この人物をモデルにした『文豪とアルケミスト』の同名人物は室生犀星(文豪とアルケミスト)参照
概要
室生犀星は小畠家の小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときである。
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」
高等小学校を中退して12歳で働きはじめた犀星は、文学への思いを募らせて20歳で単身上京、生活苦にあえぐなかで数々の詩をつくった。
24歳の時、「朱欒」に詩が連続掲載され、晩春、同誌を見た萩原朔太郎より手紙をもらう。以後、彼らは文通をはじめ、翌年前橋の萩原を訪ねる。(二人は終生の親交を持ったがお互いの第一印象は最悪だったらしい)
1930年代は小説も多く執筆していて、1934年には「詩よ君とお別れする」を発表し詩と訣別したが、実際はその後も詩作を続けている。戦後は小説家としての地位を確立した。
1962年、肺がんのために死去。
交友
一番の友。
室生を詩人として認め、引き上げた人物。
田端文士村での仲間。
死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。
作品
『愛の詩集』(1918年)
『抒情小曲集』(1918年)
『性に目覚める頃』(1933年)
『あにいもうと』(1934年)
『杏っ子』(1957年)
『かげろうの日記遺文』(1958-59年)
『蜜のあはれ』(1959年)
その他
文豪とアルケミスト:室生犀星をモデルにした同名のキャラクターが登場する。
月に吠えらんねえ:室生犀星とその作品をモデルにしたキャラクター「犀」が登場する。