解説
Jリーグのオリジナル10の1つであり、神奈川県横浜市・横須賀市・大和市をホームタウンとしているプロサッカークラブ。
クラブ名の「マリノス(Marinos)」は、スペイン語で「船乗り」のことであり、「7つの海を渡り、世界を目指す姿と、ホームタウンである国際的港町・横浜のイメージ」をオーバーラップさせたものである。
創設当初のクラブ名は「横浜マリノス」であったが、後述の横浜フリューゲルスとの合併により現在の名称となった。運営法人は現在も「横浜マリノス株式会社」の名称を使用している。
1972年日産自動車のサッカークラブとして発足。プロ化を見据えた強豪で読売クラブ(現:東京ヴェルディ)としのぎを削った。
1993年のJリーグ発足とともにJリーグ加盟。1993年5月15日のJリーグ開幕戦に出場しヴェルディ川崎相手に勝利。
2024年度終了時点でJ1リーグ優勝5回、Jリーグカップ優勝1回、そして2回の天皇杯優勝がある(日産時代をさらに5回優勝)。
J1リーグ年間優勝5回は全クラブ中2番目の多さである。
創設以来伝統的に堅守速攻を旨としており、得失点差は歴代2位を記録している。現在は攻撃的サッカーで知られる(後述)。
近年ではJクラブの増加やオリジナル10の降格も相次いでいる中、鹿島アントラーズと同様、1993年にリーグ発足以降、一度もJ2降格経験が無く、過去全シーズン1部リーグに所属しているクラブである。
簡単な歴史(~2013年)
1972年、日産自動車サッカー部創部。
1976年、関東リーグ優勝と日本サッカーリーグ昇格。
1992年、チーム名を「日産F.C.横浜マリノス」に。
1993年、Jリーグ開幕。所属のラモン・ディアスが得点王に。
1995年、1stステージ(当時は2ステージ制)を優勝し、ヴェルディとのチャンピオンシップに勝利し年間優勝。
1999年、今年からチーム名を「横浜F・マリノス」に。
2000年、1stステージで優勝、中村俊輔がMVPに。マリノスケ誕生。
2001年、Jリーグカップ優勝。
2003年、岡田武史監督のもと両ステージを制し完全優勝を達成。
2004年、1stステージを優勝し初の3ステージ連続優勝を達成。浦和とのチャンピオンシップに勝利し年間優勝、J1を連覇。中澤佑二がMVPを受賞。
2005年、今年からは中位が続く。カップ戦はここから5年連続でベスト4。
2011年、背番号3を永久欠番とする。
2013年、11年5位、12年は4位と順位を上げてきており、今年は長く首位に位置し、ホームの第33節では勝てば優勝という試合に6万人を超える観客が集まったものの、敗戦。続く最終節も敗れて惜しくも優勝は消えていった。天皇杯では優勝し意地を見せる。中村俊輔は唯一の2回目となるMVPを受賞した。
2014年の転機とその後の栄光
2005年以降はリーグ戦でのタイトルに遠ざかっていたF・マリノスだが、2014年に、マンチェスター・シティを筆頭とした多数クラブを保有する世界的なサッカー事業グループシティ・フットボール・グループ(以下:略CFG)の傘下に入ると、2015年からその土台を構築。2018年からは、それまでの堅守重視のスタイルから攻撃的なサッカーへシフトチェンジし、幾度か監督が代わりながらも方向性を貫き、5年ほどの年月をかけて再び強豪としての地位を築くことになる。
しかし、CFGの意向で就任したエリク・モンバエルツ監督は若手主体のチームを目指した結果、選手とのコミュニケーション不足により選手に不満増加、特に中村俊輔らベテラン選手らへのあたりが強くなり、中澤佑二など他のベテラン選手や長年在籍したスタッフへの引退勧告、戦力外通告、減額などもあったという。
