概要
1929年2月13日生まれ。鹿児島県鹿児島市車町出身。本名・堺正俊。
慶応義塾大学在学中に進駐軍相手のジャズドラマーとして演奏したことをきっかけに芸能界を目指す。芸名の「フランキー」はこの頃自らつけた。
その後俳優となり、1957年川島雄三監督の映画『幕末太陽傳』で主演し同年のブルーリボン賞主演男優賞を受賞する等高い評価を得た。
テレビに活動の場を移してからは『私は貝になりたい』『赤かぶ検事』シリーズで主演。『霊感ヤマカン第六感』の司会も務めた。
『幕末太陽傳』で自分を主役に起用した川島監督の「一緒に写楽の映画を撮る」と言う遺志を継いで私財を投じて東洲斎写楽の研究を行い、1995年の映画『写楽』で版元の蔦屋重三郎役での出演・企画総指揮・脚色を務め30年越しに川島監督の遺志を実現した。
1996年6月7日未明に吐血して入院し、6月10日に肝不全で死去した。