番狂わせ甲府
しじょうさいだいのげこくじょう
2022年、カタールワールドカップ。日本にとって因縁の地であるカタールで、日本代表はドイツ代表、スペイン代表というW杯優勝経験国をいずれも逆転で下し、前評判を覆して世界中に衝撃を与えた。その後、決勝トーナメントでクロアチアに敗れたためベスト16で敗退したが、それでも上記の2勝は、世界中で驚かれ、そして賞賛され、海外の人々も喜びの輪に加わるほどの快進撃であった。
だが、その多くの海外の人は知らないであろう。その1か月前の10月、上記の下剋上を起こすこととなる森保一監督も現地で視察し刺激を受けた、(数字的に見れば)上記の2試合をも上回る下剋上が日本サッカーで起きていたことを。
リーグ戦では過去最低となったが、それとその下剋上は比例するものではなかった。
これは、戦国時代でも屈指の強さを誇った武田信玄をもってしても成し得なかった全国制覇を、一度は消滅しかけた甲斐の国のチームが達成した奇跡の物語である。
J2のヴァンフォーレ甲府は、Jリーグに加入後すぐの2000年代初頭にクラブ消滅の危機に陥り、サポーターらの存続運動で地元の小口スポンサーを集めて何とか存続したものの、大都市のクラブと比べて(依然として)資金力が低く親会社の大手スポンサーもなく大型補強に頼れないために地域のスモールクラブとして歩んでいた。
さらに、代表クラスなどの大物選手を連れてくることもできないために、新人選手の発掘に力を入れており、その中には当時無名だった伊東純也や佐々木翔など、後にステップアップし日本代表になる選手も存在していた。
そんなこんなで2005年以降は昇格と降格を繰り返していたが、2017年にJ2に降格。降格初年度の2018年はJ3リーグも見える状況であったが、監督交代後は2019年5位、2020年4位、2021年3位とチームは上位に位置していた。しかし2019年はプレーオフ1回戦で敗退(引き分けであるが相手より順位が下)、2020年と2021年は新型コロナウイルス感染症の影響でプレーオフそのものが中止(残留扱い)となってしまい、そうこうしているうちに監督がコーチごと引き抜かれてしまい、代わりの監督も見つからない状態の中2017年に降格した監督に頼んで再登板となるなど、シーズンオフに混乱が発生してしまった。
そんな中で始まった2022シーズン、開幕戦のファジアーノ岡山戦で1-4とフルボッコにされ、4月に一度は立て直すも5月に再び低迷し、さらに6月にはチームキャプテンが週刊誌をお騒がせすることをやってしまい退団するなどチーム状況は最悪ともいえる状況となる。
一方でリーグ戦に並行して5月から第102回天皇杯全日本サッカー選手権大会が開幕。J1、J2のチームはシードして2回戦から参加することとなっており、もちろん甲府も参加。初戦の環太平洋大学戦に5-1と大勝するも、この頃の甲府サポーターは天皇杯を捨ててでもリーグ戦の惨状をどうにかしろという状況であった。
しかし、この年に待っていたのは、(誰も予想することのできなかった)日本サッカー史上最大の奇跡であるということをこの時誰も知る由はなかった。
3回戦の相手はJ1の北海道コンサドーレ札幌。2019年ルヴァンカップで川崎PK戦までもつれ込んだ死闘の末に準優勝をはたしたクラブである。そのコンサドーレ相手にオウンゴールで先制を許すもその後逆転し、さらにPKを与えるもGKがセーブしそのまま勝利した。ただし、この時は前年度王者の浦和レッズなどを含むJ1勢がJ2勢に負けた試合が多かったこともあり、(この時点では)ヴァンフォーレがJ1のクラブに勝った試合は特に注目されることはなかった。
次の相手はJ1に10年以上定着しているサガン鳥栖。サガンは2012年にJ1に昇格するとそのまま一度も降格することなく定着し、近年でも、2020シーズンのJ1リーグを圧倒した川崎フロンターレに唯一黒星を喫しなかったりと、地味ながらも確実な力を持っていた。この試合でもヴァンフォーレは終始有利に試合を進め、3-1と勝利。(天皇杯での)チーム最高に並ぶベスト8に進出した。