俊輔は「純粋にサッカーを楽しみたい」「後輩のためにも、良くない傾向には異を唱える姿勢を見せるべき」といった想いから2017年にジュビロ磐田へ移籍。その後は皮肉にも横浜市内の横浜FCで引退、その後は同チームでコーチを務めている。移籍理由がCFGなため、サポーター内では将来的な指導者などとして帰還を求める一方で、「少なくともCFGが離れない限りは戻らないだろう」という声も多い。
2018年にアンジェ・ポステコグルー監督が就任、4-2-1-3をベースにした超攻撃サッカー、通称アタッキングフットボールへの大胆な改革を行った。当時はどちらかといえば守備に重きがあった中での大胆な変革を試みたので、同年は残留争いに巻き込まれ12位フィニッシュ。56得点はリーグ2位タイの多さだが、56失点はワースト3だった。ディフェンスラインを高い位置に置き、ガラ空きとなった背後を狙われる、GKの飯倉大樹選手がが高い位置まで飛び出したところでロングシュートを放たれる(通称:飯倉チャレンジ)、といった事態が続いたことが失点が多かった原因とされる。高い攻撃力を植え付けることには成功したものの、守備力に課題が出たシーズンとなった。
12位と聞くと、ボトムハーフではあるものの降格圏とはやや離れた順位だと思われがちだろうが、本シーズンでは最終的に12~16位であるマリノス・湘南ベルマーレ・サガン鳥栖・名古屋グランパス・ジュビロ磐田が全て勝ち点41で並んだため、勝敗に加えて得失点差も大きく順位に影響するという例年以上に緊迫した状況にあった。
なお、本シーズンにボンバーこと中澤佑二は現役引退。マリノス側からは契約更新を打診されていたらしいが、元々40歳で引退することを常々口にしており、有言実行する形となった。また、ポステコグルー監督が彼の疲労を心配したため、170試合以上続いていた連続フル出場記録は後半戦の鹿島アントラーズ戦で途絶えた。次に出場した試合は最終節セレッソ大阪戦のラスト10分間となり、これが現役ラストマッチとなった。
一方、カップ戦では決勝まで進出したが、湘南ベルマーレに1-0で敗戦。
2019年は前年とは打って変わり、アタッキングフットボールが完全に浸透。連勝を複数回重ねて勝ち点を多く稼ぎ、上位勢に加わる。当年はFC東京が長らく首位を走っていたが、最終節の東京との直接対決を前に6連勝を達成し首位へ躍り出る。いよいよ迎えたホームでの最終節、この時点でFC東京は2位であり、東京が勝てば勝ち点が並ぶことになっていたが、4点差以上で敗北しなければ優勝が確定していた。だが、この試合でも6連勝している勢いそのままに、3-0と東京を圧倒した勝利で締めくくって7連勝、ホームの地でついに15年ぶり4度目のJ1優勝を果たした。この日は日産スタジアムに63,854人ものファン・サポーターが観戦に来ており、これは2013年第33節のF・マリノスvs新潟の試合を越え、リーグ戦における1試合での観客動員数歴代1位となった。
当シーズンのラスト10試合に目を向けると、10試合を9勝1分という驚異的な成績である。敗戦もあったが、他クラブよりもドローが少ない代わりに勝利した試合が多く、得点数は最多、失点数も前年に比べると畠中槙之輔とチアゴ・マルチンスのCBコンビやGK朴一圭らの活躍もあって大幅に改善された。
なお、ドラゴンボールと日本好きのトップ下マルコス・ジュニオールと、サッカー選手としては小柄ながらスピードとテクニックを併せ持つWG仲川輝人が共に15得点を記録し、仲良く得点王とベストイレブンに輝いた。同一クラブから得点王が複数人現れるのはJリーグ史上初の出来事である。また、仲川はリーグMVPも受賞して本シーズンの顔となった。
2020年、リーグ戦開幕前に行われたスーパーカップではヴィッセル神戸相手に3-3の撃ち合いになった後PK戦へ突入。このPK戦では9人連続PK失敗という事態が発生。最終的には神戸の山口蛍に決められて敗れた。
