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福澤諭吉

ふくざわゆきち

19世紀の日本人。幕末の武士であり、幕末から明治末期にかけてを啓蒙思想家や教育者として活動した。慶應義塾の創設者としても知られる。
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概要編集

福澤諭吉(ふくざわ ゆきち、1835年 - 1901年)は、19世紀日本人幕末武士中津藩)であり、幕末から明治時代末期にかけてを啓蒙思想家教育者として活動した。慶應義塾の創設者としても知られる。


一万円紙幣肖像画は、1984年(昭和59年)から現在まで四半世紀以上に亘って福澤諭吉であり、先代の聖徳太子に替わって「諭吉」は「一万円紙幣」及び「一万円」の代名詞になってきたが、肖像人物が変更される今後は置換されるに違いない。

下に例示したのは、歴代の一万円紙幣の肖像人物を含むイラスト。聖徳太子は1枚目、福澤諭吉は2枚目の右。3枚目は渋沢栄一(2024年度発行予定にある新紙幣の肖像人物)。

聖徳太子連続漫画「タイムケンネル」第06回。渋沢栄一 (鉛筆画)

有名な名言として以下のものがある。

  • 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず (cf.Wikipedia)

  ※この一節に関する世間の誤解については「学問のすゝめ」節にて詳説している。

表記揺れ等編集

tag1は小説を含む全作品が検索対象で、タグ数は完全一致検索で検出される作品の総数を意味する。tag2はイラスト部分検索結果。いずれも検索結果の数字は2024年3月20日のもので、随時更新推奨。

  福澤諭吉tag1,tag2)(作品総数: 33〈画: 27、文: 6〉|イラスト部分検索数: 29)… 本項

  福沢諭吉tag1,tag2)(作品総数: 584〈画: 413、文: 171〉|イラスト部分検索数: 841)

  • 類義語

  諭吉tag1,tag2)(作品総数: 107〈画: 99、文: 8〉|イラスト部分検索数: 1,173)


生涯編集

豊前国下毛郡中津界隈(現在の大分県中津市周辺地域)を治めていた中津藩に仕える下級藩士の、4人兄弟姉妹の次男・末っ子として、天保5年(西暦1835年)に生を受ける。生誕地は中津藩の大坂蔵屋敷(現在の大阪府大阪市福島区福島にある豊前国中津藩蔵屋店舗之跡に相当)であった。

土方歳三とは同年の生まれで、誕生日は岩崎弥太郎と一日違い。


天保6年(1836年)に父を亡くすと、家族ともども大坂から帰藩し、中津で暮らすようになる。

儒学を収めた有能な父が厳しい身分制度に阻まれて出世も叶わずに世を去ったことは、封建制度に対する諭吉の見解の根幹をなすことになった。


緒方洪庵蘭学を学び、安政5年(西暦1858年)、江戸鉄砲洲(東京都中央区)で蘭学塾を開く。英学の重要性を痛感し、英学をも修め、幕府使節に随行し、3度欧米に渡る。


第二次長州征伐の時、尊王攘夷の長州を嫌っていた福澤は強硬に開戦を主張したが、長州征伐が実行されることになると当の福澤は「長州征伐という事の理非曲直はどうでもよろしい」と言いだし幕臣をやめてしまう。慶応4年(西暦1868年)、蘭学塾を慶応義塾と命名し(慶應義塾大学の前身)、以降、教育に力を注ぐようになった。


明治政府の申し出を再三断って在野の立場を貫き、明治12年には西周加藤弘之らと東京学士会院(日本学士院の前身)を創設して初代会長となり、同15年には『時事新報』を創刊。


長年の飲酒と喫煙が祟り、明治34年(1901年)、脳溢血で没。明治を代表する啓蒙思想家であった。


人物編集

その一生は福澤が語りおろした『福翁自伝』で赤裸々に語られている。


下記のエピソードにみるように、良く言えば常識にとらわれず、行動力にあふれた性格だが、悪く言えば外道自己中、無礼なキャラクターであった。同時代の人間からも、「ほらを福澤、を諭吉」などと言われている。


身分制を打破するために奮闘した一方で、娘の交際相手を「身分違いだ」と追い返したり、子息が放校処分になったのは学校のせいであるとしてモンスターペアレントと化したり、挙句自身の経営する慶應義塾に縁故採用したりなど、言行不一致を体現するエピソードは数多い。また、明治以降の正月には旧藩主の奥平家に正月の挨拶に行ったが、紋付きを着用しながら「これで大小(日本刀)を差したいな」と呟いたという。現存する福澤の写真はその保守的な性格もあってか殆どが和装で、洋装の写真は極端に少ない。

