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アルビレックス新潟

あるびれっくすにいがた

アルビレックス新潟とは、新潟県全県をホームタウンとするプロサッカークラブである。
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解説編集

創設年1955年
加盟年1999年
ホームスタジアムデンカビッグスワンスタジアム
クラブカラーオレンジ
マスコットアルビくんファミリー

新潟県全域をホームタウンとするプロサッカークラブであり、Jリーグに加盟している。


J1リーグでの最高順位は2007年の6位。Jリーグカップ最高成績は2024年の準優勝。天皇杯最高成績は2009年と2023年のベスト8。


スタジアム編集

新潟スタジアム(デンカビッグスワンスタジアム)。

新潟駅南方の湖・鳥屋野潟の南岸にある。2003年まで新潟市陸上競技場とデンカビッグスワンスタジアムを併用していたが、2004年のJ1昇格以降は、ホームゲームはすべてビッグスワンで開催している。


全面2層式のスタンドを持つ陸上競技場である。


新潟駅に向かう上越新幹線の右側の窓からは、到着までの間数分間見える。新潟駅からは少し距離がありシャトルバスを利用する。Suicaをはじめとした全国利用ICカードを使用可能。


自動車の場合、オフィシャルの駐車場は4000台分が用意。利用するためには、観戦チケット購入と同じシステムで駐車場券を前売り購入して利用することになる。オフィシャルのもの以外にも周辺には民営駐車場が多数あるし、もちろん新潟駅周辺に駐車して向かうことも可能。


マスコット編集

白鳥をモチーフとする「アルビくん」(2000年)・「スワンちゃん」(2002年)夫妻、三つ子の「アーくん」・「ルーちゃん」・「ビィくん」(2007年)。それぞれかわいらしさと力強さが表現されている。

昨日の磐田戦の感想



歴史編集

Jリーグ加盟まで編集

1955年に「新潟イレブンサッカークラブ」として創部。

1994年に「新潟蹴友会(現:グランセナ新潟FC)」の一部の選手を迎え、「アルビレオ新潟FC」と改名。1996年にはチーム母体を法人組織として「株式会社アルビレオ新潟FC」を設立、プロサッカークラブとして活動を開始した。

1997年JFL昇格。商標の問題からクラブ名の変更を決定し、県民投票の結果現在の「アルビレックス新潟」に改名。(実はもう少しでオラッタ新潟という名前になっていた)

Jリーグ加入後編集

1999年にJリーグで新たに創設されたJ2に加盟、チームは4位と上々の成績を残す。


2000年、この年に後のミスターアルビレックスとなる本間勲選手が入団。チームは7位で前年度からの成績を落としたことで永井監督は退任。


2001年、この年反町康治氏が監督に就任。その後少ない戦力のチームを次々とJ1へと導くことになる氏の下でチームは4位と昇格まで後少しの所でシーズンを終えることになる。


2002年、この年3位とあと一歩本当にあと一歩の所で昇格を逃すことになる。


2003年、元日本代表選手のMF山口素弘選手や上野優作選手、森田浩史選手といった、その後も長くJ1で戦い続ける選手達が続々と新潟に移籍。ファンの期待も最高潮。チームは終盤までサンフレッチェ広島と激しいデッドヒートを繰り広げ、最終戦の大宮アルディージャ戦に勝利しJ2優勝を決めると共についに悲願のJ1昇格を手にすることになる。


2004年、アルビレックスのJ1初年度はいきなりJ2得点王に輝いたマルクス選手が抜けてしまったため得点力不足になり1stステージで14位と降格の危機に瀕するがオゼアスファビーニョエジミウソンのブラジル人トリオの活躍で後半戦は7位、総合10位でフィニッシュ。


2005年は、鹿島アントラーズにチーム記録となる2-7で敗北するなど、守備が不安定に。4連敗を経験した後、5試合負けなしで最終的に12位に滑り込み、反町監督が2年連続のJ1残留を置き土産に勇退。ちなみにこの年に元セレソンのアンデルソン・リマ選手が加入。サポーターの間で伝説となった代打FKを決めている。


