反町康治
そりまちやすはる
ポジションはMF(ミッドフィールダー)。
静岡県立清水東高等学校時代は望月達也、沢入重雄らと共に高校総体2連覇(1980、1981年度)、高校選手権準優勝(1980年度)に貢献。(望月、沢入も現在は指導者、沢入は元日本代表。)
一浪をして一般入試で慶應義塾大学法学部政治学科に入学。サッカーを辞めるつもりだったが数か月で「清水東の反町」が露呈、半ば強制的にソッカー部へ入部することとなった。
(慶応ではサッカー部は『ソッカー部』が正式名称。因みに早大、一橋大学(旧東京商科大学)、東大(旧東京帝国大学)は『ア式蹴球部』。)
卒業後、総合職にて全日本空輸に入社。全日空サッカークラブを母体とした横浜フリューゲルスで、全日空の社員契約(アマチュア選手)ながらJリーグの試合に出場したことで「サラリーマンJリーガー」として注目された。
全日空ではパイロットのスケジュール作成を担当していた。
1994年に全日空を退社してプロ契約でベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)に移籍し、チーム躍進の原動力として活躍した後、1997年で現役引退。
1990~1991年まで日本代表に選出されたこともある。
引退後はサッカー解説者として1998 FIFAワールドカップ等の解説を担当、その後スペインに渡り、FCバルセロナでサッカーのコーチング留学を行った。
以後は監督としてアルビレックス新潟(2001-2005)、日本 U-23(2001-2005、A代表コーチも2007年まで兼任 )、湘南ベルマーレ(2009-2011)を経て2012から松本山雅FCを率いる。
その間J2、2015年と2019年はJ1で監督を務めたが2019年12月、今シーズン限りでの松本山雅FC監督退任を表明した。
現在は日本サッカー協会技術委員長。