解説
創設年 | 1996年 |
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加盟年 | 1998年 |
ホームスタジアム | 札幌ドーム、札幌厚別公園競技場 |
クラブカラー | 赤と黒 |
マスコット | ドーレくん |
概要
北海道唯一のJクラブ。
1996年1月に東芝サッカー部の札幌移転を発表(2月に認可)、3月に新チーム名「コンサドーレ札幌」を発表し4月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立。
名前の由来は道産子をひっくり返しでコンサドとしそこに「オーレ」を付けた。
1998年にJリーグ参入したが、その後5度のJ2降格(4度のJ1昇格)を経験している。
※最高成績
J1
リーグ戦…2018年:4位
J2
リーグ戦…2000年・07年・16年:1位
ルヴァンカップ…2019年:準優勝
天皇杯…2006年:ベスト4
2013年に、ベトナムのレ・コン・ビン選手を獲得。そこでベトナム向けの広告看板がスタジアムに設置されたことで話題となった。ビンは1シーズンで退団したが、2014年にはインドネシアのステファノ選手、2017年には「タイのメッシ」の愛称を持つチャナティップ選手を獲得し、Jリーグが進める東南アジア進出戦略の象徴ともなっている。
前シーズンまではホームタウンは札幌市のみであったが、2016年シーズンよりチーム名が『北海道コンサドーレ札幌』に変更され、同時にホームタウンも北海道全域に拡大。なお略称は札幌のまま変更されない。
転機
2018年、サンフレッチェ広島や浦和レッズを率いたミハイロ・ペトロヴィッチ(通称ミシャ)監督が就任。広島の黄金期の土台や浦和の躍進を築いたミシャ式と呼ばれる可変システムを駆使した超攻撃的サッカーを根付かせる。ペトロヴィッチ監督就任1年目ながら本年は4位でシーズンを終えた。監督はJ1での優秀監督賞を受賞し、チャナティップは東南アジア出身のJリーグプレイヤーとしては史上初となるベストイレブン入りを果たす。
2019年、クラブ史上初YBCルヴァンカップ決勝進出。決勝では、川崎フロンターレと死闘を繰り広げ、3-3の撃ち合いの末にPK戦で敗れ、準優勝。リーグ戦は勝ち負けハッキリする試合が多く、最終順位は10位。特にアウェイの清水エスパルス戦では、アウェイながら0-8という大勝を飾った。個人としては、前年に1年でJ2へ逆戻りとなってしまったV・ファーレン長崎で2桁得点を達成していた鈴木武蔵を獲得。加入初年度でほぼ全試合に出場、札幌所属の日本人選手としては歴代最多得点となる13得点を記録し、クラブを跨っての2年連続2桁得点を達成した。
2020年、J2時代から札幌のゴールマウスを守り続けたク・ソンユンが兵役のために中断期間中に退団。その後は大ベテランの菅野孝憲が守護神として君臨し続ける。順位は少し落とした12位。本年で初めて川崎フロンターレに勝利。さらには主要タイトル20冠を誇る鹿島アントラーズにシーズンダブルを達成し、これらのサポーターに小さくないショックを与えた。詳しくは下記にて。なお、武蔵は夏に海外へ旅立った。この年のJリーグでの記録は4試合5得点と試合数こそ少ないものの、得点数が試合数を上回っているという滅多に見られない記録が残った。
2021年も若手を差し置き、菅野がほぼ全試合でゴールマウスを守る。結果は少し上がった10位。また、札幌で長く攻撃の核となっていたジェイが契約満了で退団し、現役引退。本年を以ってチャナティップは退団し、度々激戦を繰り広げることの多い川崎へ行った。
2022年はJ1新記録となる開幕からの6試合連続ドロースタート。守護神菅野は2回ほどケガをして少し離脱。5-0や4-1で大量失点を喫するときもあったが、彼が不在の試合では、1-6、4-1、5-2の3連敗で3試合15失点など、更に守備力が低下する事態に陥ったこともあった。逆転負けを喫した試合の後、ミシャ監督は「残留争いにどっぷりハマった」とコメントし、クラブも「J1残留へ目標を変更する」との声明を発表。すると、翌戦をATでの逆転勝ちで制したのを皮切りに勢いが増していき、早い段階で残留に成功。前年と同じ10位だが、大量失点が目立ち、失点数はリーグワースト2位の多さ。