7月に行われた準々決勝の相手はアビスパ福岡。アビスパは前年に長谷部茂利監督のもと「5年に1度、1年だけJ1に在籍する」というジンクスを破り、初のJ1残留を果たすなど着実に力を付けていた(実際、翌2023年のルヴァンカップで優勝し、クラブ史上初となる国内主要大会のタイトルを獲得した)。試合は1-1のまま延長戦に入り、延長前半で貴重な勝ち越しゴールを挙げたヴァンフォーレがそのまま逃げ切り2-1で勝利。クラブ初の準決勝進出を成し遂げた。
対照的なリーグ戦
しかし、準決勝まで3ヶ月以上空くことになり、クラブ史上初の天皇杯ベスト4に入った勢いを保つことができず、現実は残酷な状況に陥ってしまう。コロナ禍による収入減と未曽有の円安によって得意としている外国人選手の獲得もままならず、8月のFC琉球戦の勝利を最後にまったく勝てなくなり、9戦未勝利かつ6連敗を喫してしまい、ついには18位にまで転落残留争いまでに陥ってしまった。
準決勝
そんな状況で迎えた甲府の準決勝の相手は過去の天皇杯では5回優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝(2018年)や開催国枠で出場したFIFAクラブワールドカップ決勝(2016年)でレアル・マドリード相手に得点し延長まで死闘を繰り広げ準優勝、さらに下部リーグへの降格経験もなく主要タイトル数20を誇る鹿島アントラーズである。当時のアントラーズは(2016年を最後に国内主要タイトルから遠ざかっているとはいえ)J1で5位につけており、今のヴァンフォーレの状況から「ドラゴンクエストⅢで例えるならレベル15で(適正レベル35の)バラモスを相手にするようなもの」と評されるほど実力差があるとされた。
試合はアントラーズが主導権を握り、終始圧倒していたが前半37分、ヴァンフォーレは自陣でのビルドアップでアントラーズのプレッシングを誘い込み、DF浦上が最終ラインの背後へのロングパスに反応したFW宮崎が相手DFを振り切ってフリーでゴール前に抜け出すと、最後はGKをかわしてゴールに流し込み先制。
その後は、Jクラブ最多タイトルを誇りながらもここ6年無冠状態が続いておりタイトルに飢えていたアントラーズの猛攻を一方的に浴びることとなり、反撃のチャンスがほとんどない状態であったが、組織的な守備でこの1点を守り切り試合終了。なんと下馬評を覆し決勝へ進出したのである。
一方のアントラーズは、J2クラブに負ける屈辱を喫したことでクラブ史上最長となる6年連続の無冠が確定し、ゴール裏からのブーイングや選手・監督との口論などで荒れるに荒れた。岩政大樹監督は「クラブ史に残る大失態だと思っています。」と発言し、これに対して、「(勝った)甲府に失礼」などの批判の声が上がり、「過去の栄光に縋りすぎた結果」、「6年無冠というけど、むしろこれまでが凄かっただけで無冠なのは珍しいことではない」という手厳しい意見も飛んだ。
ここまで来れば、リーグ戦を何とかしろと言っていたサポーターももう「リーグ戦はいいから何としてでも天皇杯を獲ろう」と、初戦とは真逆のことを言うようになった。
そして迎えた10月16日の決勝戦、横浜の日産スタジアムに迎えた相手はJ1リーグ3度優勝を誇るサンフレッチェ広島。当時のサンフレッチェは同年就任したスキッペ監督の手腕と選手の躍動もあってJ1の3位につけており、これまたサンフレッチェの勝利を予想した人が大半であったが、ヴァンフォーレも天皇杯での好調を受けて、当時J2リーグで7連敗を喫していたがモチベーションが高かった。実際に、サンフレッチェサポーターの中には「非常に厄介、勢いなら甲府の方がある」という声も存在した。
前半にヴァンフォーレ攻撃陣がサンフレッチェのディフェンスを破り、最後は三平和司が押し込んで先制。しかしサンフレッチェも後半残り8分に川村拓夢が強烈なシュートを叩き込み同点に追いつく。そしてそのまま後半戦も終了。
