日本の細菌学者。1870年、宮城県・仙台市生まれ。北里柴三郎の弟子。
概略
1870年 12月18日、仙台市に生まれる。
1883年 母の生家・志賀家の養子となり、名を潔と改める。志賀家は代々、仙台藩伊達家の藩医(藩専属の医者)の家系であった。
1887年 東京へ遊学しドイツ語を学ぶ。1892 年東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学。
1896年 伝染病研究所に入り、北里柴三郎に師事。
1897年 赤痢菌に関する最初の研究を発表。
1901年 ドイツへ留学し、エールリッヒに師事。1904 年にはエールリッヒと共著で「トリパノゾーマの化学療法」を発表。
1911年 再び渡欧し、エールリッヒに師事。2 年間、結核の化学療法を研究。
1914年 伝染病研究所を北里柴三郎と共に辞め、翌年北里研究所開所にあたり、第一部長となる。
1920年 朝鮮総督府医院長として朝鮮に渡る。その後11 年間京城に留まり医学教育、医事行政に深く関わる。
1931年 帰国し、北里研究所顧問となる。75 歳まで同研究所で細菌学の研究を続ける。
1955年 1月25日、老衰のため死去。85歳。