2023年。ク・ソンユンが復帰。菅野との激しいポジション争いが予想されたが、兵役でのブランクがあったためか、ケガで離脱時以外は菅野がスタメンでゴールマウスを守っている。攻撃面も金子拓郎や浅野拓磨の弟浅野雄也らの活躍もあり、強化されている。
4-5という壮絶な撃ち合いの末に勝利した試合もあり、その試合後、ミシャ監督は「この5年半私が札幌を率いてから、攻撃に特化したチームとして戦っています。リスクを負って攻撃を仕掛ける中で、1点でも多く相手より点を取って勝つことを目指しています。それだけリスクを負えば、点を取られることもある。失点が多いことは皆さんが指摘したいことだと思います。」と失点数の多さを認めていた。
前半戦は好調だったが、後半戦になると金子が海外へ旅立ったことや菅野のケガでの離脱とソンユンの京都サンガF.C.へのレンタル移籍が重なったことなどが影響してか、不調に陥って順位がズルズル下がってしまう。そこで、大分トリニータで守護神をしていたものの近年は出番を減らしていた高木駿を獲得。菅野復帰後も新・守護神としてゴールマウスを守る。最終順位は2020年と同じ12位。
また、本年を以って日本サッカー界が誇る天才小野伸二は現役引退を決断。「そろそろ足が休ませてくれと言うので」とのこと。リーグ戦最終節では実に11年ぶりとなるJ1ゲームでのスタメン出場。約20分ほどプレーし、選手交代時には万雷の拍手が送られた。
と、このようにミシャ監督が就任してからは残留争いとは無縁のシーズン、あるいは残留争いに巻き込まれても早めに脱するシーズンを過ごしており、J1とJ2を行き来するエレベータークラブと揶揄されてきたクラブはJ1に定着している。失点の多さも目立つが、劇的な試合や大量得点を得る試合も多く、良くも悪くもサポーターやJリーグファンを楽しませていた。
だが2024年は開幕前に新・守護神高木の大ケガを含め、ケガ人が続出。チームの戦績も振るわず、苦しいスタートとなる。この年はミシャ監督の熱望により、武蔵がガンバからのレンタルという形で復帰したものの、前半戦は調子が中々振るわず。第2節のサガン鳥栖戦を4-0で敗れたことを皮切りに、6-1の大敗を喫した神戸戦を含む5連敗を喫する。連敗後のガンバ戦で初勝利するも、4試合連続で追いつかれてのドロー、さらには8連敗を喫して断トツの最下位に沈んでしまう。なお、クラブはミシャ監督と最後まで一緒に戦うと5月下旬に声明を発表。その後過去2年と同様、後半戦に調子は上がって断トツの最下位からの脱出には成功したものの、前半戦の不振が大きく響き降格圏から抜け出せないまま迎えた11月30日、翌日に行われる広島戦を前に降格が決まった。
選手やチームの特徴
ミシャ監督が就任する以前にJ1に属していたときは得失点差が-34(2002年・2008年)、-63(2012年)というとにかく失点が目立っていたチームであり、1~2年でJ2へ降格していた。が、ミシャ監督が就任してからは攻撃力が各段に向上し、攻撃力が光る試合が増えた。彼の下で秘めていた攻撃センスを開花させて活躍している選手も見られる。
2023年の激戦後での監督コメントにもある通り、攻撃に特化しているため失点を喫するリスクは高め。だが、攻撃がハマった試合では複数得点・大量得点を決めることも多く、リスクは高いが大勝を飾ったときや接戦を制したときの歓喜は相当なものだといえるだろう。また、残り数分で従来なら守りに入る状況であっても点を狙いに行く姿勢を崩さない(例えば上記の2023年柏戦。スコアは4-5、残り3分程度であったにもかかわらず6点目を奪いに行っていた)。そのこともあってか、終盤やATにスコアが動く劇的な試合も多く散見される。
また、下記の通り、2018年以降はなぜか川崎フロンターレとの試合は大激戦になりがちである。
川崎フロンターレとの激戦
2018年以降、超攻撃的サッカーをやっており、大量得点も大量失点も目立つコンサドーレだが、特に1試合で大量に得点が出る傾向が強いのが川崎フロンターレ戦である。2018年以降、0-0または1-0で終わった試合は一度も無い。