晩年には年を取ったこともあり、油っぽいステーキなどの洋食よりも、子供の時分からの好物であった麦飯やかぼちゃの味噌汁などの胃に優しい和食を多くとった。

エピソード編集

  • 福澤は幼少の頃からを好んでいたが、塾長になってからからもほとんどを酒の代に使っていた。ある時禁酒しようと決心し、友人にそそのかされて気を紛らわすため、それまで嫌っていた煙草を始めたという。ところが酒はやめられず、その内煙草もやめられなくなり、結局酒も煙草ものむようになった。
  • 夏はふんどしもせず生まれたままの姿。物干し台で酒が飲みたくそこにいた下女(塾の女性スタッフ)達を塾友が清々しい姿を見せて追っ払う。ある時、階下から呼ばれたので、下女が呼んだと思ってクールビズで出たら緒方洪庵先生の奥さんだった。この時に諭吉は酔っぱらっていたとも言われ、酒好きの彼が前述のようにらしくなく酒を止めようと決意したのはこの失敗をずっと悔いていた事が原因とも言う。
  • 大坂の街中で塾の仲間と示し合わせた大喧嘩を始め、恐れをなした町人がバタバタと店じまいをすると、「江戸の町人と違って意気地がない」と大坂市民をdisった。
  • 牛鍋屋にの解体を依頼され、土佐堀川に沈めて窒息死させ皆で解体。お礼に頭をもらい解剖実験材料にした(後で食べた)
  • の味噌漬とだましてフグを食べさせ、スマン、ありゃウソだ。ホントはフグだ」といって、狼狽する友人の姿を嘲り笑った(さすがに、毒の部分は抜いておいたらしい)
  • 友人同士で茶屋からの泥棒を楽しみ、盗んできた猪口や皿の数を競い合っていた。
  • 神社からご神体の石を盗み出して投げ捨て「こんな石ころを神様だなんて崇めてやがる」と旧弊を嘲笑った。
  • ある日禁酒に成功したと宣言した諭吉を怪しんだ友人が諭吉を訪ねるとビールを飲んでいた。禁酒したのではないのかと言うと「ビールは酒ではない」と言い訳した。
  • 早い時期から刀を捨てた諭吉だが日々の日課は居合中津藩で立身新流を学び皆伝を得た達人だった。一日千本の形稽古を抜いたこともあったという。それ程の腕前を持ちながら、幕末の動乱期に何度も攘夷派から命を狙われてもただの一度も刀を抜いていない。この点においては、犬猿の仲だった勝海舟と共通している。

  • 赤穂浪士、桃太郎を長男の一太郎に宛てた『日々のおしへ』という、子供にもわかりやすく平仮名で書かれた物事の道理を教える本でディスっている。少し長いが引用する。

「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」

(現代語訳、仮名を漢字に改めて掲載)「桃太郎が鬼ヶ島に行ったというのは、宝を取りに行くためであるといいます。何とものの道理に外れたことでしょうか。宝は鬼が大事にしまっておいたもので、宝の持ち主は鬼です。そういう持ち主がいる宝を理由もなく取りに行くのは、桃太郎は泥棒というべき、悪人です。もしその鬼がとんでもない悪者で、世間を騒がせるようなことがあって、桃太郎の勇気によって、鬼を退治するのはとても良いことですが、宝を持って家に帰り、お爺さんやお婆さんにあげたということは、ただ私利私欲のためにしたことであって、卑怯も甚だしいことです。」

この本には武士や貴族を『お金やお米がある故日々をぽかりぽかりと送るいやしき人』と皮肉っている。

  • 上野戦争の激しい砲音に塾生が気にする中、諭吉は平然と講義していた。
  • 後述の『学問のすすめ』を始め、多くの著作を著したが、明治以前の日本では著作権という概念そのものが存在せず、出版物は著作者ではなく実際に印刷した者(正確には印刷した版木の所有者)が権利者と考えられていたため、諭吉の著作から勝手に版木を製作して海賊版を出して大儲けをしようとする人が相次いだ(江戸時代の書物は手書か木版印刷がほとんどで一冊の本を作るためにはかなりの費用が生じたため、実際にそのコストを負担して本を製作した人の立場が強かったという事情がある)。これに憤った福澤は明治政府に欧米と同じような版権(現在の著作権のこと)の導入が必要であると主張して、版権を著作者の権利として認めさせた。


学問のすゝめ編集

「一万円札に描かれている人は福澤諭吉。福澤諭吉は『学問のすゝめ』を書いた人である。」というのは、日本人誰しもが義務教育で学ぶ一般常識である。

しかし、実際の内容を理解している人はほとんどおらず、冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズもあって、「人類平等を謳った本である」と大いに誤解されている


