概要
外交官とは、外務省に勤務して外交の職務を行う職員のうち、外務省本省などの国内施設ではなく、海外にある在外公館で働く職員のこと。外交官を送る国を派遣国といい、送られた外交官を受け入れる国を接受国と呼ぶ。接受国において派遣国の考え方や事情を伝えて理解を求め、接受国に滞在する派遣国国民の活動を保護するといった重要な任務を限られた人員でこなす責任の重い仕事である。場合によっては仮想敵国に単身で赴くような状況にもなるため、後述する外交特権を持たせる事で手厚く保護されている。日本では、外務省の花形として人気の職業である。
外交官の種類と職務
外交官は働く在外公館によって職務が大きく異なる。在外公館は大きく分けて大使館、領事館(総領事館)、政府代表部からなる。まず大使館は、原則として接受国の首都に置かれる。接受国政府との交流と交渉、接受国の政治経済などに関する情報の収集、派遣国の文化を接受国に紹介する文化交流活動などを行う。派遣国の接受国における外交官の代表者が大使館の長である大使(特命全権大使)である。領事館は接受国の主要都市などに置かれる。接受国に滞在している派遣国国民を犯罪や疾病、災害などから保護し、接受国の事情に合わせた通商の支援とビジネストラブルなどの解決支援を行う。政府代表部は国際連合をはじめとした国際機関に対して派遣国政府の利益を代表する在外公館である。その他、派遣国の立場や事情を接受国報道機関に伝える広報活動、派遣国からの政府開発援助(ODA)を接受国において実施しインフラ整備や技術支援などを通じて接受国の生活向上活動を行う仕事などもある。
仕事術
「腕のいい料理人を用意してくれ。そうすれば、会談で最高の合意を取り付けてみせよう」ータレーラン
外交官の職務は外交というが、具体的にはどのように仕事を行うのだろうか。仮に外交の仕事術に優れた外交官がいたとしよう。その仕事術は他国では知られておらず、数多くの外交交渉を成功に導いて派遣国の国益を増進したとする。この場合、その仕事術は国家機密に相当し、公開される事はありえないだろう。一般化すれば、現代外交官の仕事術は公表されず、百科事典に記載されることもないといえる。しかし昔の外交官の事例ならば、断片的に知られている。情報量が多い代表例としては、フランスの外交官タレーランの事例がある。タレーランの仕事術を端的にいうと、外交官の仕事とは接待であり、その数値目標とは面目である。冒頭に取り上げたように外交官タレーランは、重要な外交交渉となればまず贅を尽くした宴会を発注した。そして「一日の四分の三は、ダンスと宴会であった」と自ら語る外交官人生を送っている。国費で毎日豪遊とか結構なご身分だな、貴公の首はギロチンに吊るされるのがお似合いだ?ごもっとも。ところで豪華な料理を前に語られるのは最重要な外交課題であり、各国外交官はフランスの総力をあげた歓待で大いに自国の面目を立てた。そして得られた合意は、タレーランの狙い通りフランスにナポレオン戦争の責任を問わず領土を奪わないという内容になったのである(出典参照)。つまりこれがタレーランがダンスと宴会の日々を送った目的である。タレーランの外交は歴史的故事ではあるが、現代においても、料理と外交の関係は深いようだ。「首脳・王室料理人は各国の強力な大使であり代表者である」とも言われるほどである。
歴史
古くは使節や特使などとも呼ばれる。日本においては古代から中国・朝鮮との外交が中心であり、その歴史は2000年にも及ぶ。その中でも外交を担ったのは小野妹子、吉備真備ら朝廷の官吏だけでなく行基、玄昉などの留学僧も含まれている。また、中世・近世においては対馬を領した宗氏が仲介を務め、江戸時代においては長崎奉行も清・朝鮮王朝・オランダとの外交交渉・交易を担った。
また幕末においては老中・阿部正弘の命を受けた岩瀬忠震がペリーとの開国交渉に臨んでおり日米和親条約を結んでいる。
近代の外交官制度は、13世紀のイタリア諸都市国家が互いに交渉の為に代表者を送った仕組みに始まる。17世紀には欧州各国が同様に互いに外交使節を送るようになり、ウィーン会議において1815年に外交官に関する規則が合意された。また19世紀には国際的な貿易の増加に伴って、領事に関する制度も多数の二国間条約とその慣習化によって確立していった。古くより外交官は接受国において敵国の人間として敵視され、危害を加えられるリスクが多かった。そこで外交を効果的に展開する為に、国際慣習法として様々な特権が付与されるようになり、1961年の「外交関係に関するウィーン条約」によって大使館に所属する外交官の外交特権がまとめられた。
外交特権
先述のウィーン条約などで国際法となった、外交官の有する特権が外交特権である。大使及び大使館に勤務する外交官の身体・書類・財産・通信などが接受国において不可侵とされ、接受国による刑事・民事の裁判権や課税権なども及ばないものとされる。その他、外交官が勤務する在外公館も不可侵で課税が免除されるなどの規定が定められている。なお、領事館に勤務する外交官の特権は領事特権と呼ばれて、重大犯罪に限っては接受国による逮捕が認められるなど外交特権よりは制限されている。また、在外公館に勤務するが外交を職務としない、事務員や役務員などにも限定的な特権が与えられている。
