概要
1965年3月生まれ。セルビア共和国出身の元サッカー選手。幼少時代のあだ名とその華麗なプレイから現役時代の愛称は「ピクシー」。
現役時代
現役時代のポジションはFW及び攻撃的MFで主にセカンドトップやトップ下を務めていた。
「東欧のブラジル」「東欧の宝石箱」と呼ばれたタレント軍団、旧ユーゴスラビア代表でもエースナンバーの10番を背負い、1990年イタリアワールドカップでもディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンと互角に渡り合い、世界中にその名が知れ渡る。PK戦の末敗退するが、マラドーナは試合後「僕の次は間違いなくストイコビッチの時代だ」とその卓越したテクニックを褒めたたえた。
オリンピック・マルセイユに所属していた1990-91UEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)では当時「サッカー史上最強のチーム」と言われたACミランとベスト8で対決。そのミランDF陣を一人ドリブルでズタズタに切り裂いていく姿は、世界中のサッカーファンに衝撃を与えた。(試合もトータル4-1でマルセイユの勝利)
紆余曲折あり、1994年から引退する2001年まで名古屋グランパスに在籍。初年度こそ冴えなかったものの、2年目からは名将アーセン・ベンゲルの元でヨーロッパ中を驚かせた希代のファンタジスタぶりを発揮。引退までにチームに2度の天皇杯(1995・1999年)をもたらしている。特に1995年は17ゴール29アシストと異次元の活躍でJリーグMVPにも輝いた。
現役引退後は指導者の道を歩み、2008年から2013年まで名古屋の監督を務めていた。2010シーズンにチームをJ1リーグ初優勝に導き、自身としては選手時代の天皇杯に次ぎ3度目のタイトルを獲得した。
スポーツ雑誌『Number』のWeb版の2019年アンケート「Jリーグ歴代No.1外国人選手」では見事1位に輝いた。
現在はサッカーセルビア代表の監督として活躍している。
ストイコビッチ伝説
- グランパスに在籍していた1995年、ホテルのバイキングで中西が食べていた納豆に初めてトライし、それ以後は海外キャンプに行くときも納豆を持参するようにクラブにリクエストしていた。
- 1997年のオーストラリアキャンプで朝食に納豆が出されなかったため激怒し、クラブスタッフを日本食食料品店に買いに行かせた。
- 梅干しは納豆以上に好き。フランスにいる時も取り寄せている。
- 梅干はとりわけ大きくて柔らかい物が好みである。
- 生卵、うどん、白米、鮎の塩焼きも好物。特に鮎に関しては、一回の食事で最多30匹も食べたという都市伝説がある。
- 名古屋を離れ帰国したときも、アドバイザーとして来日すると、食事のリクエストは「クラブハウスのうどんと納豆、鮎」だった。
- 小倉トーストが好き。甘いものも好き。クラブハウスにピクシー用のお菓子箱がある
- 豚汁も好き。遠征に行くと、栄養士に「豚汁はないのか?」と聞いていた。
- 嫁は、栄養士に教えてもらって、フランスでも日本食を作る。
- 夏のチーム合宿で「練習が終わったら鮎が食べられるぞ」と選手を鼓舞していた。
- 2008~2009年、チームにいたバヤリッツァがなかなか日本食になじめなかったために「偏食で栄養が心配」と納豆を食べさせようとするも失敗。
- 納豆を食べられなかったコーチに、「優勝したら納豆を食べろ」と持ちかけ食べさせることに成功。
- 盆栽好き。
- サッカー関連では、1997年7月9日のJ1横浜マリノス(現横浜F・マリノス)戦において、主審・小幡真一郎氏から2度目の警告を受けた後すぐさまカードを奪って審判に対し逆イエローを掲示した(後に自身は数試合停止処分を受ける)。さらに2009年10月17日、同じマリノスとの試合において、相手GKがタッチラインにボールを蹴り出した際にベンチから駆け寄り、革靴を履いた右足でダイレクトシュートを放ち、見事ゴールネットを揺らした。選手時代に続き、今度は監督としても「試合遅延及びに審判への侮辱行為」として退場処分となったが、このシーンは世界中で話題となり、当時のUEFA会長からも称賛された。