解説
創設年 | 1955年 |
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加盟年 | 1999年 |
ホームスタジアム | 等々力陸上競技場 |
クラブカラー | 水色と黒 |
マスコット | ふろん太 |
ホームタウンは神奈川県川崎市。本拠地は同市にある等々力(とどろき)陸上競技場。
川崎Fと表記されることが多い。
前身は『富士通サッカー部』で、現在も富士通をメインスポンサーとしているほか、かつてのオリオンズ本拠地繋がりでロッテもスポンサーに入っている。
ディビジョン制が導入された1999年シーズン以降にJリーグへ参入し始めたチームとしても、またJ2から始まったクラブとしても初めてJ1リーグ年間優勝を成し遂げたチームでもある。
風間監督による土台形成
1999年にJ2リーグに参入。2000年にJ1に昇格するも1年で降格。2005年に再昇格後、5度の準優勝を経験した。
2011年に04年~05年の間選手として在籍した相馬直樹が監督に就任したが、昇格後最低成績となる11位。翌年も開幕2連勝のあと5戦勝ち無しとなり相馬監督は消極的な采配でクラブからの信頼を失い、4月に解任。
筑波大学で監督をしていた風間八宏が監督に就任。彼の戦術をこれぞフロンターレが求めていたものとした強化部は、勝てない試合も多く批判や監督交代を求める声も多かったが路線を継続。
風間監督は「止めて蹴る」という独自のパスサッカーを数年かけて定着させ、谷口彰悟や車屋紳太郎などの若手選手を辛抱強く起用し主力に定着させ、さらには選手としてピークに差し掛かっていた中村憲剛の技術を徹底して磨き2016年には2023年現在でも史上最年長となるMVPに導き、下記の通りヴィッセル神戸で燃え尽き症候群で低迷していた大久保嘉人を3年連続得点王に導くなど、若手、ベテラン共に成長させ、クラブの土台を形成した。
一方で、高い攻撃力を持つ反面、守備面での課題が存在し、得点も失点も多いという特徴があり、それもあってか勝ち点を落としたり、肝心な試合で勝ち切れないという事態が続いた。
2016年まで
2013年~2015年に大久保嘉人が大活躍し、史上初の3年連続得点王に輝く。3年連続のみだけでなく、実は2年連続「単独で」得点王になったのも史上初。2016年も得点王こそ逃したものの2桁得点達成。川崎全体としても年間2位となる勝ち点72を獲得し、着実に強くなっていた(ただしCSでは鹿島に敗れて総合順位は3位)。このまま彼も川崎で活躍し続けるかと思いきや、誰にも相談せずに熱いオファーを受けていたFC東京への移籍を決めた。夫人は猛反対し、憲剛に説得するよう頼んだほど。結果的に彼の意志は固く、FC東京へ移籍することが決まった。
上記の通り2016年までは3大タイトルの獲得は無く、この時点でJリーグ準優勝が3回、ルヴァンカップ準優勝が3回。
J1再昇格後の2005年以来、降格した年こそ一度もなかったがあと一歩で優勝には届かず、 他サポからも「無冠ターレ」「童貞」と煽られる始末であった。
2017年の歓喜と連覇
風間監督の契約満了による退任前最後の試合となる元日の天皇杯決勝で鹿島に敗れ、これで7度目の2位。同年、クラブOBの鬼木達が監督就任。ACLでは決勝ラウンドで敗退し、天皇杯も柏レイソルに敗れ敗退。ルヴァンカップ決勝でも開始1分の失点が重くのしかかり、ほぼ何も出来ずに敗戦。これで8度目の準優勝。そしてリーグ戦も、最終節前で首位鹿島と勝ち点2差の2位とフラグは揃っていた。が、最終節。小林悠のハットトリック等で大宮に5-0の勝利。鬼木監督の古巣である鹿島は同時刻に行われた試合で磐田と対戦しスコアレスドローに終わり・・・
見事、逆転でJリーグ初優勝&初タイトル獲得を果たした。鬼木監督就任初年度でのタイトル獲得である。71得点・32失点であり、失点数は鹿島とほぼ同数であったが、鹿島よりも20点近く得点を重ねていたため、得失点差39はJ1リーグの中では圧倒的な数値であった。また、年間僅か4敗のみ。鹿島は21勝3分け8敗、川崎は21勝9分4敗。鹿島は勝利数こそ1位だったが敗戦も多かったこと、一方の川崎は勝利数が2試合少ないが、敗北も4試合少なかったこと、さらには負けに等しい試合を何とか引き分けに持ち込み勝ち点1を稼いでいたことも大きかった。
