慶應義塾大学病院(けいおうぎじゅくだいがくびょういん)は、慶應義塾設置の大学病院。
慶應義塾大学創設者の福澤諭吉が研究を支援していた北里柴三郎(初代病院長)の尽力のもと1920年(大正9年)に開院した。
多くの芸能人や著名人や政治家が利用している
診療科等
内科系
呼吸器内科
循環器内科
消化器内科
腎臓・内分泌・代謝内科
神経内科
血液内科
リウマチ・膠原病内科
総合診療科
小児科
精神・神経科
外科系
一般・消化器外科
呼吸器外科
心臓血管外科
脳神経外科
小児外科
整形外科
形成外科
麻酔科
産科
婦人科
眼科
皮膚科
泌尿器科
耳鼻咽喉科
放射線治療科
放射線診断
歯科・口腔外科
リハビリテーション科
救急科
臨床検査科
病理診断科
専門外来
沿革
1858年(安政5年) - 福澤諭吉、江戸築地鉄砲洲に蘭学塾を開く(慶應義塾の起源)。
1873年(明治6年) - 慶應義塾医学所|医学所開設。校長松山棟庵(1880年廃校)。
1917年(大正6年) - 北里柴三郎を招聘して医学科予科を開設。当初は三田の旧慶應義塾普通部|普通部教室を主に使用し、理化学などの特殊学科のみ綱町の普通部新教室を使用した<
1919年(大正8年) - 四谷区信濃町 (新宿区)|西信濃町に新校舎を開設、医学科本科授業開始。
1920年(大正9年) - 慶應義塾大学大学院医学研究科・医学部|医学部開設。慶應医学会発足。'''慶應義塾大学病院'''として開院。
1921年(大正10年) - 『慶應医学』創刊
1932年(昭和7年) - 別館病棟竣工。
1945年(昭和20年) - 空襲により病院本館・基礎医学教室など建物の約6割を焼失。
1948年(昭和23年) - 病院本館竣工。
1950年(昭和25年) - 厚生女子学院開設(看護婦養成所を改称)。
1952年(昭和27年) - 「ほ」号病棟(後の臨床研究棟)竣工。
1953年(昭和28年) - 「に」号病棟(後の6号棟)竣工。
1954年(昭和29年) - 特別病棟(後の7号棟)竣工。
1963年(昭和38年) - 中央棟竣工。
1965年(昭和40年) - 1号棟竣工。
1970年(昭和45年) - 5月26日から28日にかけてベースアップを求める職員によるストライキが行われる
1973年(昭和48年) - 亀谷記念伊勢慶應病院、慶應義塾へ移管(翌年伊勢ひかり病院と改称)。
1977年(昭和52年) - 天城湯ケ島町|月が瀬リハビリテーションセンター竣工(2011年閉院)
1987年(昭和62年) - 新棟竣工。
2003年(平成15年) - 伊勢慶應病院閉院。
2009年(平成21年) - 健康情報ひろば開設
2011年(平成23年) - 東日本大震災の被災地に救援医療団を派遣
2012年(平成24年) - 南棟(3号館)竣工(予防医療センターを開設)
2018年(平成30年) - 新病院棟竣工
2022年(令和4年) - 新病院棟がグランドオープン。
2023年(令和5年) - 予防医療センターが虎の門・麻布台に移転。