リーグ戦の方は相手の対策や仲川の不調、高い決定力のエリキがシーズン途中に退団したことなどが響いたためか、この年は9位フィニッシュ。得点数69は圧倒的な強さで優勝した川崎フロンターレに次ぐ2位。しかし、失点数は59であり、優勝した前年よりも20点ほど増えてしまった。優勝を果たした前年よりは勢いを落としてしまったが、ACLでは初の決勝トーナメント進出を果たし、リーグ戦とはまた違った足跡を残した。
2021年、アタッキングフットボールが再び席巻する。複数得点で勝利する試合を多く重ね、中盤には7連勝も果たす。ポステコグルー監督や点取り屋のオナイウ阿道が退団し海外へ旅立つといったこともあったが、その後も調子は落ちることはなく、圧倒的な強さを見せていた川崎フロンターレとの勝ち点差を一気に詰める。が、川崎が勝利を次々重ねていくのに対し、マリノスは時折ドローや敗北もしていたことが影響したためか、再び勝ち点に差がついてしまい、残り4試合残して川崎の優勝が決定し、本シーズンは勝ち点79の2位。しかし得点数82はリーグトップであり、失点の少なさも川崎・名古屋に次いで鳥栖と同数で3位タイであった。
なお、ポステコグルー監督退任後は彼のスタイルをよく知るケヴィン・マスカット監督が後を継いでアタッキングフットボールを継続した。最終節の川崎戦では22得点で並ぶ前田大然とレアンドロ・ダミアンの得点王争いが注目され、共に1点ずつ決めて二人並んで得点王になった。マリノスのバンディエラにしてキャプテンの喜田拓也は「僕たちは2位で満足できるチームではなくなっています」とのコメントを残した。
2022年、マスカット監督が開幕から指揮。すると、2試合目となった川崎戦で4-2の逆転勝利を収める。その後も勢いは止まらず、6連勝&9試合連続複数得点を達成、圧巻の攻撃力と選手層の異常な厚さがJ1リーグで猛威を奮う。しかし、ルヴァンカップの準々決勝ではサンフレッチェ広島にダブルを許し敗退、ACLベスト16ではヴィッセル神戸に敗れて敗退など8月は公式戦で勝利無しとなってしまう。その後はリーグ戦3連勝などで何とか盛り返すも、終盤戦には残留争いに苦しむガンバ大阪と最下位のジュビロ磐田にホームで無得点連敗して2位の川崎との勝ち点差が2に縮まってしまう。そして、残るリーグ戦は2試合となり……
最終的には連敗沼から脱出成功。浦和レッズ戦とヴィッセル神戸戦を4-1、1-3で連勝して川崎との勝ち点差を2のまま逃げ切り、ノエビアスタジアムの地で通算5度目のJ1優勝を掴み取った。ポステコグルー監督と同じく、マスカット監督も就任翌年での優勝である。ボランチも可能なCBである岩田智輝がDF登録の選手としては久々のMVPに輝いた他、多くの選手もそれぞれ活躍した。マスカット監督は終盤戦を除くと試合ごとに誰かしらスタメンを入れ替える「ターンオーバー制」を取り入れており、終盤まで最強のスタメンを探っていた。マリノスに在籍するほとんどの選手がリーグ戦に出場したため、まさに「全員で掴み取ったJ1優勝」であったといえるだろう。「誰が出てもマリノス」を体現したかのようなシーズンである。
2023年、シーズン開幕前に天皇杯王者のヴァンフォーレ甲府との富士フイルムスーパーカップで勝利し、初となるスーパーカップ制覇を果たした。
そしてこの年もアタッキングフットボールがJ1リーグを盛り上げる。例年通り多くの選手が移籍したが、若手の台頭などにより選手層は厚い。開幕戦で川崎に勝利し、その後も勝ち点を重ねる。前半戦は大迫と武藤が猛威を奮うヴィッセル神戸が長らく首位を走っていたが、アウェイの直接対決で勝利。前半戦終了段階では首位になり、中盤戦では前年と同様の6連勝も飾った。
しかし、「BIG神奈川ダービー」と名したホームでの川崎との試合では敗戦。その後、DF陣が怪我などで駒不足になり、最終ラインにMFやFW登録の選手を何人も起用せざるをえなかったこと(特に左SBは終盤に全員離脱。CBも一時は移動可能が1人だけに)などが原因で、横浜ダービーの4失点敗戦、去年同様残留争い中の相手に連敗、さらにはホーム日産での神戸との直接対決も無得点で敗れた。
