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鳥羽・伏見の戦い

とばふしみのたたかい

鳥羽・伏見の戦いとは、慶応4(1868)年1月3日に起こった、戊辰戦争のきっかけとなった内乱である。
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概要編集

戦争のきっかけ編集

慶応4(1868)年1月3日に起こった、戊辰戦争のきっかけとなった内乱。

西郷隆盛が討幕の大義名分を得るべく、部下に江戸で乱暴狼藉を働かせ幕府が武力行使をする機会をうかがった。計画通り庄内藩が薩摩屋敷に砲撃。徳川慶喜は会津・桑名兵に京への進軍を命じた。これにより新政府軍と旧幕府軍の戦争が始まった。


鳥羽・伏見の戦い編集

鳥羽・伏見の戦いでの旧幕府軍は大阪から入京するにあたり、伏見鳥羽街道の二手に分かれて行軍した。鳥羽街道を進んでいた旧幕府軍は途中、薩摩の兵に遭遇して足止めを食らってしまう。通行を要求する旧幕府軍に薩摩兵は京に問い合わせるからと待機を指示する。しかしこの間に新政府軍は待機する旧幕府軍を包囲するように隠れて布陣し、攻撃がいつでもできるように準備を整えていた。一方で、旧幕府軍は戦いを想定していなかったため軽装で銃に弾込めもしておらず、まさに手ぶらに近い状況だった。結果、新政府軍による攻撃が始まると旧幕府軍はまったく対処ができずに混乱状態に陥り、旧幕府軍大目付滝川具挙が逃亡したことで、鳥羽での旧幕府軍は戦う間もなく完敗した・・・と言われているが、実際は佐久間信久ら部隊クラスの隊長や奉行が立て直しを図り、数にものを言わせた突撃と射撃を行っている。

だが、後述の密集した状態に加え、新政府軍は凹陣形で数少ない砲兵や銃兵を十字砲火で突撃してくる幕府軍を集中攻撃。佐久間ら連隊長クラスが次々と戦死し、一足早く決着がついた伏見戦線より回ってきた増援による加勢もあいまって敗走している。


また同じ頃、伏見でも新政府軍による攻撃が行われ、ここでも旧幕府軍は大いに苦戦する。しかも旧幕府軍の指揮官だった竹中重固は伏見奉行所の火薬庫が爆発したことで兵を置いてすぐに逃げ出してしまう。畳み掛けるように戦いの最後には錦の御旗が掲げられ、賊軍となることを恐れた旧幕府軍の中から淀藩などの離反者が続出した。この敗北を機に戊辰戦争で幕軍は連戦、連敗を強いられることとなる。(なお、討幕密約があるとはいえ表向きは”これは徳川家と薩摩藩士の一部が私兵で喧嘩してるだけで勤皇討幕とは無関係”、という理由で立場を明確にしていなかった土佐藩主の命令に反し、土佐藩兵が独断で攻撃したのが伏見敗走の切っ掛けだったため、生き残りの幕府側からは裏切り、薩長からは藩主は優柔不断といわれるようになる)


旧幕府軍の敗因編集

旧幕府軍は会津・桑名などの藩や新撰組は旧態依然の装備だったが、フランスから調練を受けた伝習隊一個大隊も含む幕府歩兵部隊は近代化された軍隊であり装備も新政府軍の近代兵器に見劣りするどころか凌駕している面もあった。が、豚に真珠。前述の通り、大目付や指揮官という重役がすぐに逃げ出すような戦慣れしていない無能であり、近代化された武器をほとんど活かすことなく負けている。(連隊長クラスでは勇猛に戦った人物もいるが、旧時代的に戦ったので最前線で戦死している)

またもう一つの理由としては戦い方が古かったことが挙げられる。というのも、伏見の戦いでは新政府軍がグループごとに散らばって戦っていたのに対し、旧幕府軍は全軍が密集する形、あるいは連隊単位で応戦していた。

そもそも部隊編成も当初は徳川家旗本を隊長とし、その知行地から供出された銃兵による封建制前提の運用となっており、旗本と部隊を切り離してフランス式に訓練が始まったのはほんの一年前である。

密集攻撃は戦国時代から代々続く戦い方だが、街道のような狭い道で密集してしまうと身動きが取りにくくなり、銃のいい的になってしまうのだ。

世界では10年ほど前におこったクリミア戦争、そして数年前の南北戦争で戦列歩兵が近代火器に著しく不適合と周知されていたが、”精鋭”の伝習隊すら編成開始から一年しかたっておらず、見てくれ以外は殆ど進化していなかったのだ。(なお、それ以前の幕府軍歩兵隊はオランダ式戦列歩兵操典を元に訓練していたため、密集突撃はある意味訓練通りである)

まとめてしまうと、戦慣れしていないことによる戦略の甘さが旧幕府軍の大きな敗因といえよう。


その後編集

敗北後徳川慶喜は開陽丸に乗って大阪城から逃走。江戸へ帰還した。そして新政府軍もこれを追って江戸城へと向かうことになる。ちなみにこの戦いの様子を歌ったトコトンヤレ節(宮さん宮さん)は日本で最初の軍歌とされる。


参戦陣営編集

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