人物
小説家。東京生まれの満州育ち、中学時代は灘中学の落第生だったと自称している(当時の灘は今の進学校とは程遠い姿だったらしい)。慶応大学仏文科卒。雅号は狐狸庵山人。山本健吉が定義した「第三の新人」の一人で、安岡章太郎や吉行淳之介らとは大きく作風が異なるが、若い頃は彼らと盛んに情報交換を取り交わしていたため、昨今ではそのグループに含むのが一般的。そして、第三の新人で圧倒的な知名度と実績を誇る戦後を代表する作家の一人である。
天然、大変な読書家でセッカチ。意外とイタズラ好きな人物なのが遠藤周作である。
「白い人」で芥川賞受賞。その3年後に発表した、戦時中に実際に行われた人体実験をモチーフにした『海と毒薬』で一躍時の人となる。
その後に発表した江戸鎖国時代の禁教政策とポルトガル宣教師を題材にした『沈黙』はその内容をめぐって物議を醸しだしたものの、ノーベル文学賞候補にもノミネートされた(宣教師迫害というタブーの内容を扱っていたので反発にも遭ったが)。他にも遠藤の最高傑作ともいわれる『侍』や、晩作にして代表作ともいえる遠藤文学の集大成で、5人の主人公がそれぞれの人生観を元にインドの聖地を訪れる『深い河』などがある。
敬虔なカトリック教徒としても知られ、日本人でありながら敬虔なクリスチャンでもある自分に疑問を抱き続けるなど、宗教的観念は氏の作品に常に描かれている共通の事項である。その一方で、『狐狸庵先生』(湖里庵という琵琶湖畔の料亭から。遠藤は鮒鮓が好物だった)と名乗りユーモアに溢れたエッセーや対談を数多く残す二面性があり、本人曰く躁鬱病で自分が行ったり来たりして、躁のときは明るい作品を、鬱のときは暗い作品を描いていたらしい。
また難渋な表現を嫌っていたため読みやすく、それでいて文章力の高い作家としても知られており、本人も全体のプロットを考えてから、文章を書いていたというほど、設定に破綻が少ない作家の一人でもある。高い文章力を買われ、文章の書き方のようなハウツー本も出版している。
ほかにもエッセイでも狐狸庵先生として多く執筆しており、同年代の阿川弘之や北杜夫らとの掛け合いを記している。他にも素人劇団『樹座』を結成・公演を主宰するなど、小説家の枠に囚われない活動でも知られた。
ちなみに遠藤は、長崎市を自分にとって心の故郷だと考えていた。仲の良い阿川弘之と旅行中、知人の曽野綾子のためにお土産を探していたところ、地元の若い女性が親切に案内してくれた。その親切に感激して、二人で深々と挨拶すると、後にその家族(地域一番の洋品店を営む良家のお嬢様だった)から寿司屋に招待され、以来親交が始まったのだという。それで元々カトリック教徒でもあったことで、長崎の禁教時代を含めたキリスト教に多大な関心を抱き、名作『沈黙』『侍』『イエスの生涯』などが作られるきっかけになった。
劇作家としても活動し、『樹座』という素人劇団を立ち上げた。人生を愉しむがモットーである。
芸術院会員。1995年、文化勲章受章。翌1996年に肺炎を併発し死去。
代表作
- 『白い人』(1955年)
- 『海と毒薬』(1958年)⋯相川事件をモデルにした作品。
- 『沈黙』(1966年)⋯
- 『死海のほとり』(1973年)
- 『イエスの生涯』(1973年)
- 『侍』(1980年)
- 『深い河』(1993年)
- ぐうたら人間学 (1972年)⋯遠藤周作のエッセイ。日本各地や世界中を巡った遠藤の備忘録。
- おどけと哀しみ (1999年)⋯弟子の加藤宗哉著。遠藤周作の素顔に迫る本作。
主な受賞歴
日本のめぼしい文学賞、芥川賞、野間文芸賞、谷崎潤一郎賞、新潮社系の文学賞、読売文学賞、毎日出版文化賞、毎日芸術賞を全部受賞したのは遠藤のみ。
- 芥川龍之介賞(1955年)…白い人で
- 新潮社文学賞(1958年)…海と毒薬で
- 毎日出版文化賞(1958年)…海と毒薬で
- 谷崎潤一郎賞(1966年)…沈黙で
- 読売文学賞(1979年)…評伝、キリストの誕生で
- 日本芸術院賞(1979年)
- 野間文芸賞(1980年)…侍で
- 文化勲章(1995年)
エピソード
- さくらももこにイタズラで偽の住所を渡すという茶目っ気があった。
- 同じクリスチャン作家三浦綾子と比較されることがある。読売新聞のリンク
- 竹中直人がものまねのレパートリーの一人にしていて、本人の前でも披露したことがある。周作の死後、順子夫人の回顧録「夫の宿題」ドラマ化ではその竹中が周作役を演じた。