Jリーグオリジナル10の1つでもある。
解説
1947年に大阪で住友金属工業(後の新日鐵住金⇒日本製鉄)のチームとして創部、1975年に茨城県鹿島町(当時)に移転。
1993年に開幕したJリーグに参加し、最初のステージ優勝を果たす。
1993年に1stステージ優勝後、チャンピオンシップでヴェルディ川崎に敗れ年間優勝を逃すも、強豪としての片鱗を見せた。
1996年に初のJリーグ年間王者となる。
その翌年1997年にJリーグカップと天皇杯を制し、三大タイトル経験クラブとなる。
2000年には、史上初となるJ1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の国内三大タイトルをすべて獲得した。
2017年3月末現在、Jリーグ8回+天皇杯5回+ナビスコカップ6回の19冠。2位(ガンバ大阪)は8冠であり圧倒的首位である。ユニフォームには胸の1つの☆が10冠分を表し、さらに加わるタイトルは袖の☆の数で表す。
2007年から2009年にかけてはJリーグ史上初、なおかつ現在でも唯一の3連覇を達成した。特に2007年は一時期首位の浦和レッズとは勝ち点差が10もあり、ファン・サポーターと選手が衝突したこともあった。しかし、怒濤の9連勝を重ね、一度も首位に立つことなく逆転優勝を果たした。
AFCチャンピオンズリーグでは長らくベスト8から先に進めず優勝に至っていなかったが、2018年に念願の優勝を果たし、記念すべき20冠目のタイトルを獲得した。2022年現在、最後のタイトルとなっている。
2016年のクラブワールドカップでは開催国枠として出場。準決勝で格上と言われた南米王者アトレチコ・ナシオナル(コロンビア)を準決勝で3-0で撃破、日本勢どころかアジア勢では初となる決勝では「銀河系集団」レアル・マドリードを相手に一時はリードをするほどの活躍を見せ、最終的には4-2で敗れたものの準優勝でフィニッシュ。ただし、この時はACLで優勝しての出場ではなく開催国枠での出場だったので、本当に世界2位となったのかは不明だということは忘れてはならない。ちなみに2018年にACL優勝でクラブワールドカップ出場権を自らの手で獲得し再戦した際は3-1で敗れているが、3点を奪われた後に1点返し一矢報いている。
2016年のJ1リーグでは1st Stageでステージ優勝を果たし、2nd Stageでは11位と不調だったが年間勝ち点が全チーム中3位となり、チャンピオンシップへの挑戦権を得る。チャンピオンシップではまず川崎フロンターレを下して浦和レッズとの決勝戦へ臨む。レッズとの最終決戦は1勝1敗、アウェイで勝利しホームで敗戦となったがアウェイゴール優先の規定により制し、3位からの逆転優勝を果たす。なので、Jリーグ公式HPなどで見られる年間順位表では勝ち点74と72のクラブの上に勝ち点59のクラブが立っているという摩訶不思議な現象が起こっている。柴崎岳はJ1優勝と天皇杯優勝を置き土産にして、スペインへ旅立った。
しかし、翌年2017年には勝ち点72と記録こそ更新したものの、AFCではベスト16で敗退しそちらはレッズが優勝。リーグ戦も1位で迎えた最終節でジュビロ磐田と引き分けた結果、得失点差で過去に何度も自らタイトル獲得を阻止し、その年ホーム、アウェイともに敗れてダブルを許した相手である川崎に上回れて順位が入れ替わって2位で終了という、皮肉にも去年破った相手はタイトル獲得、自らは無冠という結果となった。
この年は23勝と勝利数だけ見ればトップだったが、同時に敗戦も8敗と多く、それが響く形となった。
これによるトラウマとダメージがあまりにも大きかったために深い後遺症が続き傷が癒えていないのか、他のクラブも力をつけてきたのか、さらにはここ目先の結果を求めすぎて結果が出ないとすぐ監督を変えチームのスタイルが定着していないからなのか定かではないが、国内では2023年現在まで無冠が続いている。