延長戦に入りスコアの動きがなかったが、その後半、途中から入ったヴァンフォーレ在籍20年目の生きる伝説こと山本英臣が自陣ゴール前でハンドをとられPKを献上。あまりにも残酷な展開に、快進撃もいよいよここまでかと思われたがここでGK河田晃兵が「長年このクラブを支えている山本英臣という選手がいるのですが、このまま終わらせるわけにはいかない、カップを掲げてほしいと思いました。」と後に語ったように成功率は80%以上とされるPKを好判断でセーブし、サンフレッチェは得点ならず。
その後は両者ゴールを決められず、勝敗の行方はPK戦に委ねられることとなった。
そしてこのPK戦でも、両チーム3人ずつが決めると、後半終了間際に同点ゴールを決め、4人目のキッカーを務めた川村拓夢が河田にシュートを止められたのに対しヴァンフォーレは4人全員が決め、サンフレッチェの5人目が成功させるも甲府5人目が決めれば優勝という状況になる。キッカーはハンドを取られた山本英臣。多くの人が現地やテレビで見守る中、山本の蹴ったボールはゴール左側に吸い込まれ、試合終了。
ヴァンフォーレ甲府が日本サッカーの歴史に名を刻み、Jクラブ20番目のタイトルホルダーとなった瞬間であった。
この優勝で賞金1億5000万円、2023年のAFCチャンピオンズリーグ出場権、決勝2週間後にずれ込んだ信玄公まつりで武田騎馬軍団と一緒にパレード催行など少し前には想像すらつかなかったご褒美を手に入れた。
そのACLでもJ2サポーター全員が思い思いのユニフォームを着て応援し、J2在籍クラブ初の決勝トーナメント進出を果たしている。
2部リーグに所属するチームの優勝は、過去にも2011年度のFC東京、1982年度のヤマハ発動機、1981年度の日本鋼管といった例があるし、決勝戦に2部クラブが進出した例も、最終的にガンバ大阪に敗れた2014年大会のモンテディオ山形などが存在した。
しかしこの3チームはいずれも既に翌シーズンの昇格を決めた状態での決勝戦であったために「事実上の1部」というべき状態であったのに対し、甲府の場合はJ2で7連敗中で22チーム中18位とまさにリーグ戦の惨憺たる状況が嘘のような快進撃であった。さらに、FC東京の相手は当時J2であった京都サンガF.C.であり、J2同士での決勝であったため、今回のように決勝戦で下剋上が起こったのは今回が初めてである。
今回のヴァンフォーレ甲府の天皇杯制覇は甲府サポーターや山梨県民だけでなく、全国の他クラブサポーターやサッカーファンにも大変驚かせ、衝撃と感動を与えた。そして同時に、J2のクラブを格下だと舐めてはいけないことと、一度下部リーグに落ちるとそこから復権は非常に困難であることを改めて痛感させることにもなった。
当然ながら山梨県は歓喜に沸き、各地で優勝セールが行われたほか、JR甲府駅では号外を待つ人で行列ができるほどのものとなり、ホームや改札内の電光表示板でも祝うメッセージが載せられた。
ヴァンフォーレの快進撃は、たとえ大型スポンサーや大型補強にも頼れず弱小と呼ばれる市民クラブであっても、かなり険しく、確率も低いとはいえ日本一になることも不可能ではないということを証明し、多くの人に希望と勇気を与えることとなった。
この試合を解説の中村憲剛と共に現地で観ていた森保一日本代表監督は、「サッカーに絶対はありえない。カテゴリーが上のチームが勝つわけではないと、甲府が示してくれた。FIFAランクで言えば上のチームと当たる。W杯に向けて、絶対はないと改めて自信になった。」と語り刺激を受けたことを語った。
それが影響したのが、翌月のFIFAワールドカップカタール大会では、森保監督率いる日本代表は過去に優勝経験があり日本の敗戦間違いなしと言われたドイツ、スペインに勝利し、世界に衝撃を与えた。間接的であるとはいえ、ヴァンフォーレは世界に与えた衝撃の源になったといえる。ちなみに、スペインとの試合ではヴァンフォーレでプロデビューした伊東純也が起死回生の同点弾の起点となり、勝利に貢献している。
