誘導
『文豪とアルケミスト』の登場人物。→草野心平(文豪とアルケミスト)
概要
1933年に『宮沢賢治追悼』を発表、これが後に賢治の作品が世に知られるきっかけとなる。それまでは花巻に住む無名の詩人だった賢治の名が知られるようになったのは心平の努力によるものである。その後、友人である高村光太郎も賢治を研究した。
1935年に詩誌『歴程』を主宰。
1987年、84歳で文化勲章を受章した。
人物
酒を好んだ詩人であり、戦後の心境をうたった『わが抒情詩』でも「去年はおれも酒をのみ」と言うフレーズがあるほど。自身も居酒屋「火の車」、バー「学校」、焼き鳥屋「いわき」を経営した。この店には文人仲間が集まり、光太郎は智恵子夫人を連れてよく訪れた(嵐山光三郎『文人悪食』)。また、腕っぷしも強かったようで、檀一雄と掴み合いの喧嘩をした末、親友となった。
詩
「蛙の詩人」とも呼ばれており、蛙を題材とした詩で有名。「るるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」(『生殖 Ⅰ』)という文字の連なりで蛙の卵を表現したり、「ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ」(『号外』)や「ケルルン クック」(『春のうた』)といった特徴的なオノマトペで蛙の鳴き声を表現するなど形式的にも奇抜なものが多い。「●」1個で冬眠中の蛙を表現した『冬眠』は、最も短い詩としてギネスブックに登録されている。