概要
1978年2月25日、埼玉県生まれ。
高校卒業後ブラジルで1年間プレーした後帰国。その時点でJリーグクラブからのオファーがなく、なんとかヴェルディ川崎に練習生として参加することができた。その後トップチームに昇格。
2002年より横浜F・マリノスでプレー。
1999年9月には日本代表入り。FIFAワールドカップには2006年と2010年に連続出場している。
2004年には日本人DFとして初めてJリーグ最優秀選手賞を受賞した。
ボンバーヘッドの髪型で知られ、愛称もボンバー。Jリーグでのユニフォームの名にもBOMBERと入れている。
ただ現在はそんなにボンバっていないが、ディフェンダーながら正確性の高いヘディングでのゴールを決めることも見られ、ボンバーのヘッドは健在である。
なお彼との契約は毎年遅れ、シーズン始動以後にようやく締結、というのは恒例行事。
近年は左膝の故障に悩まされていたが、2019年1月8日に引退を表明。
奇しくも同日、元日本代表GK・楢崎正剛も引退を発表。これには中澤も自身のブログで「#なんで同じ日に引退発表するんじゃい #俺の引退がかすむんじゃい笑(中略)#でも #大好きな楢さんと一緒に引退できて幸せです」と語っている。
2018年4月に行われた試合ではセットプレーからゴールを決めてチームを引き分けに導いている。Jリーグが30周年を迎えた2023年現在でも、J1の公式戦において年齢が40歳以上でゴールを決めたのはジーコ、三浦知良、中山雅史、ドゥトラ、中澤佑二、中村憲剛のわずか6人しかおらず、中澤は歴代で5人目であった。