ガンバ大阪
がんばおおさか
Jリーグオリジナル10の1つでもある。
創設年 | 1980年 |
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加盟年 | 1991年 |
ホームスタジアム | 市立吹田サッカースタジアム |
クラブカラー | 青と黒 |
マスコット | ガンバボーイ、モフレム |
1980年に「松下電器産業サッカー部」として創立。
元は「ヤンマーディーゼルサッカー部」(現:セレッソ大阪)の二軍(サテライト)として1972年に設立された「ヤンマークラブ」の監督・水口洋次(1944年-2022年)が、1979年にヤンマークラブ解散際に中心となって立ち上げた。(のちにガンバのプロ化にも尽力。)
1993年に開幕したJリーグに初年度から参加。いわゆる「J1オリジナル10」の1つ。
Jリーグ屈指の攻撃力が特徴であるが、その反面守備力は脆い。ただ、2014年のJ1再昇格の際には、守備力強化を行ってはおり、それが後述の大奇跡へとつながっている。
2005年にJ1初優勝。その後、ナビスコカップ2回、天皇杯3回優勝。
毎年安定した成績で、2006年以降ACLに5回出場し、2008年は優勝。FIFAクラブワールドカップでも3位に入っている。当時の監督は、ロシアワールドカップでの日本代表監督の西野朗だった。
しかし2012年、長年ガンバを率いて超攻撃的サッカーでJ1を席巻し続けていた西野監督から監督がセホーンに交代。呂比須ワグナーがヘッドコーチに就任。元々呂比須が監督に就任する予定だったのだが、監督をするのに必要なS級ライセンスを持っていなかったので、呂比須自身はヘッドコーチに就任し、呂比須の恩師であるセホーンを監督にした。つまり、表面上の監督はセホーンであるが、事実上の監督は呂比須であるという事態になっていた。
なお、開幕から公式戦5連敗を喫してセホーンと呂比須はあっさり解任。後任には松波正信が就任したものの、狂った歯車は止められず。J1クラブの中で最多得点を挙げながらも、懸念されていた守備が決壊し、J2降格という屈辱を味わってしまう。基本的に降格を喫するクラブは得失点差が大きめのマイナスになるのだが、この年のガンバは得失点差が+2でありながら降格した。わけがわからないよ…。松波監督は退任し、2013年は長谷川健太が就任。
だがJ2でもその攻撃力は健在であり、2013年にJ2を制覇しわずか1年でJ1復帰を果たす。J2でも多くのサポーターがアウェイにも駆けつけ、いくつかの会場では桁違いの観衆を記録したガンバノミクス現象が起こった。
2014年には、J1優勝、ナビスコカップ優勝、そして天皇杯まで制覇し、鹿島アントラーズ(2000年に達成)に次ぐ国内三冠に輝いた。J1リーグに関しては、一時期首位との勝ち点差が10以上あったにもかかわらず、優勝を達成している。この年に復帰して以降は、ずっとJ1に居続けている。
J1復帰初年度でのリーグ戦優勝は2009年に降格し、2010年にJ1復帰、2011年にJ1優勝した柏レイソル以来だが、復帰後初年度での三冠は当然史上初であり、現在でも唯一。
2015年はJ1とナビスコカップはいずれも準優勝に終わったが、天皇杯は連覇しタイトルホルダーを守った。
2020年は宮本恒靖の下で守備に重きを置いたサッカーで2位にまで上り詰め、リーグ戦準優勝。ちなみに、優勝は独走状態だった川崎フロンターレ。天皇杯も決勝で川崎と対戦したが、ここでも川崎の強さを抑えることはできなかった。
また、川崎がリーグ戦・天皇杯共に制覇していたのでリーグ戦覇者と天皇杯覇者とのゲームとなるスーパーカップでは、川崎の対戦相手としてガンバが出場。ここでも川崎を止めるには至らず。
とはいえJ1リーグ2020を2位で終えたことには変わりなく、翌年から更に強さに磨きをかけるかと思われたが...