外交官が何らかの違法行為を行った場合に、外交特権によって免責されることが問題視されることがある。だが、派遣国は事情を調べた上でその外交官の外交特権を奪い、接受国の法に服させることもできる。また、接受国は特定の外交官を「ペルソナ・ノン・グラータ」(Persona non grata 原義は「厭わしい・好ましからざる人物」)に指定して派遣国に召還させることができる。接受国には指定する理由を示す義務がなく、派遣国が召還を実施しなければ外交特権は消滅する。
有名な外交官
海外
- ベンジャミン・フランクリン:独立戦争当時のアメリカの外交官。苦戦する大陸軍へのフランスの支援と他諸国の中立を取り付け、独立に貢献した。
- クレメンス・メッテルニヒ:近世オーストリアの外交官。ナポレオン戦争の後始末を行ったウィーン会議で議長を務め、実戦では敗戦続きだったオーストリアを欧州の盟主の座に着かせた。
- シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール:ウィーン会議におけるフランス代表。敗戦国でありながらフランスの領土を守り抜いた外交手腕で知られる。
- 李鴻章:清朝後期の外交官。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の代表を務めた他、末期清朝外交をほぼ一人で差配して列強による植民地化を阻止したともされる。
- アーネスト・ベヴィン:戦後イギリスの外交官。労働党出身で労働運動家でもあるが、共産主義がイギリス最大の敵となりつつある情勢を把握し、NATO(北大西洋条約機構)設立を主導した。
- ロベール・シューマン:戦後フランスの外交官。宿敵ドイツとフランスの和解がフランス復興の鍵であることを見抜き、欧州連合(EU)成立の基礎となるシューマン宣言を提唱して欧州史を大転換させた。
- 潘基文:韓国の外交官。第8代国際連合事務総長。
- アントニオ・グテーレス:ポルトガルの政治家。第9代国際連合事務総長。
- キャロライン・ケネディ:駐日米国大使(2013年11月~2017年1月18日)。父は第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ。
日本
- 小野妹子:聖徳太子に派遣された最初の遣隋使。「日出処天子」という国書を奉呈したため隋の皇帝・煬帝を激怒させたことはあまりにも有名。
- 吉備真備:遣唐使に随行したことで有名。唐において学問をつみ帰国後、要職を歴任した。
- 安国寺恵瓊:日本の戦国時代に外交交渉を担当した外交僧。
- 宗義智:対馬藩・初代藩主。豊臣秀吉の朝鮮出兵により断交状態となった国交関係を周旋、朝鮮王朝・幕府双方に偽造した国書を提出、2代藩主・義成の時にこのことが対馬藩家老の告発により露見したが、ときの将軍・徳川家光は宗氏をパイプ役として関係修復を行うことが得策と考え、告発した家老・柳川調興らを処罰するにとどめた(柳川事件)。
- 小松帯刀:幕末の薩摩藩において外交を担当、明治新政府でも外交を担うことを期待されたが36歳の若さで夭折した。
- 榎本武揚:函館戦争終結後、駐露全権特命大使に就任、「樺太・千島交換条約」の締結に尽力した。
- 陸奥宗光:明治期の外交官。不平等条約解消に尽力し、治外法権撤廃の功労で知られる。
- 小村寿太郎:日露戦争時の外交官。ポーツマス条約時に全権を務めた。日本の関税自主権を奪還した業績も著名。
- 牧野伸顕:パリ講和会議に参加した外交官。人種的差別撤廃提案を議題として提出した。
- 松岡洋右:昭和初期の外交官。国連から脱退し、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約など第二次世界大戦前夜の外交を主導したため、極東軍事裁判(東京裁判)において裁かれることになった。(松岡本人は国連脱退に反対だったという)
- 東郷茂徳:第二次世界大戦期の外交官。東条英機首相のもと外務大臣を務め日米交渉を行ったが、戦争を回避できず、A級戦犯として禁固20年の刑を受けた。
- 幣原喜重郎:第二次世界大戦期の外交官。欧米協調・対中国軟化外交を展開し、戦後には内閣総理大臣を務める。
- 広田弘毅:第二次世界大戦期の外交官。日中戦争直前には内閣総理大臣となるが、戦後A級戦犯として死刑となった。
- 杉原千畝:第二次世界大戦期の外交官。ユダヤ人救済に尽力し、日本のシンドラーと称された。
- 重光葵:第二次世界大戦期の外交官。太平洋戦争降伏時には日本側代表として降伏文書に署名をした。
- 吉田茂:第二次世界大戦期の外交官。戦後は内閣総理大臣を務め日本の復権に尽力し国連で日本の国際世界復帰を感謝する演説を行った。