これまでの苦労が報われた川崎一筋当時15年の中村憲剛はピッチにうずくまり涙を流した。37歳にして初のタイトル獲得である。公式も「祝!脱・無冠ターレ」と喜びのツイートを投稿した。また、ハットを決めた小林も杉本健勇の22得点を僅かに1点上回り、逆転でリーグ得点王に輝き、彼はリーグMVPにも選ばれた。さらに、この年のベストイレブンには川崎戦士は4人選ばれた。
翌年の2018年、ワールドカップ中断前には首位のサンフレッチェ広島に大差があったものの、その後追い上げを見せ2試合を残してのリーグ2連覇を果たしている。ただ、連覇の決めた試合ではATに失点し敗戦したが、復興支援などもあって盟友とされるベガルタ仙台がサンフレッチェを下して優勝の可能性を抹消するというものであった。
ちなみに、前年にFC東京へ移籍した大久保はFC東京のスタイルに合わずチームが低迷したことと川崎から再びオファーを受けて復帰していたが、彼の抜けた穴は小林が埋めており、2番手にも前年4試合1得点ながら得点した試合で負けていた試合を引き分けに持ち込み勝ち点1獲得に貢献し結果優勝にも不可欠なピースとなった知念慶がいたため出場はベンチスタートがほとんどだった。このため1年もせずにジュビロ磐田で監督をしていた名波浩の熱烈なラブコールを受けてジュビロへ移籍。その後、最終節では恩返し弾を食らうも試合終了30秒前に逆転。前年に結果的に優勝をアシストした相手に恩を仇で返すこととなってしまった。
前年MVPだった小林は本年も15得点を記録。チームとしては最多得点・最少失点をダブルで達成し、2位の広島とは勝ち点を11ほど差を付けた勝ち点69。前年加入し、右SHで違いを見せ続けている家長昭博がリーグMVPに選ばれ、ベストイレブンにも川崎戦士は半数以上の7人が選ばれた。J1は2連覇だが、リーグMVPは3連覇である。憲剛は歴代最年長ベストイレブンとなった。
3連覇を目指した2019年
2019年には特に夏期に勝ちきれない試合が続き、リーグ3連覇を逃したものの、Jリーグカップを北海道コンサドーレ札幌との死闘の末に、PK戦で一時は追い詰められるも最終的に逆転し勝利。初のカップ戦制覇となった。ただし、PK戦のため公式記録上は引き分け。また、この年の11月、中村憲剛は左膝前十字靭帯、半月板損傷の大怪我を負い、当時39歳という年齢もあって引退も囁かれる程の事態となり、その後の2試合は厳しい中で勝利したものの上位陣が勝利したために2試合を残してリーグ優勝が消滅。そのホーム最終戦ではこの年優勝した横浜F・マリノスに1-4の大敗を喫しリーグ戦4位(マリノスは最終節で優勝が決定)、3位にいた鹿島が天皇杯で優勝すればACLへ出場できたが、鹿島は決勝でヴィッセル神戸に完敗したため、ACL出場権も逃してしまった。この年のホームの勝利数は僅かに5試合で、ホームでの勝利数としては5位以下に終わった2023シーズンよりも少なかったりする。
この年の課題として、前年まで攻守両方に大いに貢献したDFのエウシーニョ選手が担当していた右SBの穴が埋まらなかった指摘されている。この年加入したSBの選手がチームにフィットし切れなかったこともありこの年の右SBは本職が左SBあるいはCBの車屋選手、左SBやSHを主戦場とする登里選手といった左利きの選手を起用したりなど1年を通して苦労し、結局最後まで埋まることはなかった。
2020年の独走と2度目の連覇へ
2020年リーグ戦は、開幕戦でサガン鳥栖と引き分けて等々力での8年連続開幕戦引き分けの後、新型コロナウイルスの影響で国内全ての公式戦が中断。しかし勝ち点75、シーズン24勝のJリーグ単独最多記録で4試合を残して優勝、様々な記録を更新し、サガン鳥栖を除く述べてのチームに最低でも1勝した(1勝1敗、1勝1分け、2勝。サガン鳥栖のみ2分)。
