不殺
ふさつまたはころさず
広義的には“闘争”および“法律”において、攻撃や懲罰こそ加えたとしてもその後の反省あるいは対話を見越し、それによる平和的な解決のために相手を殺してはいけないという思想を指す。
狭義の意味で言えば特定の創作における主人公を含めた特定のキャラクターの信念ないし思想のひとつとして定義されており、戦闘で敵を痛めつけても追い払うか気を失わせるだけに留めたり、敵の武器を奪うか壊すかして無力化するだけだったり、とりあえず逃げられないようにして後は警察か司法などに任せるといった、戦いに勝ってもその相手の命まで取らずに物事を解決するような姿勢がこう言われる。
基本的にヒーローとしては当然の理念であり、彼らが本物の悪人や悪党とは違う正しい存在であることを強調するために定義されることが多いが、物語の中で敢えて不殺と強調される場合、日本の司法に於いても正当防衛と判断されるであろう危機的状況でも決して反撃で相手を殺すことはなく、それどころか眼の前で仲間や他の人間が殺されそうな状況であっても加害者の生命に気を配る、といったどこか歪な考え方として描かれることもある。
不殺方針で生かした悪役が再度悪事を行ったり、不殺方針のために余計な時間をかけた結果事態が悪化したりなど不殺の意義を問う展開も付き物。
そのため愉快痛快なヒーロー活劇よりは、ハードな展開が目玉のダークヒーローやアンチヒーロー作品、あるいは殺し合いが前提の戦争物の作品の方がこの要素が際立ちやすい。
一部の作品とキャラクターにおいては逃走を困難にするため半死半生まで痛めつけたり、どのみち極刑確定の犯罪者を敢えて生かして司法の場で晒し者にしたり、重傷、重病による苦痛から死を望む相手であっても介錯を拒んだりなど、生き長らえさせた結果ひどい目に遭わせてしまうパターンも散見される。
隆慶一郎は、とある短編にて、「カタワにして身も心も苦しく生きる様を見ていたい外道畜生の心根が為せる技」と表現している。
そうしたテーマ性とセットの設定であるため、そもそも作品上では殺されるほどの悪人が出てこなかったり、実際の戦闘において主人公側も相手に対して人並みに殺意を抱いて戦いに臨むがたまたま展開上(もしくはメタ的な事情で)殺人に及ぶことがないような場合は「不殺」として挙げられることは少ない。
善良な市民や主人公の仲間が犠牲となる一方で悪役の命ばかりが重んじられるという展開にもなりがちで、現実の倫理観とも比較して好みが分かれ、議論になりやすい設定でもある。
あんまり悪役ばかりが助けられるようだと読者、視聴者の溜飲が下がらないので、他のキャラクターが始末する、自害する、事故死するなど、主人公以外の手によって始末がつけられることも多いが、それはそれで「自分の手が汚れなきゃ良いのかよ」と非難を受けたりもする。
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