しかし優勝戦線離脱とはならず、32節終了時点で優勝チームはマリノスかヴィッセルに絞られ、この時点での勝ち点差は2。33節のホームで迎えたアルビレックス新潟戦では相手の守備を崩しきれずスコアレスドローに終えると、勝ち点差は1。翌日行われた同33節に神戸が勝利したため、勝ち点差が4に開き、連覇の可能性が消滅した。2023年も強さを見せたが連覇には届かず、昨年の最終節で優勝を決めた相手のヴィッセルに優勝を阻止される格好となった。
また、奇しくも10年前である2013年の33節もホームの新潟戦に敗れ、この影響と最終節で敗戦したことで優勝を逃していたが、10年後の本年もまた33節のホームにて、(当時ほどではないにせよ)新潟に邪魔される形となってしまった。
最終的な順位は2年前と同じ2位。得点数63はトップであり、3年連続最多を記録。負け越した相手は新潟のみである。エースストライカーであるアンデルソン・ロペスは神戸の大迫勇也と共に22得点で得点王に輝いた。ロペスはマリノス所属としてはただ一人ベストイレブン入りを果たす。
また、天皇杯では(主力を休ませたとはいえ)当時J2所属のFC町田ゼルビアに大敗して敗退。これにより、天皇杯では3年連続で格下相手に敗れての敗退となる。
ルヴァンカップでは準決勝に進出するも浦和レッズ相手に敗退している。
なお、本年をもってマスカット監督は退任。2021年に途中就任してから2年半の間に2位→1位→2位という圧巻の成績を残す。ACLグループリーグのラストゲームで勝利し、決勝トーナメント進出という置き土産を残して、マスカット監督はマリノスを去った。
2024年はハリー・キューウェル監督が就任。ロペスは前年夏までマルコスが背負っていたエースナンバー10を背負う。得点王になったら翌年10番を背負う、と言っていたとか。フォーメーションは4-3-3だが、これまでの4-2-1-3ではなく、4-1-2-3で戦うことに。
開幕戦は国立競技場で16年振りにJ1へ復帰した東京ヴェルディとの試合であり、31年前の開幕戦と同じスコアで逆転勝ちを収めた。
その後、主力はほとんどが残留したものの監督とフォーメーションが変わったためか、リーグ戦では苦戦気味。一方、ACLではトーナメントを勝ち進み、準決勝では蔚山との壮絶なPK戦を制してF・マリノス史上初の決勝へ進出。決勝のアル・アインFC(UAE)との試合ではホームで逆転勝ちをして優勝に王手をかけた。が…アウェイでの第2戦では大敗を喫してしまい、ACLは惜しくも準優勝に終わった。
その後のリーグ戦でも調子は上がらず、4連敗後の鹿島戦で勝利後、キューウェル監督は契約解除。その後はヘッドコーチだったジョン・ハッチンソンが監督に就任し、フォーメーションも4-2-1-3に戻すと調子は上向きになりつつあった。しかし、その後はルヴァンカップとAFCチャンピオンズリーグエリートによる超過密日程がマリノスを苦しめてしまい、リーグ戦では6-2の大敗を含む4連敗を喫した。
ルヴァンカップでは名古屋に敗れ4強止まりとなり、天皇杯でも準決勝でガンバと延長戦の末に敗れて、2024シーズンは無冠となった。
最終盤では3試合連続の逆転勝利で勢いを取り戻したが、最終節で敗れ最終順位は9位。得点数は61でリーグ戦を連覇した神戸と同数で全体で3位タイ。しかし、失点数は62と、J1残留を果たしたクラブの中では最も多かった。順位や得失点などは2020年を彷彿とさせるような結果となった。
個人としては、ロペスが24得点をマークしキャリアハイを更新。2年連続得点王・ベストイレブンに輝いた。
なお、ハッチンソン監督は本年を以って退任。公式戦61試合という超過密日程の中、苦しむチームに持ち味である高い攻撃力を復活させてリーグ戦をトップハーフの順位で終えた功績は大きいといえるだろう。
