1979年9月27日生まれ、静岡県沼津市出身、清水商業高卒。
1995年FIFAU-17世界選手権出場、高校卒業後浦和レッズに入団、1998年にはA代表デビューし、18歳にしてA代表としてFIFAワールドカップに出場、1999年にはワールドユース準優勝に貢献、2000年にはAFCアジアカップ優勝を経験。
2001年にはオランダ、エールディビジ・フェイエノールトに移籍。
2004年のアテネ五輪にはオーバーエイジ枠で出場、2006年に浦和レッズ復帰。
2010年に清水エスパルス移籍、2012年にオーストラリア、Aリーグ・ウェスタンシドニーワンダラーズ移籍、2014年よりコンサドーレ札幌へ移籍。
FIFAワールドカップには1998年、2002年、2006年と3大会連続で出場。
2019年8月、J2のFC琉球に完全移籍。しかし2020年、足の怪我もあって12月25日退団が発表された。
2021年には古巣のコンサドーレ札幌に復帰。天皇杯でフリーキックからゴールを決めて天皇杯での最年長ゴール記録を挙げている。
2023年の自身の誕生日である9月27日には今シーズン限りで現役選手としての引退を発表した。コンサドーレ札幌とは『生涯契約』という形で契約を結んでおり、引退後はフロント入り若しくは指導者になると見られている。
選手としての特徴
繊細なボールタッチや華麗なトラップに絶妙なパスなど非常に優れたテクニックを持ったファンタジスタ気質の選手で、中田英寿や稲本潤一など同世代の選手や辛口で知られるセルジオ越後も小野の才能を絶賛しており、日本の関係者だけでなくスナイデルやファン・ペルーシなどフェイエノールトでの活躍を見た海外からもそのセンスを評価されていた。
18歳でのワールドカップ出場、ワールドユース準優勝など華麗なキャリアを積み将来を期待されていたが、シドニーオリンピックの予選のフィリピン戦で相手選手の激しいタックルによって左膝の靱帯を断裂する大怪我を負ってしまい、これがきっかけになり数々の負傷と後遺症に悩まされるようになってしまった。試合でもプレスを受けたりフィジカルで攻められると苦戦する場面も見られ、サッカー関係者やファンによる「小野が怪我さえしていなければ……」と惜しむ声は今でも大きく、掲示板やサッカー動画のコメント欄でもよく語られる話題になっている。