2006年、新たにモンテディオ山形から鈴木淳氏が新監督に就任。金がなくなったのでビッグネーム招聘を捨てて新たに若手戦力の育成を基盤に据えたチーム作りに転換。ある意味現在のアルビの下地はこの年に整えられる。


2007年、この年新潟の歴史に残る助っ人マルシオ・リシャルデス選手が入団する。彼の加入でチームは最終的にチーム史上最高となる6位を記録。2017年1月現在、この記録は未だに破られていない。


2008年、前年度活躍した選手をタダで引っこ抜かれる。今や新潟の常識である選手の大量引き抜きはこの年から始まった。なお最終的に13位に滑り込む事に成功する。


2009年はチーム史上初となる開幕スタートダッシュに成功。新戦力であるペドロ・ジュニオール選手や大島秀夫選手、ジウトン選手が既存の選手達とともに大活躍、堅守速攻をベースとした戦術でリーグ中盤戦まではACLを狙えるであろう素晴らしい戦いを繰り広げる。

しかし、夏にペドロ・ジュニオール選手がガンバ大阪に引き抜かれたため、得点力不足に陥って8位に終わった。なお天皇杯ではベスト8に進出。


2010年はチーム内人事によって黒崎久志氏が監督に就任。合わせてレギュラーだったGK北野貴之選手を大宮アルディージャに、DF千代反田充選手を名古屋グランパスに2006年からレギュラーとして100試合以上出場したMF松下年宏選手をFC東京にさらにはジウトン選手を鹿島アントラーズに無料で引っこ抜かれ、キャンプで正GKとして新潟のゴールを守るはずだった高木貴弘選手が大ケガをし、開幕後に第2GK黒河貴矢選手も怪我、大卒3年目の第3GK東口順昭選手に頼らざるをえなくなり、2ヶ月も無勝利地獄をさまよい誰もが降格を覚悟した。しかし結果的に若手が続々と覚醒。東口選手やチョ・ヨンチョル選手、ユース上がりのド新人の酒井高徳選手といったまさに他チームだったらまずレギュラーにも選ばれないような年齢の選手が出場し次々と覚醒。しかもその後各国のA代表に選ばれるというとんでもないことになった。

なお矢野貴章選手がドイツに行ってしまい防御力が低下した後は成績を落とし最終的に9位で終了する。


2011年は開幕からマルシオ選手が浦和レッズに移籍すると、新潟で初めて日本代表DFに選ばれた永田充選手、更にはサイドバックの西大伍選手が引き抜かれた上に東日本大震災福島第一原発事故が発生し、1ヶ月以上もリーグが中断し日程がぐちゃぐちゃになりながらも、14位でなんとか残留を果たす。なおチームの実力ではなく15位以下のチームの結果で残留できたと言ったほうが正しい。


2012年、この年も全く開幕から勝てず5月には黒崎監督が辞任。その後柳下正明監督が就任するものの降格圏を彷徨いつづける事になる。しかし残留を争う2チームが足踏みを続けたため降格を回避し続けアルビの歴史に残る死闘となった第33節ベガルタ仙台戦と最終節コンサドーレ札幌戦で連勝。さらに残留争いの相手が相次いで敗戦するという奇跡が発生しJ1に昇格して以降、最も苦しい残留を決めることになる。


2013年は、新加入のレオ・シルバ選手を中心としたハイプレスショートカウンター戦術がガッチリとはまり、同じく新加入の成岡翔選手、田中達也選手、岡本英也選手が大活躍。加えてレンタルから帰還した川又堅吾選手と前年度の残留の立役者であるキム・ジンス選手が覚醒。前年度29得点の攻撃陣に得点パターンを生み出し、GK東口選手が大怪我から復帰した夏から試合勘を取り戻した秋にかけてはリーグ最強クラスの守備が出来上がり、J1にアルビ旋風を巻き起こす。さらに6万人の大観衆を味方につけた横浜F・マリノスの優勝を打ち砕くなど快進撃が続き、最終的にアルビはチーム記録となるホーム9連勝にリーグ戦5連勝を達成。

