概要
1995年3月20日朝に東京都の地下鉄で発生した、神経ガスのサリンを使用した無差別テロ事件。
犯行はオウム真理教の信者によるもので、首謀者は教祖である麻原彰晃(松本智津夫)など。
サリンが撒かれた列車は、営団地下鉄(現:東京メトロ)千代田線・日比谷線・丸ノ内線を走る合計5本。これらはいずれも霞ケ関駅を通る路線であり、国家機能の中枢を担う官庁職員を狙う意図があった。
事件発生後、都内のほぼ全ての救急車が現場となった駅に集結。築地駅近くの聖路加国際病院は災害発生による大量の被害者の治療を考慮した設計がなされていたため、被害者の治療に大きな役割を果たした。
更にサリン中毒の治療にはプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)が必要だが、元々の用途が有機リン系の農薬中毒の治療に用いるもので、病院に大量にストックされるような物ではなかった。しかしサリン中毒の治療にはPAMを2時間に2本のペースで投与しなければならないため、あっという間にストックを使い果たしてしまう。病院から緊急要請を受けた薬品卸会社は東海道新幹線沿線の営業所、病院、診療所からPAMを集め、名古屋駅から新幹線に乗った社員に停車駅で直接受け渡す作戦で輸送した。その結果、大事件にも拘わらず死亡者が14人と少なかった。
なお、死亡者が少なかったとはいえ、毒ガスにより身体機能に甚大な障害が残った被害者は多くいる。サリンのせいで障害を負い、まともな生活ができなくなったり、寝たきりといった者も多い。
フィクションの世界では、秘密結社が世界征服の一環で毒ガス散布テロを起こすというのはよくある物語だが、それを現実世界で唯一実行したのがオウム真理教だったのである。
この事件は、平時の大都市で化学兵器を使用するという世界的に類を見ない事件だったため、日本のみならず国際社会にまで大きな衝撃と影響を与えた。
世界各国で化学兵器を用いたテロ対策のマニュアルが作成される契機となり、そのモデルケースとしてこの事件が教訓とされた。
また、海外からオウム真理教とその後継団体がテロ組織認定されており、現在でも解除されていない。
実行犯
豊田亨、広瀬健一、横山真人、林泰男、林郁夫の5名。
林郁夫を除く4名は教団内の科学技術省の次官で、総指揮を執った村井秀夫の部下であった。
林郁夫のみ麻原の指名で加えられたが、理由は不明。
サリン散布の方法
ビニール袋に詰めたサリンを新聞紙に包み、これを電車内で床に置き、先端を鋭利に尖らせた傘で突き破って漏出させるという手口がとられた。
なお、この日は東京は一日中晴れであり、かなり目立っていたであろう。
新聞紙には、疑惑を他の団体に逸らす目的でしんぶん赤旗や聖教新聞が使われた。
実行犯は一人あたりサリンを2パック所持したが、林泰男のみ3パック所持し、最も大きな被害を出した。
逆に横山真人は2パックのうち1パックしか突き破れず、担当列車から死者が出なかった。
その後
この事件は、数日後に予定されていた警察からの強制捜査を逃れる目的で起こされたとされるが、オウムの狙いとは裏腹に強制捜査は予定通り実行された。
オウム側は証拠隠滅を図った為、数々の問題はあれど決定的な証拠は見つからなかった。
しかし、翌月になって別件で逮捕していた林郁夫がサリンを撒いたと供述。彼の全面自供によりオウムの犯行である事が確定し、同時に芋づる式に犯行メンバーが逮捕された。
唯一、送迎役の一人であった高橋克也のみ逃走を続けるも、2012年に逮捕。
これにより一連の刑事裁判が終了し、麻原含む13人の死刑が2018年に執行された。
オウム真理教は消滅し、関連施設も早々に取り壊されて更地や公園にされた為、今となっては事件の痕跡は窺えない。
それでも不定期的にこの事件を検証・再現した特番が放送されるなど、日本社会に確かな負の足跡を残している。
事件から25年を目前にした2020年3月10日には被害者女性が低酸素脳症で亡くなり、死者が14人となった。
余談
- この事件の影響は、何ら関係のない他県の学生にまで及んだ。修学旅行で東京に行く学校は、行先を変更したり、修学旅行自体を中止する対応が相次いだ。予定通り東京へ向かった学校も、地下鉄の利用を一切禁止するなどの対応をとった。
- 死者が少なかったのは、サリンの純度が低かったことも影響している。時間をかければ高純度のサリンを生成できたが、前述の通り強制捜査が迫っていた事情から、納期短縮を優先せざるを得なくなり、低純度の状態で妥協した実情がある。もし時間をかけて高純度のサリンを生成していた場合は、被害は桁違いに拡大していたと予想される。
- 毒ガス攻撃の前例がなかった当時、病院の医師や警察はその正体が分からず究明に時間を要したが、逆に自衛隊から派遣されてきた医官は通常の医師は受けない戦時医療の教育を受けている為、症状からサリンが原因と想像できたという。
- 実行犯として逮捕され、死刑となった豊田亨は東京大学卒であり、戦後初の東京大学卒業者の死刑囚となった。帝国大学という括りで見ても戦後二番目である(一番目は1999年の下関通り魔殺人事件の犯人、九州大学卒)。
- 犯行現場はいずれも帝都高速度交通営団の路線内であるが、オウム真理教に対する鉄道会社側の損害賠償請求に東武鉄道が加わっている。これは、被害にあった電車の1本(第B711T列車 中目黒発 東武動物公園行)が東武の20000系第11編成であったためである。東武の請求は大部分が認められたが、それにもかかわらず、同様に被害を被った東日本旅客鉄道(該当列車は第A725K列車 203系マト67編成)は損害賠償請求を行った形跡がない。
関連項目
テロ 化学兵器 サリン オウム真理教
松本サリン事件:同じくオウム真理教により、長野県松本市の住宅街にサリンが撒かれた事件。この事件の前兆となった。