1836年10月5日~1908年10月26日
江戸の幕臣の子として生まれる。幼名釜次郎。
昌平坂学問所で儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学び、樺太探検に赴いた後、オランダへ留学。近代西洋的な政治や軍事を学び、オランダ建造の最新鋭軍艦開陽丸と共に帰国。大政奉還後の不穏な京都・大阪の情勢に幕府海軍の艦隊を率いて慶応3年末に大阪湾に進出した折には軍艦頭であった。
慶応4年1月4日には開陽丸で薩摩の春日丸・翔鳳丸を相手に日本初の蒸気船による近代海戦である阿波沖海戦を演じ、鳥羽・伏見の戦いの折には状況を把握する為に上陸し6日に大阪城に入るも、前日に大阪城より脱出した徳川慶喜が不在中の開陽丸に乗って江戸に敗走した為に、大阪城の武器・弾薬・金を幕府軍艦に積み込ませ、自身は富士山丸で大阪から江戸にもどる事となる。
海軍副総裁となった榎本は江戸無血開城を不服として、開陽丸、回天、蟠竜丸、千代田形を主力とする幕府の軍艦8隻を率いて蝦夷地(北海道)へ逃走。新政府が任命した箱館府知事を追放して箱館の五稜郭を拠点とし、榎本を総裁とする蝦夷島政府(榎本ら徳川家臣団は、別に日本からの「分離独立」を企てたわけではなく、徳川遺臣団の地方政権を目指していたに過ぎないので、「蝦夷共和国」の呼称は不適切である)を樹立した。
しかし、新政府に対しての強みであるシーパワーの象徴であった開陽丸が江差で座礁して失われた為にその力は急落し、更に新政府側が甲鉄艦を購入した為にパワーバランスは逆転する事となる。
最大の強みを失った蝦夷島政府軍は、大鳥圭介、土方歳三などの旧幕府軍・新選組などとともに侵攻してきた新政府軍に抗戦するも敗北し明治2年5月18日に降伏した。
黒田清隆や福沢諭吉の助命で投獄で済まされた。黒田に至っては、榎本のオランダ語の才を見抜き、政府に榎本の助命嘆願を行う際には剃髪までしており、坊主頭となった黒田の写真が残っている。
出獄後に北海道開拓にあたり、間もなく外交官に転じる。薩長藩閥主導の明治政府にあってその緩衝役を果たした。
義理人情に厚く涙もろい典型的江戸っ子で、明治天皇は彼を気に入っていた。薩長主導の政府に不満を持っていた東京の民衆から「明治最良の官僚」と謳われた。
国際法・農業・科学技術など多方面に通じ、外務大輔、議定官、海軍卿などを歴任した。郵便マークの「〒」を考えたのは逓信大臣だった頃の榎本ではないかとする説がある。東京農業大学の創設者でもある。
外国語に堪能な海外通だったが、明治政府が推進した欧化政策には批判的で、園遊会にはわざと和服で参列したりしている。
まや
た、江戸っ子気質であることを示す面白い逸話がある。榎本がアメリカのニューヨークに留学していた頃、たまたま食料品に買い出しに行った際、金額があまりに高すぎたため、榎本は店主に「まからねえか?(値段を負けて(下げて)もらえないか?)」と言ったところ、店主がマカロニの入った袋を持ってきたという。
登場作品
文学作品
安部公房『榎本武揚』(1964年。長編小説と戯曲がある。舞台では高橋昌也、永島敏行らが演じた)
門井慶喜『かまさん』
佐々木譲『武揚伝』
子母澤寛『生きゆきて峠あり』
綱淵謙錠『航-榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯』
童門冬二『小説 榎本武揚』
中薗英助『榎本武揚シベリア外伝』
テレビドラマ
『五稜郭』(1988年、日本テレビ年末時代劇スペシャル、演:里見浩太朗)
『勝海舟』(1990年、日本テレビ年末時代劇スペシャル、演:吉岡祐一)
『新選組!! 土方歳三 最期の一日』(2006年、NHK正月時代劇、演:片岡愛之助)
舞台作品
『結びの響、始まりの音』(2018年、ミュージカル『刀剣乱舞』、演:藤田玲)
漫画
『ちるらん新撰組鎮魂歌』『 修羅の刻』参巻(風雲幕末編 陸奥出海の章)
ゲーム
関連タグ
東京農業大学︰創立者。キャンパス内に胸像がある。
黒田清隆︰薩摩藩士。蝦夷征討軍参謀。のち総理大臣。五稜郭で降伏した榎本の助命嘆願に奔走、自ら坊主頭にしてまで政府首脳に頭を下げた。
榎本の釈放・政府登用後は無二の盟友として公私とも深く関わり、黒田の没後に葬儀委員長を務めたのは榎本であった。