憲剛も復帰戦からいきなりゴールを決めると、40歳の誕生日に決勝点となるバースデーゴールを決めた。ちなみにこの2ゴールはいずれも利き足でないことに加え前年に負傷した左足で決めたものであった。
しかし、その翌日に同シーズン限りで現役引退を発表。前日のバースデーゴールを含め、シーズンを通して大いに活躍していたこともあり、他クラブの選手、サポーター、さらには他業界の有名人を含め、大いに驚かせた。
憲剛が引退すると鬼木監督や個人で呼ばれて伝えられた一部の選手に伝えた際、監督は「え、嘘だろ?」といった感じに驚かれ、選手らも「まだやれるじゃないですか」的な反応であった。ちなみに大半の選手は、11月1日に聞いている。
異例のレギュレーションとなった天皇杯も制覇し初の複数タイトルを達成。憲剛に花道を飾った。なお、憲剛はこの試合はベンチ入りしていたものの、途中交代で入ることはなく、試合を最初から最後までベンチで見守った。鬼木監督は「(試合に出させてあげられなくて)ごめん」と憲剛に謝ったが、「チームのためだから」と憲剛は言ったという。これは憲剛が鬼木監督と現役時代から共に過ごしてきた(2003年から2006年まではチームメイト、2010年からは2016年まではコーチ)からこその言葉であろう。
このときのメンバーは、1年目から無双した超絶技巧派ドリブラー三笘薫を中心に、ベストイレブンに川崎からは三笘以外にも8人と計9人が選ばれ、4-4-2の2トップ以外全てが川崎戦士で埋め尽くした。同一クラブから9人もベストイレブンに選出されているのは歴代最多である。このときの川崎はJリーグ史上最強であるという声も多く、下手したら当時の日本代表よりも強いのでは?という声すら出るほどだった。三笘を中心に若手、新人の大活躍と、現在の主力を含め慣れるまで難しいとされる川崎戦術に、歴代移籍組の中でも群を抜いてフィットの早かった山根視来が右SBの穴を埋めたことが大きかったとされ、また憲剛などのベテラン勢も大活躍した。
特に天皇杯準決勝・決勝のスタメンが近年でもYouTubeなどで話題になることがある。アンカーのポジションで大活躍した守田英正は翌年ポルトガルへ旅立った。
その一方で、プロ化後J1、J2を通してリーグ戦で一度も負けることのなかった北海道コンサドーレ札幌にアウェイで快勝したものの、ホームでは0-2で完敗。コンサドーレ戦初の黒星を喫してしまい、多くの記録を更新した一方で対コンサドーレ札幌戦無敗記録が途切れてしまったちなみにこのゲームは等々力であり、この年唯一のホームでの敗戦となった。
2度目の連覇への挑戦となった2021年。開幕から25戦負けなしを記録し、夏場に一時勢いを落とし2位マリノスに勝ち点差1にまで迫られるも、ACLとルヴァン杯の敗退直後(ただし記録そのものは引き分け)に行われた鹿島戦と湘南戦で終盤に逆転したことを皮切りに再び勢いをつけ、3試合連続逆転勝利などもあり、結果的に4試合残して優勝決定。夏には前半戦で圧倒的な存在感を放った三笘と田中碧が海外へ旅立ったが、優勝決定までの敗戦はわずか1試合、その後も結局もう1敗しただけで全体で見ればわずか2敗、最小黒星となった。この時の勝ち点は92であり、2位のマリノスは勝ち点79と完全に独走状態だった。なお、この年はホームで無敗であったが、実際にはホームどころか本州無敗でもあった。
選手としてはロンドンオリンピック得点王となったレアンドロ・ダミアンが献身的な前線からの守備でも貢献しつつ23得点を記録する大活躍。彼は得点王兼リーグMVPに輝き、J1リーグ2021の顔となった。得点王争いについてはマリノスの2021年の項を参照。2度目の連覇を果たした2021年もベストイレブンには川崎戦士が7人選ばれた。どのポジションでもハイクオリティでこなし、CBとGK以外はどこでもできる超ユーティリティプレイヤーの旗手怜央はFW登録ながらも左SB、IHとしての出場がほとんどで、翌年スコットランドへ旅立った。
なお、この年は背番号14番を背負う選手は現れなかった。
