概要
本名・喜多川柯理(からまる)。通称・蔦重・蔦十。
江戸新吉原に本屋耕書堂を開業。日本で作家に原稿料を支払うことを最初に行った出版元。黄表紙・洒落本・錦絵などを版元として刊行した。寛政の改革において、山東京伝の作品を出版していたことが原因で財産の半分没収等の処分を受けた。これは大衆への見せしめの意図で行われたが、これが大きな痛手となり、店は急速に衰退。自身も40代のうちに大病(脚気とされる)で亡くなる最期を遂げた。実子を成さなかったため、店自体は手代をしていた者が継ぎ、その手代の家系が細々と経営する形で続いたようだが、幕末の四代目の頃に経営が行き詰まり、明治を待たずして廃業したという公式記録が残っている。それとは別の異説として、五代目が後を継ぎ、店の業態を更に縮小。時代の変わった明治の初期まで小売専門の本屋を続けたが、五代目が自分の後継者を出せず、店はそのまま廃業に至ったとも言われるため、彼の残した店の存続期間には数十年のブレがあるが、遅くとも明治10年代に入った頃には廃業していたのは間違いないとされる。
人物像・エピソード
作家や浮世絵師を積極的に保護しており、例えば東洲斎写楽の浮世絵は、この版元から出版されている。また自身は狂歌師として蔦唐丸(つたのからまる)の名で活動しており、大田南畝ら江戸の狂歌師と親交があった。
自宅に一時期、喜多川歌麿・十返舎一九・曲亭馬琴が寄宿していた。
彼自身は一代で栄光から奈落への軌跡を辿った立志伝の典型例であるが、江戸時代も後期に差し掛かる平和な時期にしては稀な平民から商人に転身し、一時でも江戸随一の版元に登り詰めた立志伝の持ち主でありつつ、体制の政治的都合によって、没落を余儀なくされたという悲劇性も孕むため、近年は世間の注目を浴びている。
関連タグ
べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~:蔦屋重三郎(演:横浜流星)を主人公とした2025年度大河ドラマ。
TSUTAYA:創業者である増田宗昭の祖父の屋号である「蔦屋」にあやかって命名した。その祖父は重三郎に憧れて同じ屋号にしたという。