「経営難で存続危機に陥った弱小クラブを地元の小さなスポンサーが支え、昇格と降格を繰り返し、近年では魔境と呼ばわるJ2に苦しみ、J1参入プレーオフ圏にすら入れない状況が続きながらもカップ戦を勝ち抜き、トップリーグのチームを撃破して日本一に輝く」というのはまさに漫画さながらで、これが他クラブサポーターの感動を呼ぶ元となった。「漫画で作ってる最中だったら間違いなく「出来過ぎ」と却下されるレベル」との声も存在する。
また、この決勝戦では甲府のゴール裏で自前の大旗を必死に振っているおじいちゃんが大きく映し出され、注目を浴びる事になった。このおじいちゃんは20年来のヴァンフォーレ甲府サポーターであるが、奥さんが病気になったため一時サポーター活動をやめていた。しかし奥さんの体調が快方に向かい、さらに応援するチームが一世一代の大舞台に立つことから復帰し、横浜まで駆け付け、振ることが難しいとされる大旗を振りながら応援している。このおじいちゃんは優勝決定後に涙し、このシーンを再びカメラに撮られたことで国内外でもちょっとした話題を呼び、後にテレビに出るほどにまでなったほか、本人の息子が感謝の意思をツイッターに投稿している(現在アカウントは削除済み)。これもまた、他クラブサポーターにも感動を及ぼす一因となった。
一方、サンフレッチェはというと翌週開催のルヴァンカップ決勝に進出が決定しており、セレッソ大阪相手に先制され苦しみながらも後半アディショナルタイム6分にPKを獲得し、これを成功させて同点に追いつくと、11分にはコーナーキックから2点目を決めて劇的逆転、クラブ史上初のカップ戦優勝を成し遂げた。
結果的にこの年、サンフレッチェはJ1で3位だったのに対し、ヴァンフォーレはJ2で18位。同年10月6日に発表された最新の世界ランクを見ると、サッカー男子日本代表は24位。甲府はJ2の18位(10月17日現在)で、J1の18チームを加えれば上から数えて36位である。つまり、数字的に見れば、ヴァンフォーレの優勝は、日本代表がワールドカップで優勝することよりも低い確率であったのだ。その上、準決勝で敗れた近年不調のアントラーズに至っては上記の通り5回の優勝経験どころか開催国枠という特別措置を考慮すべきとはいえ世界2位まで行ったこともあることから、そんなチームを破っての優勝がいかにすごいことがわかるだろう。
J2で7連敗、順位も18位と昇格争いにすら絡んでいなかっただけにこの優勝は驚きを以て伝えられたが、天皇杯はカテゴリー関係なく参加できること、そして1発勝負であり何が起こるかわからないこと、さらにはリーグでの順位には一切関係がなくその結果がリーグに影響しない。つまり、快進撃を見せたからって昇格、残留できるとは限らない反面、影響しないことで敗れても失うものもない、降格圏にいたとしてもそれを考えずにプレーできるというメリットもある。その結果、ヴァンフォーレは降格のプレッシャーから解放され、イキイキとプレーすることができ、チームの闘い方も定まっていたことも大きかった。
上記の通り、天皇杯の成績はリーグ戦に影響することはないため、2023シーズンも昇格することなくJ2での闘いが続くこととなった。しかし、今回得た大きな自信と結果は、J1昇格以上の価値があったと言っても過言ではないだろう。また、決勝時に行われた他クラブの試合結果によってJ2残留が決まり、シーズン開幕前とは全く異なる光景と成績の中でヴァンフォーレの2022シーズンは終わることになった。
これらのこともあって、今回のヴァンフォーレ甲府の優勝は日本のサッカーでも史上最大の下剋上との呼び声も高い。
また、今回の天皇杯が開催された前年の2021年は武田信玄の生誕500周年、翌年2023年には信玄没450年の節目であり、奇しくもその間の年に信玄の旗指物に記されたとされている風林火山をモットーとした甲斐の国のクラブが日本の頂点に立ち、歴史の1ページが刻まれた。
信玄公の果たせなかった日本一は、形は違えどそれから450年の時を経て実現したのあった。
なおその1年後、天皇杯優勝によって得たAFCチャンピオンズリーグにて番狂わせ甲府第2章が始めることになる。