「常勝軍団」の名の通り勝率も高く、2022年現在で、川崎フロンターレを除くすべての対戦経験のあるJクラブに通算成績で勝ち越している。
2000年代、2010年代以降はクラブ数やディビジョンの増加、オリジナル10(Jリーグ発足時から参加している10チームの総称)のJ2降格も相次ぐ中、2016年以降、そして2023年現在、発足以降一度も降格歴のないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスの2クラブのみとなっている。
クラブ発足時も住友金属工業が株主で、合併後も日本製鉄が大株主だったが、2019年7月に日本製鉄とその子会社が持つクラブ運営会社の株式の大半をクラブスポンサーあるメルカリに譲渡することを発表、翌8月メルカリの子会社となった。社長にはメルカリの取締役社長兼COOを務める小泉文明が就任。
タイトルを取るために
攻撃力の高さ
上記の通り、ここ数年はタイトルから遠ざかっているが、攻撃力はリーグでもトップクラス。
2015年にはカイオが、2016年には金崎夢生が、2017年には金崎とレアンドロが、2018年には鈴木優磨が、2019年にはセルジーニョが、2020年にはエヴェラウドと上田綺世が、2021年には上田と荒木遼太郎が、2022年には上田が、2023年には優磨が2桁得点を記録している。また、セットプレーなどで得点し、1点差を守り抜くという戦術も強い。
近年の監督と選手、チーム事情
2018年、ブンデスリーガのシャルケで大活躍していたもののここ数年はケガに悩まされた内田篤人が8年ぶりの復帰を果たす。
そして毎試合激戦となったACLを制し、ついにアジア王者に降臨。記念すべき20冠目を達成した。
夏には植田直通が海外へ移籍。さらには金崎がサガン鳥栖へ移籍。金崎はジーコが背負って以降一貫して外国人選手か生え抜きの選手が背負っていた背番号10を移籍組として初めて背負っていただけに批判も殺到。その鳥栖からはチョン・スンヒョンが、ブラジルからはセルジーニョが加入。セルジーニョはACL決勝1stレグまで5試合連続ゴールを決めるなど攻撃面で爆発。スンヒョンも当初は不安視されたが決勝1stレグでの顔面ブロックなど気合の入った守備でACL優勝に貢献した。
一方、クラブのレジェンド的存在である小笠原満男が39歳で現役引退。2006年から1年間のみ海外(イタリア・メッシーナ)へレンタル移籍した以外はすべて鹿島でのキャリアとなった。
さらに、昌子源はシーズン終了後に海外へ旅立った。
2001年から2017年までは曽ヶ端準がほとんどの試合でゴールマウスを守ってきたが、本年は2017年に全北現代モータースから加入してきたクォン・スンテが曽ヶ端から守護神の座を奪った。
2019年は前年ACLでMVPを獲得したユース生え抜きの鈴木優磨(この年は鹿島での出場はゼロ)、前年にヴェルディから加入し、ACL優勝に貢献した安西幸輝が海外移籍するなどもあったが、上田綺世の加入などもあって勢いを落とすことなく、9試合負け無しを記録。
長らく首位を走っていたがラスト3試合を2分1敗で失速したことが響いてラスト7試合を7連勝で駆け抜けてJ1優勝を果たした横浜F・マリノス、それに次ぐ2位でフィニッシュとなったFC東京に次ぐ3位。天皇杯に関しては決勝進出したが、決勝でヴィッセル神戸に敗れて準優勝。あと一歩のところで国内タイトルの一つである天皇杯制覇を逃してしまった。守護神は本年も引き続きスンテが降臨。