2018年。ホームではATに一矢報いて1-2で敗れたが、アウェイにて7-0の大敗。25本ものシュートを浴び、およそ3分の1弱を決められてしまった。これほどの大量得点試合としては珍しく、得点者も全て異なっている。
2019年。上述の通り、ルヴァンカップ決勝で3-3の撃ち合いの末、PK戦で敗れる。
その試合はというと、札幌先制→川崎同点→後半40分台に川崎逆転→ATラストワンプレーでCKから札幌同点→延長前半にチャナティップが川崎DF谷口に倒されVARの結果谷口退場→これにより得たFKが直接決まり札幌逆転→後半CKから川崎同点→その後両者得点を奪えず延長戦終了→PK戦は3人目まで双方全員成功→川崎4人目外す→札幌5人目外す→6人目で川崎が決めて札幌が外してようやく4-5となりようやく決着。という歴代でも屈指の超シーソーゲームとなった。この激戦は他クラブの関係者からも「Jリーグカップ史上最高の決戦」との呼び声も高く、その年の終わりには回顧録がJリーグの公式チャンネルに投稿される程だった。
なお、PK決着であるため、タイトルこそ逃したものの「敗戦」ではない。
リーグ戦ではホームは最終戦となり、1-2で敗れるも、アウェイでは先制しながらも後半に追いつかれてドロー決着。この年川崎はホームで5勝しかしていないが、それの一員となった。勝利にこそたどり着かなかったが、前年からは大きく前進したといえよう。3戦して1敗2分けであった。
2020年。ホーム戦では小林悠と三笘薫がそれぞれ2得点したこともあって、1-6の大敗を喫する。
しかし、アウェイでは0-2と完封でリベンジ成功。Jリーグ加入後初となる川崎戦勝利と同時に、川崎の連勝記録を12で止めた。試合の数日前に引退を発表していた中村憲剛に最初で最後の勝利を収め、憲剛の無敗記録を最後の最後で阻止した。この年の川崎は無双状態で多くの記録を更新したが、その中で対コンサドーレ戦の無敗記録を止め、またこの年川崎のホームゲームに勝利したのはアウェイチームとして唯一であり、複数得点で勝利したのも唯一である。この試合では小林悠は怪我で欠場。同時に、憲剛のホーム最後の敗戦となった。
2021年はシーズンダブルを喰らう。
2022年。アウェイでは0-1、1-2と2度リードしながら4点奪われ、トータル5-2の逆転負けを喫した。2回リードするも4点奪われた。また、上記の3試合15失点の3試合目であった。
ホームでは逆に、0-1、2-3と2回リードされるも2点さらに追加し、4-3で2度の逆転(0-1→2-1→2-3→4-3)を経て勝利。ホームで初勝利である。
なお、川崎はこのアウェイ札幌戦で敗戦後、残りの4試合を4連勝で2022シーズンをフィニッシュするが、優勝争いを川崎と共に繰り広げて首位を走っていた横浜F・マリノスに勝ち点2差のまま最後まで逃げ切りを許し、3連覇を逃している。川崎はこの試合で勝利していれば優勝して3連覇を果たせた可能性があった。もっとも、AT失点の敗戦がこれ以外にも2試合あったこと、その後の4連勝のうち3試合は1点差であったこともあり、この試合に勝ったとしても他の試合を落とせばどっちみち連覇を逃していたため、この試合に勝っても3連覇できたかは不明である。
ちなみのその後はタイツアーで対戦したが、こちらは公式戦にはカウントされないものの、結果的に3-3とこれまた激戦に終わっている。
2023年。ホームでは1-0、2-1と2回リードするが、前半のうちに2-3にされる。その後追いついて3-3にするも、川崎にさらに1点決められ、2回の逆転を許して今度は逆に3-4で敗れる。
ただし、この試合ではそれまで12試合連続で決められていた小林悠に決められることななく、その記録はストップできた。
アウェイでは前半終了時点で川崎のシュート本数をゼロに抑えて0-2とリードしていたが、後半はファウルなのかも怪しいVAR介入でDOGSO疑惑による札幌戦士の退場という不運により数的不利になると川崎の猛攻に遭い、2-2のドローに終わる。
