概要
1937年、京都帝国大学医学部を卒業。
聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、自治医科大学客員教授などを歴任。
100歳を過ぎても現役で医師を続けた。生活習慣病という言葉の生みの親でもあった。
よど号ハイジャック事件で人質になったことがあった。事件当時は、ハイジャックという言葉を知っている日本人は少なかったが、日野原本人は、説明できた。その事件をきっかけに、医師の名誉・名声より、命の大切さを考えるようになった。
地下鉄サリン事件での治療にも関わっていた。
1999年に文化功労者として選ばれた。
「葉っぱのフレディ 〜いのちの旅〜」というミュージカルの、企画と原案を担当した。
2017年【平成29年】7月18日の午前6時33分、呼吸不全のため、東京都世田谷区の自宅で死去。105歳没。実は生前、110歳になるまで、現役を続けることを目標にしていた。
聖路加国際病院
生没年から分かる通り、戦争を壮年として経験した明治末期の生まれであり、第二次大戦中には既に30代を迎えていた若手医師であった。
そのため、日野原の在任中に今の建物に建て替えられた聖路加病院は並の救急病院ではまずありえない、野戦病院かと思わせるほどの緊急事態に即応できる構造となった。
戦争を現役の医師として経験した日野原ならではの設計が盛り込まれたためである。
名前の通りキリスト教系の病院であるのでチャペルその他宗教施設も有するが、通路・先述のチャペルなど至る所に酸素供給器など医療機器接続口が用意されていて、緊急時には全てが医療フロアとして使用できる構造となっている。
結果として、1995年の地下鉄サリン事件では、これらの設備が全て活用され、多くの被害者を収容・治療することができた。
作家として
医学に関する本だけでなく、「いのち」に関する本なども執筆。また、共著なども多数存在。温かい語り口などで有名だった。