思いがけないアクシデントからはじまる不運
悪夢の始まり
まだコロナ禍が収まらない2021年、1試合を消化した後にコロナのクラスターが発生。これを受けて、クラブは約1カ月もの期間、活動自粛をせざるを得なくなった。当然、この期間に開催された試合は全て延期された。その結果、活動再開した4月から9月に入るまではほぼ中2日や中3日の日々が続く超過密日程が続いた。そのことも相まって怪我人やコンディション不良が相次ぎ、10試合を消化した時点で僅か1勝しかできず。これを受けて宮本監督は解任された。後任は松波正信。その後は地道に勝ち点を積み上げていき、最終的には13位フィニッシュ。セレッソ大阪に次いで、一足先に清水エスパルス、柏レイソル、湘南ベルマーレ、徳島ヴォルティス、大分トリニータ、ベガルタ仙台、横浜FCらと繰り広げた残留争いから抜け出し、J1残留を決めた。
なお、このような苦境に立たされたにもかかわらず、守護神東口順昭はリーグ戦全試合フル出場を果たし、パトリックは久々の2桁得点とハットトリック(パットトリックとも)を達成した。バケモンである。宇佐美貴史は6得点だったが、そのほとんどが勝ち点3に繋がる重要な得点であった。
2021年シーズン終了後、松波監督は退任。ガンバでコーチを務めた経験もあり、J2降格したものの天皇杯準優勝を果たした大分トリニータを指揮した片野坂知宏が新監督となることが発表された。
片野坂監督の下で、強いガンバを取り戻すことを目指したが……
そして2022年
前年指揮した大分が降格したことなど不安要素は若干あったものの、「ガンバでカタノサッカーを見られる」など、期待度は非常に大きかった。しかし、ここでも不運は来るもので、
・開幕戦でパトリックが鈴木優磨と接触して倒れ、脚を掴んできた優磨をどけようと手を当たらない程度に振り払ったら優磨への報復行為と見なされて一発退場
・前半戦最後の横浜F・マリノス戦まで東口が長期離脱
・第3節の川崎フロンターレ戦で終了直前、2-1でリードしていたときにGKが背後の小林悠に気付かずボールを置くと小林悠に奪われ、パスを受けたレアンドロダミアンに決められ、2-2に終わる
・同試合で宇佐美がアキレス腱断裂の大怪我を追い、長期離脱する
・セレッソ大阪との大阪ダービーで2試合とも逆転負けを喫し、シーズンダブルを食らう
・アウェイの大阪ダービーで昌子源とレアンドロペレイラが喧嘩する
・勝利目前の京都戦で東口がPK献上してしまい、ドローに終わる
・2022年も怪我人続出でベストメンバーが揃わない
といったような事態が発生。開幕あたりではそこそこやっていたが、4連敗など次第に調子を落としていく。片野坂監督が熱望した鈴木武蔵の獲得や食野亮太郎の復帰、鹿島アントラーズでレネ・ヴァイラー監督の戦術にハマれず再起をかけるファン・アラーノと強力な補強をして巻き返しを図るが、調子は一向に上がらず。残り10試合となった清水エスパルス戦で0-2と敗れて17位と降格圏に沈んだこと、フロントから片野坂監督に課せられたノルマ「セレッソ大阪戦・京都サンガF.C.戦・清水戦の3連戦で勝ち点6を獲得」を失敗して勝ち点1しか獲得できなかったことにより、片野坂監督は解任された。24試合を5勝7分12敗という結果だった。
後任は長崎の監督を成績不振で退任し、清水戦の数日前にガンバのコーチに就任した松田浩。このコーチ就任が片野坂監督解任のフラグだったとの声もあるが、真相は不明。
松田ガンバ初陣のサンフレッチェ広島戦では2回リードしながら5-2の逆転大敗を喫したため、当初は不安視された。しかし、4-4-2の手堅いスタイルで次節の名古屋グランパス戦では片野坂監督から干されていたパトリックが先制弾を開始早々に決めると、後半は夏に片野坂監督の要望で移籍してきた鈴木武蔵が強烈なロングシュートを決めて松田ガンバ初勝利。その後もサガン鳥栖に0-3で初の無得点敗北やヴィッセル神戸に逆転負けを喫するなど負けた試合もあったが、10試合を4勝3分3敗で乗り切り、京都や清水の結果により、15位確定。J1残留を鹿島スタジアムの地で掴み取った。
なお、このシーズンで松田監督の下で調子を上げたレアンドロペレイラのほか、ガンバの象徴的な存在で松田監督の下で勝利に繋がる得点を重ねたパトリック、さらにはシーズン通して得点に多く絡んでいた小野瀬康介までもが契約満了で退団することになった。松田監督も新たな職をガンバから用意されていたが、本人が監督をしたいとの意向により、このシーズン限りで退任が決定。
その後は、主力をごっそり抜かれたが、J2最少黒星を記録した徳島ヴォルティスの監督であるダニエル・ポヤトスを新監督として招聘。
迎えた2023年
開幕から中々勝ちきれない試合が続いたが、第7節、当時苦しんでいた川崎フロンターレとの試合で初勝利。その後は調子を上げるかと思われたが、9節で当時断トツの最下位だった横浜FCに追いつかれてドロー決着になると、翌10節の鹿島アントラーズ戦では3節のヴィッセル神戸戦以来2度目の4-0での大敗、11節の大阪ダービーも終盤に追い越されて敗戦、12節はウノゼロでの敗戦、13節は3-1の逆転負けと4連敗を喫し、横浜FCと順位が入れ替わり、13節終了時点でまさかの最下位に転落した。さらには翌14節で一人少ない横浜F・マリノスに0-2で敗れ、25年ぶりの5連敗を喫する。