2024年。アウェイでは川崎の超大物外国人のバフェティンビ・ゴミスにJリーグ初ゴールを奪われる。さらにゴミスに前半だけでハットトリックをカマされ、後半は無失点で切り抜けたものの3-0で敗れる。ホームでは2-0とリベンジに成功。
2023年終了時点でホーム、アウェイともに1勝しかできていないが、アウェイでは19年と23年はドローで終わっており、2018年から大きく成長していると言えるだろう。
ちなみに、上記の通り川崎のFW小林悠には彼の出場した試合は12試合連続で決められていたことと、2023年に、川崎はエバラ、コンサドーレはベル食品という「タレ」を扱うスポンサーのチーム対決であるために「たれダービー」と称したホームゲームではコンサドーレサポーターやスポンサーがSNS上で違う会場や北海道のグルメを教えて会場に来ないように誘導しようとした。すると、自他問わずサポーターを様々な予想外の企画で楽しませることが得意な川崎も「NO MORE YU KOBAYASHI」といったグッズを販売し、挙句の果てにNHKやDAZNの実況者にも触れられるほどの事態になった。ちなみに試合当日はエイプリルフールであったために自他問わず川崎のネタが毎年注目されているが、今回はコンサドーレの公式もノリノリでありそのほかにも多くのネタがあったこと、サポーター同士の衝突もなかったことから、ある意味平和な盛り上がりとなった。
小林選手は負傷したがその際にも心配する声、「小林悠に決められなかったから勝ち」、「どうせ負けるなら小林悠に決められたかった」といった声も上がっており、ここまでくるともはや嫌いを通り越して愛されていると思われても仕方がない。
一方、アウェイでの2得点のうちの1点は上記のチャナティップの同郷スパチョーク選手によるもの。チャナティップは2022年に川崎加入後、当初こそ試合に出場していたが怪我と、慣れるまで時間のかかる川崎の戦術に最後まで合わなかったこともあり出場機会が減少、担当していたポジションも前年に彼よりもさらに出番の少なかった選手に奪われてしまい2023年の6月に退団。川崎ではリーグ戦で1得点もあげられずにタイに復帰。川崎はチャナティップ退団後も彼の在籍時から開いていたタイに関わるイベントを予定通り開いたが、そのイベント開催日の相手が札幌であり、タイ人選手を活かせなかった川崎に、タイ人選手の活躍が目立つ札幌の「タイ人選手はこう活かすのだ」と言わんばかりの皮肉るようなゴールとなった。この試合の失点も小林悠には決められていない。
また、最初に書かれた通りコンサドーレの前身の東芝サッカー部は川崎市で発足、ホームタウンとしていたため、この時点で上記の激戦抜きに因縁があり、そういう意味では「新旧川崎ダービー」ということができる。さらにいうと、川崎市は北海道の中標津町と友好都市であるというように、もとより因縁が深い。
マスコット
北海道に生息するシマフクロウをモチーフとした「ドーレくん」。
好きな食べ物はジンギスカン。
Twitterアカウントもある。4年ほど放置していながら2015年にしれっと再開している辺り、このシマフクロウ結構図太い。
Jリーグマスコット総選挙過去順位
回 | 開催年 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 2013 | 3位 | |
2 | 2014 | 5位 | |
3 | 2015 | 2位 | |
4 | 2016 | 5位 | |
5 | 2017 | 4位 | |
6 | 2018 | 5位 | |
7 | 2019 |
第1回よりトップ5圏内を維持してきたが、不思議と1位には縁がない。
スタジアム
ホームスタジアムは札幌ドームと札幌厚別公園競技場。札幌ドームについては当該項目を参照。
関連タグ
キャプテン翼、ゴールデンカムイ・・・コンサドーレとコラボした漫画(アニメ)。
因みに前者は登場人物の松山光が北海道ふらの市出身(富良野市がモデル)でコンサドーレ所属であることから北海道内の選手育成・強化への支援を幅広く募集する『松山光プロジェクト』を行っている。
北(北海道・東北地域)のJリーグ