党内の社会主義・社会民主主義系派閥『サンクチュアリ(赤松広隆グループ)』に属している。
国会議員初当選後
大学卒業後、慶大卒業後、タレント政治家であった野末陳平の秘書、経済評論家を経て1993年に衆議院議員初当選。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙で大敗し首相・代表を辞した野田佳彦の後任として野党となった民主党の代表に就任した。
なお、彼が民主党代表だった時代は民主党が「第二社民党」と呼ばれた。彼は民主党歴代代表で「左派」に位置している。
選挙落選、民主党代表辞任
2014年12月に行われた衆議院総選挙では自民党の山田美樹候補と接戦の末小選挙区で敗北、比例復活もならなかった。党首自らが落選という失態を受け、同年12月15日に党首辞任を正式表明した。
国政復帰
第48回衆議院議員総選挙で立憲民主党から出馬し、当選して国政復帰を果たした。
余談
- 安倍晋三とは1993年初当選の同期生。ちなみに双方の父親が同じ毎日新聞で記者を務めていた。
- 自身もタレント、経済評論家としてテレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の解説者やニュースキャスター・司会として幅広く活躍した。
- 経済評論家として活動していた頃、安愚楽牧場の和牛オーナー制度を「元本保証、リスクゼロで高額配当」「知る人ぞ知る投資商品」と雑誌で紹介していた。結局、牧場は経営破綻し、被害者7万3000人、被害総額4300億円という日本史上最大の消費者被害を出した。投資詐欺の広告塔になっていたとして被害者団体から告訴されたが、「投資にリスクはつきもので、リスクゼロという謳い文句を信じる方がおかしい」「牧場とのつながりは薄く、広告塔だったとまでは言えない」という理由から、2016年に東京地裁で棄却された。これらの過去から、「海江田牧場長」「COW江田」という蔑称で未だに呼ばれている。