概要
東京都小平市出身。
1980年10月31日生まれ。
東京都立久留米高校(2010年廃校、ただし施設は東京都立東久留米総合高校に「再利用」)から中央大学を経て2003年に川崎フロンターレに入団。当時、大卒選手はプロ入りの機会を逃したマイナスイメージが強く、また地域別代表経験などもなく当初は全くの無名選手だった。
しかし、その後の努力により2006年、2010年には日本代表に選出された。
2016年、36歳でJリーグMVPに選ばれ、当時最年長記録としてギネス世界記録に登録された。
2017年には入団から15年、2位で迎えた最終節を5-0で勝利し、J1リーグを逆転優勝。37歳にして念願の初タイトルを掴む。優勝が決まった瞬間にこれまでの努力が報われた彼は膝から崩れ落ちて涙した。
2018年には連覇を達成。
2019年には左膝前十字靭帯損傷、左膝外側半月板損傷という大怪我を39歳で負い、全治7カ月の時間を要したが、2020年の復帰戦でいきなりゴールを、それも怪我した左足で決めた。
同年の10月にはリーグ史上初となる40代でのバースデーゴールをまたしても左足で記録し、健在ぶりを見せた。
Jリーグが30周年を迎えた2023年現在でも、J1の公式戦において年齢が40歳以上でゴールを決めたのはジーコ、三浦知良、中山雅史、ドゥトラ、中澤佑二、中村憲剛のわずか6人しかおらず、中村は歴代で6人目であった。
しかしその翌日、現役引退を発表。かつてのチームメイトでその後はコーチ、当時監督4年目の鬼木達監督の下で引退したかったこと、さらに40歳までと35歳の時に決めていたこと、必要とされるまま引退したいと語っており、多くの他クラブのサポーターを含み「まだやれるだろう」などと大きな反響を呼んだ。
なお、監督と一部の選手および一部スタッフは事前に聞かされていたが、その全員が「なぜこのタイミングで?」と聞いたという。
リーグ優勝と天皇杯優勝という形で現役生活に幕を閉じた。
同年、川崎市への貢献、上記の活躍が評価され、史上3人目となる川崎市市民栄誉賞を受賞した。
2003年から2020年に引退するまで川崎一筋のサッカー人生を歩み、多くの選手から尊敬され、その人間性から他クラブのサポーターからも愛され、惜しまれたバンディエラである。
また、無名の大卒選手から日本代表に選ばれ、リーグMVPを歴代最年長で受賞、世界最高のMFと呼ばれたアンドレス・イニエスタ選手からも神選手と評価されるほどのサクセスストーリーを歩んだ選手でもあった。
引退後の2021年からはFRO(Frontale Relations Organizer)という役職に就き、川崎のアカデミーおよびスクールにおける育成・普及活動でのサポートを行い、引退後もサッカー界の発展に力を注いでいる。
余談
現役時代のポジションはMFだが、ルーキーイヤーには数試合でFW登録、その後もMF登録のままFWの位置でプレーしたこともあった。本職のMFでは1年目はトップ下、2年目は関塚隆監督の元ボランチにコンバートされ、相馬直樹監督時代には左右のサイドハーフ、風間八宏監督時代は4-4-2ではボランチ、それ以外ではトップ下、鬼木監督下では3年間は4-2-3-1のトップ下にほぼ固定されたが、最終年の2020年には4-3-3の左インサイドハーフで13試合に出場した。
利き足は右だが、左足の精度も高く、2019年のチェルシーFCとの親善試合では左足のクロスで決勝点をアシストし、現役最終年の2ゴールはいずれも左足で決めていた。
「サッカー選手はサッカーだけすればいいわけではなく、地域に貢献しなければそれはサッカーではない」と語っており、地域貢献活動や東日本大震災の被災地支援にも積極的であり、村井満チェアマンに直言するほど。
引退セレモニーの規模が歴代最大規模で、リーグ日程終了後に単独で開催され、地域の公務員である警察や消防、地域の人々、コラボ先の宇宙飛行士や俳優に漫画家、被災地の人々、共にプレーしたOBが監督及びコーチを含む30人近く参加、公立の小学校が授業でメッセージボードを作る、川崎市内の他スポーツクラブの選手の担ぐ神輿に乗るなど、これまでに積み重ねてきたものが大いに反映した異例づくしのものとなった。
なでしこジャパンのレジェンド澤穂希は府ロクサッカークラブ時代の先輩。彼女のことを現在も尊敬しており、ブログで彼女のバロンドール受賞時や引退時に敬意を示している。互いに引退後は対談なども行っている。澤は2015年に現役を引退したが、奇しくも彼女の引退試合の会場は憲剛のホームスタジアムの等々力陸上競技場であった。
嵐のファン。所属チームのエンタメ性が高く積極的なことから(風間監督や選手と共に)『VS嵐』や相葉雅紀氏が司会を務めた『グッと!スポーツ』に出演した際にも嵐愛を語ったり、初優勝後のパレードでは市民やサポーターに囲まれていたこともあり「嵐さんってこんな感じなんだ!」と叫んだことも。活動休止発表時にはチームの新体制発表会中であるにもかかわらず動揺し落ち込みつつもそれを惜しんだ。
また、親戚が音楽業界にいたこともあって常田真太郎と交友があり、現役時代に切磋琢磨し合い、引退時には監督、選手よりも早くそのことを伝えており、常田氏もそれを惜しんで『天才の種』を書いた。
関連タグ
志村けん 高校の大先輩、だけでなく、サッカー部の大先輩でもある。2020年に志村が亡くなった際には、ブログで追悼している。
澤穂希 上記にある通り、少年時代の先輩。