2020年はJリーグ史上最強とも言われる強さで圧勝した川崎フロンターレ、そして守備的戦術が功を奏したガンバ大阪、名古屋グランパス、セレッソ大阪に次ぐ5位でフィニッシュ。また、この年の天皇杯は川崎が制し、ガンバと名古屋はACL出場権獲得圏内にいたため、川崎が獲得したもうひとつのACL出場権はリーグ戦4位のセレッソのものになった。なお、リーグ戦最終節の相手はそのセレッソであり、もし勝利していればセレッソと順位が入れ替わり、4位になってACL出場権への望みを繋げることができていたが叶わず。本年は若手の沖悠哉がスンテからポジションを奪って守護神に定着。
この年、2桁得点を達成したのは移籍してきて大暴れしたエヴェラウドと19年7月より、大学のサッカー部を退団し(大学自体には在籍したまま、21年度に卒業した)当初の予定より1年半前倒しでプロデビューしていた上田綺世である。エヴェラウドは鹿島に来て1年目でいきなり18得点を記録し、得点数はリーグ2位。彼はJ1リーグ2020のベストイレブンに選ばれた。上田もプロ2年目(厳密にはシーズン終了時点で1年半)ながら2桁得点を記録した。
一方、2018年に復帰した内田は復帰後もケガの影響が大きく響いてしまい、「このまま現役を続けるのは一生懸命頑張っている他の選手に失礼」と本人なりに考え、本年の8月で現役引退。日本トップレベル級の選手としては早い、32歳での引退となったが、約14年のプロキャリアの中身は非常に濃く充実したものになったといえるだろう。
また、2020シーズン終了後には曽ヶ端も現役引退。生まれも育ちもユースも全て鹿島一筋23年であり、2018年以降は出場機会が激減したもののリーグ戦の出場試合数は実に533試合にも上る。
2021年は開幕数試合で不調となり、監督がザーゴからコーチを務めていたOBの相馬直樹へ早々に交代。その後は順調に勝ち点を積み上げて巻き返しに成功。
夏には安西幸輝が復帰。内田篤人がつけていた背番号2を受け継いだ。
とはいえ、この年も圧倒的な強さを誇って独走状態だった川崎や守備力が上がってアタッキングフットボールが再び猛威を奮ったマリノス、そしてタレント軍団や古橋享梧の大活躍で連敗ナシでシーズンを終えたヴィッセル神戸には及ばず、マリノスにはダブルを達成したがそれ以外の試合を落とし最終順位は4位。特に36節の大分トリニータ戦をドローで終えたことで3位の神戸の勝ち点が70、鹿島の勝ち点が63となって4位以下が確定。ACL出場権も獲得できなかった。相馬監督はシーズン終了後、契約満了で退任決定。
この年は再び上田が2桁得点を達成。さらにはプロ2年目の荒木遼太郎が主にトップ下、セカンドトップの位置で活躍し、10得点を記録。城彰二以来実に27年ぶりとなる10代での2桁得点を達成するという偉業を成し遂げ、2年連続で2桁得点達成者が複数名現れた。10代での2桁得点達成者は現在もこの2人のみである。なお、前年に引き続いて沖が長らく守護神として立ちはだかっていたが、ラスト5試合でベテランのスンテに再び守護神の座を奪い返されることに。本年全試合出場達成して鹿島の守備の要として躍動した長身CBの町田浩樹は翌年海外に旅立った。
2022年はベルギーでプレイしていた鈴木優磨が復帰。「タイトル取るためだけに帰ってきた」とのこと。背番号はかつて小笠原が背負っており、引退後は実質欠番的な扱いだった40番。監督にはスイス人のレネ・ヴァイラーが就任。上田と優磨の2トップによる4-4-2の縦に速いサッカーが席巻し、上田は高い決定力とどんな態勢でも強烈なシュートを放ってしまう「理不尽さ」を武器に、前半戦だけで他を圧倒する10得点を記録。優磨も前半戦で6得点をマークし、FWながらもディフェンスラインに下がっての守備面でも献身的なプレーを武器に大活躍。順位も3位以内が定位置だった。
