上祐史浩
じょうゆうふみひろ
オウム真理教の元幹部、及び現在その後継団体であるひかりの輪代表。
オウム時代のホーリーネームは「マイトレーヤ」。
少年時代は当時はやっていた宇宙戦艦ヤマトや超能力に夢中になるごく普通の少年だったが、父親の事業失敗と不倫に端を発する家庭崩壊を機に強い指導者を潜在的に求める人格が形成されたと語っている。
早稲田大学在学中にオウム真理教の前身であるヨガ教室「オウム神仙の会」に入会。
大学院卒業後は宇宙開発事業団(現:JAXA)に入るが、1か月で退職し出家。
早い段階で成就が認められ、正大師のステージとマイトレーヤのホーリーネームを得た。
以降、麻原彰晃の側近として活躍し、村井秀夫と共に教団のナンバー2と目された。
しかし、数々の凶悪事件に加担した村井と異なり、上祐は事務方を担当することが多く、坂本堤弁護士一家殺害事件に関しては反対の立場をとったとされる。教団内では麻原に逆らうことはないものの対外強硬姿勢には消極的であり、麻原から叱責を受けることも多かったという。
1995年の地下鉄サリン事件発生時にはロシア支部へ出向しており、事件を感知していなかった。
同年10月に文書偽造と国土法違反で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受ける。
他に関与した事件は裁判の迅速化のため殆どが不起訴とされたことから、教団幹部としては比較的軽い刑罰で済んでいる。
1999年に広島刑務所を出所し、教団に復帰。
オウム事件の被害者遺族に賠償金を払うべく、2000年にオウムの後継団体であるアレフを設立するが、2007年に脱会しひかりの輪を設立。
現在に至るまで代表を務める。
英語が得意だったため海外事業に多く携わった。このおかげで、オウムが関わる重大な犯罪行為にはほぼ無縁でいることができた。
また、口が非常に達者で論戦に強く、地下鉄サリン事件後に連日メディアに出演しては激論を展開したことから、「ああ言えば上祐」なる俗語が生まれた。
「上祐ギャル」と呼ばれる若い女性ファンも付くなど、当時は異質な存在であった。
議論に強い言論人としては後年の西村博之のようなポジションであり、西村同様に相手を論破することに主眼を置いた態度は嫌悪感を持たれることが多かった。苫米地英人は、彼にディベート術を教えた一人でありそれを苦々しく思っていたところ、ジャーナリストの江川紹子から協力の要請を受けて対上祐の対策を教授している。
現在でも活動している名の知れた元オウム幹部ということで、オウム事件を振り返るテレビ番組で度々出演し、当時の状況を語っている。
2018年の麻原の死刑執行時には、「かつてのような思いはありません」と表明している。
pixivにおいては一部ユーザーにより上祐を美化するような作品が投稿されているが、彼が関与した事件は日本社会に甚大な影響を及ぼしており、そして被害者遺族や加害者の家族、事件の関係者が現在でも苦しめられている状態である。
pixivは不特定多数の人物がアクセス・閲覧可能なサービスである以上、関係者が目にする可能性もあることから、事件にまつわる作品の存在自体が不適切であり、一切の投稿は認められず、即刻削除するべきであるという意見すら存在する。
一方で個人が作品を制作・発表することは憲法によって「表現の自由」として認められているものであり、それらをすべからく禁止することはできない。
pixivにおけるガイドラインでは、作品やコメント等の投稿情報に関して「反社会的行為を賛美し、これを過度に助長しているもの」が禁止事項の一つに挙げられているが、事件にまつわる内容を描いた作品(あるいは事件に着想を得たフィクションなど)がすべて「賛美し、過度に助長」する意図や目的を持って制作されたとは限らず、また最終的にそれを判断し、それらの作品を規制するかどうかは制作者や閲覧した一ユーザーではなく運営者である。
しかしながら、表現の自由は「公共の福祉」の概念によって制御されるものであり、他者の人権を侵害するような表現は規制されるべきといえる。
思いのままに制作した作品が、閲覧した人、特に被害者とその遺族、加害者の家族、事件の関係者、そして加害者の名誉や人格を深く傷付けるようなものならば、発表することを避ける・取り下げることも時には必要である。
あくまで(一般ユーザーによって編集が行われる)本記事では、個人の投稿そのものを制限することはできないため「記事内にそのような作品を掲載しないように」という注意に留めるが、実際に起きた事件である以上、仮に美化するような目的でなくても、制作や投稿においては慎重に取り扱うべきであるという点は明記させていただきたい。
作品の投稿やその取り扱いについてはこちらのガイドラインも参照のこと。