2度目の3連覇へのチャレンジをした2022年とその後
2022年も強さを見せると思われたが、前年のラストゲームでPK戦の末敗退したため不安視されることもあり、2試合目の横浜F・マリノス戦で初黒星を喫してしまう。その後もマリノスが勝利を重ねる一方でこれまでのような圧勝劇とはいかず、久々の連敗、4度の4失点、元々苦手としていたセレッソ大阪と湘南ベルマーレにダブルを喫するなど、これまでよりも上手くいかなくなる。それでも着実に勝ち点を稼いでいき、マリノスがホームで最下位に敗れるなどもあって33節を終えた時点で2位となり川崎が勝利かつマリノスが敗北するという非常にシビアな条件で可能性を残す(実際は川崎勝利かつマリノスドローでも勝ち点で並んで優勝の可能性はあったが、得失点差で約10点離れていたため非現実的)。
最終節では、退場者が出ながらもFC東京に勝利して4連勝を果たすも、マリノスもヴィッセル神戸に勝利。この結果、勝ち点差2が変わらず順位も2位のまま変わらなかったため、優勝はマリノスのものになった。2019年と同じ相手に3連覇を阻止された。4度の4失点、大激戦の末ATの失点によって敗れた試合などが大きく響く結果となってしまった。とはいっても、マリノスは勝ち点68、川崎は勝ち点66、3位のサンフレッチェ広島は勝ち点55であったため、強さはマリノスと共にJ1リーグ2022では頭一つ二つ抜けていたといえるだろう。実際、ベストイレブンにはマリノス戦士と川崎戦士が5人ずつ選出されており、それ以外は得点王のみ(清水エスパルス所属)という結果に終わった。ACL出場権こそ獲得したものの鬼木政権の下では初、そしてそれ以前を含め6年ぶりの無冠シーズンとなった。
本年より、憲剛が背負っていた背番号14を脇坂泰斗が背負うことになった。背番号の重圧に屈することなく川崎の中心選手として主に右IHで数多くのハイパフォーマンスを見せている。
余談だか、この年は1位マリノス、2位川崎であったことと、この6年間の優勝チームがこの2つでいずれも神奈川県のチームであったこと(2018年のルヴァンカップでは湘南ベルマーレも優勝、この時の相手はマリノスで、どちらが勝っても神奈川優勝だった)、サッカー王国と謳われた静岡の2クラブが最下位の18位とその次の17位で共に降格したこともあり、「サッカー王国は神奈川」といった声も目立った。もっとも、2023年の3月には上記3チームと昇格した横浜FCの神奈川のJ1所属全4チームが同じ節で無得点で敗れるという神奈川勢全滅という土日もあった。
2023年、キャプテンかつ守備の大黒柱だった谷口がカタールへ旅立った。これが影響したのか、はたまたFWの選手がほぼ全員不調だったのか定かではないが、開幕戦のホームマリノス戦で敗れると、昇格組や当時苦しんでいたチームに敗れるなど、前半戦はボトムハーフでフィニッシュ。
厳しい時期が続いているが、高井幸大や山田新らユース出身の選手の成長もあり、7月のアウェイマリノス戦では首位相手に終了間際に先制しそのまま守り切って開幕戦のリベンジに成功。日産での初黒星をつけると、その後マリノスの敗戦が増えたため結果的にマリノスが連覇を逃す一因となることでリベンジを果たした。
しかし、翌節からは3連敗を含む6戦勝ち無しに陥ってしまう。超大物外国人であるバフェティンビ・ゴミスがシーズン途中に加入するというニュースもあったが、通算成績で負け越しているアルビレックス新潟にダブルを許してしまい、残り5試合の時点で優勝の可能性は消滅した。その後は敗戦することなく最終節でも鳥栖にもCKからのオウンゴールという幸運の1点を守り切って現制度になった17年以降以降初めてのダブル成功と勢いを増したものの、最終的な順位は8位。鬼木監督の下では初めて年間順位が5位を下回った。
個人としては前年までと変わらないどころかそれ以上のハイパフォーマンスを年間通して見せていた脇坂が3年連続3度目のベストイレブン入り。FW陣全員を抑えてチーム内得点王にもなっているほか、シーズン終盤にはそれまで家長が務めていたPKキッカーも務めるようになった。