しかし、上田がワールドカップ出場を目指してベルギーへ移籍すると、最大の得点源を失って苦しんでしまう。そして、2022年初の連敗で4位に転落し、4位ながらヴァイラー監督は選手との意思疎通などの問題もあって解任。就任から約半年での監督交代は鹿島史上最短である。その後はOBでコーチの岩政大樹が就任するも、残り10試合を2勝6分2敗で終わるなど、上田退団前のような勢いを取り戻すことはできず、結果4位でフィニッシュ。
結果的に2桁得点を達成したのは上田のみ。優磨は上田退団後に負ったタスクが多かった影響からか、後半戦は1得点止まりで2022シーズンは計7得点。一方、9アシストを記録しており、これはJ1リーグ2022の最多タイのアシスト数である。また、前年ラスト5試合に引き続いてスンテが守護神をしていたが、ラスト5試合では大卒2年目の早川友基が守護神の座に就き、シーズン終了後には本職ボランチながら本年はCBとして守備面を支えた三竿健斗が海外へ旅立った。
勝ち残っていた天皇杯準決勝でもホームでジャイアントキリングを許してしまい、さらにその相手は決勝で勝利し優勝したため、史上最大の下克上の一員になってしまった。この天皇杯準決勝でのJ2クラブに敗北したショックや影響は大きく、現役ラストを覚悟していたスンテ(結果的に実際に現役最後となった)は涙し、ファン・サポーターは試合後大激怒。そして、岩政監督の試合後コメントが物議を醸した。詳細はリンク先を参照してほしい。
2023年、ガンバ大阪でプレイしていた昌子源(ユース時代にガンバに所属)とリーグ・ドゥ(フランス2部)でプレイしていた植田直通が復帰。川崎のような4-3-3のスタイルで残留争い相手には勝利するも、春に4連敗して下位に沈んだが、途中から従来の4-4-2のスタイルに変更し、ホームで28年ぶりの5失点大敗となった次の試合では久々の勝利。以降はそのスタメンを基盤に連勝を重ね、全て完封勝利で5連勝する。これはクラブ新記録であり、順位も一気にトップハーフに躍り出る。翌戦からは3試合連続ドローとなったが、その後は勝利して前半戦を締める。
夏にはスペインでプレーしていた柴崎岳の2016年以来の鹿島復帰が決定。本人曰く、日本でプレーするならなら鹿島で、とのこと。また、かつてJ1リーグを無双した三笘薫や前田大然を苦戦させたことがある常本佳吾が海外へ旅立った。移籍先のクラブの監督は前年鹿島を指揮したヴァイラー監督。
後半戦も前半戦ほどではないものの、好調不調の波が大きく、特に不調のときには終盤戦で6戦勝ち無しにも陥ったが、最終的な順位は5位であり、2013年から続く「年間順位5位以内」を本年も達成できた。
本年は優磨が年間通して得点を取り続けて2桁得点を達成し、鹿島復帰2年目でキャリアハイも塗り替えた。また、守護神には前年に引き続き、早川友基が君臨し、鹿島の守護神としては久々に誰にもポジションを奪われることなく全試合出場達成。早川のみならず復帰1年目の植田も全試合フル出場を達成していた。
なお、スンテは本年を以って現役引退。30代でJリーグに挑戦した韓国のレジェンドは2018年のACL制覇や鹿島の上位快走を支え、鹿島でもその名を刻み、ユニフォームを脱いだ。在籍年数は7年で、外国人選手としては歴代最長となった。岩政監督は最終節にて5枚目の交代カードでスンテを投入する予定だったが、彼が途中出場することはなかった。自身の現役ラストゲームであることよりも、しばらく勝利が無かった中で迎えた本年のホームラストゲームであったことや早川の全試合フル出場達成がかかっており、そちらを優先したとのこと。
一方、天皇杯では3回戦で昨年敗れた相手である甲府とアウェイで再戦。昨年の雪辱を晴らそうとしたが1-1となりPK戦となり、それぞれ10人以上のサドンデスまでもつれた結果敗戦。昨年の雪辱を果たせなかったどころか返り討ちにあってしまった。ルヴァンカップでも準々決勝で名古屋グランパスと対戦し、アウェイでドロー、ホームでも延長戦へ持ち込むも勝ち越されて敗北。結果、前半戦に国立競技場で何も仕事をさせずに破った相手に倍返し以上の仕返しを喰らってしまった(4試合1勝1分け2敗)。