2025年はスティーブ・ホーランド監督が就任し、多くの選手が契約更新。しかし、エドゥアルドや畠中といったCBの選手が相次いで退団し、本年はCBをガラッと入れ替えてのスタートとなる。
選手やチームの特徴
上記の通り、2018年にポステコグルー監督が就任して以降、どんな相手であってもハイライン・ハイプレスによるアタッキングフットボールのスタイルを貫き、J1屈指の攻撃力が最大の特徴。複数得点する試合が非常に多く、2022年には9試合連続の複数得点を記録した。
また、外国人選手が極めて強力であることや選手の獲得も的確であること、ファミリー感が強いこともマリノスの強みだといえる。
外国籍選手に関しては、2019年はマルコス・ジュニオールに加えてティーラトン、チアゴ・マルチンス、朴一圭、エリキを獲得しており、優勝に大いに貢献した(特に、エリキは夏に加入してからは12試合8得点という圧巻の成績)。2021年はレオ・セアラとエウベル、2022年はアンデルソン・ロペス、エドゥアルド、ヤン・マテウスといった面々を獲得し、2022年の優勝などに大いに貢献している。
選手獲得についても、退団した主力選手の抜けた穴も既存選手の成長や新加入選手で即座に対応していることがうかがえる。例えば、2022年開幕前には最終ラインでティーラトンとチアゴが抜けたが、永戸勝也とエドゥアルドが加入し、リーグ最少タイの失点数に抑える役割を果たした。その前年には圧巻のパフォーマンスを見せた前田大然の抜けた穴もロペスの加入や前年よりさらにレベルアップしたエウベルの活躍などで目立たなくすることができたといえるだろう。
ファミリー感の強さに関しては、2011年に急逝した松田直樹(2010年シーズン終了後に戦力外通告を受けてクラブを退団、死去時は松本山雅FC所属)が今なおマリサポから愛され続けていること、2019年からキャプテンを務める喜田拓也の同僚からの愛されっぷりなどからもうかがえる。
「F」の由来
表記を見て、「F」の字について気になった人も少なくないだろう。ご存じの方も多いかもしれないが、マリノスは当初Jリーグ発足から数年間は「横浜マリノス」という名前であった。
しかし、1998年に同じく横浜市をホームタウンとしていたオリジナル10の一クラブである「横浜フリューゲルス」が親会社の経営赤字による脱退を受けて存続困難となり、その結果日産自動車との協議の末に吸収合併され、事実上の主導権を持つマリノスにフリューゲルスが吸収されることになった。
フリューゲルスサポーターの存続活動も行われたが結局フリューゲルスは1999年元旦の天皇杯優勝を経て吸収合併され、事実上の消滅となった。
フリューゲルスの選手も一部がそのままマリノスに加わり、チーム名にもフリューゲルスを表す「F」の文字が加えられ、現在の『横浜F・マリノス』という名称となったのである。
「フリューゲルス」の名称を含む諸権利は現在も横浜マリノス株式会社が保有している。
永久欠番
3・松田直樹
スタジアム
横浜国際総合競技場(日産スタジアム)が正式なホームスタジアムであるが、三ツ沢公園球技場(ニッパツ三ツ沢球技場)でもリーグ戦では3試合程度、カップ戦は日程の都合に応じて試合を行う。
日産スタジアム
当該項目を参照。
ニッパツ三ツ沢球技場
横浜駅から割と近い場所に位置する。横浜駅西口からは臨時直行バスが多数運行されるが、そもそも三ツ沢方面への定期バスも多いのでバスの本数は全く問題ない。ただし道が混むので、横浜駅から徒歩で向かう人も少なくない。市営地下鉄三ツ沢上町駅や相鉄星川駅からも徒歩圏内である。
一方で駐車場は公園内のものは極少で止めるのはまず無理。近辺にもコインパーキングはほとんどないので、横浜駅や地下鉄沿線の駅に止めて向かうことになる。
マスコット
