概要
生没年:生年不明-1869年5月28日(明治2年4月17日)
戊辰戦争では、江戸城無血開城後も薩長軍に対して徹底抗戦を唱える伊庭八郎の動きに呼応し、遊撃隊に参加。榎本武揚率いる幕府海軍艦隊に合流し蝦夷地(北海道)を目指すが、伊庭と共に乗り合わせた帆船「美賀保丸」が難破。片腕を失ってもなお戦地に臨もうとする伊庭をなんとかして蝦夷地へ送り届けようと尽力する。
箱館戦争では、松前城での戦いで敵の銃弾が当たり「俺は死ぬ」と言い残し死亡。これを知った伊庭は「余、今始めて一臂を失うなり」と嘆き悲しみ、「待てよ君 冥土もともにと思ひしに しばし後るる身こそ悲しき」と哀悼歌を詠み、その約一ヶ月後に後を追うように亡くなった。
これといった活躍はないのだが、歴史小説やゲームなどの創作作品では伊庭八郎の親友としてよく登場している。