岩政監督も契約満了により退任。クラブ史上最長となる無冠期間が続いており、長期ビジョンの無さが指摘されている。
2024年はかつて大分トリニータやFC町田ゼルビアを指揮した経験のあるランコ・ポポヴィッチ監督が就任。選手の入れ替えは控えめであったが、前年鹿島に復帰したばかりの昌子がFC町田ゼルビアへ完全移籍、2022年にケガをしてからコンディションが上がらなかった荒木がFC東京へレンタル移籍というビッグニュースに取り巻かれた。2022年・2023年に荒木が背負っていた背番号10を本年は柴崎が背負う。また、従来だとCFである知念慶はボランチにコンバートされた。
ポポヴィッチ監督のJリーグでの戦績やCBが3人しかいないなど不安要素が強い中シーズンがスタートしたが、第4節の川崎戦では2-1で逆転勝利を果たし、実に9年ぶりに川崎を撃破。長く続いてきた負の歴史に終止符を打ち、同じく鬼門であったマリノス戦も逆転勝ちなど好調を維持。夏には圧倒的なボール奪取力を発揮した佐野海舟が色々ありながらも(何があったかはご自身で調べていただきたい)海外へ旅立ち、約1年半ぶりに三竿が復帰。
知念がボランチで才能を開花させる、大卒ルーキー濃野公人が右SBに定着しFW顔負けの攻撃力を発揮する、一時期は町田と勝ち点が並んで2位に立つなど全体的に好調であったが、後半戦には6試合勝ち無しで立ち止まってしまう。その後の試合を0-4で勝利して順位は変わらず4位でありながら、ポポヴィッチ監督は解任されてしまった。
チームや選手の特徴
「常勝軍団」と言われるだけあって、他のクラブ以上に勝利やタイトルに対して貪欲である。これに加えて、クラブ愛が強い選手が多いからか、鹿島から海外へ旅立った選手が時を経て鹿島に復帰するというケースが目立つ。補強に関しても他クラブ内でも特段の活躍をした選手を引き抜いてくる傾向にあり、外国人選手もハズレはほぼ引かない。
しかし、近年では毎年の大型補強で他クラブから引き抜いた選手は加入し即戦力となっても、上記の復帰組が加入すると出番が減り、その結果数年で他クラブへ移籍、移籍先で活躍、タイトル獲得というパターンが増えており(例えば2022年にマリノスへ行った永戸勝也。2020年にベガルタ仙台から来た彼は鹿島でも主力クラスであったが、2021年夏に安西幸輝がポルトガルから帰って来ると出場機会が減少。翌年マリノスへ行くと、マリノスでは特に替えの効かない存在として君臨し、加入1年目にしてJ1制覇に大きく貢献した。)、近年では移籍組でも主力になれるクラブがタイトルを獲得していることと自分たちが優勝できていないこともあって生え抜きと移籍組の扱いの差、移籍組を定着できないことが優勝できない原因だとを指摘するサポーターもいる。
アントラーズでプロキャリアをスタートする選手は大卒よりも、高卒ルーキーやユースからの昇格した選手の方が多い。そのためチーム全体としても主力となる選手の年齢層も比較的低め。そのため、在籍している大卒選手のほとんどは移籍組である。
30年強の歴史の中でも、右利き選手の割合が非常に高く、左利きの選手が有利とされる左サイドバックなどのポジションも右利きの選手がレギュラーに定着しており、左利きの選手で地位を確立した選手は歴代ではかなり少ない。
マスコット
メインマスコットの「しかお」と、嫁の「しかこ」、長男「アントン」。
クラブの方針としてマスコットにはそれほど力を入れていなかったが、2017年頃から方針転換したらしく、試合開始前に積極的にグリーディングを行うようになった。
また、公式twitterでは遠征に帯同するアントン(どう見てもぬいぐるみだが気にするな)の様子も画像付きでアップされている。
