萩原朔太郎
はぎわらさくたろう
萩原朔太郎(1917~1942)は日本の詩人。近代詩における口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓した功績から日本近代詩の父と呼ばれている。
家は父親が開業医であったことから比較的裕福ではあったものの、生まれつき病弱でなおかつ神経質であったために孤独な学生時代を過ごす。音楽や詩作を愛しており、この頃から頻繁に文芸・音楽活動を行っていた。しかし、なかなか安定しない精神に苦悩し、さらに生来の病弱もたたって、高校・大学ともに落第を経験する。
1913年に出版された雑誌『朱欒』にいくつかの詩を発表し、詩人として出発した。雑誌を作った張本人である北原白秋に才能を認められる。またこの雑誌を通して出会った詩人である室生犀星とは生涯の良き友となる。
出会って当初は互いに影響を及ぼしあったり、共に旅に出たりするほど仲が良かったが、後年は作風の変化及び室生犀星が小説家へと方面を変えたからか、しだいに疎遠になっていった。しかし終生友情を互いに忘れなかったという。
文壇での評価を勝ち得ていくにしたがって、実生活もしだいに忙しさを増していった。詩作から詩論、雑誌の編集、三好達治・堀辰雄・梶井基次郎といった門下生の指導に奔走する。後年までこのような生活を送る。そのためか、よき結婚生活には恵まれなかった。離婚や父の死が重なり、生活は荒廃を始めるようになった。
晩年は後進の指導と詩論に尽力した。急性肺炎で自宅にて亡くなった。満55歳没
生来の気質と、どこかぼんやりとした様子からか、ちょっと不思議な逸話が多い。
詩人谷川俊太郎は、この人を思い浮かべるとき、何故かご飯を食べるときにポロポロ零しながら食べていた様子を思い出す(この話自体は萩原の身内から聞いたものであり、実際に谷川本人が目にしたわけではない)と語り、親友である室生犀星は「人と話をするとき、恥ずかしいのか知れないが何故か人の顔を見ないように目線を落として話をしていた」と後年語っている。
また萩原の師匠とも呼べる北原白秋は、萩原が恥ずかしそうに実の娘のことを語る姿を見て、まったく変な奴だと笑いながら語っている。
また、結婚生活が破たんし、離婚した萩原の元妻は「今考えると何故離婚したのかよく分からないほど、萩原は本当にいい人だった」と語っている。
どこか不思議でユーモアのある人物であったようである。
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