概要
漢訳仏典では「荼枳尼」と表記される。男性版は「ダーカ」という。
インド神話では空中を舞い、女神カーリーに随伴し敵対者の肉を喰らう夜叉女(ヤクシニー)とされるが、ヒンドゥー教では悪霊や邪悪な魔女とも認識されており、彼女たちを抑える神としてハヌマーンが知られている。
大乗仏教に取り入れられてからもしばらくはダーキニーは危険視されその災いを避ける呪文が作られたりしていたが、次第に護法神としての地位を持つようになる。
護法神になった経緯として、大日如来が大黒天に化身して人間を喰らっていた荼枳尼を口に入れ懲らしめた等のエピソードがある。
性的な要素が見られるようになる後期密教になると、男性行者の修法パートナーの名称となり、男女の仏尊格が抱擁・交合するヤブ・ユムの女尊たちもこの名で呼ばれるようになった。
この場合のダーキニーは日本語では「明妃」と訳される。
『大日経』の教えを図案化した胎蔵曼荼羅では外金剛部院(曼荼羅を囲むように配置される、天部神からなる部分)の右側に配置される。
この曼荼羅でも複数の存在(荼枳尼衆)であるが、日本渡来後、やがて単独の神「荼枳尼天」として信仰されるようになる。
性的教義を含む後期密教がインド仏教の最終形態であるが、中国社会の倫理観には受け入れられず、したがって日本にも伝わらなかったが、それでも中世には謎のセックス教団が生まれていた。チベット仏教には後期密教も伝わっている。
性的教義は現代では行いにくいため、性的要素はあくまで象徴として性交などせず観想に留める。
オウム真理教では
オウムには「不邪淫の戒」というものがあり、邪淫=性行為は厳禁であった。
しかし、麻原は最終解脱者であり、世俗のあらゆる戒律に囚われない特別な存在という理屈のもとに例外とされ、美人の信者を囲って愛人にしていた。
その数は30人以上と言われ、中には幹部とダーキニーを兼任している者もいた。
彼女たちには破格の好待遇が与えられたが、その条件は当然ながら麻原との頻繁な左道タントライニシエーションであった。
これにより多数の婚外子が生まれており、その正確な人数は今なお不明。
尚、麻原は黒髪ロングが好みだったとされる。
この名残で、現在でもネットスラングとして愛人をダーキニーと呼ぶことがある。