※文豪とアルケミストの同名文豪に関しては、川端康成(文豪とアルケミスト)へ。
概要と経歴
1899年(明治32年)、大阪生まれ。東京帝国大学国文学科卒。横光利一らと共に新感覚派の旗手として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』『千羽鶴』『眠れる美女』など、情緒的な表現に優れた秀作を多く手がけた。三島由紀夫とは縁が深い。
1968年(昭和43年)には、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した。
なお、これはヨーロッパ系言語を話さない作家による受賞としても史上初の偉業。
1972年(昭和47年)4月16日夜、仕事場にしていたマンションの一室でガス自殺する。72歳だった。
文豪には誰しもどうかしている逸話というのがいくつかはあるもので、友人がたずねてきたときは2時間一言も喋らず友人が帰ろうとしたら「まだいいじゃないか」と喋ったとか、金に困って菊池寛から借りようと思い立ち、菊池のことを1時間ほど無言で見つめ続けて金を出させたという逸話が残る。
作品について
ノーベル文学賞受賞者だからといって誤解を招いているが、実は川端文学の文章自体は案外平易で簡潔である。しかも一文あたりが短く、一文で改行していることが非常に多い。
ただただ、その言葉選びが実に巧みなのである。
逆に、夏目漱石や三島由紀夫などこねくり回したような文章に読み慣れていると、この簡潔な文章は面食らってしまうかもしれない。逆に文章が簡潔であるということは、必要最低限の情報しか書かれていないため、ある程度読者に想像力が求められる部分もある。なので、同じ能力が求められるライトノベルに読み慣れている人ほど、サラッと読めてしまったりもする。
それから、川端康成は校正の鬼としても知られている、モットーは100字書いたら99字は消す、校正は1回書いたら100回は繰り返すほど、校正という作業の重要さを説いた作家でもある。なので、最初から少ない情報量で書いているわけではない。
ちなみに、川端康成の短編集に『掌の小説』というものがあるが、校正による文章削除をあまり施していない、ある意味新鮮な川端小説を読むことができたりする。
関連タグ
- 三島由紀夫⋯川端の弟子。三島は川端の宅に押しかけ、川端は「君は文壇家になりたいのか?小説家になりたいのか?」と質問。三島は「有名な作家になりたい」と返す。「僕を利用しようというのだな。愚か者め」と川端は一喝するが、川端は三島を気に入り弟子にする。
- 太宰治⋯彼を芥川賞に選ばなかったことで、太宰から「刺す」と恨みを持たれた。
外部リンク
- 川端康成(Wikipedia)