成績は17勝4分13敗の勝ち点55、得失点差は+6(48得点42失点)で7位。J1昇格以降最高の勝ち点記録となる


2014年、前年無敵の戦術だったハイプレス&ショートカウンターがドン引きに弱いという弱点がバレ、6月にキム・ジンス選手がホッフェンハイムへ移籍、さらに戦術変更に伴い出場機会が減った川又選手の移籍が重なった結果アルビから「得点」の二文字が消えることになる。

もっとも守備は堅かったので12位でシーズンを終えることに成功する。


2015年、レオ・シルバ選手に依存していたチームが彼の病気帰国によりぶっ壊れる事になる。とりあえずミスが前提となるアルビの選手たちにミスが許されないポゼッション戦術を求めた結果、ミスを埋められる選手がおらず彼が帰ってくるまで2012年以下のヒドイ試合が続く。しかし、幸いなことにレオ・シルバ選手が夏に復帰してからのアルビレックスはポゼッションを封印し、徐々に両サイドバックの攻撃参加を少なくした上で、ハイプレスからのショートカウンターで相手のミスを誘う戦術を再開し結果的には15位でなんとかJ1に残留。なお勝ち点は34でJ1残留最低勝ち点記録を更新することになる。


2016年吉田達磨監督の下でポゼッションにチャレンジするが基本頭を使う戦術は難しいアルビレックスである、低空飛行のままシーズンを過ごすことになる。

その中で発覚した早川史哉選手の白血病。これがチームに火を付けシーズン前半は12位でフィニッシュ、巻き返しが狙える位置だったものの意味不明の誤審や怪我人が乱発し勢いが消滅、残り4試合を残して吉田監督は解任され片渕浩一郎コーチが指揮を執り、チームは8勝6分20敗勝ち点30得失点差-16(33得点49失点)という最多敗戦残留及び最低残留勝ち点の記録を更新する形でJ1にしがみ付くことに成功する。この年の年末レオ・シルバ選手が鹿島アントラーズへ移籍する。


2017年にJ2へ降格。編集



2022年編集

上半期こそ横浜FCが首位を走っていたが、後半に首位に立つと、第40節にてJ1昇格が決定。続く東京ヴェルディには敗れたものの、J2優勝が決まった(横浜FCも2位以上、昇格が決定した)。


2023年編集

J1昇格に貢献した選手たちと次々に契約更新。

ブラウブリッツ秋田との練習試合では敗北。


GK編集

左利きで後方からのビルドアップができる小島亨介が正ゴールキーパーを務める。

控えGKは筑波大卒の阿部航斗。セービング能力に長けており、アクロバティックな飛び込みを魅せる。また、勝利後のパフォーマンスは彼が考えたものであり、ムードメーカーとしての役割も期待される。

第3GKには瀬口拓弥が在籍。練習に対する姿勢が若手選手たちのお手本となっている

第4GKには昌平高校から昇格した西村遥己が在籍。

さらに内山翔太が2種登録。

計5人のGKと多くの在籍する


DF編集

堀米悠斗舞行流ジェームズ千葉和彦藤原奏哉を基本とした4バックで守備を固める。この4人はディフェンスをしながらも、ビルドアップ・縦パス・ヘディング・クロス・ミドルシュートなどで得点にも貢献している。

