概要
1990年代初頭のオウムは、信者の増加にバブル景気が追い風となり、数々の副業を展開していた。
そのうちの一つが、弁当の製造・販売部門である『オウムのお弁当屋さん』である。
メイン画像はチラシに描かれていたアイコンで、言わずもがな麻原彰晃のデフォルメである。
特筆すべきは、24時間宅配サービスを実施していたことである。
食品の宅配サービスで24時間対応というのは現在でも珍しく、当時としては異例であった。
もちろん24時間営業であり、破格の利便性からサラリーマンに好まれたとされる。
あろうことか官公庁や公務員各種もお得意さんだった。
1995年の地下鉄サリン事件後に、他の副業と共に閉店した。
営利活動として
店員である信者は修行という名目で従事しており、給料は雀の涙、もしくは無給であった。
ただし、本当に無給では労働基準法に抵触するため、額面上の給料は支払い、そこからお布施と称して回収する方法をとった。
他の副業も同様で、これにより高い利益率を実現。
オウムが資産1000億円と言われた巨万の富を築くことに貢献した。
店員である信者は洗脳されていたり、あるいは恐怖で教団に支配されていたりしたため、ブラック企業も真っ青な労働環境であったが当時労働争議には至らなかった。
勧誘の糸口として
修業の名目、営利目的も然ることながら、アンケートを通じて個人情報を引き出し、オウムへの勧誘に悪用するのも1つの大きな目的であった。
宅配サービスはオウム側からすれば客の家を直接確認できる利点があったため、金持ちの客を勧誘して高額な布施を引き出す糸口となった。オウムの事業は弁当屋以外でもこのような手法を取り入れ、勧誘に繋げた。
麻原が高学歴に拘っていたこともあってか、アンケート用紙には学校名や学部名の欄が設けられた学生向けのものもあり、高学歴の信者候補に当たりを付ける役割を担った。
オウムのラーメン屋の「うまかろう安かろう亭」では、スポーツドリンクのサービスを餌にアンケートに答えさせるという狡猾な手口が使われた。
余談
- 教団の事業の中では閑職であったが、信者達は麻原から仕事の意義について説かれるとやる気になったという。
- 後述の常連客である岸部四郎は番組で共演した麻原に常連であることを話すと、教祖然としていた麻原が普通の人のように喜んでいたことを話している。
関連項目
岸部四郎:常連客だった。