しかし、翌アルビレックス新潟戦では1-3で勝利し、連敗をストップ。順位は変わらず最下位だが、湘南ベルマーレ、柏レイソル、横浜FCが揃って敗れたので勝ち点差を詰めるのには成功している。さらに次節アビスパ福岡戦とFC東京戦も勝利して3連勝を果たし、3クラブや京都サンガF.C.が苦しんでいる合間に最下位脱出に成功。ある程度の勢いをつけて前半戦を終えた。
後半戦も勢いは落ちず。4連勝達成、1分を挟んで2連勝となり、リーグ中断期間時点で横浜FC・柏・湘南とは大きく勝ち点差を引き離す。さらには6月の月間優秀監督賞を受賞。いつかは負けるときも来るだろうが、余程の大スランプに陥らなければ残留は濃厚だといえる。
と思われたのだが、前半だけで1人の選手に4失点喰らったリベンジを果たした湘南戦の後に迎えた8月ラストのサガン鳥栖戦でラストワンプレーでギリギリ追いついてドローに持ち込んだのを皮切りに、鳥栖戦からは10試合勝ち無しフィニッシュとなってしまい、前半戦に喫した5連敗を上回る7連敗でシーズンを終えることとなった。順位は16位となり、失点数は元から攻撃に特化している北海道コンサドーレ札幌と並ぶワーストタイ。その札幌戦でも4-0の大敗を喫してしまった。
天皇杯ではジャイアントキリングを食らう。2回戦でJFLに所属する高知ユナイテッドSCと対戦。完全なサブメン中心ではなく、ある程度リーグ戦のスタメンメンバーも出場していたにもかかわらず1-2で敗れる。
悪夢からの脱却
2024年
ポヤトス監督は続投決定。前年の7連敗フィニッシュのこともあってガンバサポからは不安の声が挙がっていた。しかし...
名古屋から加入した中谷進之介やマリノスからレンタルバックで帰ってきた一森純を中心とした守備陣の奮闘、宇佐美が得点・アシスト双方での大活躍などもあって、残留争いとは無縁の戦いが続く。得点数こそ特別多いわけではないが、失点数がかなり少なく、ロースコアで接戦を制するというパターンが多く、前半戦ラストには5連勝も達成。片野坂ガンバから負け続きだったリーグ戦での大阪ダービーも久しぶりに勝利。
後半戦も好調を維持するかと思われたが、一時期9試合未勝利となり急ブレーキがかかってしまう。ほとんどがドローであったものの、優勝争いに参戦していたチームは軒並み好調であったため、優勝争いからは離されてしまった。勝ち無しの状態は札幌戦で宇佐美がATに同点弾・逆転弾を決めたことにより脱出し、上位に名を連ねた。札幌戦からの6試合は5勝1分と圧巻の成績を残し、ラスト4試合を4連勝で締めくくる。最終順位は4位であり、2020年以来のトップハーフ入りを果たした。
宇佐美は久々に2桁得点を達成し、2回も月間MVPを受賞。特に2度目の月間表彰では月間MVPと月間ベストゴールのW受賞を果たした。
なお、ルヴァンカップではJ3のFC琉球にジャイアントキリングを許してしまった。一方、天皇杯では決勝まで進み、久々のタイトルを目指して神戸との死闘を繰り広げたものの0-1で敗れ、準優勝。
詳しくは該当記事を参照。
- モフレム
2022年5月にガンバ大阪公式Twitterアカウントで発表された新マスコット。モフモフ+フレイム(炎)でモフレム。
もふもふの頭毛が特徴で全身が青く、お腹にはガンバの新エンブレムが描かれている。名前が決まる前に立体化してスタジアムに登場した異例の存在。
市立吹田サッカースタジアム。2016年より使用が開始された。2018年からパナソニックによって「Panasonic Stadium Suita」(パナソニックスタジアム吹田)の愛称がつけられた。スタンドからピッチまでの距離は最短7m。
ソウルフードはくくるのたこ焼き。
大阪モノレールの万博記念公園駅が最寄り駅。公式には徒歩15分としているが、アップダウン含めそんなものでは着かない。特に帰りは4両編成のモノレールではさばききれないため、相当の時間を要する。そのためか、クラブ公式サイトでは、アクセスにモノレールやバス(万博記念競技場発着の近鉄バス)のほか、JRの茨木駅よりレンタサイクルの利用も推奨されている。また、車椅子利用者には公園東口駅の利用も推奨されている。
近隣に観覧車を持つ大型ショッピングセンターのEXPO CITYがあるが、スタジアムへの歩道の繋がりは悪く駅前より回る必要がある。
検索時の注意
「ガンバ」だけで検索すると、この辺りの検索結果が混ざるので注意。
そして、その中の「ガンバの冒険」と本当にコラボが実現する事になった。これは、CGリメイク版「GAMBA ガンバと仲間たち」の公開に合わせたコラボだが、名称つながりでコラボする事になるとは、誰が予想したのか。
劇場版「GAMBA ガンバと仲間たち」のホームページでも、この件に関して紹介しているので、こちらも合わせて参照して欲しい。http://www.gamba-movie.com/news/(2015年9月10日の記事を参照の事)。