ルヴァンカップも初戦を落とすと、その後も2敗目や勝ち切れない試合もあって7年ぶりのグループリーグ敗退となってしまった。
一方、天皇杯は順調に勝ち進み、決勝まで辿り着く。準々決勝では新潟とPK戦の末に辛勝し、準決勝では福岡に快勝。柏レイソルとの決勝戦では前後半、更に延長戦をスコアレスドローで折り返してPK戦へ突入。お互い3本目まで成功し、4本目で相手が失敗。しかし、川崎も5本目で失敗してしまい、更には6本目はお互いに失敗。そして7~9本目はお互いに成功し、10本目も川崎は成功。一方、柏は10本目にして失敗し、2020年以来の天皇杯制覇を果たした。PK戦を10人目までもつれ込む大激闘であった。
なお、ここ数年は国内タイトルに集中しすぎていたためか、成績が芳しくなかったACLのグループリーグでは怒濤の5連勝を果たして1試合残した時点でグループリーグ突破決定。
また、この年のキャプテンはアンカー/メンバー不在時のSBをポジションとし、プロ3年目の橘田健人が担当。善人4番が長らくキャプテンを務めていたこともあってか、シーズン開幕前には脇坂のキャプテン就任が予想されていたが、結果的には同年25歳になる若いキャプテンの就任は他クラブを含め多くのサポーターを驚かせた。なお、脇坂も副キャプテンを担当している。
前年は苦しんだものの2024年も鬼木監督は続投。しかし、10年以上川崎一筋の登里享平、前年に2年間の武者修行から帰ってきたばかりの宮代大聖、史上最強の2020年から替えの効かない右SBとして君臨し続けた山根視来といったチームの中心選手が例年よりも多く退団。入れ替えがやや激しいオフを経てのスタートとなった。なお、脇坂には海外移籍説が浮上したが、この年からキャプテンを担ったため杞憂に終わる。
そんなこともあったからか、チームは序盤に3連敗を喫するなどで中々上昇気流に乗ることができずに苦戦を強いられる。先制したものの追いつかれたり逆転を許したりして勝ち点を落としてしまう試合を重ねてしまい、優勝争いに加われないどころか一時は残留争いに巻き込まれかけるほど調子を落としてしまう。だが、勝ち点を重ねるペース自体はそこまで遅くはなく、残留自体の心配は早い段階で払拭された。最終順位は前年と同じ8位。
なお、天皇杯では2回戦の段階で2021年の準決勝で敗れた大分にジャイアントキリングを許し、ルヴァンカップはアルビレックス新潟にダブルを許した。
本年を以って、鬼木監督は退任。ラスト2年は苦戦を強いられたものの、数多くの日本代表クラスの選手を輩出し、2022年・2024年を除く全てのシーズンで何かしらのタイトルを川崎にもたらした功績は非常に大きいといえる。
他クラブとの相性
上記にもある通り、Jクラブ最多20冠を誇る鹿島アントラーズには何度も初タイトルを阻止されたが、実は直接対決の通算対戦成績で見れば2021年現在、その鹿島アントラーズが唯一負け越しているクラブである。特には2022年時点で2015年以降のカシマスタジアム、2016年以降は等々力もリーグ戦試合では無敗を誇り、カシマ無敗に関しては2014年以降カシマ無敗のヴィッセル神戸に次ぐ長さである。
何度も壁とされた鹿島だが、初優勝以前から直接対決の成績自体は悪くなく、元より相性は良い。特に初優勝以降は鹿島の選手サポーター共に「壁」とされるようになった。
その一方で、近年はどういうわけか自身と相手の好調不調や順位に、所属ディビジョンに関係なく無条件に九州のチームは苦手という謎のジンクスも存在しており、2021シーズンの2敗もいずれも九州の地でのものであり、天皇杯でも九州のチームにPK戦で敗退した。黄金期と呼ばれた2020年と21年も、九州の地での試合では1勝1分け3敗と大きく負け越している。しかも、2020年最後の敗戦が大分トリニータであり、その後敗れたのがアビスパ福岡、サガン鳥栖であったため、九州勢にしか負けていないという奇妙な結果となった。特に、2022年時点で、J1で対決した中ではサガン鳥栖には通算成績こそ大いに勝ち越しているもののJリーグが現行の制度になった2017年以降、2023年になるまで1度もシーズンダブルを果たせていなかった。このためサポーターの九州勢への苦手意識は非常に深く、例え通算成績で勝ち越していても快勝したとしても消える気配すらない。
