慶應義塾大学(慶応義塾大学)とは、日本の私立大学。大学の略称は慶應(慶応)、慶大。慶應義塾が所有している
概要
1858年(安政5年)、福沢諭吉によって築地鉄砲洲に設立された蘭学塾を起源とする。
1868年(慶應4年)、新橋銀座(現在の港区浜松町に当たる)の有馬屋敷跡に移転、年号から「慶應義塾」と名を改めた。これが現在の大学名の元である。なおこの年に明治に改元された。
1871年(明治4年)、現在地である港区三田(島原藩の中屋敷跡であった)に移転。医学所から大学部、そして私立大学へと時代に合わせて変遷しつつ現在に至る。
「独立自尊」「実学」などの7つの精神のもと、自分の頭で考えることができる人材の育成を目的としている
『大学ランキング2024』では「科学研究費」「女性教員数ランキング」などが、国内私立大学の中で1位になり大学発ベンチャー企業数でも1位を獲得するなど新進気鋭な人材が多い事でも知られている
早稲田大学と共に私大における最難関大学として知られ、これら2大学をまとめて早慶と呼ぶことが多い
在籍する学部・大学院の正規生は入学と同時に学生健康互助組合の組合員となり同時に医療給付と予防給付を受ける事が出来る
医療給付制度では医療機関を受診した場合、窓口で支払った負担金の一部が給付される。前提条件として、一般の病院や診療所では健康保険証を提示、慶應義塾大学病院では学生証と健康保険証を提示して受診することが必要となっている
学部
- 文学部
- 経済学部
- 法学部
- 商学部
- 医学部
- 理工学部
1939年設立の『藤原工業大学』(機械工学科・電気工学科・応用化学科)が前身で、1944年に慶応義塾に寄付、慶應義塾大学工学部を経て1981年に現在の名称に。
- 総合政策学部
- 環境情報学部
- 看護医療学部
1918年に設立された『慶應義塾大学医学科付属看護婦養成所』が源流(のち医学部に昇格)。
1922年設立の『医学部附属産婆養成所』と1944年に合併、『医学部附属看護婦産婆養成所』⇒『医学部附属女子厚生学院』(1950年)⇒『慶應義塾看護短期大学看護学科』(1988年、2003年廃止)を経て2001年設立。
- 薬学部
1949年に設置された『共立薬科大学』が前身。2008年に慶應義塾と合併。
2020年、2023年4月をめどに東京歯科大学歯学部を慶應大に統合することを検討すると発表されたが後にコロナ禍の影響を名目に期限を定めず延期すると発表された
(詳細はこちら。)
因みに、東京歯科大学は、高山紀齋が設立した『高山歯科医学院』を高山の門下生・血脇守之助(野口英世の支援者として知られる)が継承した『東京歯科医学院』が前身で、高山と血脇は慶應義塾出身でもある。
主な卒業生
※卒業生は『塾員』と呼ばれる。
政治家
橋本大二郎(元高知県知事)
文芸
荒俣宏 池井戸潤 遠藤周作 大沢在昌 金城一紀 草野心平 柴田錬三郎 鈴木光司 つかこうへい
荻野アンナ - 現:文学部教授。
美術
漫画家
小川悦司 田森庸介 なりゆきわかこ ヒサクニヒコ 細野不二彦 よしながふみ
芸能・音楽
唐沢貴洋 石坂浩二 石原良純 四代目市川猿之助 緒方佑奈 金尾哲夫 加山雄三 北山陽一(ゴスペラーズ) 小出恵介 こがけん 小林亜星 崎本大海 櫻井翔 白川澄子 鈴木勝大 TOBI(レ・ロマネスク) トリンドル玲奈 中田敦彦 中村雅俊 野田洋次郎(RADWIMPS) ふかわりょう フランキー堺 別所哲也 松来未祐 水嶋ヒロ ミッツ・マングローブ 山崎怜奈 濱尾ノリタカ 彩雨(摩天楼オペラ) 涼平(元彩冷える、メガマソ、現MIGIMIMI SLEEP TIGHT)
放送関連
ゲームクリエイター
その他
水野晴郎 - 映画評論家・映画監督
竹田恒泰 - 環境学研究者、評論家、現:大学院法学研究科講師(憲法学)。
スポーツ関連
サッカー
野球
引退:佐々木信也、高橋由伸、浜崎真二、藤田元司、別当薫、水原茂、山下大輔
陸上
主な教職員
※慶應義塾出身でない人物。
現役
竹中平蔵 - 名誉教授
元教職員
森鴎外 - 文学科顧問
折口信夫 - 文学部名誉教授
平沼騏一郎 - 法学部政治科教授
北里柴三郎 - 医学部教授
志賀潔 - 医学部教授
関連タグ
慶應義塾 慶應義塾大学医学部 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス/SFC 幼稚舎
ラーメン二郎 - 本店が三田キャンパス付近にある。別名「塾生の豚の餌」(※最大限の賛辞)
田村淳(ロンドンブーツ1号2号) - 法学部通信教育課程に在学中。
京王電鉄:同じ読みではあるがこちらは東京と八王子を結ぶという意味である。