概要
古くは使節や特使などとも呼ばれる。古くから場合によっては敵地に単身で赴くような状況にもなるため、その身分は非常に高いもので、不逮捕特権などの強力な権限を持たせる事で手厚く保護されている。日本では、外務省の花形として人気の職業である。
日本においては古代から中国・朝鮮との外交が中心であり、その歴史は2000年にも及ぶ。その中でも外交を担ったのは小野妹子、吉備真備ら朝廷の官吏だけでなく行基、玄昉などの留学僧も含まれている。また、中世・近世においては対馬を領した宗氏が仲介を務め、江戸時代においては長崎奉行も清・朝鮮王朝・オランダとの外交交渉・交易を担った。
また幕末においては老中・阿部正弘の命を受けた岩瀬忠震がペリーとの開国交渉に臨んでおり日米和親条約を結んでいる。
外交官は花形職業であると同時に背負う責任も非常に重い。外交官として相応しくない行動・言動をした者は赴任先の国の政府よりペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata 原義は「厭わしい・好ましからざる人物」)に指定され、国外追放処分となる。
有名な外交官
海外
- クレメンス・メッテルニヒ:近世オーストリアの外交官。ナポレオン戦争の後始末を行ったウィーン会議で議長を務めた。
- 李鴻章:清朝後期の外交官。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の代表を務めた他、清の軍事力近代化に尽力した。
- 潘基文:韓国の外交官。第8代国際連合事務総長。
- アントニオ・グテーレス:ポルトガルの政治家。第9代国際連合事務総長。
- キャロライン・ケネディ:駐日米国大使(2013年11月~2017年1月18日)。父は第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ。
日本
- 小野妹子:聖徳太子に派遣された最初の遣隋使。「日出処天子」という国書を奉呈したため隋の皇帝・煬帝を激怒させたことはあまりにも有名。
- 吉備真備:遣唐使に随行したことで有名。唐において学問をつみ帰国後、要職を歴任した。
- 安国寺恵瓊:日本の戦国時代に外交交渉を担当した外交僧。
- 宗義智:対馬藩・初代藩主。豊臣秀吉の朝鮮出兵により断交状態となった国交関係を周旋、朝鮮王朝・幕府双方に偽造した国書を提出、2代藩主・義成の時にこのことが対馬藩家老の告発により露見したが、ときの将軍・徳川家光は宗氏をパイプ役として関係修復を行うことが得策と考え、告発した家老・柳川調興らを処罰するにとどめた(柳川事件)。
- 小松帯刀:幕末の薩摩藩において外交を担当、明治新政府でも外交を担うことを期待されたが36歳の若さで夭折した。
- 榎本武揚:函館戦争終結後、駐露全権特命大使に就任、「樺太・千島交換条約」の締結に尽力した。
- 陸奥宗光:明治期の外交官。不平等条約解消に尽力した。
- 小村寿太郎:日露戦争時の外交官。ポーツマス条約時に全権を務めた。
- 牧野伸顕:パリ講和会議に参加した外交官。人種的差別撤廃提案を議題として提出した。
- 松岡洋右:昭和初期の外交官。国連から脱退し、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約など第二次世界大戦前夜の外交を主導したため、極東軍事裁判(東京裁判)において裁かれることになった。(松岡本人は国連脱退に反対だったという)
- 東郷茂徳:第二次世界大戦期の外交官。東条英機首相のもと外務大臣を務め日米交渉を行ったが、戦争を回避できず、A級戦犯として禁固20年の刑を受けた。
- 幣原喜重郎:第二次世界大戦期の外交官。欧米協調・対中国軟化外交を展開し、戦後には内閣総理大臣を務める。
- 広田弘毅:第二次世界大戦期の外交官。日中戦争直前には内閣総理大臣となるが、戦後A級戦犯として死刑となった。
- 杉原千畝:第二次世界大戦期の外交官。ユダヤ人救済に尽力し、日本のシンドラーと称された。
- 重光葵:第二次世界大戦期の外交官。太平洋戦争降伏時には日本側代表として降伏文書に署名をした。
- 吉田茂:第二次世界大戦期の外交官。戦後は内閣総理大臣を務め日本の復権に尽力し国連で日本の国際世界復帰を感謝する演説を行った。