しかし暗示へ掛かりやすい性格が災いし、麻原から洗脳の実験台とされ、結果的にテロ行為へ手を染めることとなった。54歳没。
大学院在学中に推薦でNECに内定を貰うも、オウムに出家するために辞退していた。
横山真人/ヴァジラ・ヴァッリィヤ
地下鉄サリン事件実行犯を務め、丸の内線でサリンを散布。
彼が担当した列車からは唯一死者が出なかった。
逮捕後の取調べで警察官から罵倒と暴行を受けたことを根に持ち、裁判では実行犯の中で唯一証言を拒否し続けた。54歳没。
人物評は概ね「真面目で不器用、口下手」というものであった。中川智正は、法廷でも口下手さが祟って1人も死者を出さなかったにもかかわらず死刑判決を受けたと評している。
その他
林郁夫/クリシュナナンダ
地下鉄サリン事件実行犯を務め、営団(現・東京メトロ)千代田線でサリンを散布。
慶應義塾大学医学部卒。病院での勤務経験を持ち、教団内でも医師としてオウム真理教附属病院の院長を務めた。
別件で逮捕された際、地下鉄サリン事件に関し自供。これにより同事件の詳細と、オウムの組織的犯行であることが明るみに出たため、結果的にオウム崩壊の立役者となった。
裁判では上記の事実が自首に相当するとして検察が異例ともいえる減刑に踏み切り、判決は無期懲役となった。
地下鉄サリン事件実行犯の中で、死刑を免れた唯一の人物。
事件後は単純な反オウムに転向した訳ではなく、オウム関係者に人権を認めないような排斥運動に対して批判している。
村井秀夫/マンジュシュリー・ミトラ
古参幹部の1人にして、麻原の側近。
松本サリン事件では実行犯、地下鉄サリン事件では指揮官を担った他、麻原に同調してあらゆる兵器や武器を企画した。
1995年4月23日、東京・南青山のオウム総本部前で韓国人の暴力団員に刺され、搬送先の病院で死亡した。36歳没。
世間では、仮に生きていても裁判で死刑は免れなかったであろうといわれている。
尚、大阪大学卒の高学歴でありなら非現実的な発想をすることが多く、岡崎からは「IQ180、EQゼロ」と評されたのを始めとして教団内での評価は散々で、人望はなかった模様。
麻原への帰依は非常に強く、林郁夫は「麻原にやれといわれれば『直ぐ出来ます』というのは、別におべんちゃらではなく素早く結果を出すのが最高の帰依と考えていたから」と分析していた。また、有田芳生は「上祐氏とは全く反対で、辻褄合わせが不得手なのである」と評していた。
上祐史浩/マイトレーヤ
古参幹部の1人にして、麻原の側近。
早稲田大学卒で英語が堪能。口も非常に達者で、畳み掛けるように相手を封殺する論法から「ああいえば上祐」という俗語が生まれた。また、イケメンと評判であったことから一連の事件後に「上祐ギャル」と呼ばれるファンが付いた。
弁舌家としては後の西村博之のような立ち位置であった。
村井と共に教団ナンバー2と目されていたものの、海外方面で事務的な仕事を担当することが多く、国内凶悪事件へ加担しなかったことから懲役3年で出所している。
出所後、後継団体「アレフ」代表となるも後に脱会、現在は「ひかりの輪」代表。
青山吉伸/アパーヤージャハ
教団の顧問弁護士。
京都大学法学部卒。大学在学中に21歳の若さで旧司法試験に合格しており、これは当時の最年少記録である。
教団を擁護するためにメディアに積極的に出演していたため、世間に馴染みの深い信者の1人であった。
地下鉄サリン事件後に逮捕され、後に弁護士資格を失った。現在は出所し、一時期インスタグラムのアカウントを用いて各地でヨガのポーズを撮る写真を掲載していたが、現在は非公開アカウントになっている。
麻原の子女達
麻原には数多くの愛人(ダーキニー)がおり、彼女らとの間に多数の子供を作っていたとされる。正確な人数は不明。
彼らは事件後、差別に遭ったり学校から入学拒否されたりと苦難の道を歩むことになる。
また、子女達の間でも麻原派と反麻原派の対立が起こっている。
教団による主な作品
アニメ
楽曲
- 麻原彰晃マーチ / 尊師マーチ…「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー」で有名。
- 真理教、魔を祓う尊師の歌…「しょしょしょしょしょしょしょしょーーこーー」で有名。
- エンマの数え歌…「わーたーしーはーやってないー、潔白だー」で有名。
- 超越神力…『超越世界』及び同名アニメOPに用いられている。
- 天に帰れ…別名「超越神力エンディングテーマ」。
余談
- 映画『地獄(1999年)』でオウム真理教をモデルとしたカルト教団が登場、その教祖が麻原そのものといえる。
- 村井の殺害現場でも知られる南青山総本部ビルは、信じられないことに教団壊滅後も19年に渡り解体されないままテナント募集していた。しかし、この様なビルに好んで入居するものがいるはずもないまま2014年に解体、現在は日本パーキング運営駐車場「NPC24H南青山7丁目パーキング」となっている。
関連タグ
コンスピリチュアリティ:陰謀論的スピリチュアリズムとも。オウム真理教はこれに含まれる
20世紀少年:ともだちの宗教団体はオウム真理教がモデルと思われる(創価学会の説もあり)
恒心教:何故かオウム真理教後継者を名乗っており、警察がムキとなって対応する原因かもしれない。