なお、アビスパはフロンターレに2023年3敗し、「苦手な相手に勝てず」といった記事も存在するが、川崎のサポーターからすれば3度もショッキングな敗戦もしくは引き分けをしており、「こっちの台詞だ」と言われてもおかしくない。
また、サンフレッチェ広島や浦和レッズを率いていたペトロヴィッチ監督が2018年より北海道コンサドーレ札幌の監督に就任して札幌を指揮するようになってからはなぜか札幌との試合は大激戦になることが多く、両クラブのファン・サポーター以外からも注目が集まるカードになっている。特に2022年までは小林悠が札幌戦において12試合連続得点を決めており、正真正銘の「札幌キラー」であった。詳しくは札幌のページにて。
ベガルタ仙台とは、元よりサポータ同士も含めて仲良しとして知られる。特に東日本大震災後は復興支援や宮城県テーマのイベント、チャリティーオークションなどよりその関係が深くなっており、2020年の憲剛引退セレモニーでも花束がべガルタのサポーターにより贈られている。
チームや選手の特徴
上記の通り2017年で初優勝を果たしたシーズンからの特徴として、2016年までを率いた風間八宏監督が作り上げたスタイルを基盤に後任の鬼木達監督が細かいテコ入れをして攻守において隙の無い、「止めて、蹴る」を徹底したサッカーを行っている点が挙げられる。そのため選手たちの走る量は他のチームに比べると非常に少なく、パスが多い。このため湘南ベルマーレなどの走力のあるチームは比較的苦手。
「前任者の基盤+後任者の修正→強力なチーム」という流れは、2012年・2013年・2015年に優勝したサンフレッチェ広島や、2019年、2022年に優勝した横浜F・マリノスにも該当する(前者はペトロヴィッチ監督、後者はCFG参加加入後のモンバエルツ監督が築いた基礎を、前者の森保一監督、後者のポステコグルー監督、マスカット監督が向上させて数年で複数の優勝を達成した)。また、湘南ベルマーレも曺貴裁監督が降格と昇格を繰り返しながらも数年かけて独自の「湘南スタイル」を確立し、2018年にJリーグカップを優勝している。
このように、近年の日本サッカーでは勝てない時期がしばらく続いても、辛抱強く独自の戦術を浸透させたクラブがタイトルを取る傾向にあり、逆に結果がすぐに出ないと幾度も戦術を変えるクラブはタイトルをとれていない傾向がある。
川崎でプロキャリアをスタートする選手はユースからの昇格組や大卒ルーキーが多い傾向にあり、中村憲剛の影響もあってか移籍加入した選手も含め大卒選手が多く、逆にユース歴のない高卒選手がプロデビューして主力に定着した例は非常に少ない。また、川崎一筋の選手(バンディエラ)や川崎でプロキャリアをスタートさせて他クラブへ移籍することなく川崎で力を付けて海外へ旅立つ選手も多い。日本代表選手も多く輩出している。バンディエラが他のクラブよりも多いのはやはり憲剛の影響もあるかもしれない。
マスコット
イルカをモチーフにした「ふろん太」がメインマスコット。
2011年より、公式サブマスコットとして「ワルンタ」が登場。
また、2014年8月からは新たに青いカブ、「カブレラ」が公式マスコットとして加わった。
ホームスタジアム
Jリーグ創設当初はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)がホームタウンとし、
その際に改修が行われた結果、収容人数は25000人程度となった。
2012年末から2015年2月にかけて第1期整備としてメインスタンドの改修工事が行われ、収容人数が約27500人(緩衝地帯等を除く)まで増えた。
ゴール裏1階席は立ち見席となっている他、2階席での立ち上がっての観戦は禁止されている。
