概要
妊娠と出産を扱う「産科」と、子宮と卵巣を中心とした女性特有の病気を扱う「婦人科」の合わさった分野である。
日本を含め多くの国では専門医資格は産科と婦人科で分かれてはおらず、専門医は必ず両方の経験を積んでいる。
一般の病院では「産婦人科」と看板を掲げているところも多いが、小規模な医療機関では婦人科のみの看板を掲げ産科を取り扱わないところも多く、また逆に大規模な病院では産科と婦人科が別部署として分業体制になっている場合もある。
婦人科では、子宮や女性器周辺の炎症や腫瘍、女性ホルモンに関係した疾病や性行為感染症などの治療、アフターピルなどの処方を行っている。
不妊治療は産科と婦人科の両方にまたがる分野であり、「産科」と「婦人科」のどちらの看板で対応するケースもある(が、先述の通り専門医資格は分かれているわけではないので本質的な違いはない)。
なお勘違いされやすいが、乳癌など乳房の病気を専門とするのは産婦人科ではなく外科(乳腺外科、胸部外科、一般外科など)である。
産婦人科では、出産前後の乳腺炎に限っては対応する場合が多く、またごく簡単な乳癌検診に対応可能な医院もあるものの、本来産婦人科の専門分野に乳房疾患は含まれず、専門的な診断や治療は行っていない。
フィクションではエロいイメージなどで取り上げられる事もあったりするが、現実の産婦人科はそのようなフィクションのイメージとは全く乖離した、極めてハードな職場である。
現実の産婦人科の窮状
産婦人科において、医療の逼迫はあらゆる医療分野の中でも特にに深刻である。
人間は頭部が大きいため難産になりやすい動物であり、出産時は血圧等も上がりやすいため、直前まで正常だった産婦が一気に母子とも危険に陥ったり、最悪母や子が死亡することもある。
今でも、世界全体でみれば妊産婦死亡率はなんと10万出生あたり223人。世界では妊婦の500人に一人は命を落としているのである。
本来的には、ヒトのお産とは命がけものなのである。
一方、お産はいつ起きるかわからないものであり、陣痛促進剤は存在するが狙ったとおりに効かない場合も多く、また効いてもピンポイントで時間指定させて産ませることは不可能である。
このため産科医の対応はどうしても24時間体制になってしまい、勤務体系は非常にハードかつ不規則になりやすい。
また、なかなかイメージされにくいかもしれないが婦人科のほうも産科を併設するような総合病院などでは大きな手術を担うことが多く、また対応する内科がないため癌に対する化学療法などもすべて婦人科で行っており、その修練すべき業務内容は非常に多岐かつ膨大である。
しかしながら、日本の産婦人科医の給与水準は欧米の先進国に比べればかなり低めとなっている。
そんな中でも、日本の周産期死亡率は10万出生あたり3~4人と世界でもトップクラスに低い。
日本で安全にお産が行えているのは、まさに産婦人科医の献身的な努力の賜なのである。
しかし、この周産期死亡率の低さゆえに多くの一般人は「お産は別に危険なものではない」と思い込んでおり、出産=喜ばしいことだけが起きるイベント、としか考えない人が多い。
そのため突発的で不可避な出産トラブルで死亡したり重大な後遺症が残ったりするとその衝撃はきわめて大きく、仮に医療の過程にミスがなかったとしても家族などから「医療ミスがあったのでは?」と疑われやすく、訴訟に至る可能性はあらゆる診療科の中でも高い。
こうした状況にもかかわらず、マスコミや一部市民団体は自らの利益を目的として遺族を焚き付けて過度に医師をバッシングするケースが残念ながら多々ある。
このことから1990年代以降次第に医学生が産科を目指さなくなる風潮に拍車がかかり、各医大でも新規入局者が誰もいない年度がある場合も多くなっていた。
この流れが決定的となったのが、2004年にミスのない母体死亡において結果だけを重視した警察が刑事事件化を強行した「大野病院産科医逮捕事件」である。
当時は画期的な逮捕だと警察表彰までされ、一部マスコミも医師を激しくバッシングしたこの事件、判決でこそ冤罪だったと確定したものの、この事件が全国の産婦人科医や医学生へ与えた影響は非常に大きく、産科医療の人手不足にさらに追い打ちをかける悪循環となってしまった。
従来「産婦人科」の看板を掲げていた病院でも、医師が疲弊したり高齢化したりで産科の扱いを取りやめざるを得ず、「婦人科」のみにするケースも増えているのである。