Jリーグマスコット総選挙過去順位
回 | 開催年 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 2013 | 22位 | 第1回から第7回まで全てしかおがエントリー |
2 | 2014 | 32位 | |
3 | 2015 | 19位 | |
4 | 2016 | 15位 | |
5 | 2017 | 21位 | |
6 | 2018 | 11位 | |
7 | 2019 |
ここ数年は順位を上げてきている。目標はトップ10入りか。が、2023年にマスコット総選挙自体が終わってしまった。
スタジアム
茨城県立カシマサッカースタジアム。
鹿嶋市は人口66000人、してスタジアムは40728人収容である。見るからに過多のような感じがするが、そこはクラブの集客エリアの広さで補っている。鹿島サポーターがスタジアムまでかかる所要時間の平均は100分で、2位(広島の72分)を大幅に上回る。
元々住友金属は発足時、地域的なこともあって初代チェアマンの川淵三郎に「条件を満たしたスタジアムを持たなければ99%無理」と言われたが、県がスタジアムを建設したためにJリーグ参入が決定した。
スタジアムにはカシマサッカーミュージアムが存在し、30年強の栄光の証を見ることができる。なお、このミュージアムはゲームが開催されない日にも営業しており、無人のスタジアムを見ることもできる。
ザ・クロマニヨンズのナンバーワン野郎!などの有名ミュージシャンのPVなども取られており、他にも味の素スタジアムほどの頻度ではないが手裏剣戦隊ニンニンジャーなどの東映特撮のロケ地として登場することもある。
アクセスは難しいと思われがちだが交通機関それぞれが充実している。鉄道は鹿島サッカースタジアム臨時駅が開設され、東京駅とを結ぶ高速バスも多数運行。
自動車はオフィシャルの駐車場は多くないものの、民間駐車場が大量にありあぶれることはない。駅の向かいの駐車場は帰りの渋滞に巻き込まれにくい。
スタジアムグルメとしてもつ煮がとても有名。
2017年シーズンより、ホーム側がメインスタンド向かって右の配置に変更された。
また、試合後には駐車場の渋滞が常態化しており、運が悪いと数時間待たされることになるので注意、どうしても利用するなら忍耐力が必要である。
臨海部ということもあり近年では潮風による塩害、老朽化が深刻化しており、数年以内に新スタジアムが建てられる計画がある。これはカシマのみならず、鉄筋コンクリート製の物は潮風による塩害により老朽化が非常に早くなってしまうことが多く、特にコンクリートを多用しているスタジアムや高速道路では深刻な問題であり、同じく臨海部でありコンクリートの多い清水エスパルスのIAIスタジアムやプロ野球の千葉ロッテマリーンズの本拠地であるZOZOマリンスタジアムでも同じ現象が起こっており、これらもスタジアムの変更、立て直しが計画されている。
その他
アントラーズの本拠地である鹿嶋市は、鹿島神宮などの観光地こそあれど「陸の孤島」呼ばわりされるほどの田舎。そのせいでJリーグ加入にはそれこそドキュメンタリー番組ができてしまうほどの困難が待ち受けていた。
なお、鹿嶋市はもともとは鹿島町という町で、近隣の町との合併で鹿嶋市となっているが、なぜアントラーズが「鹿島」表記なのかというと、鹿嶋市となったのが1995年であり、既にアントラーズはその数年前から存在しているため。ちなみに、同市内にも旧来表記を利用しているものは多い。ちなみに、「鹿島」という地名は他にも佐賀県などにも存在しており、地名としては少なくない。
関連項目
水戸ホーリーホック:同じ茨城県内に本拠地を持つチーム。
ジーコ:鹿島に光臨した神。
内田篤人:かつて鹿島に所属していた選手。