さらにトーマスデンの復帰や新井直人の再加入で選手層が厚くなっている。


MF編集

本間至恩がベルギーに移籍したものの、トップ下の伊藤涼太郎が覚醒。

さらに、ボランチの高宇洋が守備面で活躍、島田譲がパスで貢献。

ハーフには、サイドからドリブルで突破できる若手の三戸舜介松田詠太郎が在籍。

大怪我を負った高木善朗が回復の目処が立ち始める。

補強としてブラジルからダニーロゴメスを獲得した。


FW編集

シュート精度に定評のある谷口海斗・相手を背負ってプレーできる鈴木孝司の2人がトップを務める。この2人はどちらもJ3時代に得点王を受賞している。

またデビュー3年目の小見洋太と、町田から加入した太田修介がハーフとして活躍。

補強としてブラジルからグスタボネスカウを獲得した。


J1リーグ開幕戦編集

お相手はシントトロイデンから香川真司を獲得したセレッソ大阪


ふざけた試合鹿島アントラーズ編集

相手は4連敗中と低迷しており、カップ戦では2軍選手で2-0で下した相手である。


前半3分、鈴木優磨ヘディングで決められ早速失点してしまう。

さらに26分、鈴木優磨が浮き玉のスルーパスを出し、垣田が左足ダイレクトで押し込み、ボールはバーを叩いてゴールに転がり込んだ。

だがサポーターは声援を止めずに選手を後押しする。

後半開始、新潟は63分に3枚代え。高木、ネスカウ、藤原が投入されるが…鹿島は一層守備を固め、徹底的にパスコースを切る。ピッチ上は本当に狭かった。100円ショップの通路くらい狭かった。だから

後方からパスで組み立てたいのにコースがなくて通らないから後ろに戻す

その姿はビルドアップじゃなくてビルドダウンだった…

結局0-2で敗北したアルビ。相手が一度もJ2に落ちていないクラブと言えども、少しは喰らいついて欲しかった。

またアルビの解説系YouTuberこうずてぃーびーが「選手はエンブレムに泥を塗った」というツイートでプチ炎上。言い過ぎな気もする。https://https://twitter.com/kouzu_TV/status/1650035179493412864?s=20


不名誉な称号、「新潟クリニック」編集

それまでJ2沼にハマっていた新潟ではあったが、前述の通り、久しぶりにJ1復帰を果たした。開幕節を2-2のドローでスタートすると、第2節の2022年にスキッベ監督が就任してハイプレス戦術でJ1を席巻したサンフレッチェ広島との一戦は後半に相手DF塩谷司によるセレッソの鈴木徳真を彷彿とさせる強烈シュートで1点返されるが1-2でアウェイの地で勝利する。さらには過去6年で4回J1制覇した川崎フロンターレとの一戦をウノゼロで勝利し、アビスパ福岡戦では0-2と2点リードされながらも伊藤涼太郎が後半1発・AT2発によるハットトリックを達成して逆転に成功する。さらにはアタッキングフットボールでJ1を席巻している2019年と前年の王者横浜F・マリノスとの一戦では先制されるも三戸舜介の強烈シュートで勝ち越し、2-1で逆転勝ち。


というように、勝利した試合でのパフォーマンスは圧巻であり、残留どころか上位争いしていてもおかしくないような勝負強さが見受けられる。しかし...


2023年の前半戦で勝利した試合は上記の4試合のみである。

もう一度言う。2023年の前半戦で勝利したのは上記4試合のみである。つまり、2023年の前半戦は、J1リーグ2022のベスト3と福岡にのみ勝利し、残りの全試合はドローか敗北を喫している。特に絶不調中の相手に敗北あるいは引き分けに持ち込まれる、さらには相手チームの調子が上がるきっかけになってしまうケースが目立つ。このことから不名誉なことに、「新潟クリニック」と言うファン・サポーターもときには見受けられる。