県の鳥であるカモメの「マリノス君」。その甥の「マリノスケ」(2000年~)。姪でありマリノスケの妹の「マリン」(2022年~)。
マリノス君は1993年のJリーグ開幕からホームゲーム全試合をベンチ横で共に観戦している。そのため、日々の営業活動などはマリノスケやマリンが担当。
鳥モチーフのマスコットで結成される「Jリーグ鳥の会」の一員であり、マリノス君は理事長を務める。
また非公認(?)という立場のマスコット「ワルノス」がいる。現在は活動していないが、偶に復活登場する。
Jリーグマスコット総選挙過去順位
回 | 開催年 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 2013 | 18位 | 第1回から第9回までマリノスケがエントリー |
2 | 2014 | 9位 | |
3 | 2015 | 9位 | |
4 | 2016 | 8位 | |
5 | 2017 | 9位 | |
6 | 2018 | 10位 | |
7 | 2019 | 10位 | |
8 | 2020 | 1位 | 初優勝 |
9 | 2021 | 2位 | |
10 | 2022 | 1位 | 優勝。マリノス君がエントリー |
11 | 2023 | 1位 | 優勝。マリンがエントリー |
2023年のマリンの優勝により複数匹のクラブマスコットが全て1位を獲得するという史上初の快挙を成し遂げた。
その他
- 横浜F・マリノスは2018年よりeスポーツリーグにも参入している。
- 公式サポーターズソングは横浜市出身のゆずが作詞した「We are F・Marinos」である。この曲はホームゲームのピッチでの選手練習前にチアリーディングと合わせて流れるほか、日産スタジアムに対して横浜市営地下鉄での最寄り駅である新横浜駅と、JR横浜線での最寄り駅である小机駅で発車メロディーとして採用されている。ちなみに小机駅2番線のものは激レア。
- トリコロールマーメイズというオフィシャルチアリーダーズが存在。
- 2013年から、ホームゲームでの試合前にレ・ミゼラブルの民衆の歌を流すようになり恒例となった。また、勝利時にトリコロールのパラソル(通称トリパラ)を回すということも特徴。
- 2023年に公開された、クラブ創設30周年記念映画「Beyond Together」においてナレーションを担当した斎藤工は日産時代からのマリノスファン。
- tvk(テレビ神奈川)で放送されている「キックオフ!!F・マリノス」が応援番組。MCは元選手の波戸康広とキャスターの小山愛理。放送後に続けて川崎、湘南の応援番組が放送されている。
- 女子サポーターの公式愛称は「マリジェンヌ」である。名前の由来はパリジェンヌ。セレ女などが流行っていた時期に使われていた表現。
- 2017年よりマリノスに加入した松原健は年に1回スーパーゴール(所謂ゴラッソ)を決めており、マリノスの名物の一つとなっている。本人はもっと点を決めたいとのことだが、2得点を記録した2023年を除けばマリノス加入の2017年から現在に至るまで毎年1得点という結果になっている。
関連タグ
東京ヴェルディ:J開幕戦の相手であり開幕時のライバル。その因縁は前身の日産自動車時代から。両チームの戦いは伝統の一戦と呼ばれる。
横浜FC:同じ横浜市内に本拠地を構えるサッカーチーム。
川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ:同じ神奈川県内に本拠地を構えるJ1チーム。
横浜DeNAベイスターズ:同じ横浜市を本拠地とするプロ野球チーム。コラボも実施。
アクシア・クローネ、レオス・ヴィンセント、風楽奏斗︰2022~24年のJリーグ×にじさんじコラボにてF・マリノス担当。
外部リンク
公式X(旧Twitter)…Jリーグクラブでフォロワー数No.1。