しかし、実際の内容はというと、全然違う。冒頭を要約すると以下のとおりになる。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われているが、世の中を見渡してみると、賢い人と馬鹿な人がいるし、身分にも貧富にもそのあり様には雲泥の差がある。その理由ははっきりしている。その差は学ぶか学ばないかで分かれる。学問に努める人は金を稼いで身分も高くなるが、無学な人は貧しく身分の低い人になる。」

(そもそも「天は~」というフレーズ自体アメリカ独立宣言冒頭の一文が元であり、福澤が自分で考えたわけではなく引用しているだけである。)


続けて福澤は数学・物理学・経済学・歴史といった「実学」こそが「学問」であり、「日常でほとんど役に立たない文学(例えばただ難しいだけの漢字を学んだり、古文を読み解いたり、和歌や詩を作ること等)」は学んだところでお金は稼がないし、意味がないとバッサリ斬り捨てている。


ここまで福澤が言っているのは、この本が刊行された明治維新直後の日本人にはまだ数百年続いた封建社会と儒教思想が染み付いていて、国学者や儒者のような権威者を崇めて、彼らの言うような「文学」を修めることが良いという風潮が残っていたわけだが「日本はもう近代国家に生まれ変わろうとしている。それらの意味のない文学はもはや時代遅れだ」ということを主張しているのである。


つまりこの本は「実学に励むこと」の理由と具体例を交えながら事細かに説明し、欧米の「近代的政治思想」を目指して「権威への服従を中心的価値観とする封建社会の民衆像を否定し、国民一人一人が民主主義国家の主権者たる自覚ある市民に意識改革する」ことを意図した啓蒙本なのだ。


だから「学問のすゝめ」というタイトルなわけである。

「日本の発展は知識人の双肩にかかっている。そしてその先導と責任は俺が担う!」という福澤の気概に満ちたこの本は、最初から庶民向けに読まれることを想定した易しい文体というのも手伝って、当時の日本国民に広く受容された。その結果当時の日本の人口が3,000万人程度なのに対して300万部も売れた(単純計算で日本人の十人に一人が読んでいる計算)という大ベストセラーになった。


ちなみにこの本にはこういった内容だけでなく、「実力以下の評価しか得られない」という悩みに対して「実は見た目の印象が重要であるので愛想のいい顔つきや話し方の必要性を研究しよう」といった、ちょっとした日常生活を円滑に進めるためのアドバイスも述べられている。(と言うか、これが本書の終章の内容)こういった庶民に寄り添った内容であったことも、ベストセラーになった要因だろう。


また「人類平等を説いた本である」というのは前述した通り誤解なのだが、「主従、男女、親子の儒教的上下関係」を「不合理な旧思想である」と否定し、男女同権論を展開する内容もあるなど、全く的外れというわけでもない。


主な著作編集

学問のすゝめ』『西洋事情』『世界国尽』『文明論之概略』『福翁自伝』


脱亜論』は、福澤の著作として紹介されることが多いが、福澤が発行人であった新聞「時事新報」の主筆であった石河幹明執筆説があり真相は不明である。福澤のアジアというか有色人種嫌いは事実だが日本人全体が平均的にそうであったので特に福澤だけということもない。


学問のすゝめを著しただけあって、福澤本人は大量の著作を生涯にわたって書き続けており、主な著作は100を超える。

変わったところでは、小銃の扱い方を記した「雷銃操法(福澤はライフルの音を借りて、小銃を「雷銃」と訳した)」や「西洋旅案内」という旅行ガイドブック、日本の皇族のあり方を論じた「帝室論」などを著している。


関連タグ編集

慶応

大隈重信:慶應義塾のライバル、早稲田大学の創立者。当人達の仲は良かったようである。

勝海舟:終生ソリが合わなかった相手。

榎本武揚:勝海舟とともに、著作「瘠我慢の説」において、降参したことを痛烈に批判している。

大鳥圭介:友人。榎本とともに「降参」した経歴があるが、こちらは批判されていない。

北里柴三郎 : 信念を元に取り組む姿に感銘を受けて懇意にし、いつか政府に裏切られる可能性を考慮して遺産という形で研究費30万円(当時価格約12億円)を託した。そして北里はその恩義に報いるべく私立北里研究所、そして日本医師会を設立して野口英世をはじめとする多くの細菌学者を輩出。今日までの細菌学の礎となった。


さらば諭吉


登場作品・モチーフにしたキャラ

福沢祐巳:名前をモチーフとしたキャラクター(マリア様がみてる

福沢諭吉(文豪ストレイドッグス):福澤諭吉をモチーフとしたキャラクター(文豪ストレイドッグス

福沢諭吉(ラヴヘブン):福澤諭吉をモチーフとしたキャラクター(ラヴヘブン

福沢諭吉(葵座異聞録):福澤諭吉をモチーフとしたキャラクター(葵座異聞録

福沢諭吉(ライズオブローニン):福澤諭吉をモチーフとしたキャラクター(ライズオブローニン

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