しかし、それでも大苦戦とまでには至らず、10月に1日の鳥栖戦で1-1の引き分けでJ1残留を決めると、11月の第33節には、前年王者かつ暫定2位のマリノスのホーム日産スタジアムに乗り込む。この時点でこの年の優勝はヴィッセルとマリノスに限られており、マリノスの気分も相当高かったであろう。試合ではマリノスの猛攻を受け、得点を奪えなかったものの、守護神小島亨介の活躍もあって失点もゼロに抑えてスコアレスドローで終了。翌日、ヴィッセルが勝利し、マリノスとの勝ち点差が4となり、残り1試合を残して逆転が不可能となったため、ヴィッセルの優勝が決定。圧倒的な攻撃力を持つマリノスが連覇を逃す一因となった

アルビレックスは10年前となる2013年にも33節に日産スタジアムでマリノスに勝利し優勝を阻止した一因となったが、それから奇しくもちょうど10年後である2023年にも33節にて日産スタジアムでマリノスの勝利を阻止し、再び優勝を邪魔する格好となった。マリサポは新潟戦を迎えるまで3連勝であったものの、このような過去があったため、試合前から不安な声が少なからず挙がっていたが、10年ほど前ではないにせよ、それが的中した。

特に前述の鳥栖戦で失点して以降は全試合無失点でシーズンを終え、最終節では守護神小島も含めたピッチ上の11人全員で繋いだ決勝弾セレッソ大阪を撃破。J1復帰初年度の力蔵アルビをセンセーショナルな1点で締めくくった。

最終的に賞金をもらえるトップハーフ入りこそ逃したものの、10位と久々のJ1復帰としては上々な順位であり、また川崎やサンフレッチェといった強豪にダブルを達成同年王者のヴィッセルには負け越しこそしたもののアウェイで無失点で引き分け前年王者のマリノスに1勝1分けで勝ち越し、結果的に10年前と同様にマリノスが優勝を逃した一因になるなど、中々の成績とインパクトを残した

伊藤涼太郎が席巻した前半戦よりも、彼が抜けた後の後半戦の方がむしろ成績は良く、守護神の小島、ホームマリノス戦で逆転勝ちへ導き、小柄ながらも強烈なシュートで相手ゴールを脅かした三戸、ケガで苦しんだものの出れば全てにおいてハイパフォーマンスを見せた太田修介らは強烈なインパクトを残した。しかも彼ら3人とも本年がJ1初挑戦であり、これもまた大きなプラス面であったと言える。


なお、カップ戦に関してはルヴァンカップはグループステージ敗退となったが、天皇杯では4回戦で延長戦後半終了間際にラストプレーで同点に追いつきPK戦に持ち込む劇的な展開となる。心理戦の側面も強いPK戦の場合、特に終了間際に追いついた側が追いついたことでの心理的ブーストによって有利になり勝利することが多いが、結局このPK戦で敗れてベスト4ならず。それでも過去最高タイのベスト8となった。


2024年編集

開幕編集

松橋監督は続投決定。前年同様、選手の出入りは比較的控えめ。だが、契約更新・退団・加入の各ニュースの第一号はどれも新潟サポにとってはビッグな話題となっている。


契約更新第一号は守護神小島。2023シーズン終了後に浦和レッズ移籍説が浮上していたが、前年J1初挑戦ながら圧巻の守護神ぶりを見せて日本代表にも追加招集され、サッカーダイジェストでも新潟内のMVPに選出されていた彼が契約更新第一号となり、早い段階で浦和移籍説を一蹴。30代後半にして衰えるどころかむしろパワーアップしてしまった浦和の守護神西川周作の影響も多少なりともあったかもしれない...

