概要
種別:一級河川
長さ:138km
流域面積:1240km²
山梨県・埼玉県の県境の笠取山を水源とし、奥多摩湖から下流の部分が「多摩川」と呼ばれている。調布市から下流は東京都と神奈川県の県境を為している。東京都大田区と川崎市川崎区の間で東京湾に注ぐ。
護岸工事を受けていない部分も多く、自然豊かな川である。
歴史
旧石器時代以降の遺跡が流域に見られ、平安時代の文献に「玉川」の名称が確認される。勾配が急な川のため、古来より暴れ川として有名だった。
1611年、稲毛領と川崎領(現在の川崎市に相当)を通る灌漑用水路・二ヶ領用水が完成し、新田の開発が進み米の生産高が大きく上昇した。狛江市から世田谷区を通り大田区に至る六郷用水も完成した。
1653年、上流の多摩地区で玉川兄弟らにより上水道・玉川上水が完成した。
1693年、多摩川の旧河床を利用した灌漑用水路・府中用水が完成した。
江戸時代には田中丘隅による瀬替え(蛇行部の短絡)や連続堤の築造、用水の改修が行なわれた。
明治時代には下流の川崎で工業用水としての取水が始まった。
コンクリート用の砂利採取が盛んになり、環境破壊が問題化した。
1904年、多摩川の堤防の早期構築を交渉するために御幸村、日吉村、町田村(川崎市中原区・幸区・鶴見区の多摩川沿いの地区)の住民500人以上が、治安警察法による処罰を覚悟の上で神奈川県庁に押し寄せ、直訴を行った。直訴に赴いた住民が編笠を被っていたため「アミガサ事件」と呼ばれる。
これをきっかけに築堤・改修の請願運動が盛んになり、神奈川県知事有吉忠一の判断で治水工事が進められ、道路をかさ上げした「有吉堤」が1916年に完成した。
高度経済成長期には生活排水が垂れ流されてドブ川と化し、工業地帯の煤煙と共に「公害の町川崎」を象徴する存在となった。洗剤から死体まで流れてきていた。
1974年、戦後最大規模の洪水「狛江水害」が発生。
現在は徐々に水質浄化が進み、親水施設が整備されている。
生物
全域で清流を好むアユが生息している。上流にニジマスやイワナ等が、中流にウグイ、メダカ、ウナギ等が、下流にスズキやハゼ等が見られる。魚類を捕食する鳥類も多く棲息している。
その一方でブラックバスやブルーギルなど、外来種の侵入が問題となっている。
上記のような日本全国で見られる外来種だけならまだ可愛い方だった物の、ネオンテトラやエンゼルフィッシュ、アロワナといった熱帯魚、挙げ句の果てにはアリゲーターガーにピラニア、淡水エイといった危険魚類、そしてニシキヘビやヌートリアといった魚類以外の生物などが確認されている。
この混沌とした状況を皮肉って多摩川を『タマゾン河』と呼ぶ人も多い。
その一方で、とある番組で有名になった「多摩川ジャングル」という三角州も存在する。