フロンターレサポーターの応援中心ゾーンは一般的なゴール裏ではなく、バックスタンドの川崎サイドコーナーフラッグ付近にある。これは第1期整備が行われるまで等々力陸上競技場のオーロラビジョンがホーム側ゴール裏2階席にしか無く、ゴール裏席からでは非情に見辛かった(アウェー側からはとても見やすい)のが一因。
また、上記の通りこの会場は現在はまだ陸上競技場であり、フロンターレの所有物ではないため、市民のイベントや、市の中学校などの部活の陸上大会などでも利用されている。
あの「世界最速の男」として知られるウサイン・ボルトも、この競技場のイベントに参加しており、ボルトはさらにフロンターレのクラブハウスを訪問したこともある。
余談だが、澤穂希の現役最後の試合であった皇后杯もこの会場で行われた。そして澤は子供時代には中村憲剛の府ロクサッカー少年団の先輩であり(2歳差)、奇しくも子供時代の後輩のホームスタジアムで現役を終えたこととなった。憲剛は澤を尊敬しており澤の引退時にはブログで敬意を示したほか、2人は引退後は対談なども行っている。
ホームスタジアムへのアクセス
最寄り駅はJR南武線の武蔵中原駅、東急東横線・目黒線の新丸子駅、および両線の交わる武蔵小杉駅。いずれも徒歩15~20分程度。
注意点としては「行きは良い良い、帰りは怖い」。
行きはユニフォーム姿の人の後を追えば良いので慣れない人も比較的楽に辿り着ける。
しかし帰りは新丸子、武蔵中原、武蔵小杉、武蔵新城、武蔵溝の口、自宅直行と人の流れが多方向に分散する為、「ユニフォーム姿の人の後ろを着いて行ったらその人の自宅だった」、「小杉に行こうと思ったら中原だった」といった事例が多発したことから、Jリーグサポーターの間では等々力迷宮として有名。
駅から徒歩で向かう場合、乗り換えの都合上もあり武蔵小杉を利用するサポーターが多いが、初見ならば武蔵中原からのルートが分かりやすい。
武蔵小杉駅からは、フロンターレ選手の車内アナウンスが流れるシャトルバスが運行されている。
自動車で向かう場合、等々力緑地の駐車場は非常に少ないが、
武蔵小杉駅から競技場にかけては、コインパーキングが点在しているため、
探せばなんとかなりそうな所である。
また、東急田園都市線・大井町線の溝の口駅などから、バスも運行している。
この駅の所在地は多摩川を挟んで対岸にある、東京都世田谷区であり、
等々力陸上競技場の最寄駅ではない。
(これは東京都と神奈川県の等々力は元々一つの村だったが、多摩川の流域の変化により神奈川県側の等々力が飛び地になったことが原因)
・・・が、遠征に慣れていないアウェイチームのサポーターが、最寄り駅と勘違いして降りてしまうことがままある。
近年では川崎ブレイブサンダースも同じ等々力緑地内の施設をホームゲーム会場としており等々力全体の入場者が増えており、JリーグのみならずBリーグのアウェイサポーターも迷宮に迷い込むのではないかと心配されている。
その他
企画に定評のあるフロンターレ
このチームを語る上で欠かせないのが、本気でネタやイベントに走る企画の数々。
「選手が登場する算数ドリルを作って川崎市内の小学校で使ってもらう」、
「天体戦士サンレッドとコラボして選手や社長がアニメに登場」、
「元々地域貢献としてやっていた銭湯とフロンターレのコラボ活動にテルマエ・ロマエを巻き込む」、
「色々と突っ込んだら負けなアウェイツアー」、
「南極から始球式」
「公認の美少女キャラクター(CV付き)」
「スタジアムに電車を展示」
ハロウィーンに近い日の試合には選手紹介を仮装した状態で行う
不定期的に選手紹介をスタジアムDJ以外の人物にやってもらう
バナナやアボカドの帽子を被る()
世界的大物ゲストに名前をかけた駄洒落ネタイベントをやらせる。(2冠目を記念してゲスト来日したオリバー・カーンにミカン、餅まきをさせるなど)
・・・などなどぶっ飛んだネタが多く、上げていくとキリが無い。
また、2007年のファン感謝デーでは選手がステージで「ヲタ芸」ならぬ「ンタ芸」を披露、
これがきっかけでフロンターレの企画がフロンターレサポーター以外からも注目されるようになった。