退団第一号は高宇洋。圧巻のボール奪取力を発揮してピンチの芽を摘み取り続けたボランチが最初に退団が決定。小島、伊藤、太田、三戸らが際立っていたものの彼も新潟戦士としては初(過去にガンバ時代にJ1でのプレー経験はあった)のJ1でありながらハイパフォーマンスを見せていた。なお、移籍先はFC東京

加入第一号は小野裕二。サガン鳥栖に復帰後2年目となった前年は30代にしてキャリアハイを2倍ほど更新、キャリア初のハットトリックを記録するという攻撃センスを最大限に発揮したシーズンになった。鳥栖では10番を背負っていたため、新潟はライバルチームのエースの獲得に成功した。彼は新潟との試合で2戦とも点を決めた新潟キラーであるが、実は湘南キラーでもあり、京都キラーでもある。また、鳥栖まではMF登録だったが、新潟ではFW登録。


シーズンスタートとアウェイ町田戦編集

開幕戦の鳥栖戦は1-2で逆転勝利を納め、幸先いいスタートに成功。その後は時に勝ち、時に負け、時にドローと中々安定しない戦いが続く。ただし、広島キラーぶりとマリノスキラーぶりは顕在であり、広島戦ではATに土壇場で追いつきドローへ持ち込み、マリノス戦では逆転勝利に成功。


そしてマリノス戦後に連敗を喫していた中で迎えたのが当時断トツで首位を走っていたFC町田ゼルビア戦。町田の特徴としては堅守速攻、ロングスロー多様などで一瞬のスキを狙って一気にカウンターで攻めあがるという力蔵アルビのポゼッション重視のパスサッカーと真逆のスタイルである。しかも町田の黒田剛監督は「ボール持ってチャカチャカパスを回す理由が分からない」と真っ向からポゼッションサッカーを否定している人物である。そんな黒田監督が指揮する町田はJ1でも究極の堅守速攻スタイルで数々のJ1クラブを破ってきており、前述の通り、J1初挑戦ながら断トツ1位を走っていた。そんな相手と前半戦ではアウェイで戦うことになり、1-3で勝利。19クラブのうち、最初にアウェイ町田戦で勝利した。


後半戦編集

といった具合に前半戦はそれなりの戦いが続いた。が、29節の名古屋グランパス戦から複数失点を喫しての4連敗に陥ってしまう。その後のマリノス戦ではここでもマリノスキラーぶりが発揮されただろうか、スコアレスドローに持ち込むものの、次からは黒星、ドロー、黒星となってしまい、終盤戦にして残留争いにガッツリ巻き込まれてしまった。

最終節まで降格危機に直面しており、その最終節は鬼門のアウェイ浦和戦である。が、残留争いのライバルが敗れ、新潟はスコアレスドロー。勝ち点1を積み上げ、16位でシーズンを終えて残留に成功。



初タイトルに王手、その結果は編集

ルヴァンカップでは決勝まで勝ち進み、当日の新幹線は新潟サポでほぼ埋め尽くされる事態になった。国立競技場にて、2021年以来の制覇を目指す名古屋との一戦である。この試合は先に名古屋に2点を奪われて大ピンチに陥る。後半に1点を返すも名古屋の屈強な守備に悩まされATに突入。ここでなんとPKを奪取に成功し、極限のプレッシャーの中、キッカーは見事に決めて2-2のまま試合は終了し延長戦へ突入。

延長戦ではまたもや名古屋に先制されるも延長後半に再び追いつく。その後は点を奪えないでいると延長戦も終了し、勝敗は最終決戦となるPK戦へ持ち込まれた。

PK戦、名古屋は5人全員決めたものの新潟は1人外してしまい、勝負あり。あと少しのところで念願の初タイトルは消えてしまった。



ちなみに編集

  • アルビレックスはサッカークラブだけではない。当該項目を参照。
  • また、バルセロナやシンガポールなどにチームがあり実は一番国際進出しているクラブである
  • クラブハウスと練習グラウンドは、田んぼと畑が多く残る新潟県北蒲原郡聖籠町に存在しており、練習風景の写真からは都会的な建物がまったく見えない。
  • 下部組織の『アルビレックス新潟レディース』がなでしこリーグに所属している。主な選手は日本代表でプロ契約している上尾野辺めぐみなど。

関連タグ編集

サッカー Jリーグ 早川史哉 新潟県 ハッピーターン 亀田製菓

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