なお、毎年必ず新しい企画が生まれており、ホームゲームでは試合前にスタジアム前で必ずイベントが行われている。
このようなことから、スポーツチーム屈指のエンターテインメント集団としても知られている。そういう意味では、Jリーグで最も異彩を放っている。
サッカー以外のジャンルとのコラボも多く、同じく川崎市をホームタウンとしている他競技のスポーツチームとは高い頻度でコラボを行っている。
毎年恒例の「やべっちスタジアム」の中のコーナー「デジっち」(新シーズン前のキャンプに密着した企画)では、ベテラン選手の体を張った芸が披露されており、川崎サポーターのみならず他クラブのサポーターからの人気も高い。
なお、上記の他にも様々な活動を行っているが、選手の契約内容にはこうしたイベントへの参加義務が含まれているとのことである。ちなみに、たとえベテランであろうと世界的にも輝かしい功績の持ち主であろうと、入団直後であろうと一切例外なしである。
こうした企画が生まれた理由として、川崎市は過去に大洋ホエールズ、ロッテ、ヴェルディのプロスポーツチームが存在していたものの、結果的に全て移転し、3度もプロスポーツチームが離れてしまい、「スポーツ不毛の地」とされ、j2時代に観客も少なかったことから、「地域の人に喜んでもらえなくて何がサッカーだ」という志から、悲しい歴史とそれまでから変えていこうというという気持ちが現在のフロンターレの土台となった。無冠時代こそ「そのようなことをやっているからタイトルが獲れない」と他クラブ言われることも多かったが、この活動を続け、地域に完全に根付きタイトルも獲得したことでこの活動が足枷ではないことを証明した。その結果、今では川崎市において欠かせない市のシンボル的存在となるまでに成長した。Jリーグの理念である地域密着を最も実現しているといえる。
また、日本民家園や藤子・F・不二雄ミュージアムといった川崎市の名所のイベントなどへのコラボも多い。ちなみに、全くの偶然だが日本民家園には奈良県から移設された鬼木監督の母親の生家が展示されている(鬼木監督は千葉県出身)。
こうした姿勢が実を結び、川崎一筋を貫き、イベントや地域貢献でも中心の存在だった憲剛は、入団前には市と無縁だったにもかかわらず、市長などの政治家にも重視されていることもあって2020年に史上3人目となる川崎市の市民栄誉賞を受賞し、引退セレモニーでは、地域の消防や警察、コラボした俳優や宇宙飛行士に漫画家、地域密着や復興支援でかかわった人々など多くの人々が参加し、さらにはこれまでの感謝を伝えるお礼の品を地元の公立小学校が授業で制作してそれを代表生徒が直接渡すというJリーグ史上類を見ない最大規模の引退セレモニーとなった。しかも、本来セレモニーはホーム最終試合で行われるものだが、憲剛の場合はシーズン終了後の平日夜開催となった。
さらには、東日本大震災の復興支援にも積極的で、上記のドリルも現地の小学校に配布されている。「支援はブームじゃない」をモッドーに活動は2023年現在も続いており、憲剛引退セレモニーでも現地の人から感謝の言葉が語られた。
また、例え対戦相手であろうとホームゲームでは相手サポーターを歓迎するスタイルを取り、ブーイングも少ない。2023年にはACL決勝を控えた浦和レッズにもオーロラビジョン経由でエールを送っている。それが影響したのかは不明だが、レッズはACLを優勝している。
ちなみに、2017年のJ1優勝時、シャーレがアントラーズとジュビロの試合会場であったヤマハスタジアムの用意だったため実物がスタジアムになく、セレモニーでは代用としてシャーレ柄を彫り込んだフロ桶を掲げた。いかにもそんな川崎らしい。その後も優勝すると行っており恒例になった。
また、公式ツイッターアカウントがほかのクラブのフォロー数がほとんどが100人、200人ほどであるのに対し、フロンターレ公式ツイッターは3.8万人もフォローしており、Jクラブでも断トツのフォロー数を誇り、そのフォロー先には他クラブのサポーターや他競技のプロスポーツチームも含まれている。